2012年7月12日 阿蘇豪雨
この年は6月下旬から梅雨前線の活動が活発の日が続いていた。7月に入っても西日本中心に梅雨前線の活発な状態が続いたが、8日になると梅雨前線は九州の南に南下し弱まり、10日にかけて梅雨の中休みとなった。しかし、11日になると梅雨前線が再び北上し活発化した。この朝、南種子島町上中で1時間103mmの猛烈な雨が降ったが、こうした大量の雨を降らせる水蒸気をたっぷりと含んだ気流が九州に流入を始めた。その後、前線は九州の北まで北上し、九州北部には、湿舌と呼ばれる風の収束帯が形成され湿潤な気流の流入が始まり、大雨域は九州北部に移り、日付が変わるのを待ったかのように、12日になると熊本県阿蘇市を中心に猛烈な雨が数時間も降り続いた。この、猛烈な雨により、阿蘇地域を中心に土砂災害が頻発し、この地域だけで死者・行方不明25名が出る激甚な災害が発生した。また、阿蘇から流れ出す白川が熊本市内ではん濫し広範囲に浸水被害も発生した。白川のはん濫は1990年7月以来22年ぶりであった。
この時もっとも激しい雨の中心となった阿蘇乙姫での1時間雨量の経緯を示す図を示す。1時過ぎに激しさを増した雨は最大1時間雨量108mm、最大3時間雨量288.5mmを記録し、総雨量が500mmに達したが、そのほとんどが7時間半ほどの間に降った。
この日の朝、熊本気象台は下に示すような「記録的な大雨に関する熊本県気象情報」を発表した。文面の通り、この地の住民にとって経験したことの無い雨の降り方であった。恐らく数十年~百年に一度程度起こるような激しさであった。昨年夏から始まった大雨特別警報は、この事例のようなときに発表されることになる。
この豪雨の様子を衛星画像で見ることにする。
阿蘇乙姫で猛烈な降り方をした12日2時から6時までの衛星画像と解析雨量を並べてみた。阿蘇を中心とする九州北部は、真っ白な雲の塊に覆われており、これが九州北部に留まっているように見える。また、九州の西の海上には、西南西方向に積乱雲が点在している様子が見られ、この方向から湿潤な気流の流入が続いていることを示している。
一方、隣に前1時間雨量(解析雨量)を示したが、この図では帯状に激しい雨の領域が見られるが、衛星画像で丸く見える雲の形状とは全く異なる形をしている。
積乱雲は垂直に発達し、圏界面に達するとそこで盛り上がる雲の頭を打たれた形で雲は周辺に広がる。一つの積乱雲ではモクモクと盛り上がった雲頂が水平方向に広がるカナトコ雲となる。積乱雲の寿命は高々1時間程度であるが、この時九州北部を覆った積乱雲の塊は数時間続いていた。西から湿った気流の流入が続いたため、ほぼ同じ地域で次々と積乱雲が発生し群をなす状態が続いたことを示しているのである。
この雲の塊のうち西端の輪郭は比較的明瞭だが、東側や南側はぼんやりしている。特に、南側の部分は上層雲が主体である。一方、輪郭がはっきりしている西側部分は発達期の積乱雲があることを示している。強い雨の部分が東西走行に帯状に並んでいるのは、雲域の西端で次々と新しい積乱雲が発達して移動を繰り返したことを示している。
今回の熊本県阿蘇地域で発生した猛烈な雨が数時間降り続いたが、この時の雨の降り方と似ている大雨事例がいくつかある。一つは、昭和57年(1982年)7月23日に発生した長崎豪雨である。長崎市の最大1時間雨量127.5㎜、最大3時間雨量313㎜、最大24時間552,5mmで激しい雨は5時間で413.5㎜を記録している。この時、長崎市内で死者行方不明299名が出る大災害となった。もう一例は、時間雨量は少し少なめであるが7時間にわたって連続的な激しい雨となり、静岡市で大水害が発生した七夕豪雨が挙げられる(これについては前に紹介したのでそれを見てほしい)。
この時もっとも激しい雨の中心となった阿蘇乙姫での1時間雨量の経緯を示す図を示す。1時過ぎに激しさを増した雨は最大1時間雨量108mm、最大3時間雨量288.5mmを記録し、総雨量が500mmに達したが、そのほとんどが7時間半ほどの間に降った。
この日の朝、熊本気象台は下に示すような「記録的な大雨に関する熊本県気象情報」を発表した。文面の通り、この地の住民にとって経験したことの無い雨の降り方であった。恐らく数十年~百年に一度程度起こるような激しさであった。昨年夏から始まった大雨特別警報は、この事例のようなときに発表されることになる。
この豪雨の様子を衛星画像で見ることにする。
阿蘇乙姫で猛烈な降り方をした12日2時から6時までの衛星画像と解析雨量を並べてみた。阿蘇を中心とする九州北部は、真っ白な雲の塊に覆われており、これが九州北部に留まっているように見える。また、九州の西の海上には、西南西方向に積乱雲が点在している様子が見られ、この方向から湿潤な気流の流入が続いていることを示している。
一方、隣に前1時間雨量(解析雨量)を示したが、この図では帯状に激しい雨の領域が見られるが、衛星画像で丸く見える雲の形状とは全く異なる形をしている。
積乱雲は垂直に発達し、圏界面に達するとそこで盛り上がる雲の頭を打たれた形で雲は周辺に広がる。一つの積乱雲ではモクモクと盛り上がった雲頂が水平方向に広がるカナトコ雲となる。積乱雲の寿命は高々1時間程度であるが、この時九州北部を覆った積乱雲の塊は数時間続いていた。西から湿った気流の流入が続いたため、ほぼ同じ地域で次々と積乱雲が発生し群をなす状態が続いたことを示しているのである。
この雲の塊のうち西端の輪郭は比較的明瞭だが、東側や南側はぼんやりしている。特に、南側の部分は上層雲が主体である。一方、輪郭がはっきりしている西側部分は発達期の積乱雲があることを示している。強い雨の部分が東西走行に帯状に並んでいるのは、雲域の西端で次々と新しい積乱雲が発達して移動を繰り返したことを示している。
今回の熊本県阿蘇地域で発生した猛烈な雨が数時間降り続いたが、この時の雨の降り方と似ている大雨事例がいくつかある。一つは、昭和57年(1982年)7月23日に発生した長崎豪雨である。長崎市の最大1時間雨量127.5㎜、最大3時間雨量313㎜、最大24時間552,5mmで激しい雨は5時間で413.5㎜を記録している。この時、長崎市内で死者行方不明299名が出る大災害となった。もう一例は、時間雨量は少し少なめであるが7時間にわたって連続的な激しい雨となり、静岡市で大水害が発生した七夕豪雨が挙げられる(これについては前に紹介したのでそれを見てほしい)。
執筆者
気象庁OB
市澤成介