2016/11/18
IBM World of Watson 2016(番外編)
ラスベガス(Las Vegas)は、アメリカ合衆国西部に位置するネバダ州の南部にある同州最大の都市で、山に囲まれたネバダ砂漠の中の盆地に市街地が広がっています(ネバダ州の州都はカーソンシティー)。現在、ラスベガスへは日本からの直行便はなく、私達もエアカナダ便を利用して、成田国際空港からいったんカナダのバンクーバーに行き、そこでラスベガス行きに乗り換えてラスベガス入りしました。ラスベガスのマッカラン国際空港に着陸するため高度を降ろしていった時に、『荒野の七人』に代表されるような西部劇の映画に出てきそうな赤茶けた荒涼としたネバダ砂漠の様子が見て取れました。
ラスベガスは標高600メートルほどの高地にあって、ケッペンの気候区分では砂漠気候に属します。そのため、夏は暑く、日中の気温は40℃を超える日もあるのですが、湿度10%以下と非常に乾燥しているのでそれほど不快ではないそうです。一方、冬は冷え込みが強く、気温が氷点下を記録する日もあるのだそうです。私達が訪れたのは10月の下旬だったのですが、晴れると日中の気温は30℃近くまで上がり、半袖シャツで十分なくらいです。陽射しがキツくて、サングラスが必要なくらいでした。しかし、夜になると一転。気温は10℃近くまで下がり、上着を着ないと寒く感じられるほどで、さすがに砂漠の気候です。「固体は熱しやすく、冷めやすい」を実感します。
ラスベガスはアメリカ東海岸のニュージャージー州アトランティックシティと並んで、カジノなどのギャンブル、そしてショービジネスで有名な町です。また、ラスベガスを含むネバダ州は法人税や個人所得税等がない上に、他の税金も非常に税率が低いため、シティグループをはじめ大企業が進出していることでも知られています。
ラスベガスがギャンブルやショービジネスで有名になった背景には、この町が形成された歴史があります。
ラスベガスは1820年代後半、ソルトレイクシティからカリフォルニアを目指すモルモン教徒によって発見されたとされています。ネバダ砂漠の中にあってこの付近は窪んだ地形となっており、水も豊富なオアシスのようなところとなっています。vega とはスペイン語で「牧草地」を意味する女性名詞で、vegas はその複数形。これに女性定冠詞を付けて las vegas となり、それが地名となりました。
1840年代末に現在のカリフォルニア州で金鉱脈が発見され、いわゆる“ゴールドラッシュ”が起こると、カリフォルニアに向かう砂漠の中の貴重な中継地点として、この地に定住する者が現れるようになりました。1905年、ユニオン・パシフィック鉄道の開通に伴って、水の便の良いラスベガスは蒸気機関車の給水地となり、現在のダウンタウンに駅が建設されました。
金鉱ブームも去った頃の1929年に株式の大暴落に端を発した大恐慌が起り、さしたる産業のないネバダ州はたちまち困窮状態に陥り、税収確保のため1931年に賭博(ギャンブル)を合法化しました。これがギャンブルタウン・ラスベガスの起こりです。
1931年に町の南東約50km、アリゾナ州との州境の地点にフーバーダムの建設が着工され、フランクリン・ルーズベルト大統領が行ったニューディール政策の時代の1936年に完成しました。このフーバーダムの建設においては労働者の流入と安価な電力の供給で、街は大きく発展しました。1940年代に入るとダムから得られる豊富な電力を利用して、第二次世界大戦中にはネバダ砂漠に軍事基地や核実験場が続々と建設され、その関係者が大量に町に住むようになりました。
第二次世界大戦終結後の1946年に、ベンジャミン・シーゲルがフラミンゴホテルを建設し、カジノが収益を上げることがわかると、マフィア達が競って続々とホテルを建設するようになり、それらのホテルは同時に集客のためにフランク・シナトラやサミー・デイヴィスJr.などのショーを定期的に行うようになりました。これがラスベガスがショービジネスで有名になる起こりです。
しかし1960年代後半頃から当局の取締りが厳しくなるにつれ、マフィアは次々とホテルの経営権を手放すようになり、合法的な不動産会社やホテルチェーン、ハワード・ヒューズのような大富豪などがこれらのホテルやカジノの経営権を引き継いでいきました。
その後も、資金融資などの形で限定的なマフィアの介入はあったようなのですが、カジノの開設や運営の権利を定める一連の州法等の厳格化に伴いその影響力は漸減し、1990年代にはほぼ払拭されて健全な町に変貌を遂げたと言われています。また、それに伴って投機ブームが起り、より広い土地が必要となったこともあって市街は南方に大きく拡張しました。
