2017/02/20
銀の匙Silver Spoon第2章(その1)
羽田空港を離陸したB737-800型機は北海道の根室・中標津空港を目指して、一路北を目指します。この日は快晴だったので、眼下には関東平野が広がります。遠くには雪を被った赤城山、浅間山、そして富士山が見えます。先日、このところ趣味としている『中山道六十九次・街道歩き』で倉賀野宿→高崎宿を歩いてきたのですが、その赤城山と浅間山、榛名山、妙義山といった上毛の山々が綺麗でした(これに関してはいずれこのブログで紹介させていただきます)。
私の興味を引いたのは荒川、江戸川、利根川…といった関東平野を蛇行して流れる大きな河川の数々。『中山道六十九次・街道歩き』をしていると、これらの幾つもの河川が今の日本の首都東京に繋がる江戸の繁栄を支えたのだということがわかります。なるほどぉ~。
私も飛行機を利用して出張や旅行をすることは多いのですが、四国出身ということもあり、これまではどうしても四国や九州といった西日本方向への便を利用することが多く、たまに北海道方面に向かう便を利用しても通路側の席に座っていたり、天気が悪かったりして、これほどじっくりと関東平野、それも北関東を機上から眺めたのって久し振りのような感じがします。
この日、利用した便は東京羽田空港12時15分発のANA377便、根室・中標津空港行き。東京羽田空港と根室・中標津空港を結ぶ便は1日この1便だけなので、選択の余地がありません。今回の出張は2月16日(木)に中標津町で開催される「ねむろ農業法人ネットワーク」主催の講演会で講演をさせていただくためです。昨年の10月31日に北海道TMRセンター連絡協議会様からご依頼を受けて、同じ北海道の札幌市で240名の酪農関係者の皆さんを前に講演をさせていただいたのですが、その場でその北海道TMRセンター連絡協議会の事務局をなさっている株式会社オーレンス総合経営の高橋武靖社長から「今度、ウチの本社のある中標津で同じ講演をやっていただけませんか?」というご依頼を受けたのが発端でした。その時は「いいですよ」と軽くお引き受けしたのですが、それが厳寒の北海道、それも太平洋とオホーツク海の境目に突き出た知床半島の付け根にある中標津で一番寒い2月中旬に開催することになろうとは…。
正式のご依頼を受けたのが昨年末のことで、その時は2月開催とお聞きして、「エッ!? 2月の中標津でですか?」と返したくらいです。返ってきたオーレンス総合経営の担当者さんからの返事は「ええ、2月です。2月は短い農閑期ですから」というものでした。これにはすぐに納得しちゃいました。農業関係者の皆さんを講演会に大勢集めるには、どうしても農閑期に開催しないといけませんからね。2月の中標津の日最低気温の平均は氷点下10℃を下回って、日によっては氷点下20℃以下にまでなることもあります。日最高気温も0℃を超えることは稀で、ほとんどが1日中氷点下の気温です。納得しちゃった以上、「大丈夫です。私達はここで平気で暮らしていますし、越智さん用の防寒着は用意しておきますから」というオーレンス総合経営の担当者さんのお言葉もあり、今度は気象情報会社の社長として一度くらいはそうした厳寒の環境というものを体験してみたいという好奇心のほうがムクムクと頭をもたげてきました。
実は私、今から35年前の20歳代半ばに一度だけ氷点下20℃を経験したことがあります。当時、日本電信電話公社(現在のNTT)技術局というところでディジタル伝送装置の商用化を担当していた私は、自身の設計した過疎地向けディジタル伝送装置(PCM MUX:PCM形多重変換装置)の商用試験のうち寒冷地試験を北海道道央の旭川市周辺の小さな集落で行いました。その時に経験したのが確か氷点下20℃でした。痛いくらいの寒さでした。それ以来のことになります。怖いもの見たさのようなところがあったのですが……、それはあとで。
ANAの機内誌『翼の王国』の今月(2月)号を開くと、「北の便り」のコーナーに「美しくも荒々しい、厳冬の野付半島」と題して野付半島のことが取り上げられていました。お手元に地図があれば、是非、確認していただきたいのですが、野付半島とは北海道の東部(道東)の知床半島と根室半島の間に位置する毛筆で線を払ったような、釣り針のような、細い弧を描く極めて特徴的な形をした砂嘴(さし)、すなわち“砂の半島”のことです。知床半島と根室半島、それと北方領土の国後(クナシリ)島が形成する根室海峡の潮の流れが造形した不思議な自然の造形って場所で、起伏がほとんどない地形なので、流氷の海を吹き抜けて来た風にまともに容赦なく曝されます。その野付半島の最寄り空港は根室・中標津空港。偶然とは言え、なにか不思議な縁のようなものを感じてしまいます。
ANA377便は岩手県の花巻付近で太平洋上に出ました。関東平野と異なり、この日の東北地方はほぼ一面に薄い雲がかかって眼下の景色はほとんど楽しめませんでしたが、時々見える雲の切れ目からは真っ白く雪を被った山々の姿が確認できます。
太平洋上をしばらく飛ぶと左前方に襟裳岬が見えてきました。北海道です。襟裳岬と言えば、作詞・岡本おさみさん、作曲・吉田拓郎さんというフォークソング全盛期を代表する黄金コンビが作詞作曲し、演歌界の大物・森進一さんが歌うというフォーク界と歌謡曲界との異色の融合で大ヒットし、1974年の第16回日本レコード大賞と第5回日本歌謡大賞の大賞をダブル受賞した名曲『襟裳岬』が思い出されます。上空から見ると、サビの部分の歌詞の通り、襟裳岬の先端部分には何もなさそうです。
帯広市を中心とした十勝平野です。広々とした平原が広がっています。十勝平野というと、松山千春さんの代表曲の1つである「大空と大地の中で」がイメージとして頭に浮かびます。松山千春さんは十勝平野にある北海道足寄町の出身。私と同い年です。
