2016/11/24
総務部総務課山口六平太
漫画家の高井研一郎さんが11月14日、肺炎のためお亡くなりになりました。79歳でした。高井研一郎さんといえば漫画「総務部総務課山口六平太」の作者として知られています。
代表作の「総務部総務課山口六平太」は小学館の漫画雑誌「ビッグコミック」に1986年から連載開始し、亡くなられる4日前の2016年11月10日発売号に掲載された第731話まで、30年間、ただの一度も休載することなく、連載を続けられました。とんでもなく凄いことです。
この「総務部総務課山口六平太」は、架空の自動車会社・大日自動車(おそらくスズキのことではないかと私は思っています)の総務部総務課を舞台に“スーパー総務マン”山口六平太の日常を描き続ける作品で、特に若いサラリーマン読者からの圧倒的な支持を受け、「サラリーマンの応援歌」と呼ばれました。コミック本(単行本)の総発行部数は既に1,100万部を超え、来週11月30日(水)にはコミック本の第80巻目が発売になる予定なのだそうです。
この「総務部総務課山口六平太」、私は、若い頃、小学館の「ビッグコミック」と「ビッグコミック・オリジナル」を愛読書にして、朝夕の通勤電車の車中で読んでいましたので、連載開始から毎回楽しく読ませていただきました。作中の山口六平太は29歳という設定で、1986年の連載開始時、私もちょうど30歳になったばかりでしたので、同世代ということで大変身近に感じられました。あれから30年が経過し、私のほうは還暦(60歳)を過ぎて気象情報会社ハレックスの代表取締役社長を務めさせていただき、2人の孫のジイジになっちゃいましたが、どうも山口六平太は今もなお29歳のままのようで、大日自動車の総務部総務課の平社員として頑張っているようです(サザエさん一家もそうですが、人気作品は何年も連載を続けても、登場人物の年齢設定等の基本は変わらないようです)。
私は40歳を過ぎたあたりから通勤電車の車中では歴史小説や推理小説を好んで読むようになリ、漫画雑誌を購読しないようになったので、それ以来「総務部総務課山口六平太」とはご無沙汰していたのですが、作者・高井研一郎さんの訃報を報道で知り、懐かしく思い出しました。
先ほど架空の自動車会社の総務部総務課を舞台に“スーパー総務マン”山口六平太の日常を描き……と書きましたが、その内容には「これに似たようなことって私の日常の中でも“あるある”」って思えるものがあり、その卓越したトラブル対処法などは大いに参考になりました。サラリーマンの生き様を描いた漫画作品としては連載を通して総合家電メーカーの課長から社長、そして会長にまで登り詰めた弘兼憲史さんの作品である「島耕作」シリーズ(講談社の週刊漫画雑誌「モーニング」に連載)がありますが、私としては身近で癒される存在の山口六平太のほうが好きでしたね。「総務部総務課山口六平太」は若手サラリーマンに是非読んでいただきたい1冊であると言えると思います。
私は18年前に唯一の実の兄弟である弟を病気で亡くしているのですが、その弟が亡くなった後、彼の本棚にそれまで発売された「総務部総務課山口六平太」のコミック本が全巻ズラァ〜と綺麗に並んでいるのを見つけて、改めて弟の意外な一面を知りました。弟は生前、地元愛媛県松山市で中学校の理科の教師をやっていました。兄の私と違って大変なアスリートで、担任や部活(野球部等)の顧問をやりながら、自身も現役で競歩の選手を続け、国体等の全国大会にも愛媛県代表として出場するような選手でした(今は記録が塗り替えられていますが、亡くなるまで1万メートル競歩の愛媛県記録の保持者でした)。
そんなアスリートだった弟の本棚に並べられた「総務部総務課山口六平太」のコミック本に、最初は正直妙な違和感を覚えたのですが、葬儀で弟が勤務していた中学校の校長先生に述べていただいた弔辞の中で、弟が担任やら部活の顧問やら幾つも掛け持って大変に忙しい中で、自発的に校庭の片隅で生徒さん達と一緒に菊の花を育てていたという逸話を話されたのを思い出し、その話がそのズラァ〜と並んだ「総務部総務課山口六平太」のコミック本に繋がったことを思い出します。校長先生によると、その菊は展覧会に出品させるためのものだったらしく、菊の手入れを通して、毎日地道にコツコツコツコツ手入れをしてやれば、きっとそれはいつか大輪の花を咲かせて報われんだ…ってことを生徒さん達に実体験として教えたいんだ…というようなことを弟は生前言っていたそうなんです。
