2014/10/27
天皇の仏教信仰(その2)
高校の日本史で習ったように(世界史を選択した私は習っていませんが)、この仏教の受け入れに際しては、物部氏と蘇我氏の血を血で洗うような激しい権力闘争(神仏闘争)があったと言われています。
物部氏や大伴氏を筆頭とした由緒正しい飛鳥の大豪族達は「天皇は古くから天神地祇を祭るべきであって、蕃神(海外から伝来された神)などを信奉されるとあらば、神々の怒りを招くことは必定でありましょう」と言って仏教の受け入れに大反対しました。その一方で蘇我氏は、「西方の諸国ではたいてい仏教を信奉しているのに、我が国だけがどうして受け入れられないのか」と受け入れに意欲を示したのです。
実はこの蘇我氏には大きな謎があります。その謎とは、蘇我氏自体が、ちょうど仏教が伝来されたとされる頃に突然権力の表舞台に出てきた言ってみれば“新興勢力”だったということです。蘇我氏は、物部氏や大伴氏など由緒正しい他の飛鳥の大豪族とは違って、氏素性がはっきりしません。このため、蘇我氏の祖先を渡来人とする説があります。まぁ、蘇我氏の起源が、朝鮮半島にあったのかどうかはともかくとして、蘇我氏が渡来人と密接に関係を持っていて海外文化に明るかったことだけは確かなようです。
で、途中の経緯まではよく分かりませんが、この物部氏と蘇我氏の権力闘争(神仏闘争)は蘇我氏側(仏教受け入れ派)の勝利に終わりました。その後、朝廷は仏教に深く帰依し、仏教による宗教国家を構想する皇子さえ現れてきました。それが日本人なら誰でも知っている『聖徳太子』です。聖徳太子は日本人なら誰もが認める偉人ですが、彼が第一に神道ではなく仏教の信仰者であったことには注目する必要があると思います。
このように、“仏教”という外国からもたらされた宗教が朝廷(天皇)のみならず瞬く間に日本中に広まり、その仏教の力を借りた形で統一国家を形成するにまで至るわけです。この急激な変化は記録がほとんど残っていないだけに大きな謎に包まれていますが、この謎を解く鍵は、英国のジャーナリスト、デイヴィッド・キーズが書いた『西暦535年の大噴火 ~人類滅亡の危機をどう切り抜けたか~』という本に書かれています。私はまだこの本を読んでいないので、詳しくは分かりませんが、概要を読むと…
紀元6世紀の半ばという時期は人類の歴史上、大きな分岐点とも言える時期でした。6世紀初めの地中海世界は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)を中心に、東はササン朝ペルシャ、西は東ゴート王国とフランク王国、西ゴート王国があり、北にはスラブ族がいて、それなりに安定していましたが、6世紀半ば近くになるとアフリカ大陸で発生したペストの惨禍が急速に北上して、東ローマ帝国をはじめこれらの国々は一気に存亡の危機に曝されます。このペストは、紅海と地中海を北上し、東はメソポタミア、西はイベリア半島とブリテン島西南部にまで至り、その後のフランスとイングランドの運命を変えることになります。
また、6世紀半ばの中国は南北に分裂し(南北朝時代)、さらにそれぞれが幾つかの小国に分裂して、世紀の後半は争いが絶えませんでしたが、6世紀末に隋によって統一されます。朝鮮半島では仏教を取り入れた新羅が急速に力をつけ、同様に仏教を導入した日本もこれによって統一国家を成立させました。中央アメリカや南アメリカでも6世紀半ば、それまで空前の繁栄を誇っていたマヤ文明の大都市国家や地上絵で有名なナスカ文明が突如消滅し、新しい帝国が出現したりしました。
デイヴィッド・キーズによると、世界各地でのこのような大きな政治的変化が起きたのは、実はたった一つの出来事が原因だったそうです。それが巨大火山の爆発・噴火です。
