2015/11/24

国民の祝日の趣旨と由来

昨日11月23日(月)は『勤労感謝の日』で祝日でした。国が定めた祝日ということで、多くの国民が公然と休めるということで、単純に“おめでたい日”ではあるのですが、その日がいったいどういう日であるのかを理解していらっしゃらない人が大多数なのではないでしょうか。

この『勤労感謝の日』、勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日という趣旨で設けられた国民の祝日なのですが、古くは『新嘗祭(ニイナメサイ)』と呼ばれていました。この『新嘗祭』、その年に獲れた新米を神に献饌し、その後、神より供されたものとして天皇陛下自らがお育てになられた新米を初めて召し上がられるという農耕国家である日本国においては極めて神聖な日でした。

このように、国民の祝日の意味や由来については意外と知らないものです。現在の日本の公定休日(国民の祝日)は15日あります。その基本は太平洋戦争後の昭和23年7月20日に公布、施行された「国民の祝日に関する法律」(略して祝日法)です。昭和41年には建国記念の日、敬老の日、体育の日が追加されました。平成になると、それまでの天皇誕生日がみどりの日に、皇太子誕生日が天皇誕生日になり、平成8年には海の日が加えられ、さらには平成19年には昭和天皇のお誕生日が昭和の日とされ、みどりの日が5月4日に移動しました。こうした祝日の趣旨、由来を改めて調べてみました。


1月1日 元日……年の初めを祝う日です
日本の古来のお正月は新年を迎えるとともに、年神様や祖先の霊を迎える『霊(タマ)祭り』の行事でした。やがて仏教の普及により、祖霊を迎えるお祭りは夏のお盆や春秋のお彼岸などのほうが盛んになり、お正月は年神様や氏神・産土神のお祭りとなりました。ちなみに、元日の早朝には、天皇陛下が1年間の豊作と無病息災を祈る四方拝という祭祀を行うので、戦前は『四方節』と呼ばれていました。


1月第2月曜日 成人の日……大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日です
太陰暦の正月15日は、新年最初の満月の頃で小正月と呼ばれ、各地で豊作を願い、また悪霊を払うドンド焼きなどの行事が行われました。また武士の多くが元服の儀式をこの小正月に行っていたことから、これに倣って、新暦の1月15日を成人の日とし、年の初めに人としての豊かな成長を祈るという思いが込められて国民の祝日となりました。平成10年の祝日法の改変、いわゆるハッピーマンデー制度(月曜日を祝日として無理矢理3連休を作る制度)により、平成12年より1月第2月曜日と定められました。


2月11日 建国記念の日……我が国の建国をしのび、国を愛する心を養う日です
我が国最古の歴史書である「古事記」と「日本書紀」(併せて“記紀”と言います)による人代の最初の天皇、すなわち初代天皇である神武天皇が西暦の紀元前660年に即位なされた日です。神武天皇は九州より東征して5年目に大和に入り、その3年後の「辛酉年の春正月、庚辰の朔(ツイタチ)に、天皇、帝位(アマツヒツギ)を橿原宮に即(シロシメ)す」にいたったとされます。この日付を現在の暦に変換すると2月11日となります。西暦紀元前660年のこの時を元年とする年の数え方を神武天皇即位紀元、あるいは皇紀といいます。戦前は『紀元節』と呼ばれていました。


3月21日頃 春分の日……自然をたたえ、生物をいつくしむ日です
日本の仏教では、平安時代の頃から春秋に彼岸会(ヒガンエ)が催され、悟りの彼岸へ至るための法要が営まれました。また浄土思想の広がりとともに、彼岸の中日(チュウニチ)の夕刻、落日に向かって念仏を唱えれば、西方の極楽浄土に往生出来ると信じられました。しかし祖霊崇拝の思想は仏教にはなく、日本古来の風習が仏教に結びついたと考えられています。戦前は、『春季皇霊祭』という祭日で、宮中では現在も歴代の天皇や皇族を祀る儀式が今も行われています。明治以来宮中で行われる春と秋の『皇霊祭』は、祖先供養の風習を仏教色を除いて宮中行事化したものにほかなりません。このように、春分・秋分の日の趣旨は、日本本来の自然観に立ち返ったものと言えるでしょう。


