2014/05/28
麦うらし
初夏とも言える五月中旬の今、私の実家のある愛媛県松山市郊外の田圃は一面黄金色と紫色に彩られて、麦の収穫時期を迎えています。
麦の収穫期、いわゆる“麦秋”ってやつです。
5月10日(土)、愛媛県農業法人協会会長を務められている牧秀宣さんから、牧さんが社長を務められている農業生産法人ジェイ・ウイングファームの麦の収穫感謝祭『麦うらし』に招待されたので、出席してきました。
この『麦うらし』、愛媛県や香川県といった四国の瀬戸内海沿岸では昔からやられていた「春の収穫祭」です。
通常、収穫祭といえば秋の風物詩のようなものなのですが、米よりも麦を栽培する割合が多いこの地方の農家では、麦の収穫時期を迎える“麦秋”の今の時期に開催するところがあります。
昔はこの『麦うらし』を行う農家が多かったそうなのですが、最近では農業の衰退とともに激減。牧社長によると、松山市や隣接する東温市で『麦うらし』を開催している農家は、このジェイ・ウイングファームだけになっているのだとか。
この時期に行う収穫祭は、農閑期から農繁期へ移り変わるキックオフの決起集会のような意味合いも持っているようです。「二毛作」が基本のこの地方では、5月の中旬あたりから麦の収穫が始まり、収穫した麦の脱穀と並行して、今度はその田圃を耕して水を入れ、稲(米)の田植えをします。なので、これから約2ヶ月はとんでもなく忙しい農繁期に突入するというわけです。
昔はその地域の人総出で相互に助け会いながら、この農繁期を乗り切るってことをやっていて、地域コミュニティの力の結集ってものが農業においては重要な鍵を握っていました。その大事なコミュニケーションの場というものも、この『麦うらし』は担っていたように思われます。
『麦うらし』の会場は牧社長がかつて政府の減反政策で減反対象になって耕作放棄地にせざるを得なかった自身の田圃に何本もの木を植えて、アメリカの農家の庭をイメージして作り上げたという麦畑の真ん中の公園というか広場「Sunny Side Field」で開催されました。
この日の松山地方の天気予報は数日前まで「雨」。戸外での開催のため、雨が降っては大変と、牧社長も天気のことばかり気にされておられました。安心していただくために「大丈夫!、私は“晴れ男”です。私が出席すれば必ず晴れます!」と豪語していたのですが、内心はヒヤヒヤものでした。運よく天気が崩れる日が一日遅れて、私の予言通りこの日は晴れになりました。“自分は晴れ男だ!”という思い込み以外、なんら根拠のない予言(予報に非ず)と言うか豪語が当たって、私が一番ホッとしました。牧社長からもその日の朝、「晴れ男さんに感謝感謝」というメールをいただきました。
『麦うらし』にはジェイ・ウイングファームの関係者や取引先、お仲間の農業生産法人の方々、農業生産研究所の研究員、お取引のある銀行の銀行員、ご近所の方々等およそ100人の方々が集まりました。麦畑の真ん中にあるアメリカの農家の庭をイメージした広場で、バーベキューや軽食を囲み、いろいろな出し物が披露されます。それも和洋折衷(笑)。
『麦うらし』は、まずは和式で神主さんの神事で始まります。
恭しくその自然の恵みに感謝を捧げる神事が終わった後は、一気に賑やかにパーティーが始まります。主にジェイ・ウイングファームで採れた食材が主体で、ジェイ・ウイングファームの社員の皆さんが手分けして作った料理が主体なのですが、それに「ウチの食材、食べてみてねぇ~!」って感じで、参加者がめいめい持ち寄った自慢の食材も加わります。朝どりの野菜をはじめ新鮮な食材ばかりなので、どれも美味しいことこの上ないです。
