2016/04/22

大人の修学旅行2016 in城崎温泉(その5)

山陰本線の京都駅〜園部駅間は『嵯峨野線」の愛称が付けられていることは前述のとおりです。その愛称のとおり、京都駅を出発した列車は日本屈指の景勝地・嵯峨野嵐山の付近を通ります。京都駅を出発すると東海道本線の線路と分れて高架線に上がっていきます。左手に鉄道マニアなら一度は訪れたことのある梅小路の蒸気機関車館が見えます。列車は高架線を駆け抜けて行くのですが、眼下には古都・京都らしい街並みが広がっています。

特急「はしだて1号」の次の停車駅は京都市営地下鉄の乗り換え駅でもある二条駅。その二条駅を過ぎると左側の車窓の前方には嵐山の山々が連なりはじめます。特急は通過していくだけなのですが、太秦駅、嵯峨嵐山駅と京都らしい駅名の駅を過ぎていきます。嵯峨嵐山駅を過ぎて程なくすると、列車の前には山々が迫り、幾つものトンネルを抜けます。トンネルとトンネルの間には保津川(桂川)の溪谷が雄大な姿を覗かせます。

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嵐山の山々が途切れ、車窓に田畑と家々が連なる盆地の風景が広がるようになると丹波地方です。その丹波地方の中心都市が次の停車駅である亀岡。亀岡はあの明智光秀により築城された亀山城を中心に発展した城下町です。ふむふむ、ここから京都の本能寺に攻め入ったのですね‥‥‥。くぅ〜〜!、歴史好きにはたまりません‼︎ (>_<)

特急「はしだて1号」の車内は満席で、デッキに立っている乗客も多数いると書きました。週末の土曜日で天気もよく晴れて上々ですし、日本三景の1つ天橋立をはじめ風光明媚な丹後半島に向かう列車なので、乗客のほとんどは観光客です。たいていは3〜4人の団体なので、車内はそういう方々の“仲間の会話”が飛び交い、かなり賑やかです。私は単独行ですが『大人の修学旅行』に行っているところ。まぁ〜、修学旅行の列車の車内ってたいていはこういう感じの賑やかさ(騒がしさ)ですわね。乗客はもちろん日本人が多いのですが、私が乗ったこの自由席に限っては1/3が外国人観光客って感じです。それもほとんどが若い欧米人(男女とも白人ばかり)。短期滞在の観光客なら移動効率を考えて観光バスを利用するでしょうから、おそらく彼等は日本に長期滞在されている方々。それも海外から日本の文化を学びに来た留学生なのではないでしょうか。さすがは京都です。

英語やフランス語(おそらく)も聴こえてきますが、私の隣の団塊世代3人組(女性2名、男性1名)をはじめ、聴こえてくる日本語はすべて関西弁。私の隣の団塊世代3人組は、会話の内容からは類推する限り、滋賀県の近江八幡あたりから来られた方々なのでしょう。京言葉とも大阪弁ともちょっと違った関西弁で会話しています。しかも、関西のオバチャン共通の特徴として、声がデカイ!(笑) 欧米人も手加減なくデカイ声で喋り騒音をまき散らしますので、車内はやたらと騒がしいのです。以前から関西は「日本のラテン」だと思っていましたが、この車内はそれを再認識させていただきました。まぁ〜、福知山駅で福知山線経由でやって来る新大阪駅始発、城崎温泉駅行きの特急「こうのとり3号」に乗り換えなくてはならず、寝過ごすわけにはいかないので、この騒音もかえってちょうどいいくらいかな(笑)

で、ここで私にとってちょっとショックなことが‥‥。私は西日本の四国の生まれ育ちで、京都・大阪・神戸といった関西方面には子供の頃から憧れと親近感を覚えてきました。社会人になってからはずっと首都圏暮らしなのですが、たまに関西方面に出張すると“ホーム”に帰ってきた‥という感じがして、常に居心地の良さを感じて来ました。なので、現役中にいつかは関西方面をベースに仕事をしたいとさえ思ってきました。ところが、この特急「はしだて1号」の車内で感じたのは完全な“アウェイ”感。それも強烈なまでの“アウェイ”感でした。どこがどう変わったってわけではないのですし、厭な思いをしたってわけでもないのですが、私の中ではそう感じてしまったのです。きっと、首都圏暮らしも40年近くになって、私の中では首都圏が“ホーム”のような感覚になってきているのかもしれません。それがちょっとショックでした。これからは関西、首都圏、四国という狭い範囲で考えるのではなく、広く日本全国を見渡して、日本全国を“ホーム”と思うようにせよということなのかもしれません。この“アウェイ”感をそう前向きに受け止めたいと思いました。