西暦535年に現在のインドネシアのジャワ島とスマトラ島の間にあるクラカタウ山が大爆発を起こし、吹き上げたマグマ、石、岩、灰、ガスは風に乗って地球の空全体を覆い、約1年半に渡って完全に太陽の光を遮りました。そのため、その後の数年間は世界各地で異常な低温が続き、干魃と洪水が繰り返され、ペストなどの疫病が大流行し、飢饉、民族移動、そして大きな帝国の滅亡が続きました。一方でこれらの危機を乗り越えた幾つかの民族が、滅亡した民族に代わって台頭してきたというのです。
このように、西暦535年から翌年にかけての時期は、世界的にとんでもない異常気象が発生した年であったわけです。そのことは世界各地の樹木の年輪の調査から実証されているそうです。地域によって差があるのですが、西暦535年から数年、場合によっては20年以上に渡って、年輪の幅が異常に狭くなっているのだとか。年輪の幅が異常に狭いということは、その間、樹木がほとんど生長しなかったことを意味します。
さらにグリーンランドや南極の氷雪を分析してみたところ、6世紀中頃の氷縞に火山噴火の痕跡である硫酸層が大量にあることが確認されたのだとか。このことは、火山噴火による大気汚染が日光を遮断し、世界的な気候の寒冷化をもたらしたことを意味しています。また、西暦535年以降、異常気象による飢饉と疫病で人々が苦しんだことは、世界中の文献に記載されているそうです。
『日本書紀』にもこのことが書かれていて、当時の宣化天皇の言葉として、西暦535年には豊かな恵みに感謝するといったようなことが書かれているのに対して、翌536年には一変して大凶作に陥ったことが書かれているそうです。ただ、日本はそれ以前から凶年に備えるため、収穫した穀物を収蔵し、食料を蓄積してきていたようで、その年はさほどの大混乱にまでは陥らなかったようなのですが、朝鮮半島は壊滅的な被害を受けたようなのです。
朝鮮半島に残る『三国史記』によると、西暦535年には至るところの河川で洪水が起き、翌536年には「雷が鳴り、伝染病が大流行し」、それに引き続いて「大変な干魃」が発生したそうなんです。加えて大きな地震も、535年末に朝鮮半島を襲いました。
朝鮮半島で、それまで異教国だった新羅が仏教を正式に国教として採用したのが、実はその西暦535年。日本に仏教が公式に伝来したのは、その直後の西暦538年ではないか…と言われているのは前述のとおりです。その背景としては、日本に援軍の派遣を依頼した百済の聖明王がその対価として仏像と経文を献じたということがあったようで、日本は、これに報いるために、554年、千人規模の援軍を百済に派遣したことが『日本書紀』に書かれているということは先に述べました。仏教をもとに1つにまとまった新羅が国境を接する百済に(おそらく食糧を求めて)侵略を行い、たまらず百済が日本に援軍を求めた…というのが、時代背景にあるようです。
日本でも西暦535年以降、世界の他の地域と同様の天変地異が繰り返し起き、このために伝統的な宗教が徐々に権威を失い、人々は現世利益をもたらす新たな信仰の対象を求めるようになっていたのではないでしょうか。仏教をはじめ大陸の先進文明に通じていた蘇我氏が重く登用された背景には、大和朝廷がこの未曾有の危機に直面し、それまでの伝統的な手法に行き詰まっていたのではないか…と推測できます。
ちなみに、仏教そのものは、西暦538年以前から日本でもその存在が知られていたとの記録も残っているそうです。しかしこの当時の日本人は、誰も海外からもたらされた宗教である仏教を信仰しようとはしなかったようです。豊かな時代には、人々は新しい宗教を受け入れようとはしないものです。一般的に言って、社会不安が広がると、新しい宗教が普及したり、宗教改革が行われたりします。バブル崩壊後の日本でも、広がる社会不安を背景に、様々な新興宗教が跋扈(ばっこ)したことを思い出せば、お分かりいただけると思います。
気候が寒冷化し、環境が悪化すると、新しい宗教が生まれると同時に、権力の集権化が起きます。新しい宗教は、しばしば新しく生まれた権力と結び付き、やがて形骸化し、腐敗していきます。その体制が次の環境悪化で危機に直面するとまた同じことが起きる。世界の歴史にはこうした現象が繰り返されているように思えます。
