2014/10/14
お仕事紀行:めんそ~れ沖縄編(その1)
10月5日(日)、台風18号の接近に刺激を受けた前線の影響で雨が降りしきる中、羽田空港から沖縄那覇空港に向かいました。ANA137便は15時50分発の予定が台風の接近による使用機材の到着遅れのため、出発が30分近く遅れました。出発案内のディスプレイを見ると、宮崎行きの便のところに「台風の接近により欠航」の表示が出ていて、その他にも「使用機材到着遅れのため遅延」という表示が幾つも出ていました。
私が沖縄那覇空港に向けて飛んでいる最中の5日19時頃、大型で強い台風18号は、鹿児島県の種子島の東170キロの海上を1時間に30キロとやや速度を速めて北東へ進んでいました。中心の気圧は945ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は40メートル、最大瞬間風速は60メートルで、中心から半径190キロ以内では風速25メートル以上の暴風が吹いていて、九州南部が暴風域に入っていました。沖縄まではどうしてもその台風の中心付近を飛行する飛行ルートとなるため、航路上はさぞや揺れるものと覚悟して搭乗したのですが、それはまったくの杞憂に終わり、ボーイングB777-300型機はまるで快適なフライトでした(さすがに万が一のことを考えてか、機内での飲み物サービスは冷たい飲み物だけに限られていましたが…)。いつものように窓側のA席(進行方向の左窓側の席)に座ったので、台風の中心を取り巻く巨大な積乱雲が見えるかと期待していたのですが、航路上はずっと白い霞がかかったような薄い雲の中を飛行していたので、残念ながら台風本体の厚い雲などはまったく確認できませんでした。
台風接近による強い風の影響からか、那覇空港への到着はさらに遅れて、定刻18時25分着の予定が着陸したのは19時20分。那覇の気温は27℃でした。
沖縄那覇空港は降り立っただけで、さすがに南国…と思わせてくれます。空港内は南国特有の明るくカラフルな色使いで、到着口を出たところにはこれまたカラフルな沖縄の海の魚(熱帯魚ですね)を展示した水槽があったりします。そういうのを見るだけで、妙に気分がウキウキしてきます。今回は観光ではなく、あくまでも仕事で来ているのは十分に自覚してはいるのですが、それでもなぜだか気分はウキウキしてきます。これが沖縄ってことですね(^^)d
沖縄は今から30年近く前、前の会社で航空路レーダー情報処理システムのハードウェア工事を担当していた頃、沖縄航空交通管制部さんのハードウェア工事の現場代理人をしていたので仕事で何度も訪れたことがあるのですが、随分と久しぶりな感じです。この前、沖縄に来たのはいつのことだったか思い出してみたのですが、8年前に当時まだ高校生だった娘とスキューバダイビングをするために沖縄県名護市を訪れて以来でした。あの時はバカンスで来たので、極めてカジュアルな格好だったのですが(確かTシャツにサンダル履きでした)、今回は仕事なのでスーツ姿です。周囲は観光に来たと思われるカジュアルな格好をした人達ばかりなので、スーツ姿は完全に浮いちゃってる感じです。やっぱり沖縄は観光で来るに限ります(^^;
那覇空港からは“日本最西端の駅”である那覇空港駅から沖縄都市モノレール線「ゆいレール」に乗って、宿泊するホテルのある旭橋まで移動しました。
この沖縄都市モノレール線「ゆいレール」は、沖縄本島の玄関口である那覇空港から赤嶺で漫湖を渡って旭橋に抜け、旭橋からは久茂地川沿いに那覇市の繁華街である久茂地・牧志地区を抜けて国際通りを跨ぎ、国道330号を北上して首里に至る全長約13kmの跨座式のモノレール線です。この約13kmの区間をワンマン運転の2両編成の車両が約30分かけて走ります。開業は2003年(平成15年)8月10日。開業後は那覇空港~首里間を昼間12分間隔で結んでいます。
