2015/01/20
災害時における情報伝達手段の確保について(その2)
≪被災情報システム概要≫
私共が社会貢献対策として実施いたしました被災情報システムは、単純に言えば、避難所向けというか、被災地への内向きの情報をいかにして通信するかということに主体を置いています。隣の展示会場に現地から引き上げてきた機材を置いていますので、後でご覧頂きたいのですが、『DATA・INFOX』といって私共の会社で開発いたしました文字情報を簡易的に出すための装置です。それとテレビの文字情報波を使用して避難所向けに情報を送ろうというものでした。
当時、行った時に感じましたのは、有線通信が極めて無力であるという点です。私共は、2日後に行ったのですが、電話がかからないというわけではないのですが、かかりにくい。かかったらかかったで、非常に雑音が多くて、とてもデータ伝送などには向かないという状況でした。それで、テレビの文字情報波という無線通信を使ったわけです。
実際に置いたのがこのセットです。これが避難所側に置いた簡易文字の表示装置で、この中で一千画面の情報を蓄えることができます。これが選択ボタンで、約1千画面の中から、例えば情報の種類としては、物資の情報であるとか、運輸の情報などの選択をして表示でき、これをテレビに表示するといったセットです。
このシステムの特長の1点目としては、情報通信のメディアとして、テレビの文字放送派を利用したということです。放送と通信の融合ということです。厳密にはこれは放送法違反です。放送ではなく、一度加工して蓄積するという機能を端末に設けております。これは郵政省に出向いて説明しましたところ、ご理解を頂けましたので、これを実現することができました。
2点目としては、一千画面を一旦蓄積するということ。避難されている方々は、放送をずっと見ているような精神的余裕がありません。ですから、欲しいときに情報を与えられる手段として、一千画面を蓄積して、それを選択して表示出来るようにしております。
3番目がコンテンツですが、これは毎日新聞、毎日放送というマスコミの皆様の力をお借りしました。毎日新聞及び毎日放送の記者の方々と連携をとり、大阪では文字情報を作るだけの余力がなかったため、そこから情報を一旦東京へ持って行き、東京で電文を作って、それを大阪の毎日放送まで専用線で送り、そこから電波で飛ばすということにしました。
流した情報は大きく分けまして次の8つです。
1. 総合情報として、地震の速報、二次災害、救助情報等。
2. ライフライン復旧情報として、ガス、水道、電気、電話等の復旧情報。
3. 物資の配給情報。食糧・衣料品等がどこで、いつから配給されるかという情報。
4. 交通網についての情報。
5. 医療関係の情報。
6. 行政、ボランティアの連絡先の一覧。ボランティア団体、警察、消防、病院の連絡先。
…この中には、ファックスでいろいろな情報を流しているとか、自動応答電話で、いろいろな生活相談を行っているなど、情報提供のヘッドライン情報を流すということも行いました。細かい情報はファックスや自動応答電話等の別の手段で提供するという対処で、これに関してはかなりの成果が現れました。ファックス、自動応答電話のコールも増えておりましたので、この二段構えの策が効を秦したのではないかと思います。
7. 生活一覧情報。民間レベルの協力要請、募集情報。
…例えば、生活全般に関わる関連情報では、どこの銭湯が開いているとか、どこのコンビニが開いているといった情報を記者の皆さんに集めて頂いて、被災地向けに流していくということを、この被災情報システムを介してやっております。
8. 被災者向けの総合情報(英語版)
…これは、神戸という地域特性を考慮した外国人被災者向けの各種情報です。
さて、このシステムをやるにあたっての時間的経緯ですが、1月17日の震災発生後、私がその1年半前に設置した阪急電鉄様の梅田駅旅客案内表示システム(ラガールビジョン)のシステム点検に入ったのが地震発生の2日後の1月19日で、その後1月30日、31日までに、我々は、各避難所へ端末設備の設置を完了しています。それに先立って、1月29日から毎日放送様より文字放送の電波を飛ばしてもらうということをしました。非常に短かったのですが、流れとしては、まず、1月19日に私がお客様のシステムの点検に行った時に、西宮市周辺の避難所を事前に調査しました。
