2014/11/10
フィリピンを襲ったSuper Typhoon
平成25年台風第30号(Super Typhoon Haiyan (フィリピン名 Yolanda))がフィリピン中部を襲い、レイテ島のタクロバンを中心に高潮と暴風により甚大な被害が発生したのが昨年の11月8日であった。フィリピン国家災害リスク削減委員会(NDRRMC)資料によると、死者6201人、行方不明1785人、家屋倒壊114万戸余と、台風常習国と言われるフィリピンにおいても最悪の事態となった。
ここでは、この台風の高潮についての詳細を述べることはしない。高潮の被害が大きかった地域とその周辺の海の地形や水深分布等の知識がない者が、勝手な想像を基に現象を述べることはできないからである。ただ、長年、北西太平洋域の台風解析を行ってきた者としては、こんな甚大な災害をもたらした台風の勢力が気になるところである。
台風第30号がフィリピン中部に上陸した頃の衛星画像を見ることにする。静止画はフィリピン中部のサマール島に上陸した頃の11月8日6時の画像である。台風の雲域の中心に小さく黒い円形眼が見える。実はフィリピン近海でこのような眼が小さくて明瞭な台風は過去に幾つも見ているので、また、猛烈な台風がフィリピンを直撃すると思っていた。この時の解析によると、上陸時の中心気圧が895㍱、最大風速65m/sと猛烈な強さを維持していた。さすがに、解析で中心気圧が900㍱以下で上陸した台風は私の記憶の中にはない。他にも驚くことがあった。
次の動画を見ていただきたい。台風が上陸すると、陸地によって渦の勢力を削ぐことが多い。台風第30号のように小さくて明瞭な眼を持った台風が上陸すると急激に眼が崩壊する例が多いのであるが、この台風は上陸後、小さな島々の間を縫うように通り過ぎたこともあったのだろう。9時の画像まで、上陸から3時間以上もはっきりした眼が見えていた。こんな事例を経験したのは始めてである。それほどに猛烈な勢力を上陸後も長時間にわたって維持していたのが、大きな災害になった一因と見ることができるかも知れない。
こんな事例は経験したことがないと言ったが、わたしが経験したフィリピン上陸台風の中で最も記憶に残っているのが1978年(昭和53年)台風第26号Ritaである。
この台風の衛星画像が残念ながら手元にないので、説明だけとなることをお許し願いたい。この台風は最盛期の勢力は米軍の台風中心貫通飛行により記録した978㍱で、観測史上5番目に当たる猛烈な勢力に達したSuper Typhoon(最大風速130kt(65m/sを言う)であった。 参考ながら、第一位の記録は10月20日に紹介した「最低気圧870hPa 昭和54年台風第20号」である。
この台風の経路図を昨年の台風第30号と共に示すが、発生は日付変更線に近い東経175度で、以後西進を続け、10月22日23時30分の飛行機観測で897㍱を観測して以来、900㍱以下の猛烈な勢力が続き、25日12時17分の飛行機観測で878㍱の最低気圧を記録した。
その後も猛烈な勢力を保ったまま、台風第30号より北寄りの経路を取ってルソン島に向かって進み、10月26日夜遅くにやや勢力を落としたものの、中心気圧905㍱の猛烈な勢力で上陸した。上陸後、間もなく小さくはっきりした眼は一気に見えなくなり、ルソン島を通過し、南シナ海に進んだ27日9時には中心気圧975㍱になっていた。猛烈な台風が上陸すると地形の影響を受け、中心部の非常に急峻な気圧傾度の部分が一気に崩壊した事例であった。
昨年の平成25年台風第30号の上陸したフィリピン中部の島々はルソン島のように東海岸に沿って山地が連なっている状況ではなかったため、台風の勢力の弱まりがなかったのであろう。
昭和53年(1978年)台風第26号によって、フィリピンでは300人以上の死者が出る甚大な被害が発生している。甚大な被害が生じたこともあって、台風名Ritaについてはその後、用いなくなったと思う。
この台風を鮮明に覚えている理由がもう一つある。この台風の被害の後、東南アジアの台風の影響を受ける国と地域で構成される「台風委員会(The Typhoon Committee)」が、台風の解析と予報の作業マニュアルの作成を提言し、「TOPEX」と称するプロジェクトを立ち上げた。作業マニュアルの作成にあたって、モデル台風に選定したのが「Rita台風」であった。我が国の台風作業手順をベースに台風の接近3日程前から上陸・通過に際し、どのようなタイミングで観測体制の強化、解析予報作業体制の強化、情報発表体制の強化等を進めていくかを各国が共同で作成し、実際の台風を使って作業訓練も実施し、マニュアルができた。
