2014/09/16
推薦図書『池上彰の教養のススメ』
急速に変化する現在の市場において、その変化に企業が追従していくためには、常に「学ぶ姿勢」というものが大切であると、私は思っています。そして、キーポイントとなるのは、「学ぶ姿勢」のある幹部や「学ぶ姿勢」のある社員の『育成』にあると思っています。なぜなら、学ぶ姿勢のある人には知恵や知識が集まり、学ぶ姿勢のある人が集う会社には、結果として知恵や知識が集まってくるからです。
それとは反対に、学ぶ姿勢の薄い人には、大変に申し訳ないけれど、いつまで経っても知恵や知識は集まりません。必然的に、学ぶ姿勢の薄い人が多く集う会社においては、知恵や知識がほとんど集積されることはなく、時代の変化にも取り残され、結果として事業の継続が困難になることも十分に想定されます。
時代の変化の激しい現代では、会社だけでなく個人においてもまったく同じことが言えます。仕事における自分はもちろん、家族の生活を守るためにも、まず自分が成長して、自分自身の価値を上げる努力が必要です。自分の価値を上げる手段として、多くの人の知恵や知識、ノウハウを学ぶことも有効な手段の一つです。この場合の「多くの人」とは、なにも著名な知識人や高名な方々でなくても構いません。会社の上司や同僚、後輩、パートナー企業の方々や得意先であるお客様等々、自分の周りにいる「多くの人」たちから学べばよいのです。
時代についていけない、あるいは変化についていけないという人の多くは、なかなか人の意見やアドバイスを聞かないという共通性があります。自分一人の知恵や経験の絶対量と、多くの人の知恵や経験の絶対量は桁違いに違います。人の意見やアドバイスを聞かないということは、自分一人だけでは得られない貴重な知識習得のチャンスを自ら放棄しているとも言えるのです。
また、人の意見やアドバイスに耳を貸さない人は、自ら自身の成長を止めているとも言えます。人の話を最後まで聞かないで反論し、指摘するとふて腐れたような態度をとると、意見やアドバイスをした側も決していい気分ではありません。周りから「あの人は人の意見を聞かない人」という固定観念を持たれてしまうと、そのうち誰も意見やアドバイスをしなくなります。つまり、「人の意見を聞く」という「学ぶ姿勢」が無い場合、市場の変化から取り残され、自身の価値を上げる成長もできないということになってしまうのです。
人の意見やアドバイスを聞くことは、自分自身の知恵や経験の絶対量を増やす=成長して自分自身の価値を上げることに繋がります。企業としても個人としても、「学ぶ姿勢」というものが重要だと私は思っています。そして、リーダー自らがいろいろと学び成長すること、これが間違いなく組織を強くすることに結び付く…と、私は考えています。
時事問題に関するテレビ解説では、いまや誰もが第一人者と認める池上彰さん。池上さんはマスメディアで活躍する一方、2012年春から東京工業大学リベラルアーツセンター教授として教鞭をとっていらっしゃいます。
リベラルアーツは、日本語では「教養」と訳されます。私が大学時代は、入学後、最初の2年間は教養課程と呼ばれ、様々な分野の勉強をさせていただきました。工学部電子工学科だった私も、その教養課程では実に様々な単位をとったものです。中には現代音楽というものもあり、当時のフォーライフレコードの坂上顧問(確かそういうお名前でした。歌手の吉田拓郎さんがフォーライフレコードの社長だった時代です)から、『フォークソング史』というとぉ~っても面白い講義を受けたものです。また、残念ながら単位を落としてしまいましたが、環境地理学という講義も受講していて、現在の仕事を考えると、もっと真剣に勉強していたらよかったなぁ~…って、懐かしく思い出したりもします(試験がとてつもなく難しかったですけどね)。
しかしながら、私の子供達の話を聞いていると、最近は「すぐには役に立たないもの」として軽視され、1991年にはじまった大学教育の大改革によって教養課程の改組が行われ、この「教養」という科目は必修ではなくなってしまったようです。その後、学生はいきなり専門課程を学ぶようになり、「すぐに役に立つ知識」の修得に励んできた感じです。
