2016/05/13
大人の修学旅行2016 in城崎温泉(その10)
私達5人を乗せた豊岡行き普通列車は、15時28分、本日の最終目的地、城崎温泉駅に到着しました。結局のところ、私はこの日、約8時間弱、列車で移動したことになります。このところ不足気味だった“鉄分”もスッカリ補給できました。
駅名ともなっている城崎温泉は1300年以上の歴史を持ち、平安時代から広く知られている温泉で、江戸時代には「海内第一泉(日本一の温泉)」と呼ばれたほどの名湯です。江戸時代に作られた温泉番付では西の関脇(最高位は大関)にランキングされていました(西の大関は有馬温泉)。幕末には新撰組に追われた桂小五郎(後の木戸孝允)が逃げ込んだことでも知られています。明治以降も多くの文人や墨客に愛され、志賀直哉先生や有島武郎先生といった文豪が滞在しています。特に志賀直哉先生は、「城の崎にて」というそのものズバリの題名の小説を書いていたりします。
こういう有名な温泉地の玄関駅ですので、城崎温泉駅には駅前に日本最大の駅舎温泉「さとの湯」という温泉があったり、無料で利用できる足湯、飲泉場などがあったりと、列車の待ち時間をゆったりと過ごすことができるようになっています。また、城崎温泉と言えば蟹(カニ)。城崎温泉の近郊には、津居山漁港をはじめ、柴山漁港や香住漁港など豊富な「松葉ガニ」の水揚げを誇る良港が、たくさんあります。蟹料理の本場らしく駅構内の至る所に蟹のポスターが貼られ、駅前にも蟹の爪や脚をかたどったモニュメントが置かれています。
温泉(外湯)や旅館といった城崎温泉の温泉街は主として円山川の支流である大谿川(おおたにがわ)の両岸にあり、城崎温泉駅からその大谿川沿いの温泉街までの約300メートルほどの道路も、両側に土産物屋や飲食店が立ち並ぶ温泉街になっています。城崎温泉では浴衣を着て下駄を履くのが正装と言われていて、温泉街にはそういう浴衣に丹前姿の観光客が大勢歩いています。大多数の方がそういう格好なので、いくらカジュアルな服装であっても洋服姿のほうがこの温泉街の雰囲気の中では浮いてしまうような感じです。若い女性のグループの揃いの浴衣姿は街の風景に華やかさを添えています(*^_^*)
欧米人の観光客も大勢訪れていますが、彼らももちろんここでは浴衣姿です。着慣れていないせいか、はたまた日本人との体形の違いか、見た目の違和感はどうしようもありませんが、本人たちは日本の伝統文化に身を包みことができていることでメチャメチャ嬉しそうです。ただ、欧米人ならテンションが上がって「ワァオー!」って大はしゃぎしそうなところなのですが、この姿ではそういうわけにもいかず、嬉しさを発散しきれずにただただ内に込めているって感じです。なので、控え目な中にも顔の表情に嬉しさが溢れているって感じで、皆さんとってもいいお顔をされています。この姿が馴染んでくると、彼らの性格までもが幾分日本人化しちゃうのかもしれません。なるほど、これが文化の重みってことなんですね。妙に納得しちゃいました(^∇^)
私達の城崎温泉でのお泊まりは大谿川沿いの温泉街の中ほどにある『山本屋』という日本旅館です。お土産物屋さんが立ち並ぶ城崎温泉駅から続く商店街を雰囲気を楽しみながら山本屋に向かってゆっくりと歩いていっていると、向こうから私達に手を振りながら小走りで向かって来る1人の浴衣に丹前姿の女性の姿があります。オネエです。オネエは私達5人を迷ってはいけないと出迎えに来てくれたのでした。さっき、ウスキが携帯電話で話していた相手はオネエだったのですね。駅に着いたのたら電話を入れるってことになっていたようです。おいおいおいおい、オネエ、そんなに急がなくてもいいよ。浴衣の裾が乱れて、白いおみ脚が見えてるじゃん(笑)(^O^)
