2017/12/13
中山道六十九次・街道歩き【第18回: 岡谷→贄川宿】(その3)
昼食を終え、街道歩きの再開です。時刻は14時半を過ぎています。この日は塩尻宿を経て、次の洗馬宿までの途中の平出遺跡まで歩く予定です。残りはここから約9km。途中で見どころの説明もありますから3時間はかかると思われます。そうなると到着時刻は17時半ってところでしょうか。11月も中旬を過ぎて日の入りの時刻が早くなってきました(今年の冬至は12月22日)。ましてや山が迫っているこのあたりの日の入りはさらに早いです。もしかしたら平出遺跡に到着する頃にはあたりは暗くなっているかもしれません。そういうこともあろうかとリュックサックには小型の懐中電灯を入れているのですが、その出番がありそうです。とにかく先を急がないといけません。
長野自動車道の上を柿沢橋歩道橋で越えます。
目の前に北アルプスの山々が広がっています。
左手には乗鞍岳(のりくらだけ)の山容が見えます。乗鞍岳は、飛騨山脈(北アルプス)南部の長野県松本市と岐阜県高山市に跨る剣ヶ峰(標高3,026メートル)を主峰とする山々の総称です。山体は活火山で主峰の剣ヶ峰は日本で19番目に高い山です。山頂部のカルデラを構成する最高峰の剣ヶ峰、朝日岳などの8峰を含め、摩利支天岳、富士見岳など23の峰があり、広大な裾野が広がっています。活火山ランクCで、気象庁による常時観測対象の47火山に含まれていますが、山頂部に噴気地帯は存在しません。比較的新しい火山であることから穏やかな山容が特徴で、最新の噴火は約2000年前の恵比寿岳での噴火とされています。「乗鞍」の名称は馬の背に鞍を置いたような山容に由来しています。
その右手には穂高岳(ほたかだけ)も見えます。穂高岳も飛騨山脈(北アルプス)の長野県松本市と岐阜県高山市の境界に位置する奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳、明神岳などの峰々からなる穂高連峰の総称で、主峰である奥穂高岳は標高3,190メートル。長野県と岐阜県の最高峰だけでなく、日本第3位の高峰でもあります。
さらにその右手には常念岳(標高2,857メートル)や槍ヶ岳(標高3,180メートル)の姿も見えます。山頂付近は雲に隠れてはいますが、とにかく日本百名山に数えられる山々が幾つも立ち並ぶ様は、実に雄大な風景です。
道端に馬頭観音碑が立っています。ここから柿沢の集落に入っていきます。
「首塚 胴塚」の標識が立っています。街道から少し離れたところに「首塚 胴塚」なる物騒な名前の塚があります。天文17年(1548年)7月19日、信濃国の支配を企む甲斐の武田信玄軍と信濃国守護であった松本林城主小笠原長時軍とが永井坂において交戦し、数時間に及ぶ激戦の末、戦いは小笠原軍の破れるところとなり、多くの戦死者を残して退却をしました(塩尻合戦)。大勝利した武田軍は家臣の戦功を賞するため、この地で首実験を行った後、小笠原方の戦死者の遺体を放置したまま引き上げて行ったので、柿沢の村人達はこれを哀れに思い、ここに埋葬し供養しました。これが首塚と胴塚で、その時の小笠原軍の戦死者は800名以上だったと言われています。ちなみに、天文19年(1550年)、武田信玄軍は再び松本平に進軍。小笠原長時の居城であった松本林城は一夜のうちに落城し、小笠原氏は没落しました。
このあたりは柿沢と呼ばれる集落で、昔は立場として賑わっていたところでした。その柿沢の小学校の生徒さん達が詠まれた俳句(川柳? あっ、カルタだ!)が中山道沿いのあちこちに飾られているのですが、地元のことを詠おうとすると、どうしても首塚や合戦といった悲しい歴史に触れざるを得ないのでしょうね。
