2016/08/01
中山道六十九次・街道歩き【第3回: 蕨→大宮】(その6)
さいたま市には嬉しいことにJ1に所属するプロサッカーチームが2つあります。熱狂的なサポーターが多いことで知られる浦和レッドダイヤモンズと、今シーズンJ2から再昇格してきた大宮アルディージャの2チームです。今シーズンは今のところこの両チームとも上位にいて、さいたま市内は大いに盛り上がっているところです。浦和レッドダイヤモンズと大宮アルディージャの両チームとも本拠地(ホーム)のスタジアムは旧中山道の東側に位置します。
現在、浦和レッドダイヤモンズはさいたま市緑区にある日本最大の収容人員を誇る「埼玉スタジアム2002」をホームスタジアムにしていますが、その埼玉スタジアム2002が完成するまでは浦和区駒場にある「浦和駒場スタジアム」をホームスタジアムにしていました(現在も浦和レッドダイヤモンズは浦和駒場スタジアムを準本拠地としていますが、開催試合はほとんどありません。しかし、サポーターの間では、今も依然として浦和駒場スタジアムは“聖地”と称されています)。この駒場スタジアムは旧中山道がJRの線路群を渡る浦和橋のところから東側に少し入ったところにあります。駒場という地名から想像するに、中山道での輸送に使う馬の大規模な放牧地があったところなのかもしれません。また、大宮アルディージャのホームスタジアムであるNACK5スタジアム(大宮公園サッカー場)は大宮氷川神社の裏手、広い大宮氷川神社の旧境内を緑地公園にした大宮公園内にあります。
そういうこともあり、この旧中山道の沿道にはこれら両チームの旗が延々と飾られています。浦和レッドダイヤモンズの赤い旗が終わり、大宮アルディージャのオレンジ色の旗に変わったところが浦和区と大宮区の境です。メチャメチャ分かりやすいです。
ちなみに、浦和と大宮に挟まれた私が住むさいたま市中央区(旧与野市)は元々から浦和と大宮という両勢力がぶつかり合う非武装緩衝地帯のようなところなので、商店街も通りごとに浦和レッドダイヤモンズの赤い旗が飾られている通りと、大宮アルディージャのオレンジ色の旗が飾られている通りがあるという具合に二分されています。で、私はどうかというと、大宮アルディージャの前身がNTT関東サッカー部だったこともあり、どちらかと言うと大宮アルディージャを応援しています。あくまでもどちらかと言うと‥‥ですけどね(笑)。もちろん、現在5部に相当する四国リーグに属するFC今治がJ1に昇格してきた時には、間違いなくFC今治を熱烈応援するつもりでいます。早くその日が来るといいですね。
旧中山道に話を戻します。「半里塚の欅」があった与野東口交差点を過ぎると、さいたま新都心の近代的な高層ビル群が目の前にドォ~~ン!と飛び込んできます。私がさいたま市(旧与野市)に住んで28年、このさいたま新都心の高層ビル群が建ったおかげで、このあたりの風景は一変してしまいました。旧中山道も近代的に整備され、ケヤキ並木が続きます。新緑の候ですので、そのケヤキ並木が綺麗です。ちなみに、ケヤキ(欅)はニレ科の落葉樹で、春に新しい葉とともに薄い黄緑色の小さな花を開きます。埼玉県内に古くから自生し、県内各地に県の天然記念物に指定されたケヤキの木があります。そういうことから、ケヤキは埼玉県の“県の木”、さいたま市の“市の木”に指定されています。さいたま市周辺にはケヤキ並木の通りが多く、特にJR北浦和駅から西方向に続く前述の埼大通り(国道463号線)はケヤキが2,400本ほど植えられ、「日本一長いけやき並木」として親しまれています。
三菱マテリアルの工場前を通り過ぎると右手に大型商業施設のコクーンシティ(COCOON CITY)、左手にJRさいたま新都心駅があり、下を首都高速道路埼玉新都心線が通っているのですが、昔、このあたりに高台橋という橋がありました。この高台橋も見沼代用水の水路に架けられた橋です。今も残るこの高台橋を見るのに一番適した場所がJRさいたま新都心駅のホームの1箇所からです(下の写真で見えているところ)。この地点からは見沼代用水の水路に架かる明治時代に作られたレンガ造りの高台橋を横から見ることができます(横から撮影した写真でも、かろうじてレンガが確認できると思います)。
この高台橋の下を流れている川は鴻沼(高沼)用水。(その1)で話題にした見沼代用水の水路の1つです。説明板にも「8代将軍・徳川吉宗が享保13年(1728年)に見沼代用水西縁を掘削した降りに掘られ、当地の西側(さいたま新都心建設用地や与野市方面)に広がっている低地への灌漑用水にあてられました」という記述があります。そう言えば、我が家のすぐ近く、JR埼京線の与野本町駅付近をJRの高架沿いに流れている川の名称が「鴻沼川」。もしかすると、この鴻沼川は鴻沼用水のことかもしれません。この鴻沼川の下流、JR埼京線の中浦和駅付近(別所沼公園付近)には「西堀高沼公園」という名称の公園があります。高沼用水の“高沼”と関係しているのかもしれません。さいたま市の地図をご覧になるとお分かりいただけると思いますが、このあたりは細い水路が網の目のように流れています。橋を渡るたびにこの川はいったいどこから流れてきているのだろう‥‥と不思議に思っていたのですが、これが見沼代用水、すなわち人工の川で、遠く行田市付近の利根川から取水した水が流れてきているのですね。 それと大宮台地からの湧き水もあると思います。(その1)でも書きましたが、このあたりの地理を理解するには、大宮台地と見沼代用水ってことですね。