この沖縄都市モノレール線「ゆいレール」が開業するまで沖縄県内の交通手段は自家用車やタクシー、バスが中心で、特に那覇都市圏では渋滞が悪化していました。それを解消すべく国、沖縄県、那覇市と沖縄都市モノレール株式会社が一体となって建設を行い、沖縄では戦後初となる鉄道開通となったわけです。前回、娘と一緒に沖縄に来た時は空港からレンタカーを借りて、沖縄本島北部の名護市を目指したので、乗るのは初めてのことでしたか、なかなか快適な乗り心地でした。駅や車内の案内チャイムが琉球民謡をアレンジしたものになっているのは、ローカル色を醸し出していて、なかなかいいですね(^.^)
ホテルにチェックインする際、私が額に汗をかいていたので、フロントの女性係員が冷たいおしぼりを渡してくれました。この気遣いが嬉しかったです。「本土も暑かったですか?」とその女性係員。“本土”という響きに沖縄を感じます。「東京は20℃もいかなかったので、ジャケットを着てきたのだけど、こっちはさすがに暑いね(^^;」と私が応えると、「こちらは台風の影響で昼間は曇っていて涼しく、最高気温は30℃もいきませんでした」と女性係員が涼しそうな顔をして返してきました。さすがに沖縄です。この気温差で体調を壊しそうになります。
30年近く前、航空路レーダー情報処理システムを担当していた頃、沖縄航空交通管制部の工事と並行して北海道の札幌航空交通管制部の工事も担当していました。札幌から東京経由で沖縄に移動(その逆も)なぁ~んて無茶な出張を何度かやったことがあり、特に冬場などは30℃以上の気温差をその日のうちに経験するので自律神経がおかしくなり、体調を壊しかけたことが何度かありました。この日も東京との気温差に、その当時のことを思い出しました。
チェックイン後はホテル近くのその名も「ヤンバルクイナ」という琉球居酒屋で、オリオンビールに泡盛、海ぶどう、ラフテー、ゴーヤチャンプル、〆めは沖縄ソバという沖縄づくしでの夕飯を摂りました。店に流れる琉球民謡の三線(さんしん)の音色が沖縄に来たことを実感させてくれます。それにしても、この琉球民謡(沖縄音楽)、「ドレミファソラシド」の西洋音階の「レ」と「ラ」の音を抜いた「ドミファソシド」の6つの音階だけしかないのが最大の特徴。この特徴ある音階が奏でる音色を聴いているうちにカチャーシーを踊りたくなってきます\(゜ロ\)(/ロ゜)/ 合いの手に指笛を鳴らすことはできませんが、「イーヤーサーサー♪ ハーイヤ♪」と掛け声をするくらいなら私にもできます(^^)d
私が沖縄気分に浸りながら琉球料理に舌鼓を打っている最中に東京23区に大雨警報、洪水警報が発表された旨のメールが入ってきました。台風18号がいよいよ関東地方に接近してきたようです。翌日(6日)の朝の首都圏の交通網が心配になります。会社のほうは既に金曜日(3日)の段階で台風接近に備えた対応を済ませているので、心配はないのですが、念のためこの日(5日)から会社に泊まり込んでいる3人の課長達に激励の電話を入れることにしました。
琉球居酒屋からホテルへの帰り道、見上げると雲の切れ目にお月様がくっきり綺麗に見えました。日本列島って、南北に細長いことを実感しちゃいます。
ホテルに戻ってテレビを観ていると、沖縄県の国頭村で写真撮影に来ていたアメリカ兵3人が高波にさらわれて1人が死亡、2人が行方不明というニュースが流れていました。おやおやおや。押し寄せてくる猛烈な高波を写真に撮影したい気持ちはわからないでもないですが、台風が接近している時には海岸に近づくのは大変に危険です。この3人の兵士は沖縄の基地の兵士ではなくて、たまたま出張でアメリカ本土からやってきていた兵士だそうです。おそらくはテキサス州やコロラド州といったアメリカでも内陸部の州の出身の兵隊さんだったのではないかと想像します。海の怖さが解っていなかったのでしょう。さらに、神奈川県藤沢市の海岸では、サーフィンをしていた21歳の男子大学生が行方不明となったそうです。おいおいおいおい。ビッグウェーブ到来!…なぁ~んて喜んで海に入ったのでしょうが、台風をなめてはいけません(-_-;)
こういう方々も台風による死者・行方不明者として報道されていますが、“災害”としてカウントし直す時には省略するのでしょうね、きっと。これは単なる“事故”です。しかも、本来なら本当の意味での災害と真っ正面から向き合わないといけない方々を命懸けの捜索・救助に振り向けないといけないわけで、とっても迷惑な“事故”です。自然の脅威に対する認識があまりにも甘いこういう方々の“事故”は、我々には防ぎようがありません。