ジェイ・ウイングファームの社員の皆さんは地元愛媛県の出身者だけではなく、全国各地、なかには遠くネパールからの農業研修生もいらしゃって、それぞれ故郷の味を再現してくれて振る舞ってくれます。ネパールからの農業研修生さんはネパールのカレー。このネパールのカレーは特に絶品で、私は2杯もおかわりしちゃいました。最初はジェイ・ウイングファームで採れた五穀米にカレーのルーをかけて食べたのですが、炭水化物の摂りすぎを恐れて、2杯目からはルーだけをスープのように食べて…。これは店で出しても評判を呼ぶこと間違いないくらいの絶品でした。
皆さんが談笑しているその裏でステージ(?)の準備が行われ、出し物の開始です。
ゲストの出し物は、徳島県からお呼びしたという『阿波木偶箱廻し』の皆さんの祝福芸。
それに引き続いて、牧社長をはじめジェイ・ウイングファームの社員を中心に組んでいるバンドの演奏と続きます。
『阿波木偶箱廻し』とは、四国徳島県に古くから伝えられている伝統芸能です。
木偶人形の入った二つの木箱を天秤棒で担いで移動し、街角で人形芝居を演じたことから“箱廻し”と呼ばれていました。“箱廻し”には、「三番叟・恵比須」の祝福芸と、「傾城阿波の鳴門」などの外題を街角で演じた人形芝居がありました。祝福芸は、五穀豊饒・商売繁盛・無病息災を祈り、人形芝居は民衆に娯楽を提供しました。
明治初年には、阿波の箱廻し芸人は200人を数えたと言われています。彼等は阿淡(阿波・淡路)系の人形文化を木箱に詰めて全国に運び、街角で公演をしました。私がちっちゃな子供だった頃までは、四国のあちこちの街をこの『阿波木偶箱廻し』が回っていました。うっすらと見た記憶があります。特に若い美しい娘が演目の最後に突然妖女に変身して、カッ!と真っ赤になった目と口を大きく開き、オドロオドロしい姿になって観ていた人を驚かせるところなど、はて、確か、この光景は昔どこかで見たような(^_^;)?……って、不思議な感覚に襲われました。
「昔はよく阿波木偶の人形芝居って見かけたわいね。そう言えばあんたが2歳くらいの時、近所に来たんで私があんたを連れて観に行ったことがあるんやけど、最後に口と目が真っ赤になって大きく開くところがあるやろ、あそこであんたはビックリして一目散にその場から駆け出して家に走って帰ったことがあったんよ。笑た笑た。よっぽど怖かったんじゃろうね。泣いてはなかったけど、家で玄関の扉をしばらくしっかり押さえてたんよ。あれからなんぼ誘っても、あんたは観に行こうとはせなんだ(笑)」
ははは…、不思議な感覚とは、いわゆる“トラウマ”ってやつだったんですね(^^; この年齢(57歳)になって、やっと長年のトラウマを克服することができたようです(笑)。
余談ですが、トラウマと言えば、同じく2歳か3歳の頃に犬に追いかけられて噛まれた経験があり、それがトラウマになって、いまだに犬は苦手です。こちらのトラウマの克服は残念ながら今もできていません(^^;
このように、今から50年ほど前までは、日本にもこうした独自の大道芸人の文化が生活に根付いていたのでした。それほど一般的だった阿波木偶箱廻しも、娯楽や生活様式の変化により1960年代にすっかり姿を消してしまいました。
そのかつて全国の民衆に愛された阿波(徳島県)の伝統芸能『阿波木偶箱廻し』を甦らせようと1995年から活動をしているのが、この日、徳島から招かれて演じられたNPO法人「阿波木偶箱廻しを復活する会」の方々です。現在、この伝統芸能を演じられるのは唯一彼等だけなんだそうです。見事でした。
ジェイ・ウイングファームの牧社長は、この「阿波木偶箱廻しを復活する会」を熱心に応援していらっしゃるおひとりです。今回の『麦うらし』もそうですが、こうした日本の田舎に昔から根付いていた伝統行事や伝統芸能を残すのも、実は農業の大事な一面なのかもしれない…と、改めて思いました。
『阿波木偶箱廻し』に引き続いての出し物はバンド演奏。