1年2ヶ月ぶりに逢うなりオネエは怒りの一言。「あいつらには頭に来た。餘部組がこの時間に駅に到着するのはわかっている筈なのに、どっかに出掛けてしまってる!」( *`ω´) どうも男性幹事が2人ともどこかに出掛けてしまっているようです。さらに怒りの矛先はなんとウスキにも。「内湯に入ろうと浴衣に着替えていた時に電話を貰ったんだけど、電話を貰った時はほとんどスッ○ン○ンで、急いで浴衣に着替えて迎えにやって来たんだからね!」(*`へ´*)
わぁ〜い!、オネエです。オネエがオネエと呼ばれている所以(ゆえん)がここにあります。高校時代とまったく変わっていません。このオネエがあってこその私達のクラスです。
キタァ〜〜〜〜〜‼ (((o(*゚▽゚*)o)))って感じ。このオネエがいないと私達の『大人の修学旅行』は始まりません。思わぬところで“地雷”を踏んで叱られてしまったウスキも、私と同様に思っているのか、とても嬉しそうに笑っています(笑) これから2日間で私は何度オネエの“地雷”を踏むことになるのでしょうね。と言うか、炸裂しなきゃあ、自分からから踏みにいくだけのことです。自爆ってやつです(笑)
昨年の『大人の修学旅行』に関しても、『大人の修学旅行2015in土佐の一本釣り』と称してこの「おちゃめ日記」の場で書かせていただきました。その中の(その○)で“オネエと下僕(しもべ)達”のことを書かせていただきました。この『大人の修学旅行』では、年に1回、その高校時代の再現をするのが、秘かな楽しみの1つになっていますo(^▽^)o
(“オネエの下僕(しもべ)達”に関しては、『大人の修学旅行2015 in 土佐の一本釣り(その6)』をご覧ください)
1年2ヶ月ぶりに逢うオネエと「久し振り」のハイタッチ (=´∀`)人(´∀`=)
ふと見ると、オネエのもう一方の手には見慣れない小さな旗が握られていました。おぉっ!!そ、それは‥‥‼︎ (o_o)。観光バスのバスガイドさんや旅行ツアーの添乗員さんが代名詞のようにして持っている小さな旗ではないですか。しかも、遠くからでも目立つオレンジ色の旗には『大人の修学旅行 丸高トラベル』の文字が書かれています。訊くと、オネエが知り合いの印刷屋さんに頼んで作って貰ったんだとか。素晴らしい‼︎ さすがはオネエ! 私達の『大人の修学旅行』も今回が7回目ですので、だんだん本格的なものになってきました。これで団体行動が苦手な連中が揃っているこの『大人の修学旅行』も、少しはまとまるかな。迷子撲滅!‥‥なぁ〜んちゃってね(笑)( ^ ^ )/■
と、そこへさきほど巨大な“地雷”を踏んでしまった男性幹事2人(本人達は踏んでしまったことにまだ気づいていない)から写真付きのメールが届きました。彼等は私達より先に到着していた関東在住組の3人と一緒に日本海の景色を見るため、城崎温泉の温泉街のすぐそばにある大師山に登っていたようです。山頂で撮影した写真が送られてきました。初めて城崎温泉を訪れた関東在住者3名様を大師山山頂にご案内‥‥ちゃんと幹事の仕事をしてるじゃん(^∇^) まっ、よくある“横の連絡ミス”ってヤツですね(笑)
大師山には温泉街と大師山山頂を結ぶ城崎ロープウェイがあるのですが、後で聞いたところ、彼等はオネエから「元陸上部が2人もいるのだから、あんなひっくい山、歩いて登るんで十分」と言われたので、その言葉に従って歩いて登ったのだとか。それが意外と急峻で距離もあり、当初の予想以上に時間がかかったのだそうです。しかも大師山山中では某社の携帯電話の電波が届きにくいところがあったうえに、他の人のスマホも城崎温泉駅までの道中の100通近いメールのやり取りにより電池が切れて旅館で充電中が続出。どうも先着の男性陣5人のしばらくの“行方不明”の原因には、オネエや私達も無関係ではなかったようです(笑) 下山した彼等とオネエはその件で山本屋の玄関ロビーでしばらくやりあっていましたが、そのやり取りが掛け合い漫才のようで、羨ましく思えるくらいメチャメチャ楽しそうでした(゚O゚)\(- -;