でもまぁ、貴い命を落とされたわけで、合掌……………。
私が沖縄那覇空港に向けて飛んでいる最中の5日19時頃、大型で強い台風18号は、鹿児島県の種子島の東170キロの海上を1時間に30キロとやや速度を速めて北東へ進んでいました。中心の気圧は945ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は40メートル、最大瞬間風速は60メートルで、中心から半径190キロ以内では風速25メートル以上の暴風が吹いていて、九州南部が暴風域に入っていました。沖縄まではどうしてもその台風の中心付近を飛行する飛行ルートとなるため、航路上はさぞや揺れるものと覚悟して搭乗したのですが、それはまったくの杞憂に終わり、ボーイングB777-300型機はまるで快適なフライトでした(さすがに万が一のことを考えてか、機内での飲み物サービスは冷たい飲み物だけに限られていましたが…)。いつものように窓側のA席(進行方向の左窓側の席)に座ったので、台風の中心を取り巻く巨大な積乱雲が見えるかと期待していたのですが、航路上はずっと白い霞がかかったような薄い雲の中を飛行していたので、残念ながら台風本体の厚い雲などはまったく確認できませんでした。
台風接近による強い風の影響からか、那覇空港への到着はさらに遅れて、定刻18時25分着の予定が着陸したのは19時20分。那覇の気温は27℃でした。
沖縄那覇空港は降り立っただけで、さすがに南国…と思わせてくれます。空港内は南国特有の明るくカラフルな色使いで、到着口を出たところにはこれまたカラフルな沖縄の海の魚(熱帯魚ですね)を展示した水槽があったりします。そういうのを見るだけで、妙に気分がウキウキしてきます。今回は観光ではなく、あくまでも仕事で来ているのは十分に自覚してはいるのですが、それでもなぜだか気分はウキウキしてきます。これが沖縄ってことですね(^^)d
沖縄は今から30年近く前、前の会社で航空路レーダー情報処理システムのハードウェア工事を担当していた頃、沖縄航空交通管制部さんのハードウェア工事の現場代理人をしていたので仕事で何度も訪れたことがあるのですが、随分と久しぶりな感じです。この前、沖縄に来たのはいつのことだったか思い出してみたのですが、8年前に当時まだ高校生だった娘とスキューバダイビングをするために沖縄県名護市を訪れて以来でした。あの時はバカンスで来たので、極めてカジュアルな格好だったのですが(確かTシャツにサンダル履きでした)、今回は仕事なのでスーツ姿です。周囲は観光に来たと思われるカジュアルな格好をした人達ばかりなので、スーツ姿は完全に浮いちゃってる感じです。やっぱり沖縄は観光で来るに限ります(^^;
那覇空港からは“日本最西端の駅”である那覇空港駅から沖縄都市モノレール線「ゆいレール」に乗って、宿泊するホテルのある旭橋まで移動しました。
この沖縄都市モノレール線「ゆいレール」は、沖縄本島の玄関口である那覇空港から赤嶺で漫湖を渡って旭橋に抜け、旭橋からは久茂地川沿いに那覇市の繁華街である久茂地・牧志地区を抜けて国際通りを跨ぎ、国道330号を北上して首里に至る全長約13kmの跨座式のモノレール線です。この約13kmの区間をワンマン運転の2両編成の車両が約30分かけて走ります。開業は2003年(平成15年)8月10日。開業後は那覇空港~首里間を昼間12分間隔で結んでいます。
この沖縄都市モノレール線「ゆいレール」が開業するまで沖縄県内の交通手段は自家用車やタクシー、バスが中心で、特に那覇都市圏では渋滞が悪化していました。それを解消すべく国、沖縄県、那覇市と沖縄都市モノレール株式会社が一体となって建設を行い、沖縄では戦後初となる鉄道開通となったわけです。前回、娘と一緒に沖縄に来た時は空港からレンタカーを借りて、沖縄本島北部の名護市を目指したので、乗るのは初めてのことでしたか、なかなか快適な乗り心地でした。駅や車内の案内チャイムが琉球民謡をアレンジしたものになっているのは、ローカル色を醸し出していて、なかなかいいですね(^.^)
