2014/06/04

気候で読み解く日本の歴史―異常気象との攻防1400年

愛媛のジェイ・ウィングファームの牧社長から「越智さん、この本は面白い!」と紹介された本をamazonで注文して取り寄せ、さっそく読んでみました。牧社長が絶賛するくらいこの本はメチャメチャ面白く、目から鱗が落ちるというか、腑に落ちると言うか、共鳴する部分が多かったので、皆さんにもご紹介します。

気候で読み解く日本の歴史―異常気象との攻防1400年_1 その本の題名は『気候で読み解く日本の歴史―異常気象との攻防1400年』(田家 康著 日本経済新聞出版社)。


長期に及ぶ寒冷化や干ばつが引き起こす飢饉、疫病、戦争ーー。日本の歴史は気候変動が動かしてきた。本書は、律令時代から近代まで、日本人が異常気象にどのように立ち向かってきたのかを豊富なエピソードとともに描いた異色作です。

巻末の著者略歴を見ると、著者の田家 康(たんげ やすし)さんは現在、独立行政法人農林漁業信用基金の漁業部長。1959年神奈川県生まれですから、学年ではおそらく私の4つ下なので54歳。1981年、横浜国立大学経済学部卒。農林中央金庫農林水産金融部部長(森林部門担当部長)を経て、2011年より現職に就かれています。一方で、2002年に気象予報士試験に合格して気象予報士の資格を持ち、日本気象学会会員、日本気象予報士会東京支部長を務めていらっしゃいます。

近年、「気候変動」や「異常気象」という言葉が広く使われるようになってきています。原因が産業革命以降の人為的な温室効果ガスの排出量によるものかどうかの議論はさておくとして、長期的に見ると地球全体の平均気温が増加傾向にあることは確かで、それに伴う大雨や干ばつ、高温、巨大台風の出現…等々様々な「異常気象」と呼ばれる現象が世界各地で現れてきています。

日本列島でも昨年の夏、最高気温が40℃を超すような猛暑となり、全国的に暑い夏になりました。点と点で見れば、確かに昨年の日本の夏は大変な猛暑でした。ですが、これは関東地方以西に限ったことで、昨年の夏も東北や北海道の人にとっては今年はさして暑くないなあ~、それより雨がよく降るなあ~というのが昨年の夏の印象だったのではないでしょうか。今年の夏も南米ペルー沖の海水温が高まるエルニーニョ現象の影響で、北日本では冷夏になるのではないかと予想されています。

目を世界に転ずると北米大陸は、昨年は空前の寒い夏になりました。赤道を挟んだ南米では、かつてないほどの猛烈な寒波に襲われ、ペルー、ボリビア、パラグアイなどでは多数の家畜が死んだと言われています。

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-596.html

地球は温暖化に向かっているのは確かなことのようですが、話はそんなに単純なことではないということのようです。そもそも地球は誕生以来、大小様々な気温の変化のウネリの中にありました。すなわち、常に「気候は大きく変動してきた」ということです。「異常気象」という言葉がありますが、気候が大きく変動していく中においては、気象に“異常”というものはなく、これが“普通”なんだという意識が重要となりそうです。

そして、有史以来、人類はこの気候変動に起因する「異常気象」なるものとの戦いを繰り返してきたわけです。それが人類の歴史というものです。

本書は、時代を遡り、律令時代から近代まで、私たち日本人が気候変動に起因する災難にどう立ち向かってきたのか、その攻防の歴史を豊富なエピソードとともに描いています。

本書では、まず、地球の気候について、さまざまな時間スケールで変動があることを説明しています。太陽を回る地球のわずかなズレ、すなわち地球の公転軌道の離心率の周期的変化から、地球はおよそ10万年サイクルで氷河期と間氷期を繰り返しています。最後の氷河期は約7万年前に始まり約1万年前に終わり、日本列島は最終氷期末の1万6,500年前に旧石器時代に別れを告げ、土器を作る文明“縄文時代”が世界に先駆け始まったとされています。そして現在は、次の氷河期が来る前の間氷期という温暖な時代であります。しかし、数百年単位のスケールで見ると、ここ2000年の間には、太陽活動の強弱と巨大火山噴火により寒冷期と温暖期を繰り返してきたことを、最新の古気候学の科学的研究成果を引用して丁寧に解説してくれています。