ここにも本棟造りの立派な家があります。雀オドリの飾りが立派です。
高札場の跡です。白い漆喰の蔵造りの家があります。
柿沢の集落を出るあたりに、中山道を跨ぐようになぜか鋼製の鳥居のようなものが建っています。これは何のためのものなのかは不明です。
五叉路になった下柿沢の交差点を横切ります。横切った先の火の見櫓のあるところのY字に分かれる三叉路で左側の細い道のほうに入ります。
四沢川です。四沢川は奈良井川の支流で、この先で奈良井川と合流します。奈良井川は中央アルプスの主峰木曽駒ヶ岳の北にある茶臼山北壁に源を発し、分水嶺が入り乱れる中、南下する東の天竜川、西の木曽川に挟まれた中を北上。奈良井宿、贄川宿を流れ、塩尻市、松本市を貫き、松本市内で梓川に合流。梓川は、そこから犀川に名前を変え、長野市の川中島あたりで千曲川と合流して、その後、新潟県に入ると信濃川と名前を変え、新潟市で日本海に注ぎます。
塩尻峠は分水嶺ということを書きましたが、確かに川の流れる方向が東から西へと変わっています。こういうところも峠越えの面白いところです。
緩やかに右にカーブし、少し広い道路と合流します。
縁並(えんなみ)橋で四沢川を渡ります。
永福寺です。ここは木曽義仲ゆかりの寺院です。ここに、木曽義仲の子孫が元禄15年(1702年)に伽藍と朝日観音堂を建立しました。木曽義仲が信仰した馬頭観世音が本尊として納められていました。観音堂は後年焼失してしまったのですが、安政2年(1855年)に再建されました。入母屋造り茅葺屋根が美しい寺院です。
この観音堂は江戸時代中期から後期に活躍し、長野県中南信から、関東、京都にまで多くの作品を残した長野県を代表する宮大工、諏訪立川流の2代目で名工と言われた立川和四郎富昌(ちなみに、諏訪立川流の初代は諏訪大社下社秋宮を建立した立川和四郎富棟)の遺作とされ、木曽義仲ゆかりの馬頭観世音が本尊として祀られています。正面にある山門(仁王門)は、明治29年に建てられたもので、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き、総欅、楼門形式の立派なものです。残念ながら、時間の関係で遠くから眺めるだけになってしまいました。
男女が仲睦まじく抱擁する姿が刻まれた相愛像の双体道祖神が立っています。見方によれば、これはちょっぴりエロチックです。
どことなく旧街道らしい雰囲気も感じられる道を進みます。
江戸の日本橋から数えて58番目の柿沢一里塚跡です。今は石碑だけが残っています。江戸時代に編纂された「中山道分間延絵図」には塩尻宿の東端にこの柿沢一里塚が描かれているそうです。
仲町信号で国道153号線と合流します。仲町信号を右折し、ここからはしばらく国道153号線に沿って歩きます。国道153号線は、愛知県名古屋市から伊那谷を経由して長野県塩尻市に至る一般国道です。伊那谷は、長野県南部、諏訪湖を源流とする天竜川に沿って、西を木曽山脈に、東を赤石山脈に挟まれ南北に伸びる盆地のことで、伊那盆地や伊那平とも呼ばれ、長野県歌「信濃の国」に登場する「四つの平」の一つです。伊那谷には飯田市、駒ヶ根市、伊那市といった都市があり、そこをJR飯田線が結んでいます。この飯田線、かつては旧形国電と呼ばれる古い電車の宝庫として鉄道ファンの注目を集め、私も学生時代に愛知県の豊橋駅から長野県の辰野駅まで約6時間をかけて全線乗覇したことがあります。現在でも天竜川の険しい渓谷を縫うように走る車窓風景や、小和田駅や田本駅などのいわゆる秘境駅の存在から、鉄道ファンや旅行者に人気のある路線です。
国道153号線の左側をJR中央本線(中央東線)が走っているはずなのですが、少し距離が離れているので見えません。
