2014/11/12
わたらせ渓谷紀行(その1)
『わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線』ってご存知ですか?
JR両毛線の桐生駅から延びている第三セクターによる鉄道路線です(^^)d 長岡出張に折りに、上越線という今やすっかりJR東日本のローカル線になってしまったかつての幹線路線に乗ってしまって以来、“鉄ちゃん”のDNAが覚醒してしまって、身体が勝手に“鉄分”の吸収を求めてきましたので、「こりゃあ、乗りに行くしかあるまい!」と、思い立って出掛けてきました。数ある候補地の中で今回私が選んだのが、『わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線』です(^^)d
ただ、この日は玄関を出る時、妻から「今日は◯◯(息子)んちと食事に行く予定なんだから、19時には戻ってきてね。じゃないと◯◯(孫娘)ちゃんには逢えないよ!」とキツく言われてしまいました。おっ!そりゃあいかん!(^^; これだけは意識しておかないといけません。孫娘と遊ぶ時間を少しでも多くとること、今の私にとってはこれが最優先事項です。最近はハイハイだけでなく歩くようになってきたし、喋れる言葉も少しずつ増えてきたので、孫娘と遊ぶのが楽しくて楽しくて仕方ありませんから。なので、「趣味よりも孫」です!(^^)d
しかし、この『わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線』、同じ関東地方にありながら、乗りに行こうとすると、これがなかなか難しいんです。
『わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線』の起点である群馬県の桐生市は、JR両毛線の沿線にあり、両毛線のほぼ中間地点にあります。なので、私が住む埼玉県さいたま市から(東京からも同じですが…)桐生市に向かおうとすると、JR宇都宮線(東北本線)で小山まで行って、そこでJR両毛線に乗り換えるか、JR高崎線で高崎まで行って、そこでJR両毛線に乗り換えるかの選択になります。どちらも所要時間は約2時間ですが、なにぶん両毛線の運行本数が少ないので、乗り換えに際してはかなりの“待ち時間”が加わり、結局、ドア・ツー・ドアでは3時間ほどかかることになります。関東地方内と言っても、これはちょっとした小旅行ですね。
私は往路は宇都宮線の小山経由のルートを選択し、まずはJR埼京線から大宮駅で宇都宮線に乗り換えました。もちろんお気に入りのJR東日本最新鋭のE233系電車の二階建てグリーン車の二階席です。このE233系電車、山手線や総武線各停、東海道線、宇都宮線、高崎線、湘南新宿ライン等、首都圏に大量投入されたE231系車両をさらに進化・発展させた車両で、このところJR東日本の通勤型、近郊型の標準車両として急激な勢いで大量投入がなされています。
通勤型では中央線快速(青梅線・五日市線・八高線含む)や京浜東北線・根岸線、さらには東京メトロ千代田線乗り入れを含む常磐緩行線、京葉線、横浜線、そして私が毎日の通勤で使っている埼京線・川越線・東京臨海高速鉄道りんかい線でも従来の205系電車の置き換え用として、2013年6月30日から営業運転を開始し、昨年度内に全ての編成がE233系電車に置き換わりました。近郊型では東海道本線のほか、東北本線(宇都宮線)、高崎線に大量投入されていて、二階建てグリーン車2両を挟んだ15両の長い編成で運転されています。
東海道本線や宇都宮線、高崎線で1時間以上の長い区間を乗車する時、私は好んで二階建てグリーン車の二階に乗るようにしています(プチ贅沢です)。最新鋭の近郊型のE231系やE233系の二階建てグリーン車は静かで、簡易リクライニング機能付きのクロスシート車なので乗り心地がよく、なにより視点が高いので、ふだん見慣れた光景が少し違って見えるのがお気に入りの理由です。