私は以前、埼玉大学の教授から依頼されて、2005年から2010年までの6年間、工学部電気・電子工学科と情報工学科で非常勤講師を務めさせていただいたことがあります。その埼玉大学には教養学部と言う学部があり、聞いた話だと、現在、国立大学で教養学部があるのは東京大学と埼玉大学の2つだけなんだそうです。おっと忘れてはいけません。私の母校、広島大学にも総合科学部という学際領域(これも教養ってことでしょうね)を専門とする学部がありました。
で、1991大学教育の大変革から20余年が過ぎた現在、「教養」が見直されているらしいそうです。今なぜ教養が注目されているのか…について池上彰さんはこう分析されていらっしゃいます。
「それは、教養なき実学、教養なき合理主義、教養なきビジネスが、何も新しいものを生み出さないことに、日本人自身が気づいたからかもしれません」
池上さんの説によると、既存のルールに則って合理的に格安のモノを作ったり、サービスを提供したりすることばかりに長けた日本企業がこの20余年の間に起った様々な環境変化に対応できず、新たな市場を創造できなかったのは、教養がなかったからとのことだそうです。これには私も同感です。
教養を身につけるとは、様々な分野の知の体系を学ぶ…てことです。歴史を知り、世界を知り、自然を知り、人を知れば、世の中の“理”というものがオボロゲながらでも見えてきます。全てのことにはワケ(理由)がありますから。そうなってこそ、創造性に富んだ新たな何かを生み出せるものだ…と私は思っています。
中でも私が今嵌まっているのが、歴史ですね。もともとは昔の気候、気象に興味を持ったことが端を発したことなのですが、歴史を勉強するということは、その時代時代で起きた様々な事象における理由の追求でもありますから、楽しいです。それと、自然。現在携わらせていただいている気象の仕事は、まさに自然現象そのものと向き合う仕事です。そこから学ぶこと、気付くことっていっぱいあります。もともとが工学部電子工学科の卒業でITエンジニアあがりというバリバリ理系の私ですが、こうして歴史や自然を学ぶことで、世の中の見方が広がり、発想が一気に広がっているのを実感しています。
『池上彰の教養のススメ』 東京工業大学リベラルアーツセンター篇(日経BP社)、お薦めです。
それとは反対に、学ぶ姿勢の薄い人には、大変に申し訳ないけれど、いつまで経っても知恵や知識は集まりません。必然的に、学ぶ姿勢の薄い人が多く集う会社においては、知恵や知識がほとんど集積されることはなく、時代の変化にも取り残され、結果として事業の継続が困難になることも十分に想定されます。
時代の変化の激しい現代では、会社だけでなく個人においてもまったく同じことが言えます。仕事における自分はもちろん、家族の生活を守るためにも、まず自分が成長して、自分自身の価値を上げる努力が必要です。自分の価値を上げる手段として、多くの人の知恵や知識、ノウハウを学ぶことも有効な手段の一つです。この場合の「多くの人」とは、なにも著名な知識人や高名な方々でなくても構いません。会社の上司や同僚、後輩、パートナー企業の方々や得意先であるお客様等々、自分の周りにいる「多くの人」たちから学べばよいのです。
時代についていけない、あるいは変化についていけないという人の多くは、なかなか人の意見やアドバイスを聞かないという共通性があります。自分一人の知恵や経験の絶対量と、多くの人の知恵や経験の絶対量は桁違いに違います。人の意見やアドバイスを聞かないということは、自分一人だけでは得られない貴重な知識習得のチャンスを自ら放棄しているとも言えるのです。
また、人の意見やアドバイスに耳を貸さない人は、自ら自身の成長を止めているとも言えます。人の話を最後まで聞かないで反論し、指摘するとふて腐れたような態度をとると、意見やアドバイスをした側も決していい気分ではありません。周りから「あの人は人の意見を聞かない人」という固定観念を持たれてしまうと、そのうち誰も意見やアドバイスをしなくなります。つまり、「人の意見を聞く」という「学ぶ姿勢」が無い場合、市場の変化から取り残され、自身の価値を上げる成長もできないということになってしまうのです。