その時、視察に行った避難所で私が何を考えたか、ということなのです が、そこで見たのは、東京から行った私たちの方が情報を知っているということで した。例えば死者の数といっても、東京の情報の方が詳しくて、被災者の方は何も分かっていらしゃらない。避難所の張り紙も、1月17日現在の情報で、2日間、情報空白地帯になっているというのが避難所の実態でした。その時に、私達として何か出来ないかということになり、それと同時に、「我々の武器として、今すぐ使えるものは『DATA・INFOX』しかない」と判断し、それの通信手段としてテレビの文字放送波を使用すれば使えるんじゃあないかと『被災情報システム』をその場のインスピレーション、もっとはっきり言うと「思いつき」で提唱いたしました。
これを毎日新聞様に提案したところ、賛同が得られました。たまたまなのですが、1月24日に全国聾唖者協会の方からマスコミ各社に対しまして、文字放送などによる情報提供の要請がございました。それと時間を同じくしておりましたので、タイミングが良かったこともあります。そして、大急ぎで社内稟議をとりました。この非常時に、こちらが勝手に大金を使うということだったのですが、すぐに了解を得ました。
私事ですが、「この会社、とんでもなく、すごい会社じゃないのかな」と感じたのはこの時でした。
その後時間がなく、僅か1週間で準備をすることになり、これほど早く出来るとも思っていなかったのですが、私共のスタッフに徹夜で頑張ってもらうことになりました。一刻も早く避難所の方に情報を流してあげたかったものですから、5日間で出来たというのは非常にすごかったのではないかと思っています。その時に、設置置場の決定やマスコミ調査など、いろいろ考えました。
まず設置置場ですが、この30ヵ所です。これは実は、手持ちの 『DATA/INFOX』が30台しかなかったためです。公平にばらまければよかったのですが、30台しかない。では何を基準に配るか、という問題になってくるのですが、丁度、兵庫県障害福祉課に連絡を取り聞いたところ、耳の不自由な方の避難所が、その時点で分かったものだけで27カ所、それに神戸市役所、兵庫県庁、西宮スポーツセンター、実際にはスポーツセンターには置けなくて、甲東小学校、この30ヵ所に置きました。
西の端は、須磨区、若宮小学校や大田中学、そして問題になりました長田区、蓮池小学校、テレビなどによく映りましたからご覧になったかと思います。兵庫区、北区、灘区、東灘区、西宮、尼崎、伊丹、宝塚というふうに東西方面、距離として50kmキロ以上離れた所に置いてきましたので、今回の被災地全体がカバーできたかと思っています。残念ながら、淡路島まではテレビの文字放送波が飛ばないということで、それは断念しました。
また、大きな問題は、震災直後の神戸において、30ヵ所の避難所にいかに2日間で端末を設置するかということでした。会社からは、2次災害が心配なので、日中だけしか作業をしてはいけないと言われ、冬場ですから実質7時間ぐらいしかなく、許された日数は2日間ということでした。2日間でどうやってこれを30ヵ所に配るかということが問題になったわけです。まず我々が考えたことは、どうやって運ぶか、ということでした。実際はタグボートで大阪から入ることになりました。毎日放送様がチャーターしていただいたタグボートで、大阪の弁天埠頭から神戸の中央突堤に機材を運び上げました。
時間の関係で、我々は現地の実地調査を一切せずに神戸に乗り込みました。状況が判っていなかったのですが、神戸に下り立った途端に、我々のイメージが全部崩れてしまいました。港に降りるんだと思って飛び降りたら、足もとは高さ1メートルぐらいで、これくらいの間隔でうねっているんです。とても輸送できる状況ではなく、また冬の海は荒れておりまして、大阪からの出航時には平気な顔をしていましたが、神戸の港での荷おろしでは、大変危険な思いをすることになりました。
次に、陸上での物の輸送手段を考えました。どうやって運ぼうか、ということになりました。トラック会社は、全部ほかに手配されて1台も残っていませんでしたが、何かと過去に一緒に仕事した仲間の会社からワゴンを5台手配し、それを大阪から空(から)で、神戸まで24時間かけて運ぶということになりました。朝7時に大阪出発し、着いたのが一番早い車で夜の10時でした。たった50km弱なのですが、12時間以上かかり、最後の車が来たのは24時間後でした。これが神戸の交通道路の状況でした。
