2015/01/09
38豪雪(昭和38年1月豪雪)
昭和37年(1962年)12月末から昭和38年(1936年)2月初めまでの約1か月にわたり、北陸地方を中心に東北地方から九州にかけての広い範囲で降雪が続き、記録的な豪雪となった。気象庁はこの期間の豪雪を「昭和38年1月豪雪」と命名した。単に、「38豪雪」と呼ばれることが多い。
この冬は、冬型の気圧配置が続く中、日本海に小低気圧の発生や収束線が顕在化するなどで、平野部でも降雪が多くなった。特に降雪が強まったのは、31日~4日、7日~9日、11~13日、15日~17日及び22日~24日で、波状的に襲った大雪は各地で記録的な積雪を記録し、北陸地方を中心として交通機関は麻痺状態が続き、集落の孤立、学校の休校も長期に及び、記録的な積雪による家屋倒壊やなだれが人家を倒壊するなどの被害も出た。 消防白書によると、この冬の雪害で、死者228名、行方不明者3名、負傷者356名、住家全壊753棟、半壊982棟、床上浸水640棟、床下浸水6,338棟等の甚大な被害が発生している。
この豪雪が如何に記録的であったか見ることにする。広範囲に記録的な大雪となったことから、現在でもこの豪雪時の最深積雪が、観測史上第1位の記録として残っているところが多くある。北陸地方の記録は後で述べるが、特に眼に付くのが、雪とは縁のない地域と思われがちな九州の記録である。1963年当時の積雪の記録が統計値として残されているのは、気象台と測候所(今は特別地域気象観測所に変わった)・気象通報所の値だけであるが、それでも、九州を見ると大分県日田39㎝、長崎県雲仙岳64㎝、熊本県阿蘇山122㎝、同県人吉27㎝、同県牛深29㎝、鹿児島県阿久根28㎝、同県枕崎26㎝で最深積雪の歴代第1位として残っている。
これは、この年の豪雪が西日本の広い範囲に及んだことを示しており、四国・九州の山地では積雪が1mを超えた所があった。西日本まで強い寒気が南下したことを示している。それを裏付ける資料として、500㍱の月平均高度とその平年偏差図及び850㍱の月平均気温とその平年偏差図がある。寒色系の色の部分は平年より低くい状況にあったことを示している。850㍱(高さ約1500m付近)の月平均気温の平年偏差では西日本から南西諸島で4℃以上低くなっている。気温の低極が現れる時期にこれだけ低い値を示すのは異例なことである。
500㍱は高度の偏差で表しているが、高度と温度とは深い関係があり、平年より高度が低い部分は気温も低いことを示している。この図でも西日本中心に平年よりかなり低温であったことを示している。
次は、北陸地方の雪の様子を見る。この豪雪による北陸地方の平野部の最深積雪は、福井市で213㎝(1位)、金沢市で181㎝(1位)、富山で186㎝(2位)、高岡市で225㎝(1位)、長岡市で318㎝(2位)と人の背丈を超えるような驚異的な数字が並んでいる。各地点の最深積雪の後に括弧付きで示した順位が観測史上の順位で、この年の最深積雪が50年経過した今も更新されることなく残されている。それほど極めて異常な豪雪であったことを示している。
日々の変化の様子を福井市と長岡市で見る。
両地点とも年末から年始の第1波の大雪が根雪となり、その後、中旬までの数波の大雪の度に積雪が増し、長岡では1月12日に積雪が1mを超え、福井でも50㎝を超えている。下旬に入ると連日の大雪となって、月末まで続き、長岡では25日に2mを超え、30日には3mを超えることとなった。福井でも1日に50㎝を超える降雪が2回もあって、月末には一気に2mを超える積雪となった。
下に示す地上天気図と500㍱高層天気図は1月23日9時のもので、連続的な大雪の第1波をもたらした寒気が流入し始めた時期に当たる。500㍱高層天気図に薄青で塗りつぶした領域は-39℃以下の寒気を示す。21時には石川県輪島で-42℃、島根県松江で-39℃と第1級の寒気が覆ったことを示している。
