2015/01/28
昭和45年1月低気圧
昭和45年(1970年)1月29日午後、東シナ海中部に発生した低気圧が発達しながら北東に進み、30日夜から31日にかけて近畿地方から、東海・関東・東北地方を縦断する形で北上した。31日9時の地上天気図上にこの低気圧の経路を示すが、31日9時には、東北地方の日本海側と太平洋側に分かれた形で低気圧中心が解析されているが、地形の影響によるもので、低気圧は東北地方内陸を進んだと見て、破線で経路を示した。その後も北東に進んで、2月1日に北海道東部に進んだ頃から急速に速度を落とし、2日には弱まりながらゆっくり東に進んだ。
一般に、低気圧は冷たい陸より暖かい海を進むことが多く、冬季に東シナ海で発生し日本付近で急速に発達する低気圧の多くは、関東地方南部をかすめて、東北地方の東海上を北上することが多いが、この低気圧はこの時期としては極めて珍しく内陸を縦断した。その上、この低気圧に向かって季節外れの暖気が流入したことで、低気圧は急速に発達し、 31日21時には中心気圧は962㍱とまれに見る発達であった。12時間毎の天気図では、見られないが、9時に秋田沖にあった低気圧は15時には青森付近まで進み、青森では最低気圧962.7㍱を観測している。この他、東北地方の9地点と北海道1地点でこの時に観測した最低気圧が観測史上1位として今も更新されずにいる。
地図上にこの低気圧によって最低気圧を更新した地点と、この低気圧の記録が5位以内に残っている地点の分布を示す。東北地方北部を中心に分布しており、最大級の勢力の低気圧であったことが判る。なお、この地域より南の地点の最低気圧の記録は台風によるものが上位を占めている。北日本では、この低気圧のように台風を凌ぐ勢力の低気圧の影響を受けることがあることを示している。
それほどこの低気圧の勢力が強かったと言える。この時の被害は、死者・行方不明者25人。住家全半壊、流出916戸、浸水4422戸、船舶被害293隻のほか、農林水産関連の被害もかなりに及んだ。このため、低気圧としては異例であるが「昭和45年1月低気圧」と命名された。
この低気圧の通過による風による被害が大きかった。31日朝には、風速15m/s~30m/sの暴風や強風の範囲は低気圧の中心から1500km以内の広範囲に及んだため、この低気圧による暴風雨雪の影響は全国におよび、特に近畿以東の太平洋側では暴風と大雨の被害が、北陸、東北、北海道では暴風・大雨・大雪による被害が大きかった。送電線の切断による停電、架線の断線による鉄道の運休もあり、関東地方中心にビニールハウスの倒壊被害も甚大であった。新潟県下では2つの竜巻も発生している。また、暴風が長時間続いたため海上は猛烈なしけとなり、日本海沿岸や東北・北海道の太平洋岸では護岸の決壊や、海難事故も多発した。また、東日本から北日本の各地で海苔、牡蠣、わかめ、ホタテ等の被害も甚大であった。東北地方では高潮も発生し、これも沿岸部での被害を増大させた。
低気圧通過後の寒気に流入で北日本は猛吹雪となり、交通機関がマヒするところも出た。
この低気圧は、季節外れの大雨をもたらした。三重県南部では1時間50mm以上の激しい雨も降り、三重県宮川では日雨量が288㎜に達し、静岡県網代では144mmに達した。また、関東や東北地方の太平洋側では、1月の月平均雨量を上回る大雨となったところもあり、総雨量が1000mmを超える1月としては極めて珍しい大雨となった。
この大雨により、山陰、近畿北部、及び東日本から北日本にかけての各地で、大雨と融雪により、河川の増水、はん濫のほか、多雪地帯では排水施設が積雪で機能せず冠水も発生した。
気象要覧第846号(昭和45年2月号)には、昭和45 年1月低気圧の特集が組まれており、この中に当時の降水量分布図が載っているので、それを一部引用する。関東から近畿については30日9時~31日9時の1日降水量、東北地方については30日9時~2月1日9時の2日降水量、北海道については30日9時から2月2日9時の3日降水量とバラバラであるが、1月末の降水量分布とは思えない量である。なお、東北や北海道では後半の雪も合わせた量である。
北海道では大雪の地方もあった。31日9時~21時迄の新積雪は北海道十勝管内の糠平で57㎝、清水で60㎝となるなど日高山脈の東側を中心とする大雪となった。このため、黄金道路と呼ばれる国道336号線はえりも町庶野-目黒間の40か所以上でなだれが発生し、不通となった。