まず最初は牧社長自らがバンジョーを演奏する『牧バンド』。ロックなどの影響を強く受け、今や若者を含めた幅広い世代の絶大な支持を得て、アメリカでは最も人気のある音楽ジャンルの一つとなっている「カントリーミュージック」ですが、「田舎の音楽」と直訳されるように、そもそもはアメリカ北東部からアメリカ南部にかけての山岳丘陵地帯の農村などで農業従事者の間で広まっていた音楽です。
アメリカへの留学体験をお持ちの牧社長は、そういう文化も持ち帰られて、自ら演奏もなさいます。これが玄人はだし。なかなかの腕前です。フルートを担当されているのは牧社長の小学校時代の同級生で、元は陸上自衛隊音楽隊で活躍され、定年除隊後、地元に戻って家業の農業を継いでおられるという方。はっきり言ってプロです。ピアノ担当はイセキ農機の新入社員で、ジェイ・ウイングファームの実習生。子供の頃からずっとピアノをやっていたということで、これまた素人とは思えない腕前。首にタオルを巻いた農業従事者スタイルでショパンのピアノソナタを即興で弾いた姿に拍手喝采です。
こうした方々の演奏を戸外で聴く。これが音楽の原点なのではないか…と思ったりしました。
『牧バンド』に続いては、同じくジェイ・ウイングファームの若い社員の皆さんを中心に組んでいるバンド『ザ・ジャンボタニシーズ』。「水路を流れ流れて、あちこちで演奏するバンド」がバンド名の由来だそうです(笑)
ちなみに、“ジャンボタニシ”とは新紐舌目リンゴガイ科の淡水巻貝で、正式な和名をスクミリンゴガイと言います。日本へは1980年頃、アルゼンチンから食用として輸入されたものらしいです。バブル経済絶頂期にエスカルゴの代用食品として一儲けしようと多くの業者が養殖を始めたのですが、思ったほど需要がなく、業者はことごとく廃業したのだそうです。しかしながら、このジャンボタニシ、高い環境適応能力を持っているために野生化したのだそうです。稲の苗を食べるため農家にとっては困った存在で、年々被害が拡大しているのだとか。農業用水路の壁面等にはケバい蛍光ピンク色をしたジャンボタニシの卵を見掛けることが多くなりました。カタツムリやナメクジと同様、広東住血線虫(死亡率高く重篤な障害が残りやすい)の宿主なのでとても危険で、素手で触るのは厳禁という厄介者です。
『ザ・ジャンボタニシーズ』のボーカル&ギターはジェイ・ウイングファームの若き現場リーダー齋藤碌クン。愛媛大学農学部出身でジェイ・ウイングファームに入社後、2年間、アメリカに留学して大規模農業経営を学んできたという彼は、農業経営だけでなく、音楽の腕も本場で磨いてきたとかで、ギターのテクニックはプロ顔負けの腕前です。ボーカルも上手い。『ザ・ジャンボタニシーズ』として呼ばれて演奏することもあるそうです。
彼等は1960年代から70年代のアメリカの音楽が好きだということで、演奏するのはその時代の音楽です。1970年代と言うと、まさに私の世代。ローリングストーンズなど私にとってはお馴染みの楽曲を演奏するのですが、中でも「雨を見たかい(Have You Ever Seen The Rain)」クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)などは絶品でした。さすがに2年間、アメリカに留学していたというので、発音がネイティブに近く、本格的でした。
東京からは私だけでなく、大手醤油メーカーの方とか、穀物仲買いの方とかもいらっしゃってました。私は昨年からの参加ですが、皆さん、ここのところ数年、皆勤賞だとおっしゃっていました。ジェイ・ウイングファームとは麦の買付で古いお付き合いなんだとか。
「日本全国の農家の方とお付き合いさせていただいているけど、牧さんのようにその土地に伝わる古い伝統を大事にされている方はほとんどいなくなりました。この自然の恵みに感謝して、収穫を祝う『麦うらし』のようなことは、農家だけでなく農業に関係する全ての人、いや、それを食べるという意味で、全ての日本人が忘れてはならないことだと思い、私は毎回この時期に松山に用事を作り、参加させていただいています」