……(その11)に続きます。
駅名ともなっている城崎温泉は1300年以上の歴史を持ち、平安時代から広く知られている温泉で、江戸時代には「海内第一泉(日本一の温泉)」と呼ばれたほどの名湯です。江戸時代に作られた温泉番付では西の関脇(最高位は大関)にランキングされていました(西の大関は有馬温泉)。幕末には新撰組に追われた桂小五郎(後の木戸孝允)が逃げ込んだことでも知られています。明治以降も多くの文人や墨客に愛され、志賀直哉先生や有島武郎先生といった文豪が滞在しています。特に志賀直哉先生は、「城の崎にて」というそのものズバリの題名の小説を書いていたりします。
こういう有名な温泉地の玄関駅ですので、城崎温泉駅には駅前に日本最大の駅舎温泉「さとの湯」という温泉があったり、無料で利用できる足湯、飲泉場などがあったりと、列車の待ち時間をゆったりと過ごすことができるようになっています。また、城崎温泉と言えば蟹(カニ)。城崎温泉の近郊には、津居山漁港をはじめ、柴山漁港や香住漁港など豊富な「松葉ガニ」の水揚げを誇る良港が、たくさんあります。蟹料理の本場らしく駅構内の至る所に蟹のポスターが貼られ、駅前にも蟹の爪や脚をかたどったモニュメントが置かれています。
温泉(外湯)や旅館といった城崎温泉の温泉街は主として円山川の支流である大谿川(おおたにがわ)の両岸にあり、城崎温泉駅からその大谿川沿いの温泉街までの約300メートルほどの道路も、両側に土産物屋や飲食店が立ち並ぶ温泉街になっています。城崎温泉では浴衣を着て下駄を履くのが正装と言われていて、温泉街にはそういう浴衣に丹前姿の観光客が大勢歩いています。大多数の方がそういう格好なので、いくらカジュアルな服装であっても洋服姿のほうがこの温泉街の雰囲気の中では浮いてしまうような感じです。若い女性のグループの揃いの浴衣姿は街の風景に華やかさを添えています(*^_^*)
欧米人の観光客も大勢訪れていますが、彼らももちろんここでは浴衣姿です。着慣れていないせいか、はたまた日本人との体形の違いか、見た目の違和感はどうしようもありませんが、本人たちは日本の伝統文化に身を包みことができていることでメチャメチャ嬉しそうです。ただ、欧米人ならテンションが上がって「ワァオー!」って大はしゃぎしそうなところなのですが、この姿ではそういうわけにもいかず、嬉しさを発散しきれずにただただ内に込めているって感じです。なので、控え目な中にも顔の表情に嬉しさが溢れているって感じで、皆さんとってもいいお顔をされています。この姿が馴染んでくると、彼らの性格までもが幾分日本人化しちゃうのかもしれません。なるほど、これが文化の重みってことなんですね。妙に納得しちゃいました(^∇^)
私達の城崎温泉でのお泊まりは大谿川沿いの温泉街の中ほどにある『山本屋』という日本旅館です。お土産物屋さんが立ち並ぶ城崎温泉駅から続く商店街を雰囲気を楽しみながら山本屋に向かってゆっくりと歩いていっていると、向こうから私達に手を振りながら小走りで向かって来る1人の浴衣に丹前姿の女性の姿があります。オネエです。オネエは私達5人を迷ってはいけないと出迎えに来てくれたのでした。さっき、ウスキが携帯電話で話していた相手はオネエだったのですね。駅に着いたのたら電話を入れるってことになっていたようです。おいおいおいおい、オネエ、そんなに急がなくてもいいよ。浴衣の裾が乱れて、白いおみ脚が見えてるじゃん(笑)(^O^)
1年2ヶ月ぶりに逢うなりオネエは怒りの一言。「あいつらには頭に来た。餘部組がこの時間に駅に到着するのはわかっている筈なのに、どっかに出掛けてしまってる!」( *`ω´) どうも男性幹事が2人ともどこかに出掛けてしまっているようです。さらに怒りの矛先はなんとウスキにも。「内湯に入ろうと浴衣に着替えていた時に電話を貰ったんだけど、電話を貰った時はほとんどスッ○ン○ンで、急いで浴衣に着替えて迎えにやって来たんだからね!」(*`へ´*)