近年の古気候学の研究から、太陽活動は数百年単位で活発化し、あるいは低下して地球の気候は数百年単位で変動することがわかってきました。また、巨大火山噴火による「火山の冬」の到来で、火山噴火も地球規模で気候に影響を及ぼしてきたこともわかってきました。そしてその度に人類が築き上げた文明は興亡を繰り返してきたのです。

このように太陽活動の強弱と火山噴火は太古の昔から地球規模で気候の温暖化・寒冷化をもたらす大きな要因であったわけです。この2つの要因による気候変動と日本列島の気候は無縁ではありません。地球規模の気候変動は日本列島付近の気圧配置を変え、夏季の太平洋高気圧の外縁を時計周りに流れる南西モンスーンの勢力に変化を与え、冬季の寒冷なシベリア気団の動向に影響を及ぼしてきました。また、北半球を一周する偏西風が大きく蛇行すると寒冷低気圧が日本列島を覆って異常低温をもたらし、あるいはオホーツク海からの北東風による冷たい寒気が東日本の太平洋沿岸を襲うこともありました。

そして、この気候変動は天候不順や異常気象をもたらす主たる要因になります。日本列島においても、温暖な時代に干ばつの到来で凶作となる一方、寒冷化すると冷夏・長雨によって飢饉に見舞われることになります。天候不順は疫病を大流行させ、社会不安や戦乱の要因ともなってきたわけです。

本書では、様々な古文書をもとに我が国の律令時代から近代まで、天候不順や異常気象の長期化がまねいた凶作、飢饉、疫病、戦乱の歴史を紹介し、古気候学の科学的研究成果との関連性を裏付けています。

この1000年間の社会の安定・不安定の変動メカニズムは、単純化すれば以下のように説明できます。この1000年の間、太陽活動は5回低下し、その都度、日本を含む世界各地で寒冷となり、飢饉となりました。この寒冷期に巨大火山噴火があると、火山ガスが成層圏にまで達し太陽の放射を遮るためさらに寒冷化に拍車がかかり、飢饉の被害が甚大となり、社会不安が加速しました。一方、太陽活動が安定し、巨大火山噴火もない温暖な時期には、農作物生育は良好で、結果、人口も増え、時の政権も安定していました。これに数年に一度発生するエルニーニョ現象による影響が加わり、このメカニズムはより複雑化します。

過去の歴史から、
①飢饉には高温・少雨による干ばつ型の飢饉と、低温・長雨による冷害型の飢饉の2つの種類があること
②干ばつ型の飢饉は西日本で被害が大きいが、冷害型の飢饉は全国に及ぶ場合があること
③干ばつ型の飢饉は、灌漑技術や水田二毛作など農業技術の発達により室町時代以降、徐々に克服されるが、冷害型の飢饉は、対処が困難で江戸時代でも頻発したこと
等が史実に基づいて克明に描写されています。

それにしても、私たち日本人の生活や心持ちが日々の天気に左右されるためか、昔から天気をまめに記録することが習慣化されていることにはあらためて感服させられます。学校の古典で習う平安時代紀貫之の土佐日記などの日記文学に始まり、鎌倉、室町時代の寺社日記、さらに、この習慣は武家に受け継がれ、とくに平和な江戸時代には膨大な藩日記が史料としてでき上がっています。特に弘前藩庁日記は1661年から1867年まで毎日書き綴られています。また、全国各藩の藩日記から18世紀の天明飢饉時の日本各地の毎日の天気分布図を描くこともできるとは、驚きです。

我々は中学生や高校生だった当時、◯◯年、●●天皇が都を△△に移した…てな感じで歴史の表面的な事項を、単なる一つの事実として教科書から覚えて、それで歴史を学んだ気分になっていたようなところがありました。その背景や理由に思いを馳せることなく、哀しいかなこの年に至ってしまってましたが、日本の(或いは世界でも)歴史の転換点の背景には気候変動が重要な影響を与えていたらしいことを本書は示してくれています。私には眼から鱗の本でした。