とのこと。その会話に突然私の背後から牧さんが割り込んできて、
「農業や漁業といった第一次産業が主体だったこの国において、農業文化、漁業文化が日本の文化そのものとも言える。そうしたものをちゃんと後世に残していくことも農業をやる者としての大事な役割だと儂は思っとる!」
こんなことを平然と言ってのけ、しかもそれを実行しちゃうのですから、牧さんは多くの人を惹き付けるのでしょうね。愛媛県立農業大学校に学び、卒業後はアメリカ合衆国に渡って2年間も留学して大規模農業経営を学び、今は耕作放棄地を集めて日本の平均的な農家のおよそ80倍にもあたる120haの耕作面積を誇る大規模農業法人を率い、自分の農園内に「Sunny Side Field」なるアメリカナイズされた公園を作り、さらにアマチュアバンド活動もやられる牧さんが日本文化の伝統を守る…ですか。悔しいけど、カッコよすぎます。
ジェイ・ウイングファームさんの『麦うらし』に2年連続でご招待していただいたので、私も牧さんの(農業の)お仲間の一員に加えていただけたようです。これが嬉しい\(^_^)(^_^)/
帰りは酔いを醒ますこともあって、駅までちょっと長い道を歩いたのですが、夕陽に照らされたハダカ麦の穂が金色に色づいて輝き、神々しい感じさえして感動しちゃいました(写真に撮ったのですが、腕が悪いのでそれが再現できていません)。この光景を目にすると、理屈抜きで“自然の恵み”に感謝する…って気持ちになれますね。自然の力は偉大です(^^)d
【追記】
この時期の愛媛県のミカン畑は柑橘の花の甘い香りに包まれています。
松山市の有名な道後温泉のすぐ裏手にある農園でも、「イヨカン」の花が開花の真っ盛りです。
麦の収穫期、いわゆる“麦秋”ってやつです。
5月10日(土)、愛媛県農業法人協会会長を務められている牧秀宣さんから、牧さんが社長を務められている農業生産法人ジェイ・ウイングファームの麦の収穫感謝祭『麦うらし』に招待されたので、出席してきました。
この『麦うらし』、愛媛県や香川県といった四国の瀬戸内海沿岸では昔からやられていた「春の収穫祭」です。
通常、収穫祭といえば秋の風物詩のようなものなのですが、米よりも麦を栽培する割合が多いこの地方の農家では、麦の収穫時期を迎える“麦秋”の今の時期に開催するところがあります。
昔はこの『麦うらし』を行う農家が多かったそうなのですが、最近では農業の衰退とともに激減。牧社長によると、松山市や隣接する東温市で『麦うらし』を開催している農家は、このジェイ・ウイングファームだけになっているのだとか。
この時期に行う収穫祭は、農閑期から農繁期へ移り変わるキックオフの決起集会のような意味合いも持っているようです。「二毛作」が基本のこの地方では、5月の中旬あたりから麦の収穫が始まり、収穫した麦の脱穀と並行して、今度はその田圃を耕して水を入れ、稲(米)の田植えをします。なので、これから約2ヶ月はとんでもなく忙しい農繁期に突入するというわけです。
昔はその地域の人総出で相互に助け会いながら、この農繁期を乗り切るってことをやっていて、地域コミュニティの力の結集ってものが農業においては重要な鍵を握っていました。その大事なコミュニケーションの場というものも、この『麦うらし』は担っていたように思われます。
『麦うらし』の会場は牧社長がかつて政府の減反政策で減反対象になって耕作放棄地にせざるを得なかった自身の田圃に何本もの木を植えて、アメリカの農家の庭をイメージして作り上げたという麦畑の真ん中の公園というか広場「Sunny Side Field」で開催されました。