確か、現在、その弟の遺品とも言える「総務部総務課山口六平太」のコミック本は息子の家にあるのではないか…と思います。息子が大学を卒業して社会人になった時に、「サラリーマンになったのなら、これを読め!」と言って渡したように記憶しています。弟が亡くなった時にわずか生後3ヶ月だった甥っ子は今年の春に高校を卒業して、亡き父親(弟)の後を追うように地元の大学の教育学部に入学したのですが、その甥っ子が社会人になる時には、今度はその甥っ子に「総務部総務課山口六平太」のコミック本を渡したいと思っています。“渡す”というよりも、正しくは“返す”ですね。弟もきっとそうしたと思いますから。
ちなみに、余談ですが、山口六平太は一時期東京の大日自動車本社を離れて、私の故郷、そして弟が勤務していた愛媛県の松山支社に転勤になったことがありました。
高井研一郎さんは漫画家としてのデビュー当初あの手塚治虫さんのアシスタントをされていたこともあり、また、赤塚不二夫さんの右腕として名作「おそ松くん」のチビ太やイヤミといったキャラクター作りにも携われ、あのあまりにも有名なイヤミの「シェー」のポーズについても、赤塚不二夫さんと共に考えだしたとされています。高井研一郎さんの作品には、ほかに「プロゴルファー織部金次郎」(原作・武田鉄矢さん)やマンガ版「男はつらいよ」(原作・山田洋次さん)等があります。
それにしても、作中の大日自動車の田川代表取締役社長、大株主の金森老人と同じく、私も山口六平太が大日自動車の社長になることを秘かに夢見ていたのですが、それが叶わなかったことが心残りです。
これまで、本当に楽しませていただきました。仕事で悩んだ時に、どれだけ癒されたものか。ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌………………………………。
代表作の「総務部総務課山口六平太」は小学館の漫画雑誌「ビッグコミック」に1986年から連載開始し、亡くなられる4日前の2016年11月10日発売号に掲載された第731話まで、30年間、ただの一度も休載することなく、連載を続けられました。とんでもなく凄いことです。
この「総務部総務課山口六平太」は、架空の自動車会社・大日自動車(おそらくスズキのことではないかと私は思っています)の総務部総務課を舞台に“スーパー総務マン”山口六平太の日常を描き続ける作品で、特に若いサラリーマン読者からの圧倒的な支持を受け、「サラリーマンの応援歌」と呼ばれました。コミック本(単行本)の総発行部数は既に1,100万部を超え、来週11月30日(水)にはコミック本の第80巻目が発売になる予定なのだそうです。
この「総務部総務課山口六平太」、私は、若い頃、小学館の「ビッグコミック」と「ビッグコミック・オリジナル」を愛読書にして、朝夕の通勤電車の車中で読んでいましたので、連載開始から毎回楽しく読ませていただきました。作中の山口六平太は29歳という設定で、1986年の連載開始時、私もちょうど30歳になったばかりでしたので、同世代ということで大変身近に感じられました。あれから30年が経過し、私のほうは還暦(60歳)を過ぎて気象情報会社ハレックスの代表取締役社長を務めさせていただき、2人の孫のジイジになっちゃいましたが、どうも山口六平太は今もなお29歳のままのようで、大日自動車の総務部総務課の平社員として頑張っているようです(サザエさん一家もそうですが、人気作品は何年も連載を続けても、登場人物の年齢設定等の基本は変わらないようです)。
私は40歳を過ぎたあたりから通勤電車の車中では歴史小説や推理小説を好んで読むようになリ、漫画雑誌を購読しないようになったので、それ以来「総務部総務課山口六平太」とはご無沙汰していたのですが、作者・高井研一郎さんの訃報を報道で知り、懐かしく思い出しました。