釧路市付近です。眼下に釧路空港の滑走路が見えます。釧路空港、愛称を“たんちょう釧路空港”というのですね。
釧路市付近を過ぎると飛行機は北海道の大地の上を飛びます。眼下には根釧台地が広がります。ちょっと遠くに摩周湖の姿が見えます。摩周湖の向こうに見える湖は屈斜路湖ですね(写真ではよく確認できませんが…)。
昔、布施明さんが歌って大ヒットした「霧の摩周湖」という歌がありました。思わず頭の中でその「霧の摩周湖」の出だしの部分がリフレインします。ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「北国の二人」、「ブルー・シャトウ」、ザ・ベンチャーズが作曲して奥村チヨさんが歌った「北国の青い空」もありましたね。そうした楽曲のメロディーが次々と脳裏に浮かんできます。そうした楽曲名を聞いても、わかるのは私より上の年代の方々だけでしょうね(笑)
ANA377便は根室・中標津空港への着陸に向けて徐々に高度を下げていきます。このあたりは根釧台地の中央部。今は雪が被って真っ白ですが、夏には見渡す限りの緑が続くであろう真っ平らな牧草地帯が広がっています。その牧草地帯を格子状に区切っているのはカラ松の防風林。同じ北海道でも札幌市付近とはまるで異なる風景です。近くに見える真っ白な山は根釧台地の北の端に位置する武佐岳(1,006メートル)でしょうか。下を蛇行して流れている川は標津川でしょうか。これぞ北海道!カラ松の防風林が近くに見えてくると着陸です。
ボーディングブリッジを出ると「世界自然遺産・知床へ、ようこそ。」の案内看板が目に入ります。ワァオ、北海道に来たぁ〜!!…ってことを実感します。
ちなみに、知床半島はオホーツク海と太平洋という2つの海の影響を受けた海と陸の生態系の豊かな繋がりと、動植物ともに多くの希少種や固有種が生息・生育するなど生物の多様性を維持するために重要な地域として、2005年7月にUNESCOの世界自然遺産に登録されました。日本には世界自然遺産は4ヶ所(知床・白樺山地・屋久島・小笠原諸島)が登録されています。森繁久彌さんが作詞・作曲を手がけた「知床旅情」って楽曲もありました。加藤登紀子さんがカバーしたバージョンが累計売上140万枚を超えるミリオンセラーになりました。
根室・中標津空港は愛称で、正しくは「中標津空港」です。中標津(なかしべつ)町は、北海道根室振興局管内の北部に位置する標津郡の町です。根室振興局管内の最大の自治体は根室市ですが、根室市には空港はありません。空港があるのは、この中標津町です。なぜ根室市に空港が作れないかというと、根室半島の先っぽの納沙布岬のすぐ近くに北方領土の島々(歯舞諸島)があるためです。風向きの関係で東方向から着陸のため滑走路に進入したり、東方向に向けて離陸しようとすると、今はロシアの領空を侵犯して、ロシアの空軍機がスクランブル発進してくる恐れがあるために、わざわざ根室振興局管内の空港はこの根室市から北西に約80km離れた内陸に位置する中標津町に作ったのだそうです。それでも北東方向にはすぐ近くに北方領土の1つである国後島があるため、大型機は使えず、旋回半径が短くて済む小型機を使っての運航なのだそうです。なるほどぉ〜。
中標津町は人口23,898人(住民基本台帳人口、2016年9月30日)、根室振興局管内では根室市に次ぐ人口を擁し、管内中部の中核となる町です。北海道庁による移住促進事業のパートナー市町村として、道外からの移住を推進している自治体で、分村により誕生した1946年から現在まで、人口はずっと増加傾向を見せている自治体で、釧路・根室地方で唯一人口が増加している自治体なのだそうです。ちなみに、根室市の人口は27,109人(住民基本台帳人口、2016年9月30日)、根室市の人口は減少傾向が続いているので、そのうち中標津町が根室市を抜いて、根室振興局管内一番の自治体になるかもしれません。
中標津町の南部は根釧台地の丘陵地帯が広がり、北部は知床半島から連なる山岳地帯を挟んで清里町に接します。土地は主に泥炭地と火山灰地であり、稲作・畑作などには向きません。なので、産業の中心は酪農です。亜寒帯に位置し、気候的には冷涼で、最寒月である1月の平均気温マイナス7.3℃で、最暑月の8月でも平均気温が18.0℃にしかなりません。月間降水量は最多で9月の175.9mm、最少で2月の34.4mmが平年の数値で、雨が少ないという特徴があります。
ちなみに、同じ根室地方でも、こんなに気象は異なります。小学校の理科で習ったことですが、固体(陸地)は熱しやすく冷めやすい。液体(海)は熱しにくく冷めにくい。なので、内陸にある中標津は海沿いの根室と比べて、冬は寒くて、夏は暑い傾向が見てとれます。まぁ〜、夏暑いと言っても、最高気温は20℃をちょっと越えるくらいではありますが…。
また内陸部にあると言っても、海に向かった方向には山がない平坦な地形なので、知床半島を挟んでオホーツク海と太平洋の両方から吹いてくる風を遮るものがないため、風が強い日が多く、先ほど上空から見えた格子状の防風林が設けられています。この格子状の防風林は開拓期にアメリカ人顧問ホーレス・ケプロンの提唱で作られたもので、別海町、標津町、標茶町に至る広域に広がっています。この防風林は「根釧台地の格子状防風林」として北海道遺産に登録されています。
……(その2)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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