この日の松山地方の天気予報は数日前まで「雨」。戸外での開催のため、雨が降っては大変と、牧社長も天気のことばかり気にされておられました。安心していただくために「大丈夫!、私は“晴れ男”です。私が出席すれば必ず晴れます!」と豪語していたのですが、内心はヒヤヒヤものでした。運よく天気が崩れる日が一日遅れて、私の予言通りこの日は晴れになりました。“自分は晴れ男だ!”という思い込み以外、なんら根拠のない予言(予報に非ず)と言うか豪語が当たって、私が一番ホッとしました。牧社長からもその日の朝、「晴れ男さんに感謝感謝」というメールをいただきました。
『麦うらし』にはジェイ・ウイングファームの関係者や取引先、お仲間の農業生産法人の方々、農業生産研究所の研究員、お取引のある銀行の銀行員、ご近所の方々等およそ100人の方々が集まりました。麦畑の真ん中にあるアメリカの農家の庭をイメージした広場で、バーベキューや軽食を囲み、いろいろな出し物が披露されます。それも和洋折衷(笑)。
『麦うらし』は、まずは和式で神主さんの神事で始まります。
恭しくその自然の恵みに感謝を捧げる神事が終わった後は、一気に賑やかにパーティーが始まります。主にジェイ・ウイングファームで採れた食材が主体で、ジェイ・ウイングファームの社員の皆さんが手分けして作った料理が主体なのですが、それに「ウチの食材、食べてみてねぇ~!」って感じで、参加者がめいめい持ち寄った自慢の食材も加わります。朝どりの野菜をはじめ新鮮な食材ばかりなので、どれも美味しいことこの上ないです。
ジェイ・ウイングファームの社員の皆さんは地元愛媛県の出身者だけではなく、全国各地、なかには遠くネパールからの農業研修生もいらしゃって、それぞれ故郷の味を再現してくれて振る舞ってくれます。ネパールからの農業研修生さんはネパールのカレー。このネパールのカレーは特に絶品で、私は2杯もおかわりしちゃいました。最初はジェイ・ウイングファームで採れた五穀米にカレーのルーをかけて食べたのですが、炭水化物の摂りすぎを恐れて、2杯目からはルーだけをスープのように食べて…。これは店で出しても評判を呼ぶこと間違いないくらいの絶品でした。
皆さんが談笑しているその裏でステージ(?)の準備が行われ、出し物の開始です。
ゲストの出し物は、徳島県からお呼びしたという『阿波木偶箱廻し』の皆さんの祝福芸。
それに引き続いて、牧社長をはじめジェイ・ウイングファームの社員を中心に組んでいるバンドの演奏と続きます。
『阿波木偶箱廻し』とは、四国徳島県に古くから伝えられている伝統芸能です。
木偶人形の入った二つの木箱を天秤棒で担いで移動し、街角で人形芝居を演じたことから“箱廻し”と呼ばれていました。“箱廻し”には、「三番叟・恵比須」の祝福芸と、「傾城阿波の鳴門」などの外題を街角で演じた人形芝居がありました。祝福芸は、五穀豊饒・商売繁盛・無病息災を祈り、人形芝居は民衆に娯楽を提供しました。
明治初年には、阿波の箱廻し芸人は200人を数えたと言われています。彼等は阿淡(阿波・淡路)系の人形文化を木箱に詰めて全国に運び、街角で公演をしました。私がちっちゃな子供だった頃までは、四国のあちこちの街をこの『阿波木偶箱廻し』が回っていました。うっすらと見た記憶があります。特に若い美しい娘が演目の最後に突然妖女に変身して、カッ!と真っ赤になった目と口を大きく開き、オドロオドロしい姿になって観ていた人を驚かせるところなど、はて、確か、この光景は昔どこかで見たような(^_^;)?……って、不思議な感覚に襲われました。
「昔はよく阿波木偶の人形芝居って見かけたわいね。そう言えばあんたが2歳くらいの時、近所に来たんで私があんたを連れて観に行ったことがあるんやけど、最後に口と目が真っ赤になって大きく開くところがあるやろ、あそこであんたはビックリして一目散にその場から駆け出して家に走って帰ったことがあったんよ。笑た笑た。よっぽど怖かったんじゃろうね。泣いてはなかったけど、家で玄関の扉をしばらくしっかり押さえてたんよ。あれからなんぼ誘っても、あんたは観に行こうとはせなんだ(笑)」