先ほど架空の自動車会社の総務部総務課を舞台に“スーパー総務マン”山口六平太の日常を描き……と書きましたが、その内容には「これに似たようなことって私の日常の中でも“あるある”」って思えるものがあり、その卓越したトラブル対処法などは大いに参考になりました。サラリーマンの生き様を描いた漫画作品としては連載を通して総合家電メーカーの課長から社長、そして会長にまで登り詰めた弘兼憲史さんの作品である「島耕作」シリーズ(講談社の週刊漫画雑誌「モーニング」に連載)がありますが、私としては身近で癒される存在の山口六平太のほうが好きでしたね。「総務部総務課山口六平太」は若手サラリーマンに是非読んでいただきたい1冊であると言えると思います。
私は18年前に唯一の実の兄弟である弟を病気で亡くしているのですが、その弟が亡くなった後、彼の本棚にそれまで発売された「総務部総務課山口六平太」のコミック本が全巻ズラァ〜と綺麗に並んでいるのを見つけて、改めて弟の意外な一面を知りました。弟は生前、地元愛媛県松山市で中学校の理科の教師をやっていました。兄の私と違って大変なアスリートで、担任や部活(野球部等)の顧問をやりながら、自身も現役で競歩の選手を続け、国体等の全国大会にも愛媛県代表として出場するような選手でした(今は記録が塗り替えられていますが、亡くなるまで1万メートル競歩の愛媛県記録の保持者でした)。
そんなアスリートだった弟の本棚に並べられた「総務部総務課山口六平太」のコミック本に、最初は正直妙な違和感を覚えたのですが、葬儀で弟が勤務していた中学校の校長先生に述べていただいた弔辞の中で、弟が担任やら部活の顧問やら幾つも掛け持って大変に忙しい中で、自発的に校庭の片隅で生徒さん達と一緒に菊の花を育てていたという逸話を話されたのを思い出し、その話がそのズラァ〜と並んだ「総務部総務課山口六平太」のコミック本に繋がったことを思い出します。校長先生によると、その菊は展覧会に出品させるためのものだったらしく、菊の手入れを通して、毎日地道にコツコツコツコツ手入れをしてやれば、きっとそれはいつか大輪の花を咲かせて報われんだ…ってことを生徒さん達に実体験として教えたいんだ…というようなことを弟は生前言っていたそうなんです。
確か、現在、その弟の遺品とも言える「総務部総務課山口六平太」のコミック本は息子の家にあるのではないか…と思います。息子が大学を卒業して社会人になった時に、「サラリーマンになったのなら、これを読め!」と言って渡したように記憶しています。弟が亡くなった時にわずか生後3ヶ月だった甥っ子は今年の春に高校を卒業して、亡き父親(弟)の後を追うように地元の大学の教育学部に入学したのですが、その甥っ子が社会人になる時には、今度はその甥っ子に「総務部総務課山口六平太」のコミック本を渡したいと思っています。“渡す”というよりも、正しくは“返す”ですね。弟もきっとそうしたと思いますから。
ちなみに、余談ですが、山口六平太は一時期東京の大日自動車本社を離れて、私の故郷、そして弟が勤務していた愛媛県の松山支社に転勤になったことがありました。
高井研一郎さんは漫画家としてのデビュー当初あの手塚治虫さんのアシスタントをされていたこともあり、また、赤塚不二夫さんの右腕として名作「おそ松くん」のチビ太やイヤミといったキャラクター作りにも携われ、あのあまりにも有名なイヤミの「シェー」のポーズについても、赤塚不二夫さんと共に考えだしたとされています。高井研一郎さんの作品には、ほかに「プロゴルファー織部金次郎」(原作・武田鉄矢さん)やマンガ版「男はつらいよ」(原作・山田洋次さん)等があります。
それにしても、作中の大日自動車の田川代表取締役社長、大株主の金森老人と同じく、私も山口六平太が大日自動車の社長になることを秘かに夢見ていたのですが、それが叶わなかったことが心残りです。
これまで、本当に楽しませていただきました。仕事で悩んだ時に、どれだけ癒されたものか。ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌………………………………。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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