この日は休日。しかも、“下り”での運転ということなので、グリーン車の車内はガラガラ。二階席に乗車してい
るのは私を含めて3名だけでした。
大宮を出て約1時間、小山駅に到着しました。小山駅は東北新幹線が停車する駅でもあるのですが、在来線も東北本線(宇都宮線)・水戸線・両毛線が乗り入れ、東西南北に伸びる路線が集まる結節点となっています。私もこの小山で両毛線に乗り換えです。
小山駅は東北本線(宇都宮線)など在来線は、地上にある4面8線のホームを使用します。両毛線(栃木・佐野・桐生・高崎方面)の電車は6・8番線から発着します(7番線は6・8番線の先にある切り欠き式のホームなのですが、現在線路は撤去されていて、ホームのみが残っています)。
宇都宮線(東北線・下り宇都宮・黒磯方面)は9・10番線。宇都宮線(東北線・上り大宮・上野・新宿・横浜・大船方面…湘南新宿ラインを含む)は12・13番線。水戸線(下館・真岡・水戸方面)は15・16番線から発着します。私を乗せた宇都宮線宇都宮行きのE233系電車が到着した時、水戸線の15・16番線にはステンレス製の銀色の車体に青い帯の415系1500番台電車が4両編成で2編成、発車を待って停まっていました。地図を眺めてみると、小山駅を挟んで東方向と西方向に延びる両毛線と水戸線ですが、実はこの両線は両毛線が直流電化、水戸線が交流電化と電化方式が異なるので、直通運転はできません。なので、走る電車の種類も異なります。
両毛線の電車が発着する6・8番線のホームは他の在来線ホームからはやや離れた東北新幹線の高架下にあり、手前が行き止まりになった頭端式ホームと呼ばれる構造になっています。6番線ホームには旧国鉄の時代に北関東にあるローカル支線の各駅停車車両向けに古くなった急行用車両から台車や電動機等の部品を流用して製造された107系と呼ばれる電車が4両編成で身体を休めていました。
8番線ホームには最近まで宇都宮線や高崎線の主力車両として東京の上野駅でもふつうに見ることができた115系電車が3両の短い編成で発車を待っていました。宇都宮線や高崎線の主力車両として走っていた頃は、間に二階建てを含むグリーン車を挟んだ15両の長大な編成で関東平野を高速で疾走していたのですが、E231系やE233系といった最新車両の増備が進むにつれ、活躍の場を奪われ、北関東のローカル路線で短い編成になって、最後の御奉公って感じです。E231系やE233系といった最新車両に活躍の場を追われ、両毛線で最後の御奉公をしている車両は他にもあって、211系電車。こちらはステンレス製の銀色の車体で、まだまだ車体自体の傷みは少なく、近代的な車体スタイルと相まって、この車両を目にすると、この北関東のローカル線(両毛線)も一気に近代化が進んでいる感じがします。
休日の昼間ということで、両毛線の運転本数は少なく、私は小山での乗り継ぎに40分近くも待たされました。まぁ、これがローカル線というものです。すぐ隣の線路を過ぎ行く宇都宮線の電車を何本も見ながら、懐かしい115系電車の車内で発車の時刻を待つことにしました。外はちょっと寒いし…。そうそう、この両毛線の115系電車のドアは手動で開け閉めすることができます。なので、小山駅で出発を待つまでの間、ドアを閉めておけたので、車内にいる限りは寒くはなかったです。
両毛線高崎行きの普通列車は定刻通りに発車。この先、小山駅~富田駅間は市街地を除いて水田地帯の中を走り、富田駅~桐生駅間は概ね足尾山地の縁に沿って走ります。小山駅の両毛線ホームを出ると、まず結城街道の陸橋をくぐり、その後すぐに宇都宮線が右手に離れて分岐していきます。このあたりは工業地帯のようで、周辺の倉庫や工場への引込み線が何本も分岐しているのが分かります。今も使っているのでしょうか。