長く農林中央金庫で働いてきた著者は、おそらく歴史や地学や環境考古学の研究者ではないのでしょうが、自力でこの学際的領域の勉強を重ねて本書を執筆するに至ったのだと思います。ホント頭が下がる思いです。

「異常気象」→「不作」→「飢饉」→「政情不安」…というドミノ現象は今でも通用する世界共通の成り行きのように思えます。幸いなことに、コメの不作が飢饉に直接結び付かなくなったのは、日本ではつい最近のことです。例えば、1993年は前年比74%というコメの大凶作で、その時は国内では米騒動(大騒ぎ)が起きましたが、なんとかタイなどから260万トンのコメを緊急輸入して急場をしのいだことは記憶に新しいところです。この時は日本限定の冷夏で起きたコメの不作だったこと、さらには1993年という1年間だけ起きたコメの不作だったことで助かりました。ですが、あの時の日本国内の大騒ぎぶりを覚えている者としては、ああいう事態が地球規模で起きたとしたら…と考えてしまいます。

日本を襲った大飢饉は概ね40年から50年の周期で起きていることを歴史は示しています。異常気象は自然現象であり、日本で暮らしていく限り、避けては通れない現実です。これを克服するためには、「科学技術の発達と為政者による有効な施策が車の両輪」とする著者・田家 康さんの見解は、十分に説得力があります。

               ――――目次――――

         はじめに
         プロローグ 太陽活動と火山噴火がもたらす気候変動
         第 I 章 平城京の光と影
         第II 章 異常気象に立ち向かった鎌倉幕府
        第III章 「1300年イベント」 という転換期
        第IV章 戦場で 「出稼ぎ」 した足軽たち
        第V 章 江戸幕府の窮民政策とその限界
         エピローグ
        参考文献 ……とにかく膨大な参考文献の多さに驚くとともに、
                                           説得力があります。
        人名・事項索引



【追記】
ネットで検索するとライフネット生命保険 代表取締役会長の出口治明さんが書かれた本書の書評が掲載されているのですが、この書評には私もまったくの同感なので、そのまま転載します。

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歴史は文系の学問ではない(そもそも、大学が文系・理系と分かれているのは、先進国ではわが国ぐらいのものではないか)。グローバルには、自然科学の知見を存分に活用し、例えばBC1200年のカタストロフィや、モンゴル・ウルス崩壊など、歴史的な超大イベントの原因を気候変動に求める見解が有力であるが、日本史においては、著者の作品以外にそういった書物にはこれまであまり出会わなかった(私が知らないだけかも知らないが)。

本書は、太陽活動と火山噴火を車の両輪にして(それに、エルニーニョも加味して)、わが国の歴史上の気候変動を詳述し、それをベースにして日本史を、いわば再構成したものである。

人間の歴史を大雑把に振り返ると、産業革命以前の主要産業は、農業や牧畜であった。そうであれば、自然破壊や気候変動の影響をモロに受けることは、当然である。わが国では、平城京では、遷都が繰り返された(推古天皇から桓武天皇まで、200年間に21回)。ところが、平安京以降は遷都がほぼなくなる。何故か。著者の答は、明解である。畿内での森林資源が払底したからだ、と。檜皮葺、漆喰、畳というトリオや松茸(アカマツ林)も、森林資源枯渇の産物なのだ。

何故、源平合戦で源氏が勝ったのか。それは西日本の凶作が主因ではないか。新田義貞が鎌倉を落とせたのは、小氷期による海退によって、海岸線の道が開けたからではないか。上杉謙信が12回も関東平野に出兵し、うち8回も越冬しているのは、本国の凶作に対応した「口減らし」ではなかったか、等々、興味深い指摘が豊富なデータに基づいて、次々と示される。とても面白く、かつ、ほとんど全てがストンときれいに腹落ちする。

このような気候変動に、私たちの祖先は、どのように対応してきたのだろうか。平凡なようだが、技術の発達による克服(灌漑設備や品種改良等)と、統治の安定と的確な対策の2点に尽きると筆者は述べる。それは、これからもその通りだろう。市場経済については、気候変動の影響を増幅するのではないか、と筆者は指摘するが、この点については、舵取り次第で緩和にも増幅にもどちらにも振れるように思われる。ともあれ、歴史好きの皆さんには、ぜひともお薦めしたい1冊だ。

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