その次に現場での連絡手段をどうしようかということになりました。これも神戸の状況が分かっていなかったので、、こちらでどういう準備をすればいいのか分からなかったのですが、結果として数種類の携帯電話、ドコモだけでなく、セルラー、IDOと全種持っていきました。結局分かったことは、比較になりますので名前は挙げられませんが、あるところはいっぱいで、あるところは比較的かかりやすかったという傾向がありました。加入者が少なかったからであろう、ということも考えられました。その意味では複数種類の携帯電話を使ったというのは正解でした。ポケベルに関しては完璧に活きていました。情報をコード化して、「作業終了」などどいうポケベルで送るというやり方は、極めて効果を発揮しておりました。
我々は兵庫県庁の障害福祉課にスペースをお借りし、そこに現地本部を置いたのですが、その本部に残る現場指揮部隊はわずか3人しかおりませんから、現場の避難所で設置工事をやっている前線部隊との主たる連絡は一旦東京を中継するという方法をとりました。神戸市内間での通話は非常に厳しく、神戸市-東京、東京-神戸という方がかかりやすいことが実体験から判り、東京に残したスタッフを中継して指示を流すという方法で行いました。
しかしその時に、先程も触れましたが、交通状況の把握をどうするかという大問題がありました。5分前と5分後とは様相が一変するわけです。例えば、建物の取り壊しが入ってくる。すると、さっきまで通れた道が通れなくなる。また、救難車輛、警察、自衛隊の車輛が通る度に通行止めになる。会社から許された2日間で30台を設置するためには、どうしても道路交通状況を把握しなければならない、ということだったのです。
私は29日に神戸に入る直前、かねてからの予定でマレーシアに出張しておりました。その際、「どうやって交通状況を把握するか」「どのように部隊分けし、2日で、30台を設置するにはどうすればよいのか」などということばかり考えていました。そこで、結局、タクシー無線を利用しました。
前述のように、我々は現地本部を兵庫県庁の障害福祉課内に置いていましたので、その県庁の玄関前にタクシーを1台チャーターしました。しかし、そのタクシーは1メートルも走っていません。何をしたかといいますと、タクシーにトランシーバーを持たせ、本部との間を結びました。道路交通状況が分からなくなると、タクシー無線で聞くわけです。当時もかなりいろいろなことでタクシーは動いていたのです。それで、タクシーの方から道路の交通状況が刻々と入ってくるのです。「何々の通り、今、交通止め」「何々方面、少し流れている」といった状況が入ってきました。我々はそれを遂一書きとめ、分からなくなったら、タクシー無線で聞いてもらうという方法をとりました。その意味では、兵庫県警には及ばなかったと思いますが、我々は当時、神戸市、西宮市の交通状況を一番把握していた1人ではないかと考えています。
災害にはマニュアルは機能せず、実際には、このような機転が作業を左右することになるのではないかと思います。結果として我々がわずか2日間の現地作業で30台の機器の避難所への設置が行えたのは、タクシー無線の活用が一番に効いたのだと思います。
次に考えたのは、宿泊場所の確保ということでした。寝袋は持参したものの、たまたま29日の夜、六甲山オリエンタルホテルが突然再開してまして、その情報を得てすぐに部屋をおさえました。申し訳ないことに、我々自身は寝袋ではなく、暖かい所に泊まることができました。その時に見た風景が、いまだに私の脳裏から離れませんので、皆さんにお話しします。
本来、神戸の夜景というのは、「百万ドルの夜景」と呼ばれるほど大変綺麗なものです。それがその夜、六甲山から見た夜景は、全体が真っ白でした。ネオンの赤や青がなく、そのなかで長田区あたりが真暗なのです。それは分かりきったことなのですが、神戸全体が、「脈打っている」のです。電圧が少し低下したためなのでしょう。1個1個の電球を見ていても分からない程度、恐らく100ボルトから95ボルトに落ちているだけだったと思います。しかし、神戸全体で見ると、非周期的に3秒か10秒に1回かで、少し暗くなるんです。それが、また戻ってくるという状況でした。これが私の目には、神戸と言う街の断末魔、神戸が悲しみにうち震えているように映りました。ライフラインが復旧したといっても、そのような状況が、被災後の2週間の時点ではまだ残っていたということがご理解頂ければと思います。