物部氏や大伴氏を筆頭とした由緒正しい飛鳥の大豪族達は「天皇は古くから天神地祇を祭るべきであって、蕃神(海外から伝来された神)などを信奉されるとあらば、神々の怒りを招くことは必定でありましょう」と言って仏教の受け入れに大反対しました。その一方で蘇我氏は、「西方の諸国ではたいてい仏教を信奉しているのに、我が国だけがどうして受け入れられないのか」と受け入れに意欲を示したのです。
実はこの蘇我氏には大きな謎があります。その謎とは、蘇我氏自体が、ちょうど仏教が伝来されたとされる頃に突然権力の表舞台に出てきた言ってみれば“新興勢力”だったということです。蘇我氏は、物部氏や大伴氏など由緒正しい他の飛鳥の大豪族とは違って、氏素性がはっきりしません。このため、蘇我氏の祖先を渡来人とする説があります。まぁ、蘇我氏の起源が、朝鮮半島にあったのかどうかはともかくとして、蘇我氏が渡来人と密接に関係を持っていて海外文化に明るかったことだけは確かなようです。
で、途中の経緯まではよく分かりませんが、この物部氏と蘇我氏の権力闘争(神仏闘争)は蘇我氏側(仏教受け入れ派)の勝利に終わりました。その後、朝廷は仏教に深く帰依し、仏教による宗教国家を構想する皇子さえ現れてきました。それが日本人なら誰でも知っている『聖徳太子』です。聖徳太子は日本人なら誰もが認める偉人ですが、彼が第一に神道ではなく仏教の信仰者であったことには注目する必要があると思います。
このように、“仏教”という外国からもたらされた宗教が朝廷(天皇)のみならず瞬く間に日本中に広まり、その仏教の力を借りた形で統一国家を形成するにまで至るわけです。この急激な変化は記録がほとんど残っていないだけに大きな謎に包まれていますが、この謎を解く鍵は、英国のジャーナリスト、デイヴィッド・キーズが書いた『西暦535年の大噴火 ~人類滅亡の危機をどう切り抜けたか~』という本に書かれています。私はまだこの本を読んでいないので、詳しくは分かりませんが、概要を読むと…
紀元6世紀の半ばという時期は人類の歴史上、大きな分岐点とも言える時期でした。6世紀初めの地中海世界は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)を中心に、東はササン朝ペルシャ、西は東ゴート王国とフランク王国、西ゴート王国があり、北にはスラブ族がいて、それなりに安定していましたが、6世紀半ば近くになるとアフリカ大陸で発生したペストの惨禍が急速に北上して、東ローマ帝国をはじめこれらの国々は一気に存亡の危機に曝されます。このペストは、紅海と地中海を北上し、東はメソポタミア、西はイベリア半島とブリテン島西南部にまで至り、その後のフランスとイングランドの運命を変えることになります。
また、6世紀半ばの中国は南北に分裂し(南北朝時代)、さらにそれぞれが幾つかの小国に分裂して、世紀の後半は争いが絶えませんでしたが、6世紀末に隋によって統一されます。朝鮮半島では仏教を取り入れた新羅が急速に力をつけ、同様に仏教を導入した日本もこれによって統一国家を成立させました。中央アメリカや南アメリカでも6世紀半ば、それまで空前の繁栄を誇っていたマヤ文明の大都市国家や地上絵で有名なナスカ文明が突如消滅し、新しい帝国が出現したりしました。
デイヴィッド・キーズによると、世界各地でのこのような大きな政治的変化が起きたのは、実はたった一つの出来事が原因だったそうです。それが巨大火山の爆発・噴火です。
西暦535年に現在のインドネシアのジャワ島とスマトラ島の間にあるクラカタウ山が大爆発を起こし、吹き上げたマグマ、石、岩、灰、ガスは風に乗って地球の空全体を覆い、約1年半に渡って完全に太陽の光を遮りました。そのため、その後の数年間は世界各地で異常な低温が続き、干魃と洪水が繰り返され、ペストなどの疫病が大流行し、飢饉、民族移動、そして大きな帝国の滅亡が続きました。一方でこれらの危機を乗り越えた幾つかの民族が、滅亡した民族に代わって台頭してきたというのです。