ホテルにチェックインする際、私が額に汗をかいていたので、フロントの女性係員が冷たいおしぼりを渡してくれました。この気遣いが嬉しかったです。「本土も暑かったですか?」とその女性係員。“本土”という響きに沖縄を感じます。「東京は20℃もいかなかったので、ジャケットを着てきたのだけど、こっちはさすがに暑いね(^^;」と私が応えると、「こちらは台風の影響で昼間は曇っていて涼しく、最高気温は30℃もいきませんでした」と女性係員が涼しそうな顔をして返してきました。さすがに沖縄です。この気温差で体調を壊しそうになります。
30年近く前、航空路レーダー情報処理システムを担当していた頃、沖縄航空交通管制部の工事と並行して北海道の札幌航空交通管制部の工事も担当していました。札幌から東京経由で沖縄に移動(その逆も)なぁ~んて無茶な出張を何度かやったことがあり、特に冬場などは30℃以上の気温差をその日のうちに経験するので自律神経がおかしくなり、体調を壊しかけたことが何度かありました。この日も東京との気温差に、その当時のことを思い出しました。
チェックイン後はホテル近くのその名も「ヤンバルクイナ」という琉球居酒屋で、オリオンビールに泡盛、海ぶどう、ラフテー、ゴーヤチャンプル、〆めは沖縄ソバという沖縄づくしでの夕飯を摂りました。店に流れる琉球民謡の三線(さんしん)の音色が沖縄に来たことを実感させてくれます。それにしても、この琉球民謡(沖縄音楽)、「ドレミファソラシド」の西洋音階の「レ」と「ラ」の音を抜いた「ドミファソシド」の6つの音階だけしかないのが最大の特徴。この特徴ある音階が奏でる音色を聴いているうちにカチャーシーを踊りたくなってきます\(゜ロ\)(/ロ゜)/ 合いの手に指笛を鳴らすことはできませんが、「イーヤーサーサー♪ ハーイヤ♪」と掛け声をするくらいなら私にもできます(^^)d
私が沖縄気分に浸りながら琉球料理に舌鼓を打っている最中に東京23区に大雨警報、洪水警報が発表された旨のメールが入ってきました。台風18号がいよいよ関東地方に接近してきたようです。翌日(6日)の朝の首都圏の交通網が心配になります。会社のほうは既に金曜日(3日)の段階で台風接近に備えた対応を済ませているので、心配はないのですが、念のためこの日(5日)から会社に泊まり込んでいる3人の課長達に激励の電話を入れることにしました。
琉球居酒屋からホテルへの帰り道、見上げると雲の切れ目にお月様がくっきり綺麗に見えました。日本列島って、南北に細長いことを実感しちゃいます。
ホテルに戻ってテレビを観ていると、沖縄県の国頭村で写真撮影に来ていたアメリカ兵3人が高波にさらわれて1人が死亡、2人が行方不明というニュースが流れていました。おやおやおや。押し寄せてくる猛烈な高波を写真に撮影したい気持ちはわからないでもないですが、台風が接近している時には海岸に近づくのは大変に危険です。この3人の兵士は沖縄の基地の兵士ではなくて、たまたま出張でアメリカ本土からやってきていた兵士だそうです。おそらくはテキサス州やコロラド州といったアメリカでも内陸部の州の出身の兵隊さんだったのではないかと想像します。海の怖さが解っていなかったのでしょう。さらに、神奈川県藤沢市の海岸では、サーフィンをしていた21歳の男子大学生が行方不明となったそうです。おいおいおいおい。ビッグウェーブ到来!…なぁ~んて喜んで海に入ったのでしょうが、台風をなめてはいけません(-_-;)
こういう方々も台風による死者・行方不明者として報道されていますが、“災害”としてカウントし直す時には省略するのでしょうね、きっと。これは単なる“事故”です。しかも、本来なら本当の意味での災害と真っ正面から向き合わないといけない方々を命懸けの捜索・救助に振り向けないといけないわけで、とっても迷惑な“事故”です。自然の脅威に対する認識があまりにも甘いこういう方々の“事故”は、我々には防ぎようがありません。
でもまぁ、貴い命を落とされたわけで、合掌……………。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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