南の海上に台風が4個 (1972年7月)
北西太平洋域に台風が同時に5個存在した(1960年8月23日14号~18号)ことがあるが、私が予報作業に関わっていた時に経験したのは4個が最多である。1972年(昭和47年)7月のことで、私が気象庁予報課で予報現業に入ったばかりの新米の時であった。
当時はまだ、気象衛星「ひまわり」はなく、台風の存在は北西太平洋と南シナ海に点在する島々と船舶による通報に加え、米軍による飛行機観測によっていた。島や船舶の観測では、この海域に熱帯じょう乱があるとわかっても、中心を特定することは難しく、6時間から12時間に1回程度得られる飛行機観測が頼りであった。
台風が発生すると、地上天気図解析後に発信する情報量が飛躍的に増大するため、4個となったことで、情報作成が時間内に処理できず、応援当番を置く事態となった。
7月5日、南海上に2つの熱帯低気圧が現れ、6日には3つ目の熱帯低気圧が発生した。それぞれの熱帯低気圧は発達し、7日9時マーシャル諸島付近で台風第6号が発生した。さらに同日21時にはマリアナ諸島の南で台風第7号が発生し、同時刻に天気図上には別の熱帯低気圧が現れた。続いて、ルソン島を通過し南シナ海に進んだ熱帯低気圧が8日9時に台風第8号となった。さらに翌日9日3時にはマーシャル諸島東部の海上で台風第9号が発生し、4個の台風が同時に存在する形となった。この状態は、台風第8号が台湾の西海上で熱帯低気圧に変わった14日15時までの5日余り続いた。
4個の台風の経路を見ると、最も得意な経路を取ったのが台風第7号である。経路の異常もさることながら、台風期間が連続して19日間に及び、台風の詳細な記録の残されている中では第1位の長寿台風である。なお、途中で熱帯低気圧になった期間を挟むとこれより6時間記録があるが連続しては最長である。
台風第7号は11日9時に中心気圧910㍱と猛烈な強さの台風にまで発達し、4つの中では最強の台風で大型であったことから、他の台風の動きにも影響を与えている。まず12日~14日にかけて沖ノ鳥島の南西海上で動きを止めて、反転して東北東に移動している。この時、台風6号がこの東海上で速度を速めて北西に進んでいる。2つの台風が近づくとそれぞれが引き合い複雑な動きをすることがある。いわゆる「台風の藤原効果」と言われる現象が起こったのだ。台風第7号の方が大きな勢力も持っていたため、台風第6号はこの周りを振り回されるように加速したものである。経路図の青括弧で示した部分が台風第7号の影響を受けた期間と言える。この台風は15日20時頃、愛知県知多半島に上陸した。
台風第7号は奄美大島の北を西進後、南下を始め、4日間もかけて沖縄西海上を大きな楕円を描く不思議な動きをした。この南に下がり始めた頃に台風第9号が台風第7号に引き寄せられるように日本の南海上に接近し、速度を上げて、23日20時頃、九州東部に上陸した(黒括弧で示した部分)。
台風第6号と第9号が上陸した頃の天気図を末尾に示す。
今年の梅雨明けがちょっと変わっているといったが、「普段はどうなの台風第7号が沖縄の西海上で異常な動きをしたため、南西諸島では一週間以上も台風の暴風域に入り、離島向けの便船が長期間欠航となり、食品、日用品等が不足する深刻な事態となった。
台風が沖縄の西海上を順調に南下し続ける中、予報の組み立てに苦労した。まだ、数値予報の精度も悪く、台風予報は図式計算や統計手法によっていたが、このような複雑な経路を取る台風ではこうした手法ではお手上げの状況であった。どこまで南下するのか、南下を止めてすぐにも向きを北に帰るかもしれない。ベテラン予報官もこのタイミングが予測しきれず、苦労の末に出された予報は、12時間予想を南南東に向け、24時間予報はそこから北に向ける予報を発表したのを覚えている。当時は台風の進路予報は扇形方式といい、考えられる予想進路の右端と、左端の緯度経度で示していた。