人の意見やアドバイスを聞くことは、自分自身の知恵や経験の絶対量を増やす=成長して自分自身の価値を上げることに繋がります。企業としても個人としても、「学ぶ姿勢」というものが重要だと私は思っています。そして、リーダー自らがいろいろと学び成長すること、これが間違いなく組織を強くすることに結び付く…と、私は考えています。
時事問題に関するテレビ解説では、いまや誰もが第一人者と認める池上彰さん。池上さんはマスメディアで活躍する一方、2012年春から東京工業大学リベラルアーツセンター教授として教鞭をとっていらっしゃいます。
リベラルアーツは、日本語では「教養」と訳されます。私が大学時代は、入学後、最初の2年間は教養課程と呼ばれ、様々な分野の勉強をさせていただきました。工学部電子工学科だった私も、その教養課程では実に様々な単位をとったものです。中には現代音楽というものもあり、当時のフォーライフレコードの坂上顧問(確かそういうお名前でした。歌手の吉田拓郎さんがフォーライフレコードの社長だった時代です)から、『フォークソング史』というとぉ~っても面白い講義を受けたものです。また、残念ながら単位を落としてしまいましたが、環境地理学という講義も受講していて、現在の仕事を考えると、もっと真剣に勉強していたらよかったなぁ~…って、懐かしく思い出したりもします(試験がとてつもなく難しかったですけどね)。
しかしながら、私の子供達の話を聞いていると、最近は「すぐには役に立たないもの」として軽視され、1991年にはじまった大学教育の大改革によって教養課程の改組が行われ、この「教養」という科目は必修ではなくなってしまったようです。その後、学生はいきなり専門課程を学ぶようになり、「すぐに役に立つ知識」の修得に励んできた感じです。
私は以前、埼玉大学の教授から依頼されて、2005年から2010年までの6年間、工学部電気・電子工学科と情報工学科で非常勤講師を務めさせていただいたことがあります。その埼玉大学には教養学部と言う学部があり、聞いた話だと、現在、国立大学で教養学部があるのは東京大学と埼玉大学の2つだけなんだそうです。おっと忘れてはいけません。私の母校、広島大学にも総合科学部という学際領域(これも教養ってことでしょうね)を専門とする学部がありました。
で、1991大学教育の大変革から20余年が過ぎた現在、「教養」が見直されているらしいそうです。今なぜ教養が注目されているのか…について池上彰さんはこう分析されていらっしゃいます。
「それは、教養なき実学、教養なき合理主義、教養なきビジネスが、何も新しいものを生み出さないことに、日本人自身が気づいたからかもしれません」
池上さんの説によると、既存のルールに則って合理的に格安のモノを作ったり、サービスを提供したりすることばかりに長けた日本企業がこの20余年の間に起った様々な環境変化に対応できず、新たな市場を創造できなかったのは、教養がなかったからとのことだそうです。これには私も同感です。
教養を身につけるとは、様々な分野の知の体系を学ぶ…てことです。歴史を知り、世界を知り、自然を知り、人を知れば、世の中の“理”というものがオボロゲながらでも見えてきます。全てのことにはワケ(理由)がありますから。そうなってこそ、創造性に富んだ新たな何かを生み出せるものだ…と私は思っています。
中でも私が今嵌まっているのが、歴史ですね。もともとは昔の気候、気象に興味を持ったことが端を発したことなのですが、歴史を勉強するということは、その時代時代で起きた様々な事象における理由の追求でもありますから、楽しいです。それと、自然。現在携わらせていただいている気象の仕事は、まさに自然現象そのものと向き合う仕事です。そこから学ぶこと、気付くことっていっぱいあります。もともとが工学部電子工学科の卒業でITエンジニアあがりというバリバリ理系の私ですが、こうして歴史や自然を学ぶことで、世の中の見方が広がり、発想が一気に広がっているのを実感しています。
『池上彰の教養のススメ』 東京工業大学リベラルアーツセンター篇(日経BP社)、お薦めです。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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