私共が社会貢献対策として実施いたしました被災情報システムは、単純に言えば、避難所向けというか、被災地への内向きの情報をいかにして通信するかということに主体を置いています。隣の展示会場に現地から引き上げてきた機材を置いていますので、後でご覧頂きたいのですが、『DATA・INFOX』といって私共の会社で開発いたしました文字情報を簡易的に出すための装置です。それとテレビの文字情報波を使用して避難所向けに情報を送ろうというものでした。
当時、行った時に感じましたのは、有線通信が極めて無力であるという点です。私共は、2日後に行ったのですが、電話がかからないというわけではないのですが、かかりにくい。かかったらかかったで、非常に雑音が多くて、とてもデータ伝送などには向かないという状況でした。それで、テレビの文字情報波という無線通信を使ったわけです。
実際に置いたのがこのセットです。これが避難所側に置いた簡易文字の表示装置で、この中で一千画面の情報を蓄えることができます。これが選択ボタンで、約1千画面の中から、例えば情報の種類としては、物資の情報であるとか、運輸の情報などの選択をして表示でき、これをテレビに表示するといったセットです。
このシステムの特長の1点目としては、情報通信のメディアとして、テレビの文字放送派を利用したということです。放送と通信の融合ということです。厳密にはこれは放送法違反です。放送ではなく、一度加工して蓄積するという機能を端末に設けております。これは郵政省に出向いて説明しましたところ、ご理解を頂けましたので、これを実現することができました。
2点目としては、一千画面を一旦蓄積するということ。避難されている方々は、放送をずっと見ているような精神的余裕がありません。ですから、欲しいときに情報を与えられる手段として、一千画面を蓄積して、それを選択して表示出来るようにしております。
3番目がコンテンツですが、これは毎日新聞、毎日放送というマスコミの皆様の力をお借りしました。毎日新聞及び毎日放送の記者の方々と連携をとり、大阪では文字情報を作るだけの余力がなかったため、そこから情報を一旦東京へ持って行き、東京で電文を作って、それを大阪の毎日放送まで専用線で送り、そこから電波で飛ばすということにしました。
流した情報は大きく分けまして次の8つです。
1. 総合情報として、地震の速報、二次災害、救助情報等。
2. ライフライン復旧情報として、ガス、水道、電気、電話等の復旧情報。
3. 物資の配給情報。食糧・衣料品等がどこで、いつから配給されるかという情報。
4. 交通網についての情報。
5. 医療関係の情報。
6. 行政、ボランティアの連絡先の一覧。ボランティア団体、警察、消防、病院の連絡先。
…この中には、ファックスでいろいろな情報を流しているとか、自動応答電話で、いろいろな生活相談を行っているなど、情報提供のヘッドライン情報を流すということも行いました。細かい情報はファックスや自動応答電話等の別の手段で提供するという対処で、これに関してはかなりの成果が現れました。ファックス、自動応答電話のコールも増えておりましたので、この二段構えの策が効を秦したのではないかと思います。
7. 生活一覧情報。民間レベルの協力要請、募集情報。
…例えば、生活全般に関わる関連情報では、どこの銭湯が開いているとか、どこのコンビニが開いているといった情報を記者の皆さんに集めて頂いて、被災地向けに流していくということを、この被災情報システムを介してやっております。
8. 被災者向けの総合情報(英語版)
…これは、神戸という地域特性を考慮した外国人被災者向けの各種情報です。
さて、このシステムをやるにあたっての時間的経緯ですが、1月17日の震災発生後、私がその1年半前に設置した阪急電鉄様の梅田駅旅客案内表示システム(ラガールビジョン)のシステム点検に入ったのが地震発生の2日後の1月19日で、その後1月30日、31日までに、我々は、各避難所へ端末設備の設置を完了しています。それに先立って、1月29日から毎日放送様より文字放送の電波を飛ばしてもらうということをしました。非常に短かったのですが、流れとしては、まず、1月19日に私がお客様のシステムの点検に行った時に、西宮市周辺の避難所を事前に調査しました。