国道153号線と合流する角の右手に「是より西中山道 塩尻宿」と書かれた新しい道標が立っています。仲町交差点の信号のところで右折して宿場に入ることになるのですが、角の電柱脇に大きな道祖神が立っています。このあたりに塩尻宿の江戸方の木戸(入口)がありました。ここから先が塩尻宿です。
……(その4)に続きます。
長野自動車道の上を柿沢橋歩道橋で越えます。
目の前に北アルプスの山々が広がっています。
左手には乗鞍岳(のりくらだけ)の山容が見えます。乗鞍岳は、飛騨山脈(北アルプス)南部の長野県松本市と岐阜県高山市に跨る剣ヶ峰(標高3,026メートル)を主峰とする山々の総称です。山体は活火山で主峰の剣ヶ峰は日本で19番目に高い山です。山頂部のカルデラを構成する最高峰の剣ヶ峰、朝日岳などの8峰を含め、摩利支天岳、富士見岳など23の峰があり、広大な裾野が広がっています。活火山ランクCで、気象庁による常時観測対象の47火山に含まれていますが、山頂部に噴気地帯は存在しません。比較的新しい火山であることから穏やかな山容が特徴で、最新の噴火は約2000年前の恵比寿岳での噴火とされています。「乗鞍」の名称は馬の背に鞍を置いたような山容に由来しています。
その右手には穂高岳(ほたかだけ)も見えます。穂高岳も飛騨山脈(北アルプス)の長野県松本市と岐阜県高山市の境界に位置する奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳、明神岳などの峰々からなる穂高連峰の総称で、主峰である奥穂高岳は標高3,190メートル。長野県と岐阜県の最高峰だけでなく、日本第3位の高峰でもあります。
さらにその右手には常念岳(標高2,857メートル)や槍ヶ岳(標高3,180メートル)の姿も見えます。山頂付近は雲に隠れてはいますが、とにかく日本百名山に数えられる山々が幾つも立ち並ぶ様は、実に雄大な風景です。
道端に馬頭観音碑が立っています。ここから柿沢の集落に入っていきます。
「首塚 胴塚」の標識が立っています。街道から少し離れたところに「首塚 胴塚」なる物騒な名前の塚があります。天文17年(1548年)7月19日、信濃国の支配を企む甲斐の武田信玄軍と信濃国守護であった松本林城主小笠原長時軍とが永井坂において交戦し、数時間に及ぶ激戦の末、戦いは小笠原軍の破れるところとなり、多くの戦死者を残して退却をしました(塩尻合戦)。大勝利した武田軍は家臣の戦功を賞するため、この地で首実験を行った後、小笠原方の戦死者の遺体を放置したまま引き上げて行ったので、柿沢の村人達はこれを哀れに思い、ここに埋葬し供養しました。これが首塚と胴塚で、その時の小笠原軍の戦死者は800名以上だったと言われています。ちなみに、天文19年(1550年)、武田信玄軍は再び松本平に進軍。小笠原長時の居城であった松本林城は一夜のうちに落城し、小笠原氏は没落しました。
このあたりは柿沢と呼ばれる集落で、昔は立場として賑わっていたところでした。その柿沢の小学校の生徒さん達が詠まれた俳句(川柳? あっ、カルタだ!)が中山道沿いのあちこちに飾られているのですが、地元のことを詠おうとすると、どうしても首塚や合戦といった悲しい歴史に触れざるを得ないのでしょうね。
ここにも本棟造りの立派な家があります。雀オドリの飾りが立派です。
高札場の跡です。白い漆喰の蔵造りの家があります。
柿沢の集落を出るあたりに、中山道を跨ぐようになぜか鋼製の鳥居のようなものが建っています。これは何のためのものなのかは不明です。
五叉路になった下柿沢の交差点を横切ります。横切った先の火の見櫓のあるところのY字に分かれる三叉路で左側の細い道のほうに入ります。