このように、西暦535年から翌年にかけての時期は、世界的にとんでもない異常気象が発生した年であったわけです。そのことは世界各地の樹木の年輪の調査から実証されているそうです。地域によって差があるのですが、西暦535年から数年、場合によっては20年以上に渡って、年輪の幅が異常に狭くなっているのだとか。年輪の幅が異常に狭いということは、その間、樹木がほとんど生長しなかったことを意味します。
さらにグリーンランドや南極の氷雪を分析してみたところ、6世紀中頃の氷縞に火山噴火の痕跡である硫酸層が大量にあることが確認されたのだとか。このことは、火山噴火による大気汚染が日光を遮断し、世界的な気候の寒冷化をもたらしたことを意味しています。また、西暦535年以降、異常気象による飢饉と疫病で人々が苦しんだことは、世界中の文献に記載されているそうです。
『日本書紀』にもこのことが書かれていて、当時の宣化天皇の言葉として、西暦535年には豊かな恵みに感謝するといったようなことが書かれているのに対して、翌536年には一変して大凶作に陥ったことが書かれているそうです。ただ、日本はそれ以前から凶年に備えるため、収穫した穀物を収蔵し、食料を蓄積してきていたようで、その年はさほどの大混乱にまでは陥らなかったようなのですが、朝鮮半島は壊滅的な被害を受けたようなのです。
朝鮮半島に残る『三国史記』によると、西暦535年には至るところの河川で洪水が起き、翌536年には「雷が鳴り、伝染病が大流行し」、それに引き続いて「大変な干魃」が発生したそうなんです。加えて大きな地震も、535年末に朝鮮半島を襲いました。
朝鮮半島で、それまで異教国だった新羅が仏教を正式に国教として採用したのが、実はその西暦535年。日本に仏教が公式に伝来したのは、その直後の西暦538年ではないか…と言われているのは前述のとおりです。その背景としては、日本に援軍の派遣を依頼した百済の聖明王がその対価として仏像と経文を献じたということがあったようで、日本は、これに報いるために、554年、千人規模の援軍を百済に派遣したことが『日本書紀』に書かれているということは先に述べました。仏教をもとに1つにまとまった新羅が国境を接する百済に(おそらく食糧を求めて)侵略を行い、たまらず百済が日本に援軍を求めた…というのが、時代背景にあるようです。
日本でも西暦535年以降、世界の他の地域と同様の天変地異が繰り返し起き、このために伝統的な宗教が徐々に権威を失い、人々は現世利益をもたらす新たな信仰の対象を求めるようになっていたのではないでしょうか。仏教をはじめ大陸の先進文明に通じていた蘇我氏が重く登用された背景には、大和朝廷がこの未曾有の危機に直面し、それまでの伝統的な手法に行き詰まっていたのではないか…と推測できます。
ちなみに、仏教そのものは、西暦538年以前から日本でもその存在が知られていたとの記録も残っているそうです。しかしこの当時の日本人は、誰も海外からもたらされた宗教である仏教を信仰しようとはしなかったようです。豊かな時代には、人々は新しい宗教を受け入れようとはしないものです。一般的に言って、社会不安が広がると、新しい宗教が普及したり、宗教改革が行われたりします。バブル崩壊後の日本でも、広がる社会不安を背景に、様々な新興宗教が跋扈(ばっこ)したことを思い出せば、お分かりいただけると思います。
気候が寒冷化し、環境が悪化すると、新しい宗教が生まれると同時に、権力の集権化が起きます。新しい宗教は、しばしば新しく生まれた権力と結び付き、やがて形骸化し、腐敗していきます。その体制が次の環境悪化で危機に直面するとまた同じことが起きる。世界の歴史にはこうした現象が繰り返されているように思えます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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