そして、1980年代の末頃から巨大テーマホテルブームが起こり、現在に至っています。また、この頃より各ホテルの広大な敷地を使ってのコンベンションなどが多数開かれるようになりました。なお、客室数ベースで世界の12大ホテルのうちの11軒がラスベガスに存在しているそうです。巨大ホテルが多い理由の一つとして、一定規模以上のカジノの建設は、客室数200室以上のホテルの付帯施設としてしか認可されないことが挙げられるそうです。
今回、IBMが『IBM World of Watson 2016』をラスベガスで開催したのも、このあたりが関係していそうです。主催者発表によると、『IBM World of Watson 2016』には全世界102カ国から約17,000人の方々が参加したのだそうです。開催にあたってはスタッフを含め約2万人分の宿泊施設が必要ですし、そんなところ、アメリカ広しと言えどもラスベガス以外に考えられませんから。前述のようにラスベガスのホテルの規模は想像を絶するほど大きく、今回の『IBM World of Watson 2016』のような大規模なコンベンションを行なうにも十分な広さがあります。『IBM World of Watson 2016』はMandalay Bay HotelとT-Mobile arenaの2箇所の会場で行われたのですが、どちらも2万人を収容してもまだまだ余裕があるほどの規模の施設でした。
ラスベガスのマッカラン国際空港です。定住人口が約50万人の都市(私の故郷の愛媛県松山市と同規模)のわりには立派すぎるくらいに立派な空港です。ギャンブルやショーの鑑賞のためにこの砂漠のど真ん中にある町に全米各地から多くの人を呼び込むため、このマッカラン国際空港からは全米各地の都市に定期便が設定され、次から次に24時間ひっきりなしに飛行機の発着が見られます。空港は市内中心部に接近してあるため、非常に便利です。さすがにギャンブルタウン・ラスベガスにある空港です。空港のターミナルビル内にもカジノが設置されています。
「ラスベガスに行ってカジノに行かないのは、ハワイに行ってビーチに行かないようなものだ」……と弊社の小川常務の奥様がおっしゃったということで、私も還暦を過ぎて生まれて初めてのカジノを経験してきました! 先ほど、カジノは客室数200室以上のホテルの付帯施設としてしか認可されないということを書きましたが、私達が宿泊したMGM Hotel(宿泊したのは正確にはThe Signature at MGMという別館のTower3ですが… )にも立派なカジノが併設されておりました。そこでスロットをやったのですが、瞬く間に20US$の負け。私はもともと博才がないことを知っていますので、ほどほどで止めておくことにしました。博打は実際のビジネスで十分にやらせていただいておりますから、それで十分です。こちらはほんの少し勝ち越しかな( ´ ▽ ` )
今回の出張は4泊6日(機中泊1)だったのですが、ラスベガスに着いた初日の夜は前述のようにカジノで負けて、現在、米国ワシントンD.C.にある国際戦略研究所に出向している前の会社の後輩が、わざわざ私の通訳を名乗り出てくれてラスベガスにまで訪ねて来てくれたので、2日目の夜はその後輩とホテルのバーで飲み(ワシントンD.C.のSさん、本当にありがとうございました)、ラスベガスと言えばカジノと並んで有名なショービジネスの町なので、3日目と4日目の夜はそのショーを楽しませていただきました。
3日目の夜にはベンジャミン・シーゲルが建設して現在のラスベガスのビジネスモデルのハシリとなったフラミンゴホテルにある小劇場でちょっとアダルトかつコメディーな雰囲気の大人のショーを鑑賞し(誤解のないように、場内に若いカップルや息子を伴ったお父さんが観に来ているようなショーでしたから)、そして滞在最終日の4日目の夜、鑑賞したのは日本でも有名なシルク・ド・ソレイユのショー。私達が宿泊したMGMホテルは主に映画やテレビ番組の製作・供給を行うアメリカの巨大マスメディア企業であるMGM(Metro-Goldwyn-Mayer Inc.)の関連ホテルなので、カジノ以上にショービジネスのほうに力を入れているようで、ホテル内には幾つもの劇場があります。中でも、シルク・ド・ソレイユの巨大な常設劇場があり、ちょうど『KA』というショーをロングランで上映中だったので、それを鑑賞してきました。
