2015/04/08

“鉄”の原点(その2)

私の鉄道好きのDNAを刺激したのは国鉄の予讃線だけではありません。今も元気に市内の便利な足として走っていますが、松山には私鉄の伊予鉄道(イヨテツ)の路面電車が走っていて、それも大好きな乗り物でした。小学生の頃、母親の薦めで児童少年合唱団に(強引に)入れられていたことがあり、その練習に行く時には、学校帰りに松山駅前の電停からその伊予鉄道の路面電車を利用して練習場に通っていました。


写真7


当時は王・長島絶頂期で、男の子なら皆、プロ野球選手に憧れ、学校から走って帰ると、バットとグロープを手に広場で日が暮れるまで野球をして遊ぶような時代でしたので、児童少年合唱団に入っていることで軟派のように思われるのが嫌でしたし、練習は思いの外キツかったので、正直嫌で嫌でたまりませんでした(音感が悪いのか、初見で楽譜を読むことなんて、小学生の私にはできませんでしたから)。

それでも、なんとか4年間も続けられたのは、練習の行き帰りに伊予鉄道の路面電車に乗ることができたからです。乗ると座席には座らず、いつも運転士のすぐ横に立って、運転士の操作や、前方の景色をずっと眺めていました。路面電車は文字通り道路の真ん中に線路が引かれていて、自動車に混じって走行するので、前方に見える景色は超が付くほど刺激的でした。

松山を走る伊予鉄道には全国でも珍しい“ダイヤモンドクロス”と呼ばれる線路が直角に(十文字に)交差する地点が今もあります。しかも、伊予鉄道のダイヤモンドクロスの特徴は、専用軌道による郊外電車と、車道上に引かれた路面電車の線路が十文字に交差するところです。松山駅前の次の電停の大手町(郊外電車では大手町駅)にそれがありました。

郊外電車が優先で、郊外電車が通過する時には道路は踏切で遮断されます。なので、その道路を走る路面電車のほうは、踏切が下りている間は一旦停止。カンカンカン…という踏切の警報器の音が鳴り響く中、目の前を郊外電車がゴォゴォと音を立てて行き過ぎていくのを待つことになります。車体がバスほどの大きさで床高も低い路面電車の車内から窓越しに見ると、郊外線の電車は見上げるほどに大きく、それが目の前を通り過ぎていく光景に興奮したものでした。これで一気に路面電車が好きになってしまいました。(子供の頃は、大きくなったら路面電車の運転士になろうと、マジで考えていました。)

その後、高知県の安芸市に引っ越しました。この高知県安芸市は阪神タイガースのキャンプ地として知られ、そこで小学校高学年の時期を過ごしたことが、阪神タイガースの熱烈なファンになるきっかけでした。なにせ、関西出身でなくても、私にとっては地元のチームですから(^^)d

この高知県安芸市にも私の鉄道好きのDNAを大いに刺激してくれるものがありました。今、安芸市は第3セクターである土佐くろしお鉄道の阿佐線(後免・奈半利間)が通っていますが、当時は私鉄の土佐電鉄(トデン:東京の都電にあらず)の安芸線が通っていました。

この土佐電鉄の安芸線。比較的距離の長い郊外電車でありながら、高知市内からも路面電車が2両連結で遠路乗り入れてくるという当時の私の常識を根底から覆してくれるもので、最初にそれに乗った時には、それだけで大興奮したものです。雄大な太平洋が見渡せる海岸沿い(防潮堤のすぐ脇を走る区間もありました)を2両連結の路面電車がトコトコ行く風景、今、思い出しても素晴らしいものでした。

また、電車の前面に掲げられた行き先表示板(サボ)に書かれた『ごめん』(南国市にある後免という駅)や『いの』(伊野)という平仮名文字が何気に好ましかったです。


写真8