その時、視察に行った避難所で私が何を考えたか、ということなのです が、そこで見たのは、東京から行った私たちの方が情報を知っているということで した。例えば死者の数といっても、東京の情報の方が詳しくて、被災者の方は何も分かっていらしゃらない。避難所の張り紙も、1月17日現在の情報で、2日間、情報空白地帯になっているというのが避難所の実態でした。その時に、私達として何か出来ないかということになり、それと同時に、「我々の武器として、今すぐ使えるものは『DATA・INFOX』しかない」と判断し、それの通信手段としてテレビの文字放送波を使用すれば使えるんじゃあないかと『被災情報システム』をその場のインスピレーション、もっとはっきり言うと「思いつき」で提唱いたしました。
これを毎日新聞様に提案したところ、賛同が得られました。たまたまなのですが、1月24日に全国聾唖者協会の方からマスコミ各社に対しまして、文字放送などによる情報提供の要請がございました。それと時間を同じくしておりましたので、タイミングが良かったこともあります。そして、大急ぎで社内稟議をとりました。この非常時に、こちらが勝手に大金を使うということだったのですが、すぐに了解を得ました。
私事ですが、「この会社、とんでもなく、すごい会社じゃないのかな」と感じたのはこの時でした。
その後時間がなく、僅か1週間で準備をすることになり、これほど早く出来るとも思っていなかったのですが、私共のスタッフに徹夜で頑張ってもらうことになりました。一刻も早く避難所の方に情報を流してあげたかったものですから、5日間で出来たというのは非常にすごかったのではないかと思っています。その時に、設置置場の決定やマスコミ調査など、いろいろ考えました。
まず設置置場ですが、この30ヵ所です。これは実は、手持ちの 『DATA/INFOX』が30台しかなかったためです。公平にばらまければよかったのですが、30台しかない。では何を基準に配るか、という問題になってくるのですが、丁度、兵庫県障害福祉課に連絡を取り聞いたところ、耳の不自由な方の避難所が、その時点で分かったものだけで27カ所、それに神戸市役所、兵庫県庁、西宮スポーツセンター、実際にはスポーツセンターには置けなくて、甲東小学校、この30ヵ所に置きました。
西の端は、須磨区、若宮小学校や大田中学、そして問題になりました長田区、蓮池小学校、テレビなどによく映りましたからご覧になったかと思います。兵庫区、北区、灘区、東灘区、西宮、尼崎、伊丹、宝塚というふうに東西方面、距離として50kmキロ以上離れた所に置いてきましたので、今回の被災地全体がカバーできたかと思っています。残念ながら、淡路島まではテレビの文字放送波が飛ばないということで、それは断念しました。
また、大きな問題は、震災直後の神戸において、30ヵ所の避難所にいかに2日間で端末を設置するかということでした。会社からは、2次災害が心配なので、日中だけしか作業をしてはいけないと言われ、冬場ですから実質7時間ぐらいしかなく、許された日数は2日間ということでした。2日間でどうやってこれを30ヵ所に配るかということが問題になったわけです。まず我々が考えたことは、どうやって運ぶか、ということでした。実際はタグボートで大阪から入ることになりました。毎日放送様がチャーターしていただいたタグボートで、大阪の弁天埠頭から神戸の中央突堤に機材を運び上げました。
時間の関係で、我々は現地の実地調査を一切せずに神戸に乗り込みました。状況が判っていなかったのですが、神戸に下り立った途端に、我々のイメージが全部崩れてしまいました。港に降りるんだと思って飛び降りたら、足もとは高さ1メートルぐらいで、これくらいの間隔でうねっているんです。とても輸送できる状況ではなく、また冬の海は荒れておりまして、大阪からの出航時には平気な顔をしていましたが、神戸の港での荷おろしでは、大変危険な思いをすることになりました。
次に、陸上での物の輸送手段を考えました。どうやって運ぼうか、ということになりました。トラック会社は、全部ほかに手配されて1台も残っていませんでしたが、何かと過去に一緒に仕事した仲間の会社からワゴンを5台手配し、それを大阪から空(から)で、神戸まで24時間かけて運ぶということになりました。朝7時に大阪出発し、着いたのが一番早い車で夜の10時でした。たった50km弱なのですが、12時間以上かかり、最後の車が来たのは24時間後でした。これが神戸の交通道路の状況でした。