この発表された予報に対して、作画した図が異常なため、報道等からは「どの点とどの点を結べば良いのだ」との問い合わせが殺到したことを思い出す。
当時はまだ、気象衛星「ひまわり」はなく、台風の存在は北西太平洋と南シナ海に点在する島々と船舶による通報に加え、米軍による飛行機観測によっていた。島や船舶の観測では、この海域に熱帯じょう乱があるとわかっても、中心を特定することは難しく、6時間から12時間に1回程度得られる飛行機観測が頼りであった。
台風が発生すると、地上天気図解析後に発信する情報量が飛躍的に増大するため、4個となったことで、情報作成が時間内に処理できず、応援当番を置く事態となった。
7月5日、南海上に2つの熱帯低気圧が現れ、6日には3つ目の熱帯低気圧が発生した。それぞれの熱帯低気圧は発達し、7日9時マーシャル諸島付近で台風第6号が発生した。さらに同日21時にはマリアナ諸島の南で台風第7号が発生し、同時刻に天気図上には別の熱帯低気圧が現れた。続いて、ルソン島を通過し南シナ海に進んだ熱帯低気圧が8日9時に台風第8号となった。さらに翌日9日3時にはマーシャル諸島東部の海上で台風第9号が発生し、4個の台風が同時に存在する形となった。この状態は、台風第8号が台湾の西海上で熱帯低気圧に変わった14日15時までの5日余り続いた。
4個の台風の経路を見ると、最も得意な経路を取ったのが台風第7号である。経路の異常もさることながら、台風期間が連続して19日間に及び、台風の詳細な記録の残されている中では第1位の長寿台風である。なお、途中で熱帯低気圧になった期間を挟むとこれより6時間記録があるが連続しては最長である。
台風第7号は11日9時に中心気圧910㍱と猛烈な強さの台風にまで発達し、4つの中では最強の台風で大型であったことから、他の台風の動きにも影響を与えている。まず12日~14日にかけて沖ノ鳥島の南西海上で動きを止めて、反転して東北東に移動している。この時、台風6号がこの東海上で速度を速めて北西に進んでいる。2つの台風が近づくとそれぞれが引き合い複雑な動きをすることがある。いわゆる「台風の藤原効果」と言われる現象が起こったのだ。台風第7号の方が大きな勢力も持っていたため、台風第6号はこの周りを振り回されるように加速したものである。経路図の青括弧で示した部分が台風第7号の影響を受けた期間と言える。この台風は15日20時頃、愛知県知多半島に上陸した。
台風第7号は奄美大島の北を西進後、南下を始め、4日間もかけて沖縄西海上を大きな楕円を描く不思議な動きをした。この南に下がり始めた頃に台風第9号が台風第7号に引き寄せられるように日本の南海上に接近し、速度を上げて、23日20時頃、九州東部に上陸した(黒括弧で示した部分)。
台風第6号と第9号が上陸した頃の天気図を末尾に示す。
今年の梅雨明けがちょっと変わっているといったが、「普段はどうなの台風第7号が沖縄の西海上で異常な動きをしたため、南西諸島では一週間以上も台風の暴風域に入り、離島向けの便船が長期間欠航となり、食品、日用品等が不足する深刻な事態となった。
台風が沖縄の西海上を順調に南下し続ける中、予報の組み立てに苦労した。まだ、数値予報の精度も悪く、台風予報は図式計算や統計手法によっていたが、このような複雑な経路を取る台風ではこうした手法ではお手上げの状況であった。どこまで南下するのか、南下を止めてすぐにも向きを北に帰るかもしれない。ベテラン予報官もこのタイミングが予測しきれず、苦労の末に出された予報は、12時間予想を南南東に向け、24時間予報はそこから北に向ける予報を発表したのを覚えている。当時は台風の進路予報は扇形方式といい、考えられる予想進路の右端と、左端の緯度経度で示していた。
この発表された予報に対して、作画した図が異常なため、報道等からは「どの点とどの点を結べば良いのだ」との問い合わせが殺到したことを思い出す。
執筆者
気象庁OB
市澤成介