いやぁ〜、本場の常設劇場で観るシルク・ド・ソレイユの迫力は素晴らしいを遥かに通り越して、凄い!!の一言でした。メチャメチャ運動神経のいい人が鍛錬に鍛錬を重ねた上で行なっているのでしょうが、キャストの皆さん方の動きはとても人間業とは思えません。常設劇場らしく仕掛けもとてもここが屋内の劇場であるとは思えないくらいの大仕掛けなもので、仕事とは言え、はるばるラスベガスまでやって来たことのいい記念になりました。とにかく感激しました。
前述のようにラスベガスの町の歴史は100年にも満たないことから、町の中に古い歴史を感じさせるようなものはいっさいありません。目につくのは超巨大なホテルの建物ばかりです。
歴史が浅いぶん、近代アートのモニュメントは街のあちこちに何気にあります。写真はT-Mobile arenaの正面の公園にあるベンチに座る人物像で、なんとLEGOの小さなブロックで作られています。
【追記】
11月8日に投票が行われた米国大統領選挙。最後まで予断を許さない大接戦の結果は共和党のドナルド・トランプ候補が勝利して、アメリカ合衆国の第45代の大統領に就任するのですが、その約10日前だというのに選挙戦の盛り上がりは、日本で報道されているほどでもなく、イマイチだったように思います。テレビのニュース番組でもさほど大騒ぎしているようには思えませんでした。ニューヨークやワシントンD.C.、サンフランシスコといった大都市ではなく、観光地であるラスベガスに滞在したからかもしれませんが……。
私は初の有色人種の大統領である現バラク・オバマ大統領が誕生した前々回の大統領選挙(2008年)の2週間ほど前にも出張でサンフランシスコに来ていたのですが、その時の盛り上がりに比べれば、まるで静かなものです。8年前は街中で見掛けた支持する候補者や政党名が書かれたTシャツも帰国時にラスベガス・マッカラン国際空港の売店で売っていたのを見掛けたくらいで、着ている人の姿は1人も見掛けませんでした。
そのTシャツを売っている売店の前でパチリ!誤解がないように言っておきますが、私はヒラリー・クリントン候補の支持者でも、民主党の支持者でもありません。ドナルド・トランプ候補のほうには写真撮影の列ができていて、ヒラリー・クリントン候補のほうには誰も並んでいなかっただけのことです。こういうことと選挙の結果から推測するに、どうも表立っては表明していなかったものの、“隠れトランプ支持者”が思いのほか多かったように思えます。
こういう選挙結果になりましたが、私はアメリカ合衆国がこれから先も日本国の最大の友好国であることを、心から願っております。
ラスベガスは標高600メートルほどの高地にあって、ケッペンの気候区分では砂漠気候に属します。そのため、夏は暑く、日中の気温は40℃を超える日もあるのですが、湿度10%以下と非常に乾燥しているのでそれほど不快ではないそうです。一方、冬は冷え込みが強く、気温が氷点下を記録する日もあるのだそうです。私達が訪れたのは10月の下旬だったのですが、晴れると日中の気温は30℃近くまで上がり、半袖シャツで十分なくらいです。陽射しがキツくて、サングラスが必要なくらいでした。しかし、夜になると一転。気温は10℃近くまで下がり、上着を着ないと寒く感じられるほどで、さすがに砂漠の気候です。「固体は熱しやすく、冷めやすい」を実感します。
ラスベガスはアメリカ東海岸のニュージャージー州アトランティックシティと並んで、カジノなどのギャンブル、そしてショービジネスで有名な町です。また、ラスベガスを含むネバダ州は法人税や個人所得税等がない上に、他の税金も非常に税率が低いため、シティグループをはじめ大企業が進出していることでも知られています。
ラスベガスがギャンブルやショービジネスで有名になった背景には、この町が形成された歴史があります。
ラスベガスは1820年代後半、ソルトレイクシティからカリフォルニアを目指すモルモン教徒によって発見されたとされています。ネバダ砂漠の中にあってこの付近は窪んだ地形となっており、水も豊富なオアシスのようなところとなっています。vega とはスペイン語で「牧草地」を意味する女性名詞で、vegas はその複数形。これに女性定冠詞を付けて las vegas となり、それが地名となりました。
1840年代末に現在のカリフォルニア州で金鉱脈が発見され、いわゆる“ゴールドラッシュ”が起こると、カリフォルニアに向かう砂漠の中の貴重な中継地点として、この地に定住する者が現れるようになりました。1905年、ユニオン・パシフィック鉄道の開通に伴って、水の便の良いラスベガスは蒸気機関車の給水地となり、現在のダウンタウンに駅が建設されました。