1月31日9時の積雪図(気象要覧第761号より引用)によると東北南部から北陸西部にかけて3m以上の領域が広がっており、新潟県塚山で495㎝、福井県今庄で455㎝を記録している。平野部の積雪が記録的であったが、山間地でも相当の積雪を観測しており記録的な積雪と言える。昭和38年1月豪雪調査報告には、後日さまざま機関の積雪資料を収集し整理している。これによると、最深積雪が5mを超えた地点も何点か見られた。
22日頃からの連続した大雪によって、北陸管内の鉄道は麻痺状態となり、長距離列車は半月余り運休が続いた。23日に新潟を出た急行「越後号」は東三条、押切、長岡で5日4晩、100余時間かかって27日ようやく上野駅に到着したなど、列車は各地で雪に埋まった。幹線道路も通行不能の状況となり、北陸全域が孤立状態となったと表現されるほどの事態となった。長期間の孤立状態で生活必需品すら補給できない危機的な状況になった集落も出た。
街が雪に埋まった様子などが昭和38年1月豪雪調査報告に掲載されている。その中から2枚の写真を示すが、3m近い積雪で平屋は雪の中に埋まっている。これでは屋根の雪下ろしをしようにも雪の置き場がすらない状況である。列車の屋根まで届くような状況も打つ手のない状況を示している。
このため、圧雪による住家の倒壊が相次ぎ、雪崩も頻発し住家が巻き込まれる災害も各地で発生した。積雪害は長期に及び、3月になってからも、雪崩や地滑りが多発し、雪解けによる洪水害も発生している。雪は雨に比べて、影響が後まで尾を引く厄介な現象であることを忘れてはならない。
今冬、12月初めから波状的に冬型気圧配置となって、各地で大雪となっている。38豪雪の降雪の変化図を示した福井と長岡の2都市のこれまでの降雪の状況を図にしてみた。平年より早めの積雪で、12月初めから根雪の状態となっている。38豪雪と比べると早い雪のシーズンの始まりである。ただ、最新の北陸地方の1か月予報では、ほぼ平年並みの降雪を予想していることが救いではないか。しかし、山間部では何時もの冬よりも早くから積雪が多くなっているので、今後の降雪の度に積雪の増加が考えられ、いつもの年以上に雪に対する十分な対策が必要であろう。
この冬は、冬型の気圧配置が続く中、日本海に小低気圧の発生や収束線が顕在化するなどで、平野部でも降雪が多くなった。特に降雪が強まったのは、31日~4日、7日~9日、11~13日、15日~17日及び22日~24日で、波状的に襲った大雪は各地で記録的な積雪を記録し、北陸地方を中心として交通機関は麻痺状態が続き、集落の孤立、学校の休校も長期に及び、記録的な積雪による家屋倒壊やなだれが人家を倒壊するなどの被害も出た。 消防白書によると、この冬の雪害で、死者228名、行方不明者3名、負傷者356名、住家全壊753棟、半壊982棟、床上浸水640棟、床下浸水6,338棟等の甚大な被害が発生している。
この豪雪が如何に記録的であったか見ることにする。広範囲に記録的な大雪となったことから、現在でもこの豪雪時の最深積雪が、観測史上第1位の記録として残っているところが多くある。北陸地方の記録は後で述べるが、特に眼に付くのが、雪とは縁のない地域と思われがちな九州の記録である。1963年当時の積雪の記録が統計値として残されているのは、気象台と測候所(今は特別地域気象観測所に変わった)・気象通報所の値だけであるが、それでも、九州を見ると大分県日田39㎝、長崎県雲仙岳64㎝、熊本県阿蘇山122㎝、同県人吉27㎝、同県牛深29㎝、鹿児島県阿久根28㎝、同県枕崎26㎝で最深積雪の歴代第1位として残っている。
これは、この年の豪雪が西日本の広い範囲に及んだことを示しており、四国・九州の山地では積雪が1mを超えた所があった。西日本まで強い寒気が南下したことを示している。それを裏付ける資料として、500㍱の月平均高度とその平年偏差図及び850㍱の月平均気温とその平年偏差図がある。寒色系の色の部分は平年より低くい状況にあったことを示している。850㍱(高さ約1500m付近)の月平均気温の平年偏差では西日本から南西諸島で4℃以上低くなっている。気温の低極が現れる時期にこれだけ低い値を示すのは異例なことである。
