2014/06/09
日本史の謎は「地形」で解ける
先日、奄美大島に出張することがあり、少し早く羽田空港に着いたので、長い空路、暇潰しに読む本でも探そうかとターミナルビル内の書店をぶらついていて、ある文庫本に目がとまりました。
その本が竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫)
田家康さんの『気候で読み解く日本の歴史』を読んで感動して以来、歴史の新しい読み方を知った私にとって、好奇心を大いにくすぐってくれる題名です。
気象情報会社の経営に関わるようになって11年。工学部電子工学科出身のシステムエンジニアあがりの私も、“自然”ということに人一倍興味を持つようになってきました。
私が言うまでもないことですが、私達が住む日本列島は世界中見回して見ても極めて特殊なところであると言うことができます。
まず、特徴的なのが“地形”。日本列島は北緯25度から45度の温帯に位置して、周囲を海に囲まれた南北に細長い列島です。列島の7割は山岳地帯で、平野の面積は僅か1割に過ぎません。その平野はいずれも沖積平野で、水捌けが悪く、雨が少しでも降れば水浸しになるような土地ばかりです。7割は山岳地帯ということで河川の勾配は急で、山に降った雨は一気に洪水となって海に流れ去り、日照りが少しでも続けば今度は水不足に悩まされます。
この列島の気候も特徴的です。モンスーン帯の北限に位置するこの列島は、大陸のシベリア高気圧と太平洋高気圧の影響で、北からの寒気と南からの暖気が列島付近の上空でぶつかりあうことから、日本列島の気温、降雨は激しく変化をし続けています。まさに、日本の気候(気象)は休むことなく一年中変化し続けていると言えます。この変化し続ける厳しい気象環境の中で我々日本人は有史以来、生きてきたわけです。国土の7割が山岳地帯で、平野の面積は僅か1割に過ぎなく、周囲を海に囲まれた南北に細長い(逃げ場のない)列島というこれまた厳しい地理的環境の中で…。
しかも、日本列島付近では地球の表面を覆う大きな大陸プレートが幾つも境界面を接しています。このため世界で発生する大地震の約20%はこの日本列島付近で発生し、活火山の10%が日本列島とその周辺に位置しています。歴史を振り返ってみると、日本はほぼ1世紀の間に5回~10回は1,000人以上の死者を出す大規模な地震に襲われています。すなわち、10~20年おきに、日本列島のどこかで、多数の日本人が地震活動による突然の死に見舞われている計算になります。
自然が持つこの理不尽な破壊力はあまりにも強大で、人間の力を遥かに超えています。圧倒的な破壊力を持つ自然の脅威の来襲を前にすると、人間の力なんてあまりにも無力です。日本列島に住む我々日本人はこの激変する気象と、突然襲ってくる理不尽な地震という自然環境を受け入れざるを得なかったわけです。あくまでも、主役は自然であり、人はその自然に歩調を合わせるしかなかったということです。
この本の著者・竹村公太郎さんは歴史学者などではなく、工学部土木工学科出身で建設省にいたという土木エンジニアさん。国土交通省での最終役職は、なんと河川局長です。この本はそういう経歴の方が土木工学の見地から日本の歴史を読み解いたというとてもユニークな視点の本です。これは気象・気候の観点から日本の歴史を読み解いた農林中央金庫の田家康さんの『気候で読み解く日本の歴史』に通じるものがあります。
『気候で読み解く日本の歴史』の紹介記事でも書きましたが、この本の読後の感想も、一言で言うと、目からウロコの連続でした。しかも、合理的に解説されているので、いっけん突拍子もないことのように述べられている仮説も腑に落ちるんです。
これまで歴史は、主として文系の人文社会分野の専門家や歴史学者の方々が、思想、哲学、宗教、文学、社会、経済…等、人の営みのほうにばかり着目して分析してきたようなところがあります。そして歴史は常に英雄達を中心に語られてきたようなところもあります。なので、歴史は戦いの勝者によって、勝者に都合のいいように書き換えられてきたというようなところも実際ありました。歴史は英語で『history』といいますが、この“history”は“his story”の略だという語源の説もあるくらいです。私はそれらを否定するつ もりはありませんが、いまいち腑に落ちることが少なく、「物語としては面白いんだけど、それって本当のことなのかなぁ~?」…って思うことがこれまで多々ありました。私は中学校・高校時代、社会科、特に歴史が大の苦手の科目だったのですが、この「それって本当のことなのかぁ~?」という疑問が原因だったようなところも正直ありました。まぁ~言い訳に過ぎませんが…(^^;