その次に現場での連絡手段をどうしようかということになりました。これも神戸の状況が分かっていなかったので、、こちらでどういう準備をすればいいのか分からなかったのですが、結果として数種類の携帯電話、ドコモだけでなく、セルラー、IDOと全種持っていきました。結局分かったことは、比較になりますので名前は挙げられませんが、あるところはいっぱいで、あるところは比較的かかりやすかったという傾向がありました。加入者が少なかったからであろう、ということも考えられました。その意味では複数種類の携帯電話を使ったというのは正解でした。ポケベルに関しては完璧に活きていました。情報をコード化して、「作業終了」などどいうポケベルで送るというやり方は、極めて効果を発揮しておりました。
我々は兵庫県庁の障害福祉課にスペースをお借りし、そこに現地本部を置いたのですが、その本部に残る現場指揮部隊はわずか3人しかおりませんから、現場の避難所で設置工事をやっている前線部隊との主たる連絡は一旦東京を中継するという方法をとりました。神戸市内間での通話は非常に厳しく、神戸市-東京、東京-神戸という方がかかりやすいことが実体験から判り、東京に残したスタッフを中継して指示を流すという方法で行いました。
しかしその時に、先程も触れましたが、交通状況の把握をどうするかという大問題がありました。5分前と5分後とは様相が一変するわけです。例えば、建物の取り壊しが入ってくる。すると、さっきまで通れた道が通れなくなる。また、救難車輛、警察、自衛隊の車輛が通る度に通行止めになる。会社から許された2日間で30台を設置するためには、どうしても道路交通状況を把握しなければならない、ということだったのです。
私は29日に神戸に入る直前、かねてからの予定でマレーシアに出張しておりました。その際、「どうやって交通状況を把握するか」「どのように部隊分けし、2日で、30台を設置するにはどうすればよいのか」などということばかり考えていました。そこで、結局、タクシー無線を利用しました。
前述のように、我々は現地本部を兵庫県庁の障害福祉課内に置いていましたので、その県庁の玄関前にタクシーを1台チャーターしました。しかし、そのタクシーは1メートルも走っていません。何をしたかといいますと、タクシーにトランシーバーを持たせ、本部との間を結びました。道路交通状況が分からなくなると、タクシー無線で聞くわけです。当時もかなりいろいろなことでタクシーは動いていたのです。それで、タクシーの方から道路の交通状況が刻々と入ってくるのです。「何々の通り、今、交通止め」「何々方面、少し流れている」といった状況が入ってきました。我々はそれを遂一書きとめ、分からなくなったら、タクシー無線で聞いてもらうという方法をとりました。その意味では、兵庫県警には及ばなかったと思いますが、我々は当時、神戸市、西宮市の交通状況を一番把握していた1人ではないかと考えています。
災害にはマニュアルは機能せず、実際には、このような機転が作業を左右することになるのではないかと思います。結果として我々がわずか2日間の現地作業で30台の機器の避難所への設置が行えたのは、タクシー無線の活用が一番に効いたのだと思います。
次に考えたのは、宿泊場所の確保ということでした。寝袋は持参したものの、たまたま29日の夜、六甲山オリエンタルホテルが突然再開してまして、その情報を得てすぐに部屋をおさえました。申し訳ないことに、我々自身は寝袋ではなく、暖かい所に泊まることができました。その時に見た風景が、いまだに私の脳裏から離れませんので、皆さんにお話しします。
本来、神戸の夜景というのは、「百万ドルの夜景」と呼ばれるほど大変綺麗なものです。それがその夜、六甲山から見た夜景は、全体が真っ白でした。ネオンの赤や青がなく、そのなかで長田区あたりが真暗なのです。それは分かりきったことなのですが、神戸全体が、「脈打っている」のです。電圧が少し低下したためなのでしょう。1個1個の電球を見ていても分からない程度、恐らく100ボルトから95ボルトに落ちているだけだったと思います。しかし、神戸全体で見ると、非周期的に3秒か10秒に1回かで、少し暗くなるんです。それが、また戻ってくるという状況でした。これが私の目には、神戸と言う街の断末魔、神戸が悲しみにうち震えているように映りました。ライフラインが復旧したといっても、そのような状況が、被災後の2週間の時点ではまだ残っていたということがご理解頂ければと思います。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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