500㍱は高度の偏差で表しているが、高度と温度とは深い関係があり、平年より高度が低い部分は気温も低いことを示している。この図でも西日本中心に平年よりかなり低温であったことを示している。
次は、北陸地方の雪の様子を見る。この豪雪による北陸地方の平野部の最深積雪は、福井市で213㎝(1位)、金沢市で181㎝(1位)、富山で186㎝(2位)、高岡市で225㎝(1位)、長岡市で318㎝(2位)と人の背丈を超えるような驚異的な数字が並んでいる。各地点の最深積雪の後に括弧付きで示した順位が観測史上の順位で、この年の最深積雪が50年経過した今も更新されることなく残されている。それほど極めて異常な豪雪であったことを示している。
日々の変化の様子を福井市と長岡市で見る。
両地点とも年末から年始の第1波の大雪が根雪となり、その後、中旬までの数波の大雪の度に積雪が増し、長岡では1月12日に積雪が1mを超え、福井でも50㎝を超えている。下旬に入ると連日の大雪となって、月末まで続き、長岡では25日に2mを超え、30日には3mを超えることとなった。福井でも1日に50㎝を超える降雪が2回もあって、月末には一気に2mを超える積雪となった。
下に示す地上天気図と500㍱高層天気図は1月23日9時のもので、連続的な大雪の第1波をもたらした寒気が流入し始めた時期に当たる。500㍱高層天気図に薄青で塗りつぶした領域は-39℃以下の寒気を示す。21時には石川県輪島で-42℃、島根県松江で-39℃と第1級の寒気が覆ったことを示している。
1月31日9時の積雪図(気象要覧第761号より引用)によると東北南部から北陸西部にかけて3m以上の領域が広がっており、新潟県塚山で495㎝、福井県今庄で455㎝を記録している。平野部の積雪が記録的であったが、山間地でも相当の積雪を観測しており記録的な積雪と言える。昭和38年1月豪雪調査報告には、後日さまざま機関の積雪資料を収集し整理している。これによると、最深積雪が5mを超えた地点も何点か見られた。
22日頃からの連続した大雪によって、北陸管内の鉄道は麻痺状態となり、長距離列車は半月余り運休が続いた。23日に新潟を出た急行「越後号」は東三条、押切、長岡で5日4晩、100余時間かかって27日ようやく上野駅に到着したなど、列車は各地で雪に埋まった。幹線道路も通行不能の状況となり、北陸全域が孤立状態となったと表現されるほどの事態となった。長期間の孤立状態で生活必需品すら補給できない危機的な状況になった集落も出た。
街が雪に埋まった様子などが昭和38年1月豪雪調査報告に掲載されている。その中から2枚の写真を示すが、3m近い積雪で平屋は雪の中に埋まっている。これでは屋根の雪下ろしをしようにも雪の置き場がすらない状況である。列車の屋根まで届くような状況も打つ手のない状況を示している。
このため、圧雪による住家の倒壊が相次ぎ、雪崩も頻発し住家が巻き込まれる災害も各地で発生した。積雪害は長期に及び、3月になってからも、雪崩や地滑りが多発し、雪解けによる洪水害も発生している。雪は雨に比べて、影響が後まで尾を引く厄介な現象であることを忘れてはならない。
今冬、12月初めから波状的に冬型気圧配置となって、各地で大雪となっている。38豪雪の降雪の変化図を示した福井と長岡の2都市のこれまでの降雪の状況を図にしてみた。平年より早めの積雪で、12月初めから根雪の状態となっている。38豪雪と比べると早い雪のシーズンの始まりである。ただ、最新の北陸地方の1か月予報では、ほぼ平年並みの降雪を予想していることが救いではないか。しかし、山間部では何時もの冬よりも早くから積雪が多くなっているので、今後の降雪の度に積雪の増加が考えられ、いつもの年以上に雪に対する十分な対策が必要であろう。
執筆者
気象庁OB
市澤成介