四沢川です。四沢川は奈良井川の支流で、この先で奈良井川と合流します。奈良井川は中央アルプスの主峰木曽駒ヶ岳の北にある茶臼山北壁に源を発し、分水嶺が入り乱れる中、南下する東の天竜川、西の木曽川に挟まれた中を北上。奈良井宿、贄川宿を流れ、塩尻市、松本市を貫き、松本市内で梓川に合流。梓川は、そこから犀川に名前を変え、長野市の川中島あたりで千曲川と合流して、その後、新潟県に入ると信濃川と名前を変え、新潟市で日本海に注ぎます。
塩尻峠は分水嶺ということを書きましたが、確かに川の流れる方向が東から西へと変わっています。こういうところも峠越えの面白いところです。
緩やかに右にカーブし、少し広い道路と合流します。
縁並(えんなみ)橋で四沢川を渡ります。
永福寺です。ここは木曽義仲ゆかりの寺院です。ここに、木曽義仲の子孫が元禄15年(1702年)に伽藍と朝日観音堂を建立しました。木曽義仲が信仰した馬頭観世音が本尊として納められていました。観音堂は後年焼失してしまったのですが、安政2年(1855年)に再建されました。入母屋造り茅葺屋根が美しい寺院です。
この観音堂は江戸時代中期から後期に活躍し、長野県中南信から、関東、京都にまで多くの作品を残した長野県を代表する宮大工、諏訪立川流の2代目で名工と言われた立川和四郎富昌(ちなみに、諏訪立川流の初代は諏訪大社下社秋宮を建立した立川和四郎富棟)の遺作とされ、木曽義仲ゆかりの馬頭観世音が本尊として祀られています。正面にある山門(仁王門)は、明治29年に建てられたもので、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き、総欅、楼門形式の立派なものです。残念ながら、時間の関係で遠くから眺めるだけになってしまいました。
男女が仲睦まじく抱擁する姿が刻まれた相愛像の双体道祖神が立っています。見方によれば、これはちょっぴりエロチックです。
どことなく旧街道らしい雰囲気も感じられる道を進みます。
江戸の日本橋から数えて58番目の柿沢一里塚跡です。今は石碑だけが残っています。江戸時代に編纂された「中山道分間延絵図」には塩尻宿の東端にこの柿沢一里塚が描かれているそうです。
仲町信号で国道153号線と合流します。仲町信号を右折し、ここからはしばらく国道153号線に沿って歩きます。国道153号線は、愛知県名古屋市から伊那谷を経由して長野県塩尻市に至る一般国道です。伊那谷は、長野県南部、諏訪湖を源流とする天竜川に沿って、西を木曽山脈に、東を赤石山脈に挟まれ南北に伸びる盆地のことで、伊那盆地や伊那平とも呼ばれ、長野県歌「信濃の国」に登場する「四つの平」の一つです。伊那谷には飯田市、駒ヶ根市、伊那市といった都市があり、そこをJR飯田線が結んでいます。この飯田線、かつては旧形国電と呼ばれる古い電車の宝庫として鉄道ファンの注目を集め、私も学生時代に愛知県の豊橋駅から長野県の辰野駅まで約6時間をかけて全線乗覇したことがあります。現在でも天竜川の険しい渓谷を縫うように走る車窓風景や、小和田駅や田本駅などのいわゆる秘境駅の存在から、鉄道ファンや旅行者に人気のある路線です。
国道153号線の左側をJR中央本線(中央東線)が走っているはずなのですが、少し距離が離れているので見えません。
国道153号線と合流する角の右手に「是より西中山道 塩尻宿」と書かれた新しい道標が立っています。仲町交差点の信号のところで右折して宿場に入ることになるのですが、角の電柱脇に大きな道祖神が立っています。このあたりに塩尻宿の江戸方の木戸(入口)がありました。ここから先が塩尻宿です。
……(その4)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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