国道4号線の陸橋をくぐった直後の右手に大型ショッピングモールが見えてくるのですが、ここは関東地方の人には有名な(懐かしい)『小山ゆうえんち』がかつてあった場所です。高台にある市街地を過ぎると思川という川を鉄橋で渡ります。思川を渡るとあたりは一気に田園地帯となり、その田園地帯の中をしばらく走ると最初の停車駅、思川駅に到着します。
思川を出るとさらに田園地帯が続き、住宅地が見えたと思ったら高架の区間に入り、次に東武日光線の線路の下をくぐります。巴波川と呼ばれる川を越えると、「小江戸」と呼ばれる栃木市の中心駅、栃木駅に到着します。この県名と同じ名称を持つ栃木市は、江戸時代には市内を流れる巴波川を利用した江戸との舟運と、日光街道の宿場町として盛えた商都で、戦災を免れたため、歴史的な寺院のほか、市街地には江戸時代から明治時代にかけての蔵や商家などが多く残っており、「小江戸」や「関東の倉敷」との別名を持ちます。廃藩置県後の一時期には旧栃木県(現在の栃木県南部と群馬県の一部)、及び宇都宮県との合併後の栃木県の県庁所在地であった場所でもあり、今も国や県の各種出先機関や裁判所などの行政機関が集まるなど、栃木県南部における行政都市としての性格を持った街です。蔵づくりの建物が立ち並ぶ中心部へは、駅から1kmほどの距離があるとのことなので、電車からはその趣きはまったく分かりません。栃木市は古くから交通の要衝であったとのことですが、今もこの栃木駅では、東武日光線、東武宇都宮線と接続します。
栃木駅から次の大平下駅にかけては太平山を望みながら東武日光線とやや離れたところを併走します。岩舟駅から佐野駅までは複線区間となっており、水田や近隣の低い山々を望みながら電車は進みます。ふと気がつくと、雨はすっかりあがり、ところどころ青空が顔を覗かしているのが見てとれます。
東北自動車道と交差し、住宅地をしばらく走ると佐野駅に到着。ここは有名な「佐野厄除け大師」があるところです。最近は佐野ラーメンと大規模アウトレットモールがあり、私もクルマで何度か訪れたことがあります。東北自動車道を使ってクルマで来るとさほど時間はかからないところなのですが、電車で来るとやたら遠いところのように感じます。佐野駅では東武佐野線と接続。この栃木県や群馬県といった北関東では、東武鉄道の存在感は大きいなぁ~…って感じますね(東京都内では東急や小田急、京王、京急といった西方向に路線網を持つ私鉄の影で地味で目立たない感じなのですが、北関東での存在感は絶対!…って感じです)。
佐野駅を出ると、さらに田園地帯が続きます。旗川を渡ると足利市に入ります。“足利”と聞いて頭に思い浮かべるのは“足利尊氏”、“足利幕府”。ここ足利市は古くは足利庄が栄えて、清和源氏の流れをくむ足利氏発祥の地として知られているところです。フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と呼んだことでも有名な『足利学校』があったことでも知られる大変に歴史のある街です。
この両毛線、北関東を走るローカル線ではあるのですが、こうやって実際に乗って眺めてみると、なかなかに凄いところを走っているのだな…と思ってしまいます。栃木県にあって県都・宇都宮市に次ぐ人口を有しているのが小山市で、その次がこの足利市。栃木市、佐野市がそれに続きます。どこも人口15万人規模のそれなりの街で、都市としての歴史もあるところばかりです。そういう都市が続くので、都市間の流動人口も多く、休日の昼間の列車だと言うのに、3両編成の電車の車内はほぼ満席で、立ってる乗客もいるほどです。駅に停車するたびに乗客が降り、また同じくらいの数の乗客が乗り込んできます。このローカル線、侮れません。
