2014/07/30
憧れの五能線(その3)…東北新幹線2
日本列島上空に停滞した強い寒気に向かって南から暖かく湿った空気が流れ込んできた影響でこのところ大気の状態が不安定になっていて、前日(19日)は夜に入ってから各地で強い雨雲が発達。特に北陸地方では、1時間降水量が気象庁が統計を取り始めてから最も多い猛烈な雨を観測したところがあったり、24時間累積雨量も250ミリを超えて、平年の7月1ヶ月分の雨量に匹敵するような大雨となったところがあったり…と、局地的に非常に強い雨が降りました。私が住んでいる関東地方の埼玉県さいたま市も同様で、夜に入ってからかなり強い雨が降りました。
「翌20日も東日本と東北を中心に本州の広い範囲で大気の不安定な状態が続く見込みで、局地的に雷を伴って1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨が降るおそれがある」…という予報も出ていて、あれあれ…┐(‘~`;)┌って思っていました。せっかく素晴らしい景色のところに行くというのに、天気が悪ければ台無しですからね。
で、翌朝(20日)、私達がちょうど自宅を出た時間あたりに雨がやみ、東北新幹線で関東平野を北上し、白河の関を越えて東北地方に入った頃には、曇り空の中にところどころ青空も顔を覗かせはじめ、仙台を過ぎたあたりからは時々陽も射してきて景色が明るくなってきました。よしっ!回復傾向だ! 私の『晴れ男伝説』は、今回の旅行でも不滅のようです (笑)
両側の車窓には一面淡い緑色をした田園風景が続きます。さすがに東北地方は米どころ。大穀倉地帯です。私の田舎の四国あたりとは、根本的に見える景色が違います。まぁ~、岩手県1県の面積だけでも、四国四県を合わせた面積よりも広いわけですから、景色は違ってきますわね。この淡い緑色をした一面の田園風景の中を、真っ赤な『こまち』と濃い緑色をした『はやぶさ』が連なって最高速度320km/時でビューン!…と駆け抜ける…、う~~ん、ヘリコプターに乗って、ちょっと俯瞰で撮ると、素晴らしい“絵”になりますねぇ~(^.^) もっとも、私は乗って いる最中だから、あくまでもイメージですが(笑)
今年の夏は(南米ペルー沖の太平洋の海水の表面温度が平年よりも上がる)エルニーニョ現象の影響で、東日本から北日本にかけては例年より気温が低めの冷夏になるかもしれない…という長期予報が春先には出ていたのですが、エルニーニョ現象が終息したようで、その長期予報も“平年並み”に修正されました。よかったよかった。この東北地方の見渡す限り…とでも形容ができそうな大穀倉地帯が冷夏で収穫量が下がるようなことがあれば、一大事でしたから。
ちなみに、この日(20日)も上空の強い寒気と湿った空気の影響で西日本から東北にかけての広い範囲で大気の状態が不安定になり、関東や東海などは局地的にかなりの雨が降りました。国土交通省が東京・大田区田園調布本町に設置した雨量計では午後7時20分までの1時間に101ミリの猛烈な雨を観測しました。また、午後8時までの1時間には、埼玉県が本庄市児玉町長沖に設置した雨量計で56ミリ、岐阜県が恵那市飯地町に設置した雨量計で55ミリのそれぞれ非常に激しい雨を観測しました。
『はやぶさ3号』は盛岡駅で秋田へ向かう『こまち3号』を切り放し、10両の身軽な編成になって、さらに北へ向かいます。日本最速の最高速度320km/時を誇る東北新幹線『はやぶさ』も、盛岡を過ぎてからはガクッと速度が落ちます。いわて沼宮内、二戸と停車し、いよいよ次が八戸、私達の下車駅です。
【追記】
東北地方と言えばどうしても東日本大震災のことに触れないわけにはいきません。東日本大震災では東北新幹線も電柱や架線、高架橋の橋脚など約1,100箇所が損傷する等の大きな被害を受け、運休を余儀なくされました。しかし、南北から徐々に運転が再開され、地震発生から1ヶ月後の4月12日には東京駅~福島駅間で運転が再開され、なんと49日目の4月29日には全線で運転を再開しました。被災区間の長さは約500kmにも及んだとのことですが、それが僅か49日間で復旧できるとは。驚くとともに、日本の鉄道土木技術の素晴らしさというものを誇りに思えます。
おそらく、阪神淡路大震災の時の教訓(あの時も京都~姫路間で大きな被害を受けました)や、中越地震の時の教訓(越後湯沢~燕三条間で大きな被害を受けました)や経験をもとに行った耐震補強対策の効果が出たのでしょうね。それら前の地震の経験から補修工法等の技術も格段の進歩を遂げたということでしょうから。
それにも増して、あれだけ強い揺れの地震が起きたにも関わらず、ただの1両も脱線していないというのは驚異というしかありません。あの超巨大地震発生時、東北新幹線は上下あわせて27本の列車が乗客を乗せて走っていましたが、そのいずれもが、脱線せずに停止できたわけです。揺れの発生をいち早く検知して列車を減速させる「早期地震検知システム(ユレダス)」が作動したわけです。
この時は東北新幹線の線路からおよそ50km離れた牡鹿半島に設置されたJR東日本の地震計が午後2時47分3秒に運転中止の基準となる120ガルという地震の揺れの加速度を捉えたことから、緊急停止を知らせる信号が各列車に送られ、非常ブレーキが作動したのです。JR東日本さんのその後の調査によると、一番震源に近いところを走行中だった2本の列車が非常ブレーキをかけた9秒から12秒後に最初の揺れが始まり、1分10秒後に最も強い揺れが起きたそうです。その時は既に停止直前の速度にまで減速が行われていて、脱線等の大惨事になることを防げたわけです。
これは日本が世界に誇る素晴らしい防災技術だと思います。その新幹線の「早期地震検知システム」と同じ仕組みを使っているのが気象庁の『緊急地震速報システム』で、それを世の中の様々な分野へ普及活用させる任を担っているのが、我々民間気象情報会社です。頑張らないといけません。
また、鉄道というものの社会的価値か再認識されたのも、この東日本大震災ではなかったか…と私は思います。東日本大震災からの復興を目指す東北地方、特に被災地の方々にとって、大量輸送機関である大動脈の東北新幹線がいち早く復旧したことは、どんなにか心強かったことでしょう。東北新幹線が運転を再開することで、東北地方と首都東京が繋がり、短時間で大勢の人の往き来ができるようになりました。孤独感を少しは解消できたのではないか…と、私は思います。また、多くの人が被災地支援のために足を運べるようになり、復旧・復興になんとか光も見えてきました。
運転再開からしばらくは車体の横に『がんばろう、日本!』や『つなげよう、日本!』という大きなステッカーが貼られていた東北新幹線ですが、あれから3年という月日が経過して、今はそれも取り外されています。内陸部を走る東北新幹線の車窓からは、今は地震の爪跡はほとんど確認することができません。車内に乗っている人の顔にも、運転再開直後の東北新幹線に乗った時に感じたなんとも言い様のない緊迫感のようなものは、今は微塵も感じられません。しかし、遠く東の山の向こうの海岸線近くにある町々では、今も復興に向けた必死の取り組みが続けられています。それをなんとか応援してあげられることはできないものか…。車窓を眺めながら、しばらくそんなことを考えていました。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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