今も、このマニュアルが改良されながら東南アジア各国の台風作業に活用されていると思うと、Rita台風の貢献は大きい。
ここでは、この台風の高潮についての詳細を述べることはしない。高潮の被害が大きかった地域とその周辺の海の地形や水深分布等の知識がない者が、勝手な想像を基に現象を述べることはできないからである。ただ、長年、北西太平洋域の台風解析を行ってきた者としては、こんな甚大な災害をもたらした台風の勢力が気になるところである。
台風第30号がフィリピン中部に上陸した頃の衛星画像を見ることにする。静止画はフィリピン中部のサマール島に上陸した頃の11月8日6時の画像である。台風の雲域の中心に小さく黒い円形眼が見える。実はフィリピン近海でこのような眼が小さくて明瞭な台風は過去に幾つも見ているので、また、猛烈な台風がフィリピンを直撃すると思っていた。この時の解析によると、上陸時の中心気圧が895㍱、最大風速65m/sと猛烈な強さを維持していた。さすがに、解析で中心気圧が900㍱以下で上陸した台風は私の記憶の中にはない。他にも驚くことがあった。
次の動画を見ていただきたい。台風が上陸すると、陸地によって渦の勢力を削ぐことが多い。台風第30号のように小さくて明瞭な眼を持った台風が上陸すると急激に眼が崩壊する例が多いのであるが、この台風は上陸後、小さな島々の間を縫うように通り過ぎたこともあったのだろう。9時の画像まで、上陸から3時間以上もはっきりした眼が見えていた。こんな事例を経験したのは始めてである。それほどに猛烈な勢力を上陸後も長時間にわたって維持していたのが、大きな災害になった一因と見ることができるかも知れない。
こんな事例は経験したことがないと言ったが、わたしが経験したフィリピン上陸台風の中で最も記憶に残っているのが1978年(昭和53年)台風第26号Ritaである。
この台風の衛星画像が残念ながら手元にないので、説明だけとなることをお許し願いたい。この台風は最盛期の勢力は米軍の台風中心貫通飛行により記録した978㍱で、観測史上5番目に当たる猛烈な勢力に達したSuper Typhoon(最大風速130kt(65m/sを言う)であった。 参考ながら、第一位の記録は10月20日に紹介した「最低気圧870hPa 昭和54年台風第20号」である。
この台風の経路図を昨年の台風第30号と共に示すが、発生は日付変更線に近い東経175度で、以後西進を続け、10月22日23時30分の飛行機観測で897㍱を観測して以来、900㍱以下の猛烈な勢力が続き、25日12時17分の飛行機観測で878㍱の最低気圧を記録した。
その後も猛烈な勢力を保ったまま、台風第30号より北寄りの経路を取ってルソン島に向かって進み、10月26日夜遅くにやや勢力を落としたものの、中心気圧905㍱の猛烈な勢力で上陸した。上陸後、間もなく小さくはっきりした眼は一気に見えなくなり、ルソン島を通過し、南シナ海に進んだ27日9時には中心気圧975㍱になっていた。猛烈な台風が上陸すると地形の影響を受け、中心部の非常に急峻な気圧傾度の部分が一気に崩壊した事例であった。
昨年の平成25年台風第30号の上陸したフィリピン中部の島々はルソン島のように東海岸に沿って山地が連なっている状況ではなかったため、台風の勢力の弱まりがなかったのであろう。
昭和53年(1978年)台風第26号によって、フィリピンでは300人以上の死者が出る甚大な被害が発生している。甚大な被害が生じたこともあって、台風名Ritaについてはその後、用いなくなったと思う。
この台風を鮮明に覚えている理由がもう一つある。この台風の被害の後、東南アジアの台風の影響を受ける国と地域で構成される「台風委員会(The Typhoon Committee)」が、台風の解析と予報の作業マニュアルの作成を提言し、「TOPEX」と称するプロジェクトを立ち上げた。作業マニュアルの作成にあたって、モデル台風に選定したのが「Rita台風」であった。我が国の台風作業手順をベースに台風の接近3日程前から上陸・通過に際し、どのようなタイミングで観測体制の強化、解析予報作業体制の強化、情報発表体制の強化等を進めていくかを各国が共同で作成し、実際の台風を使って作業訓練も実施し、マニュアルができた。
今も、このマニュアルが改良されながら東南アジア各国の台風作業に活用されていると思うと、Rita台風の貢献は大きい。
執筆者
気象庁OB
市澤成介