この高台橋の跡に「火の玉不動とお女郎地蔵」が収められた小さな祠があります。“火の玉不動”、“お女郎地蔵”…なにやらいわくありげな名前なので、祠の中に書かれていた伝説を写し取りました。それを要約すると…、
【お女郎地蔵伝説】
江戸時代、大宮宿に柳屋という旅籠があり、千鳥と都鳥という姉妹が旅人の相手をしていました。美しい姉妹は街道筋の評判でしたが、宿の材木屋の若旦那と千鳥が恋仲となり、末は夫婦にと堅い約束を交わします。そこに割って入ったのが悪名高い神道徳次郎という大盗賊。何が何でも千鳥を身請けすると迫り、ついに宿に火をつけると凄む始末。 これを知った千鳥は思い余ってここの場所にあった高台橋から身を投げてしまいました。それを哀れに思った近くの人がこの女郎地蔵を建立したのだそうです。ちなみに、この「お女郎地蔵伝説」に登場する大盗賊・神道徳次郎は、寛政元年(1789年)、高台橋の傍らにあった処刑場の露と消えたと伝えられています。
【火の玉不動伝説】
その頃、高台橋の付近で火の玉が見られ、人々は高台橋から身投げした遊女千鳥の霊魂だとか、傍らの不動明王の石像の悪戯だとも噂しあいました。 ある夜、一人の男が松の陰に潜んでいると、谷間から火の玉が出てきました。男がその火の玉に切りつけると「ギャー」と言う声がしてそこには物凄い形相の男が。 その男は 「俺は不動明王だ。お前に剣を切り落とされた」 と言って消えてしまいました。 この話を聞いた村人が翌日現場を見にいくと、そこにある怖い顔をした不動明王の石像は剣を持っていなかったのだとか。以来、この不動明王の石像のことを「火の玉不動」と呼んでいるのだそうです。
前述の大盗賊・神道徳次郎が処刑されたという処刑場の跡地は、今は大型商業施設のコクーンシティ(COCOON CITY)になっています。このコクーンシティがある場所は片倉工業大宮製作所の跡地で、数年前まで大宮カタクラパークと呼ばれ、イトーヨーカ堂大宮店と専門店、飲食店、ホームセンター、ゴルフ練習場、住宅展示場等が開業していましたが、さいたま新都心の再開発計画による土地区画整理事業により近代的な大型商業施設(ショッピングモール)に生まれ変わりました。コクーンシティ(COCOON CITY)のコクーン(COCOON))とは英語で「繭(まゆ)」という意味の単語ですが、これは、片倉工業が製糸業として創業したことにちなんでいます。
東京都中央区に本社のある東証1部上場の片倉工業株式会社は、明治期から大正期にかけての日本の主力輸出品であった絹糸の製造を行い、片倉財閥を構築した老舗企業です。この片倉工業がかつて操業していた群馬県の富岡工場が、最近、日本の工業近代化の貴重な遺産としてUNESCOの世界文化遺産に登録されたことで話題となった「旧官営富岡製糸場」です(2005年、富岡工場の建物等を地元の富岡市に寄贈)。片倉工業は1994年に伝統事業である蚕糸事業から撤退し、その後は不動産資産を活かしたショッピングセンター運営・不動産賃貸事業・小売事業の他、第二次世界大戦後に進出した自動車用部品製造、繊維製品の販売などを行っています。
この片倉工業が旧官営富岡製糸場の経営権を取得したのが昭和14年(1939年)のことで、それ以来、富岡市に寄贈するまでの66年間、同社は蚕糸事業から撤退した後も、「売らない」「貸さない」「壊さない」の三原則でこの旧官営富岡製糸場の施設をずっと守ってきました。このことが富岡製糸場の世界遺産登録に繋がったと言われています。ふむふむ、素晴らしい!!ちなみに、コクーンシティ(COCOON CITY)は今も片倉工業が管理運営を行っています。
JRさいたま新都心駅に登るエスカレーター横の広場では、アイドルの卵達がミニライブを行っていました。このJRさいたま新都心駅の西口にはアイドルの卵達憧れの「さいたまスーパーアリーナ」があります。旧中山道も現代風に生まれ変わっています。そうそう、さいたま市中央区には先日お亡くなりになった演出家の蜷川幸雄さんが本拠劇場とした「彩の国さいたま芸術劇場」があります。最近はサッカーだけでなく、文化面でも注目を集めるようになった埼玉県さいたま市です。
……(その7)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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