この時、私は函館海洋気象台に勤務しており、この極めて異例の真冬の暴風雨を経験した。 また、低気圧通過後の東北地方や北陸地方でも30cmを超える大雪となったところもあり、北海道だけでなく、東北、北陸地方の多雪地域では、各所でなだれや土砂崩れが発生し道路交通障害は広範囲に及んだ。
前述の気象要覧には、北海道の30日9時~2月1日9時までの48時間降雪量分布図が載っているので、ここに示す。降水量分布と比較してみると、100mm以上の降水量を観測した北海道南西部と十勝地方で大きな違いがある。大雨と大雪の違いが見てとれる。
雨風の状況を見てきたが、この低気圧によって、北日本だけでなく、西日本までの広い範囲で、暴風雨、暴風雪、大雨、大雪、高潮、高波等により、洪水、冠水被害、強風被害、雪崩や土砂崩れ等も相次ぎ、多方面に大きな影響がでた。冬の嵐の脅威を理解してもらいたいと思い、こうした事例を紹介する。
この函館の気象変化を図に示すが、最低気圧は歴代2位(1位とは0.1㍱の差)を記録し、30日夜から31日にかけて総雨量は100㎜近くに達した。1月の日降水量の記録を更新した異常な降り方であった。また、最大瞬間風速33.4m/sを記録する暴風雨となった。気象台では暴風雨警報、大雨警報を発表し警戒を呼び掛けていた。青函連絡船も欠航していたが、青函局の職員が気象台に詰めて、気象台との情報交換をし、逐次、気象状況の変化を運行管理部署に連絡していたことを思い出した。青函局は、昭和29年洞爺丸台風の痛ましい事故の経験から、海峡中央を航行している船舶が規制値を超える風を観測すると、出港予定の船舶は運転見合わせの処置をとっていた。
函館の街は前日29日まで40㎝近い積雪があり、道路側には除雪した雪が積まれ、道路を横断するたびに歩道から2段ほどの階段を降りる感じの状態であった。ここに100㎜近い大雨が降ったため、雪で排水口が塞がれていた道路は冠水状態となった。この雨によって雪は解けたが、低気圧が東に進んだ後には寒気が入って道路にたまった雨水はスケートリンクのように凍ってしまった。このような状況で、市電、バス等の交通機関も運行に大きな支障が生じた。
また、歩行するものままならない状況になった。北国の人は、積雪期にはスパイクのついた長靴を履いていたので、一歩一歩足元を確認し何とか歩行できたが、旅行客は、そこまでの準備はしていないため、転倒も相次いだ。
夏場の大雨とは異なり、積雪のある中での大雨は、様々な影響が出ること考える必要があることを痛感させられた事例であった。雨量と風速の予報だけでは済まない。各方面に大雨によって派生する様々な事象を的確に説明するためにも、こうした事例から学ぶことが多いと思う。
一般に、低気圧は冷たい陸より暖かい海を進むことが多く、冬季に東シナ海で発生し日本付近で急速に発達する低気圧の多くは、関東地方南部をかすめて、東北地方の東海上を北上することが多いが、この低気圧はこの時期としては極めて珍しく内陸を縦断した。その上、この低気圧に向かって季節外れの暖気が流入したことで、低気圧は急速に発達し、 31日21時には中心気圧は962㍱とまれに見る発達であった。12時間毎の天気図では、見られないが、9時に秋田沖にあった低気圧は15時には青森付近まで進み、青森では最低気圧962.7㍱を観測している。この他、東北地方の9地点と北海道1地点でこの時に観測した最低気圧が観測史上1位として今も更新されずにいる。
地図上にこの低気圧によって最低気圧を更新した地点と、この低気圧の記録が5位以内に残っている地点の分布を示す。東北地方北部を中心に分布しており、最大級の勢力の低気圧であったことが判る。なお、この地域より南の地点の最低気圧の記録は台風によるものが上位を占めている。北日本では、この低気圧のように台風を凌ぐ勢力の低気圧の影響を受けることがあることを示している。
それほどこの低気圧の勢力が強かったと言える。この時の被害は、死者・行方不明者25人。住家全半壊、流出916戸、浸水4422戸、船舶被害293隻のほか、農林水産関連の被害もかなりに及んだ。このため、低気圧としては異例であるが「昭和45年1月低気圧」と命名された。
この低気圧の通過による風による被害が大きかった。31日朝には、風速15m/s~30m/sの暴風や強風の範囲は低気圧の中心から1500km以内の広範囲に及んだため、この低気圧による暴風雨雪の影響は全国におよび、特に近畿以東の太平洋側では暴風と大雨の被害が、北陸、東北、北海道では暴風・大雨・大雪による被害が大きかった。送電線の切断による停電、架線の断線による鉄道の運休もあり、関東地方中心にビニールハウスの倒壊被害も甚大であった。新潟県下では2つの竜巻も発生している。また、暴風が長時間続いたため海上は猛烈なしけとなり、日本海沿岸や東北・北海道の太平洋岸では護岸の決壊や、海難事故も多発した。また、東日本から北日本の各地で海苔、牡蠣、わかめ、ホタテ等の被害も甚大であった。東北地方では高潮も発生し、これも沿岸部での被害を増大させた。