足利駅の1駅手前の富田駅から足利駅、次の山前駅、小俣駅にかけては東西に細長く連なる足利市街の住宅地を通過します。小俣駅を過ぎ、県堺になっている桐生川を渡ると群馬県桐生市に入ります。
しばらく住宅地が続き、再び蛇行する桐生川と接すると高架区間に入ります。高架から桐生市街地を一望しながら走ると、電車は徐々に減速に移り、桐生市の中心駅・桐生駅に到着しました。桐生市は群馬県の東部に位置する都市の一つです。奈良時代から続く日本を代表する絹織物の産地として知られ、この地で生産される「桐生織」は京都西陣の西陣織と並び称されています。製糸、撚糸、染織、縫製など、繊維に関する様々な技術が集積していることから「織都(しょくと)」と呼ばれ、また、絹織物の繁栄により蓄えられた莫大な富は、この地方都市に歴史的建造物や史跡などの多くの文化財を残しました。現在、桐生市の人口は約12万人。なかなかの規模の都市です。
桐生市もそれなりの規模の都市なので、多くの乗客がここで下車します。ふと隣のホームを見ると、阪急電車に似た車体全体を濃いマルーン色(こげ茶色)一色に塗装した2両編成のディーゼルカーが停車しているのが見えました。オォッ!あの車両は、『わたらせ渓谷鐵道』! (^-^)v
【追記】
題名の「わたらせ渓谷」繋がりで…。今から20年ほど前、歌手の森高千里さんが発表した『渡良瀬橋』という楽曲がありました。渡良瀬橋はこの桐生まで来る途中のJR両毛線で通過した栃木県足利市にある実在の橋で、森高千里さんが“橋”をテーマになにか楽曲を作ろうと思った時に、以前に学園祭ライブで訪れた足利工業大学の近くに渡良瀬橋という橋があったのを思い出し、現地を再訪して橋の周辺を散策し、そのイメージを使って詞を書いたのだそうです。その森高千里さんの楽曲のおかげで、当時は多くの観光客(それも若い恋人達)が足利市を訪れたのだそうです。確かに『渡良瀬橋』、『渡良瀬川』って、文字も響きもいいですわね。美しいと言うか…。
JR両毛線の桐生駅から延びている第三セクターによる鉄道路線です(^^)d 長岡出張に折りに、上越線という今やすっかりJR東日本のローカル線になってしまったかつての幹線路線に乗ってしまって以来、“鉄ちゃん”のDNAが覚醒してしまって、身体が勝手に“鉄分”の吸収を求めてきましたので、「こりゃあ、乗りに行くしかあるまい!」と、思い立って出掛けてきました。数ある候補地の中で今回私が選んだのが、『わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線』です(^^)d
ただ、この日は玄関を出る時、妻から「今日は◯◯(息子)んちと食事に行く予定なんだから、19時には戻ってきてね。じゃないと◯◯(孫娘)ちゃんには逢えないよ!」とキツく言われてしまいました。おっ!そりゃあいかん!(^^; これだけは意識しておかないといけません。孫娘と遊ぶ時間を少しでも多くとること、今の私にとってはこれが最優先事項です。最近はハイハイだけでなく歩くようになってきたし、喋れる言葉も少しずつ増えてきたので、孫娘と遊ぶのが楽しくて楽しくて仕方ありませんから。なので、「趣味よりも孫」です!(^^)d
しかし、この『わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線』、同じ関東地方にありながら、乗りに行こうとすると、これがなかなか難しいんです。
『わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線』の起点である群馬県の桐生市は、JR両毛線の沿線にあり、両毛線のほぼ中間地点にあります。なので、私が住む埼玉県さいたま市から(東京からも同じですが…)桐生市に向かおうとすると、JR宇都宮線(東北本線)で小山まで行って、そこでJR両毛線に乗り換えるか、JR高崎線で高崎まで行って、そこでJR両毛線に乗り換えるかの選択になります。どちらも所要時間は約2時間ですが、なにぶん両毛線の運行本数が少ないので、乗り換えに際してはかなりの“待ち時間”が加わり、結局、ドア・ツー・ドアでは3時間ほどかかることになります。関東地方内と言っても、これはちょっとした小旅行ですね。