ははは…、不思議な感覚とは、いわゆる“トラウマ”ってやつだったんですね(^^; この年齢(57歳)になって、やっと長年のトラウマを克服することができたようです(笑)。
余談ですが、トラウマと言えば、同じく2歳か3歳の頃に犬に追いかけられて噛まれた経験があり、それがトラウマになって、いまだに犬は苦手です。こちらのトラウマの克服は残念ながら今もできていません(^^;
このように、今から50年ほど前までは、日本にもこうした独自の大道芸人の文化が生活に根付いていたのでした。それほど一般的だった阿波木偶箱廻しも、娯楽や生活様式の変化により1960年代にすっかり姿を消してしまいました。
そのかつて全国の民衆に愛された阿波(徳島県)の伝統芸能『阿波木偶箱廻し』を甦らせようと1995年から活動をしているのが、この日、徳島から招かれて演じられたNPO法人「阿波木偶箱廻しを復活する会」の方々です。現在、この伝統芸能を演じられるのは唯一彼等だけなんだそうです。見事でした。
ジェイ・ウイングファームの牧社長は、この「阿波木偶箱廻しを復活する会」を熱心に応援していらっしゃるおひとりです。今回の『麦うらし』もそうですが、こうした日本の田舎に昔から根付いていた伝統行事や伝統芸能を残すのも、実は農業の大事な一面なのかもしれない…と、改めて思いました。
『阿波木偶箱廻し』に引き続いての出し物はバンド演奏。
まず最初は牧社長自らがバンジョーを演奏する『牧バンド』。ロックなどの影響を強く受け、今や若者を含めた幅広い世代の絶大な支持を得て、アメリカでは最も人気のある音楽ジャンルの一つとなっている「カントリーミュージック」ですが、「田舎の音楽」と直訳されるように、そもそもはアメリカ北東部からアメリカ南部にかけての山岳丘陵地帯の農村などで農業従事者の間で広まっていた音楽です。
アメリカへの留学体験をお持ちの牧社長は、そういう文化も持ち帰られて、自ら演奏もなさいます。これが玄人はだし。なかなかの腕前です。フルートを担当されているのは牧社長の小学校時代の同級生で、元は陸上自衛隊音楽隊で活躍され、定年除隊後、地元に戻って家業の農業を継いでおられるという方。はっきり言ってプロです。ピアノ担当はイセキ農機の新入社員で、ジェイ・ウイングファームの実習生。子供の頃からずっとピアノをやっていたということで、これまた素人とは思えない腕前。首にタオルを巻いた農業従事者スタイルでショパンのピアノソナタを即興で弾いた姿に拍手喝采です。
こうした方々の演奏を戸外で聴く。これが音楽の原点なのではないか…と思ったりしました。
『牧バンド』に続いては、同じくジェイ・ウイングファームの若い社員の皆さんを中心に組んでいるバンド『ザ・ジャンボタニシーズ』。「水路を流れ流れて、あちこちで演奏するバンド」がバンド名の由来だそうです(笑)
ちなみに、“ジャンボタニシ”とは新紐舌目リンゴガイ科の淡水巻貝で、正式な和名をスクミリンゴガイと言います。日本へは1980年頃、アルゼンチンから食用として輸入されたものらしいです。バブル経済絶頂期にエスカルゴの代用食品として一儲けしようと多くの業者が養殖を始めたのですが、思ったほど需要がなく、業者はことごとく廃業したのだそうです。しかしながら、このジャンボタニシ、高い環境適応能力を持っているために野生化したのだそうです。稲の苗を食べるため農家にとっては困った存在で、年々被害が拡大しているのだとか。農業用水路の壁面等にはケバい蛍光ピンク色をしたジャンボタニシの卵を見掛けることが多くなりました。カタツムリやナメクジと同様、広東住血線虫(死亡率高く重篤な障害が残りやすい)の宿主なのでとても危険で、素手で触るのは厳禁という厄介者です。