低気圧通過後の寒気に流入で北日本は猛吹雪となり、交通機関がマヒするところも出た。
この低気圧は、季節外れの大雨をもたらした。三重県南部では1時間50mm以上の激しい雨も降り、三重県宮川では日雨量が288㎜に達し、静岡県網代では144mmに達した。また、関東や東北地方の太平洋側では、1月の月平均雨量を上回る大雨となったところもあり、総雨量が1000mmを超える1月としては極めて珍しい大雨となった。
この大雨により、山陰、近畿北部、及び東日本から北日本にかけての各地で、大雨と融雪により、河川の増水、はん濫のほか、多雪地帯では排水施設が積雪で機能せず冠水も発生した。
気象要覧第846号(昭和45年2月号)には、昭和45 年1月低気圧の特集が組まれており、この中に当時の降水量分布図が載っているので、それを一部引用する。関東から近畿については30日9時~31日9時の1日降水量、東北地方については30日9時~2月1日9時の2日降水量、北海道については30日9時から2月2日9時の3日降水量とバラバラであるが、1月末の降水量分布とは思えない量である。なお、東北や北海道では後半の雪も合わせた量である。
北海道では大雪の地方もあった。31日9時~21時迄の新積雪は北海道十勝管内の糠平で57㎝、清水で60㎝となるなど日高山脈の東側を中心とする大雪となった。このため、黄金道路と呼ばれる国道336号線はえりも町庶野-目黒間の40か所以上でなだれが発生し、不通となった。
この時、私は函館海洋気象台に勤務しており、この極めて異例の真冬の暴風雨を経験した。 また、低気圧通過後の東北地方や北陸地方でも30cmを超える大雪となったところもあり、北海道だけでなく、東北、北陸地方の多雪地域では、各所でなだれや土砂崩れが発生し道路交通障害は広範囲に及んだ。
前述の気象要覧には、北海道の30日9時~2月1日9時までの48時間降雪量分布図が載っているので、ここに示す。降水量分布と比較してみると、100mm以上の降水量を観測した北海道南西部と十勝地方で大きな違いがある。大雨と大雪の違いが見てとれる。
雨風の状況を見てきたが、この低気圧によって、北日本だけでなく、西日本までの広い範囲で、暴風雨、暴風雪、大雨、大雪、高潮、高波等により、洪水、冠水被害、強風被害、雪崩や土砂崩れ等も相次ぎ、多方面に大きな影響がでた。冬の嵐の脅威を理解してもらいたいと思い、こうした事例を紹介する。
この函館の気象変化を図に示すが、最低気圧は歴代2位(1位とは0.1㍱の差)を記録し、30日夜から31日にかけて総雨量は100㎜近くに達した。1月の日降水量の記録を更新した異常な降り方であった。また、最大瞬間風速33.4m/sを記録する暴風雨となった。気象台では暴風雨警報、大雨警報を発表し警戒を呼び掛けていた。青函連絡船も欠航していたが、青函局の職員が気象台に詰めて、気象台との情報交換をし、逐次、気象状況の変化を運行管理部署に連絡していたことを思い出した。青函局は、昭和29年洞爺丸台風の痛ましい事故の経験から、海峡中央を航行している船舶が規制値を超える風を観測すると、出港予定の船舶は運転見合わせの処置をとっていた。
函館の街は前日29日まで40㎝近い積雪があり、道路側には除雪した雪が積まれ、道路を横断するたびに歩道から2段ほどの階段を降りる感じの状態であった。ここに100㎜近い大雨が降ったため、雪で排水口が塞がれていた道路は冠水状態となった。この雨によって雪は解けたが、低気圧が東に進んだ後には寒気が入って道路にたまった雨水はスケートリンクのように凍ってしまった。このような状況で、市電、バス等の交通機関も運行に大きな支障が生じた。
また、歩行するものままならない状況になった。北国の人は、積雪期にはスパイクのついた長靴を履いていたので、一歩一歩足元を確認し何とか歩行できたが、旅行客は、そこまでの準備はしていないため、転倒も相次いだ。
夏場の大雨とは異なり、積雪のある中での大雨は、様々な影響が出ること考える必要があることを痛感させられた事例であった。雨量と風速の予報だけでは済まない。各方面に大雨によって派生する様々な事象を的確に説明するためにも、こうした事例から学ぶことが多いと思う。
執筆者
気象庁OB
市澤成介