2015/01/19
56豪雪(昭和56年豪雪)
昭和55年(1980)12月中旬から昭和56年(1981)2月末にかけて、日本列島には強い寒気が波状的に南下したことで、全国的な大雪となり、「38豪雪」と呼ばれる昭和38年(1963)1月豪雪に匹敵すると言われるほどの豪雪であった。
当時、各地の積雪資料を基に作成した最新積雪図を示す。等高線も入った地図上に観測値を記入し、その地点がどのような地理的な条件にあるかを考察しながら、等値線を引いたものである。東北南部から北陸西部にかけての山間部では4mを超える積雪を観測したところがあり、四国でも50㎝以上の積雪を記録したところがあった。この大雪によって、死者133名、行方不明者19名、負傷者2,158名、住家全壊165棟、半壊301棟、床上浸水732棟、床下浸水7,365棟などの甚大な被害が発生した(消防白書による)。
このような甚大な被害が出たことから、気象庁はこの冬の豪雪を「昭和56年豪雪」と命名した。
実は、過去の経験則からこの冬は豪雪になるかも知れないと話題になっていた。昭和55年は冷夏となり、不順な天候が尾を引いていたことと、「大雪18年周期説」があったからである。
この18年前に「38豪雪」があったことは、前に紹介したが、この豪雪の時に「大雪18年周期説」が取り上げられた。38豪雪以前の北陸を中心とした記録的な豪雪年を調べた所、昭和20年(1945)と昭和2年(1927)があり、18年毎に繰り返されていたことが、18年周期説を唱える一つの要因となった。この2つの豪雪事例を見ると、昭和2年の豪雪では、新潟県板倉町柄山集落で2月13日に、27尺(818cm)という人の住む所での積雪日本一の記録があったとされており、昭和20年は、長野県栄村森宮野原駅(飯山線)で2月14日に785cm㎝を記録している。昭和20年は第二次世界大戦の最中で、報道管制も敷かれていたこともあり、限られた資料しか残されていないが、新潟県上越市高田測候所が2月26日に観測した377㎝は平地の気象台・測候所の観測した最深積雪の中で現在も最多の記録となっていることからも、記録的な大雪であったことが判る。
この18年周期の通り、昭和56年も記録的な大雪となったが、次の18年目にあたる平成11年は前後の年を含めても大雪とはならず、この周期性がくずれたようだ。
これまでの最深積雪の変化を見たいが、気象庁HPには1961年からの最深積雪の記録しかなく、それ以前の資料は飛び飛びにしか入っていない。図には北陸3県の中心都市の最深積雪の変化を示したが、56豪雪の後に何回かの大雪が見らけるが1987年以降2000年まで比較的少ない状態が続いていた。しかし、その後は年々の変動がやや増大しているようである。 なお、先に示した昭和2年と昭和20年の各都市の最深積雪を図中に示したが、相当の豪雪であったことがわかる。
近年、北陸では平成23年に大雪となったが、金沢はそれほど多くなっていない。また、その他の地域では別の年に大雪となっており、地域が限定された事例や、短期間に集中した事例で、雪の降り方が変わっているかも知れない。
前置きはこの程度にして、56豪雪を簡単に振り返ってみる。
この冬は、12月中旬から強い冬型の気圧配置が続くことが多く、全国的に低温が続き、日本海側を中心に大雪となった。この中、24日には本州の東海上で低気圧が発達して東北地方や北海道の太平洋側で大雪となり、山沿いでは1日に1mを超える降雪があり、着雪や強風による送電線切断や鉄塔倒壊が相次いだ。その後、30日にかけて強い冬型の気圧配置が続いて北陸地方を中心に大雪となり、岐阜県高山市や福井市では積雪が1mを超えて、山間部では3mを超えたところも出てきた。
1月に入っても全国的に気温が低く、3日頃から中旬にかけて日本海側では大雪となった。福井県敦賀市で196cm、山形市で113cmなど、最深積雪の観測開始以来の記録を更新した(この2地点の記録は今も1位)。鉄道の運休などにより孤立する集落が多くでた。この大雪により、除雪中の事故死も多く発生している。
全国の気象台・測候所で最深積雪が1mを超えた地点を表にすると、東北、北陸、近畿北部の13 市に及んでいる。