わぁ〜い!、オネエです。オネエがオネエと呼ばれている所以(ゆえん)がここにあります。高校時代とまったく変わっていません。このオネエがあってこその私達のクラスです。
キタァ〜〜〜〜〜‼ (((o(*゚▽゚*)o)))って感じ。このオネエがいないと私達の『大人の修学旅行』は始まりません。思わぬところで“地雷”を踏んで叱られてしまったウスキも、私と同様に思っているのか、とても嬉しそうに笑っています(笑) これから2日間で私は何度オネエの“地雷”を踏むことになるのでしょうね。と言うか、炸裂しなきゃあ、自分からから踏みにいくだけのことです。自爆ってやつです(笑)
昨年の『大人の修学旅行』に関しても、『大人の修学旅行2015in土佐の一本釣り』と称してこの「おちゃめ日記」の場で書かせていただきました。その中の(その○)で“オネエと下僕(しもべ)達”のことを書かせていただきました。この『大人の修学旅行』では、年に1回、その高校時代の再現をするのが、秘かな楽しみの1つになっていますo(^▽^)o
(“オネエの下僕(しもべ)達”に関しては、『大人の修学旅行2015 in 土佐の一本釣り(その6)』をご覧ください)
1年2ヶ月ぶりに逢うオネエと「久し振り」のハイタッチ (=´∀`)人(´∀`=)
ふと見ると、オネエのもう一方の手には見慣れない小さな旗が握られていました。おぉっ!!そ、それは‥‥‼︎ (o_o)。観光バスのバスガイドさんや旅行ツアーの添乗員さんが代名詞のようにして持っている小さな旗ではないですか。しかも、遠くからでも目立つオレンジ色の旗には『大人の修学旅行 丸高トラベル』の文字が書かれています。訊くと、オネエが知り合いの印刷屋さんに頼んで作って貰ったんだとか。素晴らしい‼︎ さすがはオネエ! 私達の『大人の修学旅行』も今回が7回目ですので、だんだん本格的なものになってきました。これで団体行動が苦手な連中が揃っているこの『大人の修学旅行』も、少しはまとまるかな。迷子撲滅!‥‥なぁ〜んちゃってね(笑)( ^ ^ )/■
と、そこへさきほど巨大な“地雷”を踏んでしまった男性幹事2人(本人達は踏んでしまったことにまだ気づいていない)から写真付きのメールが届きました。彼等は私達より先に到着していた関東在住組の3人と一緒に日本海の景色を見るため、城崎温泉の温泉街のすぐそばにある大師山に登っていたようです。山頂で撮影した写真が送られてきました。初めて城崎温泉を訪れた関東在住者3名様を大師山山頂にご案内‥‥ちゃんと幹事の仕事をしてるじゃん(^∇^) まっ、よくある“横の連絡ミス”ってヤツですね(笑)
大師山には温泉街と大師山山頂を結ぶ城崎ロープウェイがあるのですが、後で聞いたところ、彼等はオネエから「元陸上部が2人もいるのだから、あんなひっくい山、歩いて登るんで十分」と言われたので、その言葉に従って歩いて登ったのだとか。それが意外と急峻で距離もあり、当初の予想以上に時間がかかったのだそうです。しかも大師山山中では某社の携帯電話の電波が届きにくいところがあったうえに、他の人のスマホも城崎温泉駅までの道中の100通近いメールのやり取りにより電池が切れて旅館で充電中が続出。どうも先着の男性陣5人のしばらくの“行方不明”の原因には、オネエや私達も無関係ではなかったようです(笑) 下山した彼等とオネエはその件で山本屋の玄関ロビーでしばらくやりあっていましたが、そのやり取りが掛け合い漫才のようで、羨ましく思えるくらいメチャメチャ楽しそうでした(゚O゚)\(- -;
……(その11)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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