私は往路は宇都宮線の小山経由のルートを選択し、まずはJR埼京線から大宮駅で宇都宮線に乗り換えました。もちろんお気に入りのJR東日本最新鋭のE233系電車の二階建てグリーン車の二階席です。このE233系電車、山手線や総武線各停、東海道線、宇都宮線、高崎線、湘南新宿ライン等、首都圏に大量投入されたE231系車両をさらに進化・発展させた車両で、このところJR東日本の通勤型、近郊型の標準車両として急激な勢いで大量投入がなされています。
通勤型では中央線快速(青梅線・五日市線・八高線含む)や京浜東北線・根岸線、さらには東京メトロ千代田線乗り入れを含む常磐緩行線、京葉線、横浜線、そして私が毎日の通勤で使っている埼京線・川越線・東京臨海高速鉄道りんかい線でも従来の205系電車の置き換え用として、2013年6月30日から営業運転を開始し、昨年度内に全ての編成がE233系電車に置き換わりました。近郊型では東海道本線のほか、東北本線(宇都宮線)、高崎線に大量投入されていて、二階建てグリーン車2両を挟んだ15両の長い編成で運転されています。
東海道本線や宇都宮線、高崎線で1時間以上の長い区間を乗車する時、私は好んで二階建てグリーン車の二階に乗るようにしています(プチ贅沢です)。最新鋭の近郊型のE231系やE233系の二階建てグリーン車は静かで、簡易リクライニング機能付きのクロスシート車なので乗り心地がよく、なにより視点が高いので、ふだん見慣れた光景が少し違って見えるのがお気に入りの理由です。
この日は休日。しかも、“下り”での運転ということなので、グリーン車の車内はガラガラ。二階席に乗車してい
るのは私を含めて3名だけでした。
大宮を出て約1時間、小山駅に到着しました。小山駅は東北新幹線が停車する駅でもあるのですが、在来線も東北本線(宇都宮線)・水戸線・両毛線が乗り入れ、東西南北に伸びる路線が集まる結節点となっています。私もこの小山で両毛線に乗り換えです。
小山駅は東北本線(宇都宮線)など在来線は、地上にある4面8線のホームを使用します。両毛線(栃木・佐野・桐生・高崎方面)の電車は6・8番線から発着します(7番線は6・8番線の先にある切り欠き式のホームなのですが、現在線路は撤去されていて、ホームのみが残っています)。
宇都宮線(東北線・下り宇都宮・黒磯方面)は9・10番線。宇都宮線(東北線・上り大宮・上野・新宿・横浜・大船方面…湘南新宿ラインを含む)は12・13番線。水戸線(下館・真岡・水戸方面)は15・16番線から発着します。私を乗せた宇都宮線宇都宮行きのE233系電車が到着した時、水戸線の15・16番線にはステンレス製の銀色の車体に青い帯の415系1500番台電車が4両編成で2編成、発車を待って停まっていました。地図を眺めてみると、小山駅を挟んで東方向と西方向に延びる両毛線と水戸線ですが、実はこの両線は両毛線が直流電化、水戸線が交流電化と電化方式が異なるので、直通運転はできません。なので、走る電車の種類も異なります。
両毛線の電車が発着する6・8番線のホームは他の在来線ホームからはやや離れた東北新幹線の高架下にあり、手前が行き止まりになった頭端式ホームと呼ばれる構造になっています。6番線ホームには旧国鉄の時代に北関東にあるローカル支線の各駅停車車両向けに古くなった急行用車両から台車や電動機等の部品を流用して製造された107系と呼ばれる電車が4両編成で身体を休めていました。