『ザ・ジャンボタニシーズ』のボーカル&ギターはジェイ・ウイングファームの若き現場リーダー齋藤碌クン。愛媛大学農学部出身でジェイ・ウイングファームに入社後、2年間、アメリカに留学して大規模農業経営を学んできたという彼は、農業経営だけでなく、音楽の腕も本場で磨いてきたとかで、ギターのテクニックはプロ顔負けの腕前です。ボーカルも上手い。『ザ・ジャンボタニシーズ』として呼ばれて演奏することもあるそうです。
彼等は1960年代から70年代のアメリカの音楽が好きだということで、演奏するのはその時代の音楽です。1970年代と言うと、まさに私の世代。ローリングストーンズなど私にとってはお馴染みの楽曲を演奏するのですが、中でも「雨を見たかい(Have You Ever Seen The Rain)」クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)などは絶品でした。さすがに2年間、アメリカに留学していたというので、発音がネイティブに近く、本格的でした。
東京からは私だけでなく、大手醤油メーカーの方とか、穀物仲買いの方とかもいらっしゃってました。私は昨年からの参加ですが、皆さん、ここのところ数年、皆勤賞だとおっしゃっていました。ジェイ・ウイングファームとは麦の買付で古いお付き合いなんだとか。
「日本全国の農家の方とお付き合いさせていただいているけど、牧さんのようにその土地に伝わる古い伝統を大事にされている方はほとんどいなくなりました。この自然の恵みに感謝して、収穫を祝う『麦うらし』のようなことは、農家だけでなく農業に関係する全ての人、いや、それを食べるという意味で、全ての日本人が忘れてはならないことだと思い、私は毎回この時期に松山に用事を作り、参加させていただいています」
とのこと。その会話に突然私の背後から牧さんが割り込んできて、
「農業や漁業といった第一次産業が主体だったこの国において、農業文化、漁業文化が日本の文化そのものとも言える。そうしたものをちゃんと後世に残していくことも農業をやる者としての大事な役割だと儂は思っとる!」
こんなことを平然と言ってのけ、しかもそれを実行しちゃうのですから、牧さんは多くの人を惹き付けるのでしょうね。愛媛県立農業大学校に学び、卒業後はアメリカ合衆国に渡って2年間も留学して大規模農業経営を学び、今は耕作放棄地を集めて日本の平均的な農家のおよそ80倍にもあたる120haの耕作面積を誇る大規模農業法人を率い、自分の農園内に「Sunny Side Field」なるアメリカナイズされた公園を作り、さらにアマチュアバンド活動もやられる牧さんが日本文化の伝統を守る…ですか。悔しいけど、カッコよすぎます。
ジェイ・ウイングファームさんの『麦うらし』に2年連続でご招待していただいたので、私も牧さんの(農業の)お仲間の一員に加えていただけたようです。これが嬉しい\(^_^)(^_^)/
帰りは酔いを醒ますこともあって、駅までちょっと長い道を歩いたのですが、夕陽に照らされたハダカ麦の穂が金色に色づいて輝き、神々しい感じさえして感動しちゃいました(写真に撮ったのですが、腕が悪いのでそれが再現できていません)。この光景を目にすると、理屈抜きで“自然の恵み”に感謝する…って気持ちになれますね。自然の力は偉大です(^^)d
【追記】
この時期の愛媛県のミカン畑は柑橘の花の甘い香りに包まれています。
松山市の有名な道後温泉のすぐ裏手にある農園でも、「イヨカン」の花が開花の真っ盛りです。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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