東京都三鷹市で激しくひょうが降った(平成26年6月24日)
昨日(平成26年6月24日)、東京都三鷹市を中心に降ひょうがあった。テレビでの現場を捕えた映像を見ると激しい雨とひょうが同時に降っている様子が見られた。ひょうは水より軽いため、溜まった雨水の水面に浮き、路面を流れ下り、低地に溜まった。場所によっては数十cm積もった。
この日の関東地方は朝から茨城県から東京湾岸部にかけて、ところどころで雷雨となっており、8時15分には茨城県の一部に大雨警報(浸水害)、洪水警報が発表された。東京でも9時59分に台東区、荒川区、葛飾区に大雨警報(浸水害)が発表された。その後も雷雲は、関東東部と南部を中心にあちこちで盛衰を繰り返し、警報の発表範囲は、茨城、千葉、東京、神奈川、山梨、長野に広がった。五反田でも激しい雷鳴が響いた。
この日の関東地方の雷雲があちらこちらで盛衰を繰り返した様子を10時から17時までのレーダーエコーの動きで見る。
橙色や赤の部分があちこちに発生しては消滅を繰り返している。13時頃から神奈川県側に強いエコーが発達しやや西へ広がりを見せていたが、14時過ぎにこの北側に突然新しい雷雲が発生し強化している。1時間強度80mm以上の猛烈な強さの雷雲にまで発達しており、この直下で降ひょうがあったと見られる(図中の東京都内の茶色の■が新宿で、このすぐ西にあたる)。
大気の状態が不安定な状況にあったことが、こうした現象をもたらしたのであるが、レーダーエコーで雷雲の盛衰を見れば、何故此処ですかと言いたくなるほど、局地的である。
遠くに雷雲の発達が見えたり、雷光が見え、雷鳴が聞こえるような状況では、何時、頭の上に飛び火するかも知れないと思って早めの退避行動をとってほしい。
ところで、東京での降ひょうは毎年のようにどこかであるが、今回のような事例は極めて珍しい。
過去にどんな降ひょう事例があったか、調べてみた。
「気象庁技術報告第32号 東京都の異常気象」には、降ひょうの災害事例も載せられており、その中で特に目についたのが次の事例である。
降ひょうと竜巻(東京) 1908(明治41)年6月8日
この時の激しさを感じてほしいため、ここに引用させていただく。ただし、この当時はレーダー観測で雷雲を追跡できたわけでなく、各地からの報告をもとにそれらを連ねて作成されているもので、雷雲の寿命が2,30分から1時間程度しかないことを考えると、不安定な場が移動し、次々と新しい雷雲によって降ひょうが起こったと思ってみてほしい。
『8日12時30分ころ長野県南東部に発した雷雨は南東に進み、15時30分ころ東京に達した。この雷雨は川越より北豊島郡大泉・石神井、北多摩郡保谷・田無を経て、中野・千駄ヶ谷・品川にわたる長さ40km、幅4kmの地域に激しいひょうを降らした。ひょうの大きさは普通指頭大で、やや大きいものは直径約5cm、重さ約40kmであった。特に大きいものは径10cm、重さ130gぐらいのものもあった(芝区白金台天神坂付近で巡回中の巡査は長さ17cm、厚さ3cmのひょうを拾ったという)。』
この時の被害も詳細に記述している。
品川付近では窓ガラス、軒燈(2,300余件)など破損著しく、ひどいのは亜鉛鉄板や6分板の屋根を打ち抜かれたものもあった。大井村では降雹と同時に、竜巻が起こり、家屋2棟 が倒壊し、海上では漁船数隻が転覆した。北豊島郡滝野川では即死2名が出た。市内の被害は九段坂で降雹に打たれて人事不省1名が出たほか、芝家・麻布・赤坂・四谷方面でガラス屋根の損壊、電話線の切断が多かった。農作物の被害面積は府下で5,400haあまりであった。