8番線ホームには最近まで宇都宮線や高崎線の主力車両として東京の上野駅でもふつうに見ることができた115系電車が3両の短い編成で発車を待っていました。宇都宮線や高崎線の主力車両として走っていた頃は、間に二階建てを含むグリーン車を挟んだ15両の長大な編成で関東平野を高速で疾走していたのですが、E231系やE233系といった最新車両の増備が進むにつれ、活躍の場を奪われ、北関東のローカル路線で短い編成になって、最後の御奉公って感じです。E231系やE233系といった最新車両に活躍の場を追われ、両毛線で最後の御奉公をしている車両は他にもあって、211系電車。こちらはステンレス製の銀色の車体で、まだまだ車体自体の傷みは少なく、近代的な車体スタイルと相まって、この車両を目にすると、この北関東のローカル線(両毛線)も一気に近代化が進んでいる感じがします。
休日の昼間ということで、両毛線の運転本数は少なく、私は小山での乗り継ぎに40分近くも待たされました。まぁ、これがローカル線というものです。すぐ隣の線路を過ぎ行く宇都宮線の電車を何本も見ながら、懐かしい115系電車の車内で発車の時刻を待つことにしました。外はちょっと寒いし…。そうそう、この両毛線の115系電車のドアは手動で開け閉めすることができます。なので、小山駅で出発を待つまでの間、ドアを閉めておけたので、車内にいる限りは寒くはなかったです。
両毛線高崎行きの普通列車は定刻通りに発車。この先、小山駅~富田駅間は市街地を除いて水田地帯の中を走り、富田駅~桐生駅間は概ね足尾山地の縁に沿って走ります。小山駅の両毛線ホームを出ると、まず結城街道の陸橋をくぐり、その後すぐに宇都宮線が右手に離れて分岐していきます。このあたりは工業地帯のようで、周辺の倉庫や工場への引込み線が何本も分岐しているのが分かります。今も使っているのでしょうか。
国道4号線の陸橋をくぐった直後の右手に大型ショッピングモールが見えてくるのですが、ここは関東地方の人には有名な(懐かしい)『小山ゆうえんち』がかつてあった場所です。高台にある市街地を過ぎると思川という川を鉄橋で渡ります。思川を渡るとあたりは一気に田園地帯となり、その田園地帯の中をしばらく走ると最初の停車駅、思川駅に到着します。
思川を出るとさらに田園地帯が続き、住宅地が見えたと思ったら高架の区間に入り、次に東武日光線の線路の下をくぐります。巴波川と呼ばれる川を越えると、「小江戸」と呼ばれる栃木市の中心駅、栃木駅に到着します。この県名と同じ名称を持つ栃木市は、江戸時代には市内を流れる巴波川を利用した江戸との舟運と、日光街道の宿場町として盛えた商都で、戦災を免れたため、歴史的な寺院のほか、市街地には江戸時代から明治時代にかけての蔵や商家などが多く残っており、「小江戸」や「関東の倉敷」との別名を持ちます。廃藩置県後の一時期には旧栃木県(現在の栃木県南部と群馬県の一部)、及び宇都宮県との合併後の栃木県の県庁所在地であった場所でもあり、今も国や県の各種出先機関や裁判所などの行政機関が集まるなど、栃木県南部における行政都市としての性格を持った街です。蔵づくりの建物が立ち並ぶ中心部へは、駅から1kmほどの距離があるとのことなので、電車からはその趣きはまったく分かりません。栃木市は古くから交通の要衝であったとのことですが、今もこの栃木駅では、東武日光線、東武宇都宮線と接続します。
栃木駅から次の大平下駅にかけては太平山を望みながら東武日光線とやや離れたところを併走します。岩舟駅から佐野駅までは複線区間となっており、水田や近隣の低い山々を望みながら電車は進みます。ふと気がつくと、雨はすっかりあがり、ところどころ青空が顔を覗かしているのが見てとれます。