福井市と上越市の降雪と積雪の変化の図を示し、福井市については38豪雪時の積雪変化を重ねてみた。福井市の最深積雪は38豪雪の方が大きいが、12月中旬から1月中旬にかけて日降雪量が40㎝以上の日が6日もあって、最深積雪は2m近くになり、38豪雪に匹敵するものであった。さらに、積雪の始まりが早く、12月半ばからの連続した大雪によって、最深積雪は1月中旬に発現している。これは、38豪雪より半月ほど早かった。にもかかわらず、2月末にも大雪があり、積雪が消えたのは、38豪雪と同じ頃であり、この年の雪の影響が長期間続いたことを示している。上越市は、12月中旬に降り始めた雪で早くも根雪となり、1月半ばまでの波状的に襲った大雪で、最深積雪は251㎝を記録し、3月初めまで、2m近い積雪が続いており、積雪が無くなったのは4月11日であった。
2月の上旬前半は引き続き日本海側では雪が降り、福島県会津若松市で最深積雪115cmを観測した。月末には非常に強い寒気が入り、日本海側では日降雪量が30~40cmを観測した。この強い寒気により、西日本中心に各地で当時の最低気温の記録を更新した。その地点と更新された最低気温を示すが、いまもこの記録が第1位として残っているところがある。
天気解説等で、寒気の強さを「上空約5000mには-30℃以下の寒気」などと表現することがあるが、これは気象予測で上空の状態を監視するのに常用している500㍱面の温度を示したもので、この温度を大雪の目安としているためである。この強い寒気の南下時の1981年2月26日9時に石川県輪島で観測された-45.1℃は、輪島の観測史上第3位に当たるものであった。9時の500㍱の天気図は手に入らなかったので、同日21時の天気図を示すが、この時間でも輪島は-43℃、米子は-36℃を示しており、第一級の強い寒気が覆っていることがわかる。参考までに、9時の地上天気図も示す。西高東低の冬型気圧配置となっており、津軽海峡の西に小低気圧が見られる。寒気が南まで下がって、東北地方から西日本の広い範囲で雪が降っている。
この寒気により、愛媛県宇和島で9㎝、鹿児島県阿久根で4㎝の積雪を観測するなど、西日本までの広い範囲で大雪となり、真冬に戻ったかのようであった。北陸地方では中旬になって積雪が減っていたが、この時、30~50㎝の降雪があって、積雪が再び1mを超えたところがあった。
雪とは関係しないが、この強い寒波は柑橘類の耐寒限界気温(-4℃~-7℃)を超える強いものであったため、柑橘類の一大生産地である愛媛県でミカンの木が凍枯死するなど、西日本から関東にかけての広い範囲で、柑橘類・びわ・うめ等に落果・落葉・花芽、幼果・枝葉の凍結・脱水症状による樹木の損傷などの大きな被害が発生した。農作物への影響がかなり後まで響いた豪雪年であった。
当時、各地の積雪資料を基に作成した最新積雪図を示す。等高線も入った地図上に観測値を記入し、その地点がどのような地理的な条件にあるかを考察しながら、等値線を引いたものである。東北南部から北陸西部にかけての山間部では4mを超える積雪を観測したところがあり、四国でも50㎝以上の積雪を記録したところがあった。この大雪によって、死者133名、行方不明者19名、負傷者2,158名、住家全壊165棟、半壊301棟、床上浸水732棟、床下浸水7,365棟などの甚大な被害が発生した(消防白書による)。
このような甚大な被害が出たことから、気象庁はこの冬の豪雪を「昭和56年豪雪」と命名した。
実は、過去の経験則からこの冬は豪雪になるかも知れないと話題になっていた。昭和55年は冷夏となり、不順な天候が尾を引いていたことと、「大雪18年周期説」があったからである。
この18年前に「38豪雪」があったことは、前に紹介したが、この豪雪の時に「大雪18年周期説」が取り上げられた。38豪雪以前の北陸を中心とした記録的な豪雪年を調べた所、昭和20年(1945)と昭和2年(1927)があり、18年毎に繰り返されていたことが、18年周期説を唱える一つの要因となった。この2つの豪雪事例を見ると、昭和2年の豪雪では、新潟県板倉町柄山集落で2月13日に、27尺(818cm)という人の住む所での積雪日本一の記録があったとされており、昭和20年は、長野県栄村森宮野原駅(飯山線)で2月14日に785cm㎝を記録している。昭和20年は第二次世界大戦の最中で、報道管制も敷かれていたこともあり、限られた資料しか残されていないが、新潟県上越市高田測候所が2月26日に観測した377㎝は平地の気象台・測候所の観測した最深積雪の中で現在も最多の記録となっていることからも、記録的な大雪であったことが判る。
この18年周期の通り、昭和56年も記録的な大雪となったが、次の18年目にあたる平成11年は前後の年を含めても大雪とはならず、この周期性がくずれたようだ。