こんな大きなひょうの直撃を受ければ命すら奪われかねない。自然の驚異を知り、自らの身の安全を図るのは自分以外にないとの意識で行動してほしい。
この日の関東地方は朝から茨城県から東京湾岸部にかけて、ところどころで雷雨となっており、8時15分には茨城県の一部に大雨警報(浸水害)、洪水警報が発表された。東京でも9時59分に台東区、荒川区、葛飾区に大雨警報(浸水害)が発表された。その後も雷雲は、関東東部と南部を中心にあちこちで盛衰を繰り返し、警報の発表範囲は、茨城、千葉、東京、神奈川、山梨、長野に広がった。五反田でも激しい雷鳴が響いた。
この日の関東地方の雷雲があちらこちらで盛衰を繰り返した様子を10時から17時までのレーダーエコーの動きで見る。
橙色や赤の部分があちこちに発生しては消滅を繰り返している。13時頃から神奈川県側に強いエコーが発達しやや西へ広がりを見せていたが、14時過ぎにこの北側に突然新しい雷雲が発生し強化している。1時間強度80mm以上の猛烈な強さの雷雲にまで発達しており、この直下で降ひょうがあったと見られる(図中の東京都内の茶色の■が新宿で、このすぐ西にあたる)。
大気の状態が不安定な状況にあったことが、こうした現象をもたらしたのであるが、レーダーエコーで雷雲の盛衰を見れば、何故此処ですかと言いたくなるほど、局地的である。
遠くに雷雲の発達が見えたり、雷光が見え、雷鳴が聞こえるような状況では、何時、頭の上に飛び火するかも知れないと思って早めの退避行動をとってほしい。
ところで、東京での降ひょうは毎年のようにどこかであるが、今回のような事例は極めて珍しい。
過去にどんな降ひょう事例があったか、調べてみた。
「気象庁技術報告第32号 東京都の異常気象」には、降ひょうの災害事例も載せられており、その中で特に目についたのが次の事例である。
降ひょうと竜巻(東京) 1908(明治41)年6月8日
この時の激しさを感じてほしいため、ここに引用させていただく。ただし、この当時はレーダー観測で雷雲を追跡できたわけでなく、各地からの報告をもとにそれらを連ねて作成されているもので、雷雲の寿命が2,30分から1時間程度しかないことを考えると、不安定な場が移動し、次々と新しい雷雲によって降ひょうが起こったと思ってみてほしい。
『8日12時30分ころ長野県南東部に発した雷雨は南東に進み、15時30分ころ東京に達した。この雷雨は川越より北豊島郡大泉・石神井、北多摩郡保谷・田無を経て、中野・千駄ヶ谷・品川にわたる長さ40km、幅4kmの地域に激しいひょうを降らした。ひょうの大きさは普通指頭大で、やや大きいものは直径約5cm、重さ約40kmであった。特に大きいものは径10cm、重さ130gぐらいのものもあった(芝区白金台天神坂付近で巡回中の巡査は長さ17cm、厚さ3cmのひょうを拾ったという)。』
この時の被害も詳細に記述している。
品川付近では窓ガラス、軒燈(2,300余件)など破損著しく、ひどいのは亜鉛鉄板や6分板の屋根を打ち抜かれたものもあった。大井村では降雹と同時に、竜巻が起こり、家屋2棟 が倒壊し、海上では漁船数隻が転覆した。北豊島郡滝野川では即死2名が出た。市内の被害は九段坂で降雹に打たれて人事不省1名が出たほか、芝家・麻布・赤坂・四谷方面でガラス屋根の損壊、電話線の切断が多かった。農作物の被害面積は府下で5,400haあまりであった。
こんな大きなひょうの直撃を受ければ命すら奪われかねない。自然の驚異を知り、自らの身の安全を図るのは自分以外にないとの意識で行動してほしい。
執筆者
気象庁OB
市澤成介