東北自動車道と交差し、住宅地をしばらく走ると佐野駅に到着。ここは有名な「佐野厄除け大師」があるところです。最近は佐野ラーメンと大規模アウトレットモールがあり、私もクルマで何度か訪れたことがあります。東北自動車道を使ってクルマで来るとさほど時間はかからないところなのですが、電車で来るとやたら遠いところのように感じます。佐野駅では東武佐野線と接続。この栃木県や群馬県といった北関東では、東武鉄道の存在感は大きいなぁ~…って感じますね(東京都内では東急や小田急、京王、京急といった西方向に路線網を持つ私鉄の影で地味で目立たない感じなのですが、北関東での存在感は絶対!…って感じです)。
佐野駅を出ると、さらに田園地帯が続きます。旗川を渡ると足利市に入ります。“足利”と聞いて頭に思い浮かべるのは“足利尊氏”、“足利幕府”。ここ足利市は古くは足利庄が栄えて、清和源氏の流れをくむ足利氏発祥の地として知られているところです。フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と呼んだことでも有名な『足利学校』があったことでも知られる大変に歴史のある街です。
この両毛線、北関東を走るローカル線ではあるのですが、こうやって実際に乗って眺めてみると、なかなかに凄いところを走っているのだな…と思ってしまいます。栃木県にあって県都・宇都宮市に次ぐ人口を有しているのが小山市で、その次がこの足利市。栃木市、佐野市がそれに続きます。どこも人口15万人規模のそれなりの街で、都市としての歴史もあるところばかりです。そういう都市が続くので、都市間の流動人口も多く、休日の昼間の列車だと言うのに、3両編成の電車の車内はほぼ満席で、立ってる乗客もいるほどです。駅に停車するたびに乗客が降り、また同じくらいの数の乗客が乗り込んできます。このローカル線、侮れません。
足利駅の1駅手前の富田駅から足利駅、次の山前駅、小俣駅にかけては東西に細長く連なる足利市街の住宅地を通過します。小俣駅を過ぎ、県堺になっている桐生川を渡ると群馬県桐生市に入ります。
しばらく住宅地が続き、再び蛇行する桐生川と接すると高架区間に入ります。高架から桐生市街地を一望しながら走ると、電車は徐々に減速に移り、桐生市の中心駅・桐生駅に到着しました。桐生市は群馬県の東部に位置する都市の一つです。奈良時代から続く日本を代表する絹織物の産地として知られ、この地で生産される「桐生織」は京都西陣の西陣織と並び称されています。製糸、撚糸、染織、縫製など、繊維に関する様々な技術が集積していることから「織都(しょくと)」と呼ばれ、また、絹織物の繁栄により蓄えられた莫大な富は、この地方都市に歴史的建造物や史跡などの多くの文化財を残しました。現在、桐生市の人口は約12万人。なかなかの規模の都市です。
桐生市もそれなりの規模の都市なので、多くの乗客がここで下車します。ふと隣のホームを見ると、阪急電車に似た車体全体を濃いマルーン色(こげ茶色)一色に塗装した2両編成のディーゼルカーが停車しているのが見えました。オォッ!あの車両は、『わたらせ渓谷鐵道』! (^-^)v
【追記】
題名の「わたらせ渓谷」繋がりで…。今から20年ほど前、歌手の森高千里さんが発表した『渡良瀬橋』という楽曲がありました。渡良瀬橋はこの桐生まで来る途中のJR両毛線で通過した栃木県足利市にある実在の橋で、森高千里さんが“橋”をテーマになにか楽曲を作ろうと思った時に、以前に学園祭ライブで訪れた足利工業大学の近くに渡良瀬橋という橋があったのを思い出し、現地を再訪して橋の周辺を散策し、そのイメージを使って詞を書いたのだそうです。その森高千里さんの楽曲のおかげで、当時は多くの観光客(それも若い恋人達)が足利市を訪れたのだそうです。確かに『渡良瀬橋』、『渡良瀬川』って、文字も響きもいいですわね。美しいと言うか…。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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