4月29日 昭和の日……激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日です
在位64年と歴代最長となった昭和天皇のお誕生日です。戦争、敗戦、復興、繁栄と未曽有の歴史を辿った昭和の時代の記念日と言えるでしょう。新しく祝日法が制定される時、明治天皇の誕生日が文化の日として残された例に倣っています。4月29日は、もともと昭和天皇が皇位にある時は天皇誕生日でした。しかしながら、昭和天皇のご崩御に伴い、天皇誕生日は12月23日に移されました。昭和天皇のご崩御の後、昭和天皇の御誕生日を祝日にしようと「昭和記念日」等の祝日の制定を目指しましたが、野党の反対で実現しませんでした。結局、自然を愛された昭和天皇にちなんで、この日は「みどりの日」とされたのです。その「みどりの日」が平成19年の祝日法の一部改正により、めでたく「昭和の日」と呼ばれるようになりました。ちなみに「みどりの日」は5月4日に移されています。


5月3日 憲法記念日……日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日です
現行の日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布されました。これは先の大日本帝国憲法が、明治22年2月11日の紀元節の佳日に公布された先例に倣い、明治節の日が選ばれたものと言われています。そうすると憲法記念日は11月3日でもよかったのですが、当時の人々は明治節への愛着が強く、何とか明治天皇ゆかりの日を残そうとしました。そのため憲法記念日は翌22年に日本国憲法が施行されたこの日5月3日となったのです。


5月4日 みどりの日……自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心を育む日です
元々は前日、および翌日が祝日となる日は休日とすると法律で定められたので出来た休日で、「国民の休日」などと呼ばれていました。昭和60年の暮れ、上のような祝日法の追加条項が加えられました。ところが翌年、翌々年は日曜となったり振替休日となったため、実際この条項が生きて実施されたのは昭和63年の5月4日が最初となりました。そのため暦によってはこの休日が記載されていないものもありました。ちなみに祝日と日曜日が重なった場合は、翌月曜日を休日とする「振替休日制」が公布されたのは昭和48年です。平成19年に4月29日が「昭和の日」と改称されたことに伴い、従来「国民の休日」と呼ばれていたこの5月4日に「みどりの日」が上書き的に移動してきたものです。


5月5日 子供の日……子供の人格を重んじ、子供の幸福をはかるとともに、母親に感謝する日です
元来、3月3日と5月5日は、元々の上巳(3月上旬の巳の日)と端午(5月最初の午の日)が3日と5日に固定したものです。正月7日(人日)や7月7日(七夕)、9月9日(重陽)とともに、平安時代頃から五節句とされていました。5月5日は、菖蒲を飾って邪気を払ったのが、尚武や勝負につながり、勇壮な男の子の祝いとされたのです。3月3日の上巳の節句(桃の節句)が祝日でないのは男尊女卑なのではないかという批判がありますが、この5月5日は男女問わず「子供」を祝う日であるため、そのような批判はナンセンスであると私は思います。なおこの日は「母親に感謝する」日でもあります。お忘れなきように。


7月第3月曜日 海の日……海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願う日です
平成7年に制定された現在のところ一番新しい祝日です。この日は明治天皇が東北ご巡幸の後、青森から船に乗り、函館を経由して横浜港に着かれた日であると言われています。平成13年の祝日法の改変(ハッピーマンデー制度)により、平成15年より7月第3月曜日となりました。平成14年までは7月20日で固定でした。祝日となる前は、「海の記念日」という記念日でした。