金鉱ブームも去った頃の1929年に株式の大暴落に端を発した大恐慌が起り、さしたる産業のないネバダ州はたちまち困窮状態に陥り、税収確保のため1931年に賭博(ギャンブル)を合法化しました。これがギャンブルタウン・ラスベガスの起こりです。
1931年に町の南東約50km、アリゾナ州との州境の地点にフーバーダムの建設が着工され、フランクリン・ルーズベルト大統領が行ったニューディール政策の時代の1936年に完成しました。このフーバーダムの建設においては労働者の流入と安価な電力の供給で、街は大きく発展しました。1940年代に入るとダムから得られる豊富な電力を利用して、第二次世界大戦中にはネバダ砂漠に軍事基地や核実験場が続々と建設され、その関係者が大量に町に住むようになりました。
第二次世界大戦終結後の1946年に、ベンジャミン・シーゲルがフラミンゴホテルを建設し、カジノが収益を上げることがわかると、マフィア達が競って続々とホテルを建設するようになり、それらのホテルは同時に集客のためにフランク・シナトラやサミー・デイヴィスJr.などのショーを定期的に行うようになりました。これがラスベガスがショービジネスで有名になる起こりです。
しかし1960年代後半頃から当局の取締りが厳しくなるにつれ、マフィアは次々とホテルの経営権を手放すようになり、合法的な不動産会社やホテルチェーン、ハワード・ヒューズのような大富豪などがこれらのホテルやカジノの経営権を引き継いでいきました。
その後も、資金融資などの形で限定的なマフィアの介入はあったようなのですが、カジノの開設や運営の権利を定める一連の州法等の厳格化に伴いその影響力は漸減し、1990年代にはほぼ払拭されて健全な町に変貌を遂げたと言われています。また、それに伴って投機ブームが起り、より広い土地が必要となったこともあって市街は南方に大きく拡張しました。
そして、1980年代の末頃から巨大テーマホテルブームが起こり、現在に至っています。また、この頃より各ホテルの広大な敷地を使ってのコンベンションなどが多数開かれるようになりました。なお、客室数ベースで世界の12大ホテルのうちの11軒がラスベガスに存在しているそうです。巨大ホテルが多い理由の一つとして、一定規模以上のカジノの建設は、客室数200室以上のホテルの付帯施設としてしか認可されないことが挙げられるそうです。
今回、IBMが『IBM World of Watson 2016』をラスベガスで開催したのも、このあたりが関係していそうです。主催者発表によると、『IBM World of Watson 2016』には全世界102カ国から約17,000人の方々が参加したのだそうです。開催にあたってはスタッフを含め約2万人分の宿泊施設が必要ですし、そんなところ、アメリカ広しと言えどもラスベガス以外に考えられませんから。前述のようにラスベガスのホテルの規模は想像を絶するほど大きく、今回の『IBM World of Watson 2016』のような大規模なコンベンションを行なうにも十分な広さがあります。『IBM World of Watson 2016』はMandalay Bay HotelとT-Mobile arenaの2箇所の会場で行われたのですが、どちらも2万人を収容してもまだまだ余裕があるほどの規模の施設でした。
ラスベガスのマッカラン国際空港です。定住人口が約50万人の都市(私の故郷の愛媛県松山市と同規模)のわりには立派すぎるくらいに立派な空港です。ギャンブルやショーの鑑賞のためにこの砂漠のど真ん中にある町に全米各地から多くの人を呼び込むため、このマッカラン国際空港からは全米各地の都市に定期便が設定され、次から次に24時間ひっきりなしに飛行機の発着が見られます。空港は市内中心部に接近してあるため、非常に便利です。さすがにギャンブルタウン・ラスベガスにある空港です。空港のターミナルビル内にもカジノが設置されています。
「ラスベガスに行ってカジノに行かないのは、ハワイに行ってビーチに行かないようなものだ」……と弊社の小川常務の奥様がおっしゃったということで、私も還暦を過ぎて生まれて初めてのカジノを経験してきました! 先ほど、カジノは客室数200室以上のホテルの付帯施設としてしか認可されないということを書きましたが、私達が宿泊したMGM Hotel(宿泊したのは正確にはThe Signature at MGMという別館のTower3ですが… )にも立派なカジノが併設されておりました。そこでスロットをやったのですが、瞬く間に20US$の負け。私はもともと博才がないことを知っていますので、ほどほどで止めておくことにしました。博打は実際のビジネスで十分にやらせていただいておりますから、それで十分です。こちらはほんの少し勝ち越しかな( ´ ▽ ` )
