2014/10/20
最低気圧870hPa 昭和54年台風第20号
平成26年の台風第19号は、10月8日3時に中心気圧900hPaの猛烈な強さの台風に発達し、今年最強の台風とも言われた。ただ、猛烈に発達する台風の最盛期は1~2日程度で、その後は徐々に勢力を弱めるため、沖縄本島通過時には中心気圧950hPaの非常に強い台風となっており、鹿児島上陸時には975hPaの台風となっていた。この衰弱は、この台風に限ったことでなく、よく見られる台風の発達衰弱の過程を経たと思っていただきたい。幸いにも勢力を弱めて列島を縦断したため、大規模災害が出なかったのが救いであった。
ところで、台風の中心気圧はどれほど低くなるのだろうか。最近地球温暖化でより顕著な発達をする台風が多くなるとも言われている。過去の台風を調べていると、現在よりかなり強力な台風が発現し日本列島を襲った例がいくつもある。将来、とんでもなく強烈な台風の発現に驚くだけでは何の対策にもならない。それより過去の強烈な台風で学習し、そのような場合に備えた対策を講ずることこそ、今求められていると思う。
そこで、台風の勢力は中心気圧が低い程強烈なものとなることから、最低気圧の記録を見ておくことにする。私の知る限り、昭和54年(1979年)台風第20号が10月12日15時に記録した870hPaが最低である。ハリケーンやサイクロンの記録を見てもこれより低い記録はない。
例えば、日本列島を襲った台風の中には、これに匹敵するような最低気圧が900hPaを割り込んだ台風は狩野川台風(877hPa)、第2室戸台風(888hPa)、伊勢湾台風(894)等いくつもある。
昭和54年台風20号は、マーシャル諸島近海で発生後、グアム島の南を通過し西北西進を続けながら急発達し、沖の鳥島の南海上で最低気圧870hPaを記録した。その後も北西進し、沖縄の南海上で転向して北東に進み、10月19日に紀伊半島に上陸し、本州・北海道を縦断し網走からオホーツク海に進んだ。本州通過時には時速95kmと猛烈なスピードで駆け抜けた。
和歌山県上陸時の気圧は965hPaであったが東北地方北部に達した頃から中心気圧が下がり始め、網走の東からオホーツク海に達した頃には上陸時より深い気圧を示していた。温帯低気圧への変化の過程で再発達したためである。
この台風は大型で、強い勢力を保って列島を縦断したことから、ほぼ全国を暴風域に巻き込み、風の被害も大きく、北海道の太平洋岸で海難事故により多数の死者が出た。また、前線の影響もあって九州南部、四国、紀伊半島、東海地方では400mmを超える大雨となった。この台風による死者行方不明者は暴風、土砂災害、洪水、高波等により111名を数えた。一つの台風で死者行方不明が100名を超えた最後の事例である。なお、この台風以降で大きな人的被害が出た台風は、平成16年台風第23号(死者行方不明98名)と平成23年台風第12号(死者行方不明98名)がある。
最低気圧の話に戻る。この当時は米軍による飛行機の台風貫通飛行が行われており、この台風でも10月4日~17日にかけて述べ53回の台風中心の観測をしている。
こんな中で、10月12日12時53分の観測記録によると北緯16.7度、東経137.8度の海上でドロップゾンデの観測により870hPaを記録した。この観測では台風の眼の直径が12マイル(約22km)と小さく「ピンホールアイ」であったことを示している。また、最大風速は140kt(70m/s)を報じていた。 猛烈に発達する台風では、最盛期の眼は小さく、直径で20km程度のものが多く、この眼の中は、乾燥した気流が下降し、この時のドロップゾンデは700㍱の高さで30℃という高温を観測していた。ふだんの熱帯域の700hPa 付近では12℃程度であるので、台風の中心部分では異常な状況が作り出されていることが判る。
当時、気象衛星ひまわりが観測開始しており、その時の画像でもピンホールアイを捕えていた。
この画像はあまり鮮明でないが、赤外画像は白く輝く部分は低温で瀬野高い雲や上層の雲を捉えている。一方、黒い部分は高温の海面などを捉えている。台風の眼の中心部は海面温度に近く30℃近い温度であるが、この周りを取り巻く特に白く輝く部分は-70℃程度の気温を示す。この眼の輪郭がはっきりして小さいことは猛烈な強さの台風であることを示している。
下に示す天気図は最低気圧を観測した3時間前のもので、中心気圧が875hPaを示している。
昭和54年台風20号は、マーシャル諸島近海で発生後、グアム島の南を通過し西北西進を続けながら急発達し、沖の鳥島の南海上で最低気圧870hPaを記録した。その後も北西進し、沖縄の南海上で転向して北東に進み、10月19日に紀伊半島に上陸し、本州・北海道を縦断し網走からオホーツク海に進んだ。本州通過時には時速95kmと猛烈なスピードで駆け抜けた。
和歌山県上陸時の気圧は965hPaであったが東北地方北部に達した頃から中心気圧が下がり始め、網走の東からオホーツク海に達した頃には上陸時より深い気圧を示していた。温帯低気圧への変化の過程で再発達したためである。
この台風は大型で、強い勢力を保って列島を縦断したことから、ほぼ全国を暴風域に巻き込み、風の被害も大きく、北海道の太平洋岸で海難事故により多数の死者が出た。また、前線の影響もあって九州南部、四国、紀伊半島、東海地方では400mmを超える大雨となった。この台風による死者行方不明者は暴風、土砂災害、洪水、高波等により111名を数えた。一つの台風で死者行方不明が100名を超えた最後の事例である。なお、この台風以降で大きな人的被害が出た台風は、平成16年台風第23号(死者行方不明98名)と平成23年台風第12号(死者行方不明98名)がある。
最低気圧の話に戻る。この当時は米軍による飛行機の台風貫通飛行が行われており、この台風でも10月4日~17日にかけて述べ53回の台風中心の観測をしている。
こんな中で、10月12日12時53分の観測記録によると北緯16.7度、東経137.8度の海上でドロップゾンデの観測により870hPaを記録した。この観測では台風の眼の直径が12マイル(約22km)と小さく「ピンホールアイ」であったことを示している。また、最大風速は140kt(70m/s)を報じていた。 猛烈に発達する台風では、最盛期の眼は小さく、直径で20km程度のものが多く、この眼の中は、乾燥した気流が下降し、この時のドロップゾンデは700㍱の高さで30℃という高温を観測していた。ふだんの熱帯域の700hPa 付近では12℃程度であるので、台風の中心部分では異常な状況が作り出されていることが判る。
当時、気象衛星ひまわりが観測開始しており、その時の画像でもピンホールアイを捕えていた。
この画像はあまり鮮明でないが、赤外画像は白く輝く部分は低温で瀬野高い雲や上層の雲を捉えている。一方、黒い部分は高温の海面などを捉えている。台風の眼の中心部は海面温度に近く30℃近い温度であるが、この周りを取り巻く特に白く輝く部分は-70℃程度の気温を示す。この眼の輪郭がはっきりして小さいことは猛烈な強さの台風であることを示している。
下に示す天気図は最低気圧を観測した3時間前のもので、中心気圧が875hPaを示している。
執筆者
気象庁OB
市澤成介