執筆者紹介
2017年9月の記事
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2017.09.29 越智正昭
中山道六十九次・街道歩き【第15回: 塩名田→長久保】(その8)
茂田井(もたい)の“間の宿”に入ります。ここは望月宿と次の芦田宿との間に設けられた“間の宿(あいのしゅく)”です。この茂田井は望月宿と芦田宿で対応できない大通行の際に、両宿の加宿として使われたため、“間の宿”と呼ばれまし…
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2017.09.27 越智正昭
中山道六十九次・街道歩き【第15回: 塩名田→長久保】(その7)
翌17日(祝)、2日目は望月宿から芦田宿を通って長久保宿まで歩きます。昨夜はあまりに早く寝ちゃったので、夜中に雨が窓を叩く音で目が覚めました。カーテンを開けて外を見ると、本降りの雨のようです。気圧配置から考えて、夜に入っ…
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2017.09.25 越智正昭
中山道六十九次・街道歩き【第15回: 塩名田→長久保】(その6)
長坂橋を渡ってすぐのところに「望月の駒像」が立っています。前述のようにこの北にある「望月の牧」は古来より名馬を産出する所として知られていました。平安時代,諸国の牧(まき:牧場)から貢進された馬を天皇が見る儀式のことを“駒…
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2017.09.22 越智正昭
中山道六十九次・街道歩き【第15回: 塩名田→長久保】(その5)
百沢の集落を過ぎたあたりから短い登りの坂になります。ちょっとした山登りの雰囲気で、今回はそんなに勾配があるところは歩かないだろう…と油断していたこともあり、いささかキツイです。でも、碓氷峠を越えたことで、最近は幾分ワイル…
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2017.09.20 越智正昭
中山道六十九次・街道歩き【第15回: 塩名田→長久保】(その4)
進行方向右手には御牧ヶ原台地・望月の牧が広がっています。 県道はすぐに国道142号線と合流します。ここからはしばらく国道142号線の歩道を歩きます。次の望月宿まで2.5km。頑張ろう! 振り返ると、「五郎兵衛新田」の青々…
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2017.09.19 越智正昭
中山道六十九次・街道歩き【第15回: 塩名田→長久保】(その3)
中沢川という細い川を橋で渡ります。 その中沢川を渡ったすぐ先に神社の社殿のような形をした千曲バスの「八幡神社前」のバス停があります。その横に「中山道八幡宿」と書かれた標柱が立っています。このあたりが八幡宿の江戸方の入り口…
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2017.09.15 越智正昭
中山道六十九次・街道歩き【第15回: 塩名田→長久保】(その2)
現在はこの先には橋がないので、川に沿って左に曲り、県道に出て中津橋を渡ります。橋の上からは穏やかな流れの「千曲川」が望めます。 先ほど通ってきた川原(河原)宿の3階建て住居群の屋根が見えます。橋が架かっている高さが2階建…
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2017.09.13 越智正昭
中山道六十九次・街道歩き【第15回: 塩名田→長久保】(その1)
7月中旬の3連休の後半にあたる7月16日(日)、17日(祝)、中山道六十九次・街道歩きの【第15回】に参加してきました。前回【第14回】に次いで信州、信濃国佐久平(佐久盆地)を歩きます。 池袋駅西口を出発した観光バスは関…
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2017.09.11 越智正昭
エッ! 邪馬台国は四国にあった?(その7)
魏志倭人伝の第2章「倭國の風俗」にあたる部分には、倭国(邪馬台国)の社会に関する以下のような記述があります。 ___________________________________ 【現代語訳8】 その習俗では、行事や往…
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2017.09.08 越智正昭
エッ! 邪馬台国は四国にあった? (その6)
___________________________________ 【現代語訳6】 その行程を計測すると、倭国は会稽の東にあることになる。 その風俗は淫らではない。男子は皆かぶりものをせず、木綿を頭に巻いている。衣服…
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2017.09.06 越智正昭
エッ! 邪馬台国は四国にあった?(その5)
これまでは、魏志倭人伝に書かれた邪馬台国までの行程から、理系のアプローチにより、邪馬台国が四国にあったのではないか…とする私の大胆すぎるくらいに大胆な仮説をご紹介しました。今回は引き続き「魏志倭人伝」に書かれた行程以外の…
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2017.09.04 越智正昭
エッ! 邪馬台国は四国にあった?(その4)
魏志倭人伝によると、その投馬国から最終目的地である邪馬台国までは「水路を十日、陸路を一月」という表現で示されています。ここは「水路を十日、陸路を一月」という表現をどのように解釈するかが重要になります。ふつうに読むと「水路…
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2017.09.01 越智正昭
エッ! 邪馬台国は四国にあった?(その3)
これに対して、私が立てた仮説を上図に示します。この仮説は、邪馬台国は四国、それも徳島県の北東部、剣山の麓にあり、吉野川の南側に並行して流れる鮎喰川上流域に位置する名西郡神山町にあったとする『邪馬台国四国(徳島)説』という…
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