これまでの最深積雪の変化を見たいが、気象庁HPには1961年からの最深積雪の記録しかなく、それ以前の資料は飛び飛びにしか入っていない。図には北陸3県の中心都市の最深積雪の変化を示したが、56豪雪の後に何回かの大雪が見らけるが1987年以降2000年まで比較的少ない状態が続いていた。しかし、その後は年々の変動がやや増大しているようである。 なお、先に示した昭和2年と昭和20年の各都市の最深積雪を図中に示したが、相当の豪雪であったことがわかる。
近年、北陸では平成23年に大雪となったが、金沢はそれほど多くなっていない。また、その他の地域では別の年に大雪となっており、地域が限定された事例や、短期間に集中した事例で、雪の降り方が変わっているかも知れない。
前置きはこの程度にして、56豪雪を簡単に振り返ってみる。
この冬は、12月中旬から強い冬型の気圧配置が続くことが多く、全国的に低温が続き、日本海側を中心に大雪となった。この中、24日には本州の東海上で低気圧が発達して東北地方や北海道の太平洋側で大雪となり、山沿いでは1日に1mを超える降雪があり、着雪や強風による送電線切断や鉄塔倒壊が相次いだ。その後、30日にかけて強い冬型の気圧配置が続いて北陸地方を中心に大雪となり、岐阜県高山市や福井市では積雪が1mを超えて、山間部では3mを超えたところも出てきた。
1月に入っても全国的に気温が低く、3日頃から中旬にかけて日本海側では大雪となった。福井県敦賀市で196cm、山形市で113cmなど、最深積雪の観測開始以来の記録を更新した(この2地点の記録は今も1位)。鉄道の運休などにより孤立する集落が多くでた。この大雪により、除雪中の事故死も多く発生している。
全国の気象台・測候所で最深積雪が1mを超えた地点を表にすると、東北、北陸、近畿北部の13 市に及んでいる。
福井市と上越市の降雪と積雪の変化の図を示し、福井市については38豪雪時の積雪変化を重ねてみた。福井市の最深積雪は38豪雪の方が大きいが、12月中旬から1月中旬にかけて日降雪量が40㎝以上の日が6日もあって、最深積雪は2m近くになり、38豪雪に匹敵するものであった。さらに、積雪の始まりが早く、12月半ばからの連続した大雪によって、最深積雪は1月中旬に発現している。これは、38豪雪より半月ほど早かった。にもかかわらず、2月末にも大雪があり、積雪が消えたのは、38豪雪と同じ頃であり、この年の雪の影響が長期間続いたことを示している。上越市は、12月中旬に降り始めた雪で早くも根雪となり、1月半ばまでの波状的に襲った大雪で、最深積雪は251㎝を記録し、3月初めまで、2m近い積雪が続いており、積雪が無くなったのは4月11日であった。
2月の上旬前半は引き続き日本海側では雪が降り、福島県会津若松市で最深積雪115cmを観測した。月末には非常に強い寒気が入り、日本海側では日降雪量が30~40cmを観測した。この強い寒気により、西日本中心に各地で当時の最低気温の記録を更新した。その地点と更新された最低気温を示すが、いまもこの記録が第1位として残っているところがある。
天気解説等で、寒気の強さを「上空約5000mには-30℃以下の寒気」などと表現することがあるが、これは気象予測で上空の状態を監視するのに常用している500㍱面の温度を示したもので、この温度を大雪の目安としているためである。この強い寒気の南下時の1981年2月26日9時に石川県輪島で観測された-45.1℃は、輪島の観測史上第3位に当たるものであった。9時の500㍱の天気図は手に入らなかったので、同日21時の天気図を示すが、この時間でも輪島は-43℃、米子は-36℃を示しており、第一級の強い寒気が覆っていることがわかる。参考までに、9時の地上天気図も示す。西高東低の冬型気圧配置となっており、津軽海峡の西に小低気圧が見られる。寒気が南まで下がって、東北地方から西日本の広い範囲で雪が降っている。
この寒気により、愛媛県宇和島で9㎝、鹿児島県阿久根で4㎝の積雪を観測するなど、西日本までの広い範囲で大雪となり、真冬に戻ったかのようであった。北陸地方では中旬になって積雪が減っていたが、この時、30~50㎝の降雪があって、積雪が再び1mを超えたところがあった。
雪とは関係しないが、この強い寒波は柑橘類の耐寒限界気温(-4℃~-7℃)を超える強いものであったため、柑橘類の一大生産地である愛媛県でミカンの木が凍枯死するなど、西日本から関東にかけての広い範囲で、柑橘類・びわ・うめ等に落果・落葉・花芽、幼果・枝葉の凍結・脱水症状による樹木の損傷などの大きな被害が発生した。農作物への影響がかなり後まで響いた豪雪年であった。
執筆者
気象庁OB
市澤成介