今回の出張は4泊6日(機中泊1)だったのですが、ラスベガスに着いた初日の夜は前述のようにカジノで負けて、現在、米国ワシントンD.C.にある国際戦略研究所に出向している前の会社の後輩が、わざわざ私の通訳を名乗り出てくれてラスベガスにまで訪ねて来てくれたので、2日目の夜はその後輩とホテルのバーで飲み(ワシントンD.C.のSさん、本当にありがとうございました)、ラスベガスと言えばカジノと並んで有名なショービジネスの町なので、3日目と4日目の夜はそのショーを楽しませていただきました。
3日目の夜にはベンジャミン・シーゲルが建設して現在のラスベガスのビジネスモデルのハシリとなったフラミンゴホテルにある小劇場でちょっとアダルトかつコメディーな雰囲気の大人のショーを鑑賞し(誤解のないように、場内に若いカップルや息子を伴ったお父さんが観に来ているようなショーでしたから)、そして滞在最終日の4日目の夜、鑑賞したのは日本でも有名なシルク・ド・ソレイユのショー。私達が宿泊したMGMホテルは主に映画やテレビ番組の製作・供給を行うアメリカの巨大マスメディア企業であるMGM(Metro-Goldwyn-Mayer Inc.)の関連ホテルなので、カジノ以上にショービジネスのほうに力を入れているようで、ホテル内には幾つもの劇場があります。中でも、シルク・ド・ソレイユの巨大な常設劇場があり、ちょうど『KA』というショーをロングランで上映中だったので、それを鑑賞してきました。
いやぁ〜、本場の常設劇場で観るシルク・ド・ソレイユの迫力は素晴らしいを遥かに通り越して、凄い!!の一言でした。メチャメチャ運動神経のいい人が鍛錬に鍛錬を重ねた上で行なっているのでしょうが、キャストの皆さん方の動きはとても人間業とは思えません。常設劇場らしく仕掛けもとてもここが屋内の劇場であるとは思えないくらいの大仕掛けなもので、仕事とは言え、はるばるラスベガスまでやって来たことのいい記念になりました。とにかく感激しました。
前述のようにラスベガスの町の歴史は100年にも満たないことから、町の中に古い歴史を感じさせるようなものはいっさいありません。目につくのは超巨大なホテルの建物ばかりです。
歴史が浅いぶん、近代アートのモニュメントは街のあちこちに何気にあります。写真はT-Mobile arenaの正面の公園にあるベンチに座る人物像で、なんとLEGOの小さなブロックで作られています。
【追記】
11月8日に投票が行われた米国大統領選挙。最後まで予断を許さない大接戦の結果は共和党のドナルド・トランプ候補が勝利して、アメリカ合衆国の第45代の大統領に就任するのですが、その約10日前だというのに選挙戦の盛り上がりは、日本で報道されているほどでもなく、イマイチだったように思います。テレビのニュース番組でもさほど大騒ぎしているようには思えませんでした。ニューヨークやワシントンD.C.、サンフランシスコといった大都市ではなく、観光地であるラスベガスに滞在したからかもしれませんが……。
私は初の有色人種の大統領である現バラク・オバマ大統領が誕生した前々回の大統領選挙(2008年)の2週間ほど前にも出張でサンフランシスコに来ていたのですが、その時の盛り上がりに比べれば、まるで静かなものです。8年前は街中で見掛けた支持する候補者や政党名が書かれたTシャツも帰国時にラスベガス・マッカラン国際空港の売店で売っていたのを見掛けたくらいで、着ている人の姿は1人も見掛けませんでした。
そのTシャツを売っている売店の前でパチリ!誤解がないように言っておきますが、私はヒラリー・クリントン候補の支持者でも、民主党の支持者でもありません。ドナルド・トランプ候補のほうには写真撮影の列ができていて、ヒラリー・クリントン候補のほうには誰も並んでいなかっただけのことです。こういうことと選挙の結果から推測するに、どうも表立っては表明していなかったものの、“隠れトランプ支持者”が思いのほか多かったように思えます。
こういう選挙結果になりましたが、私はアメリカ合衆国がこれから先も日本国の最大の友好国であることを、心から願っております。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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