8月11日 山の日……山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日です
来年2016年(平成28年)から施行される日本の国民の祝日です。「海の日がある一方、山の日がない」との声から制定されました。ただ、お盆の時期に当たるため、祝日としての意義を感じにくいのではないか…と、私は個人的に思っています。


9月第3月曜日 敬老の日……多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日です
昭和38年に「老人の日」と制定された9月15日が、昭和41年、国民の祝日となりました。来るべき高齢化社会を先取りしたものと今では評価されています。平成13年の祝日法の改変(ハッピーマンデー制度)により、平成15年より9月第3月曜日となりました。平成14年までは9月15日で固定でした。この日が祝日に定められたのは、9月中旬のこの時期は気候が良く、しかも農閑期であることが理由であると言われています。


9月23日頃 秋分の日……祖先を敬い、亡くなられた人を偲ぶ日です
太陽が天球上を北から南に移る日。戦前までは『秋季皇霊祭』と呼ばれました。宮中ではこの日、神武天皇以来の皇室の祖霊を祭る皇霊殿で皇霊祭が行われ、天地・八百万の神々をまつる神殿では神殿祭が執り行われます。多くの日本人もこの頃、祖先の墓参りをします。春の春分の日とともに、前後3日間を含む1週間を「彼岸」といいます。季節の変わり目で、よく「暑さ寒さも彼岸まで」と言われます。


10月第2月曜日 体育の日……スポーツに親しみ、健康な心身を培う日です
昭和36年制定のスポーツ振興法に、10月第2土曜日を「スポーツの日」と定めています。秋晴れの候で、昭和39年(1964年)の10月10日は東京オリンピックの開会式の日でした。2年後の昭和41年、建国記念の日、敬老の日とともに10月10日が体育の日となりました。平成10年の祝日法の改変により、平成12年より10月第2月曜日と定められました。


11月3日 文化の日……自由と平和を愛し、文化を進める日です
明治時代の『天長節』、昭和になってからは『明治節』と呼ばれていた明治天皇のお誕生日です。天長節の名称は奈良時代に初めてみられ、明治3年にそれが復活して国民の祝日になったものです。また、この日は日本国憲法が公布された日にもあたり、まさに明治と新生日本を記念する祝日です。


11月23日 勤労感謝の日……勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日です
戦前までの『新嘗祭(ニイナメサイ)』の日です。この日宮中では、その年に獲れた新米を神に献饌し、その後、神より供されたものとして天皇陛下自らがお育てになられた新米を初めてお召し上がりになられます(従って、我々庶民が新米を口に出来るのは、この新嘗祭が終わった後というのが、本来の日本の伝統でした)。新嘗祭は本来旧暦の「11月下卯の日」で、新暦では12月下旬前後の冬至に近い頃でした。ところが明治6年(1873年)、新たに採用された新暦の11月の下卯の日であった23日が、以後そのまま固定されて今日に至っています。


12月23日 天皇誕生日……今上天皇陛下の御誕生を祝う日です
昭和64年1月7日、昭和天皇が87歳でご崩御なされました。同日、皇太子明仁殿下は御年55歳で、神武天皇以来125代目の日本国天皇に即位されました。翌8日には改元が実施され、昭和に変わり「平成」の時代が始まったのです。践祚(センソ)された明仁天皇陛下は、昭和8年12月23日がお誕生日です。天皇が新しく即位されると、その初めに『大嘗祭(ダイジョウサイ・オオニエノマツリ)』が盛大に執り行われます。このお祭りは新嘗祭とよく似ていますが、そのための特別の建物が造られるなど、より神秘的なものとなっています。なお元号は、現代では日本でのみ行われ、明治からは一世一元となりました。昭和54年、元号法として確定しました。ちなみに、国際的な慣例では、このような日はその国にとって最も記念すべき「国家の日」であるとされています。アメリカの場合は、国家の日が「独立記念日」であり、イギリスにおいては「女王誕生日」がこれにあたります。天皇誕生日は戦前は『天長節』と呼ばれていました。