亀岡駅を出て福知山駅まで車窓には、典型的な日本の田舎の風景が続きます。典型的な日本の田舎風景とは、豊かな田園風景ということです。亀岡から園部にかけての保津川(桂川)一帯は亀岡盆地、その先に分水嶺があって川の流れが変わり、次に停車する綾部から福知山にかけての由良川中流域の一帯が福知山盆地(由良盆地)です。このあたり一帯は兵庫県東部から京都府北部、滋賀県西部、福井県南西部にかけて連なる丹波山地(丹波高地)の北側に広がる断層盆地で、そこを流れる保津川(桂川)や由良川といった河川の沖積平野とその周辺を取り巻く洪積台地が広がっています。

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この京都府にある亀岡盆地と福知山盆地、さらには今では兵庫県に区分される丹波市や篠山市一帯の篠山盆地という3つの盆地を合わせた一帯のことを、昔は「丹波の国」と呼んでいました。「丹波」は今でこそ「たんば」と呼ばれていますが、平安時代中期に作られた辞書である『和名抄』では「丹波」は「たには」と読むと書かれています。「たには」は「田庭」、すなわち「平らで広い土地」という意味から来た地名だという説があるようです。その真偽のほどは分かりませんが、周囲を山で囲まれたこの3つの盆地は、そこを流れる河川の沖積平野とその周辺を取り巻く洪積台地が広がっていて、まさに平らで広い土地です。しかも沖積平野や洪積台地は基本的に肥沃な土壌の土地であることから、農業が盛んです。車窓に広がる田園風景からも、そのことが十分にわかります。広く広がる田畑の風景の中に、ところどころ小さな集落があるのですが、銀光りするような立派な屋根瓦で葺いた建物の農家が幾つもあるということは、このあたりがいかに農業で栄えたか‥‥ということを如実に物語っています。

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綾部駅に停車。この綾部駅は西舞鶴駅、東舞鶴駅方面に向かうJR舞鶴線が分岐する乗換駅です。この舞鶴線は、大日本帝国海軍の舞鶴鎮守府が置かれ、日本海側の極めて重要な軍港のあった舞鶴へ物資や人員を運ぶための鉄道として建設されました。日露戦争の開戦に間に合わせるように1904年に福知山駅〜綾部駅〜新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)間と、舞鶴港線、中舞鶴線という支線が開通という本当に歴史のある路線です。港や港湾施設に直結する支線や駅が幾つもあったことから、当時の舞鶴軍港の大きさを窺い知ることができます。かつては外地への出征者や戦後の引揚者の輸送で大都市間の幹線並みにたいそう賑わった舞鶴線ですが、現在は支線はすべて廃止され、ビジネス利用や丹後・若狭地方への観光利用が主体のローカル線となっています。ちなみに、舞鶴には現在も海上自衛隊の基地があり、日本海における海上自衛隊の最重要拠点となっています。今回も時間があれば行ってみたかったところの1つでした。

綾部駅を出ると、次の停車駅は福知山駅です。私の乗った特急「はしだて1号」は天橋立行きで、福知山駅で山陰本線から分かれて京都丹後鉄道(北近畿タンゴ鉄道)宮福線に入り、日本三景の1つ天橋立まで行くのですが、私は福知山駅で福知山線経由でやって来る新大阪駅発城崎温泉駅行きの特急「こうのとり3号」に乗り換えます。本日4回目の乗り換えです。特急「こうのとり3号」には大阪駅からココさんが乗ってきます。ココさんからは9時11分に「今こうのとり3号は大阪駅に停車しています」というメールが届いているので、福知山駅でココさんと合流できそうです。


……(その6)に続きます。