しかしながら、地形と気象は動かしようのない事実であり、その動かしようのない事実である地形と気象を解釈の根拠として、歴史を読み解こうという竹村公太郎さんの独自の視点に基づく説は理系特有の合理的な納得感があり、これまでの定説が根底からひっくり返る知的興奮と、ミステリー小説の謎解きのような快感を味わうことができます。
竹村さんも著書の中で取り上げられていますが、ニクソン大統領時代のアメリカ合衆国国務長官だったキッシンジャー氏の言葉に「その国を知りたければ、その国の気象と地理を学ばなければならない」という言葉があります。これはけだし名言で、気象と地理への理解こそ、文明を、そして歴史を解き明かす重要な鍵となると思います。
私がこの気象情報会社の社長に就かせていただいて11年という長い時間が経過しました。その11年間で朧気ながら掴んだことは、気象と地理の情報は、人々の日々の生活にとって自分が思っている以上に重要な“絶対インフラ”とも言えるような最下層に位置する情報(すなわち、最低辺で社会全体を支える情報)で、今、私は図らずもそういう重要な情報を扱う会社の経営を任せていただいているんだ…ということです。田家康さんの『気候で読み解く日本の歴史』、そして竹村公太郎さんの『日本史の謎は「地形」で解ける』を読んで、その思いを一層強くしました。
参考までに、本書の目次を以下に示します。
─────────────── 目 次 ────────────────
第1章 関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか
(巨大な敵とのもう1つの戦い)
第2章 なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか
(地形が示すその本当の理由)
第3章 なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか
(日本史上最も狭く小さな首都)
第4章 元寇が失敗に終わった本当の理由とは
(日本の危機を救った「泥」の土地)
第5章 半蔵門は本当に裏門だったのか
(徳川幕府百年の復讐①)
第6章 赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したのか
(徳川幕府百年の復讐②)
第7章 なぜ徳川幕府は吉良家を抹殺したか
(徳川幕府百年の復讐③)
第8章 四十七士はなぜ泉岳寺に埋葬されたか
(徳川幕府百年の復讐④)
第9章 なぜ家康は江戸入り直後に小名木川を造ったか
(関東制圧作戦とアウトバーン)
第10章 江戸100万人の飲み水をなぜ確保できたか
(忘れられたダム「溜池」)
第11章 なぜ吉原遊郭は移転したのか
(ある江戸治水物語)
第12章 実質的な最後の「征夷大将軍」は誰か
(最後の“狩猟する人々”)
第13章 なぜ江戸無血開城が実現したか
(船が形成した日本人の一体感)
第14章 なぜ京都が都になったか
(都市繁栄の絶対条件)
第15章 日本文明を生んだ奈良は、なぜ衰退したか
(交流軸と都市の盛衰)
第16章 なぜ大阪には緑の空間が少ないか
(権力者の町と庶民の町)
第17章 脆弱な土地・福岡はなぜ巨大都市となったか
(漂流する人々の終の棲家)
第18章 「二つの遷都」はなぜ行われたか
(首都移転が避けられない時)
─────────────────────────────────────────────
いかがですか? なかなか魅力的な章だてが並んでいると思いませんか。私はこの目次に惹かれて、迷わずこの本を購入しちゃいました。
ちなみに本の帯には、『養老孟司氏、推薦! 荒俣宏氏、絶賛!』 の文字が踊っています(^^)d
竹村公太郎さんが歴史の謎の解明に使われるのが地図を用いたコンピュータの地図情報システム(GIS)を用いたシミュレーション。歴史を解明するには、21世紀の現在の地理をいくら眺めて、そして現在の気象条件の上でいくら考えてみたのでもダメで、あくまでもその当時の地理や気象条件の上で推察してみないといけません。
約6000年前の縄文時代、大気の温度は現在より5℃近く高く、海面は現在より5メートル近く上昇していたと言われています。竹村さんは現在の日本列島の地図と、コンピュータのGISソフトを使って海水面を5メートル上昇させた時のシミュレーション地図を横に並べて、その対比で考察するという手法をとっています。海水面を5メートル上昇させた時の日本列島の海岸線はかなりショッキングな図になっています。特に劇的なのは関東平野。海は関東平野の奥深くまで侵入していて、横浜市や川崎市、千葉県の海岸部はもちろん、東京都の東半分から埼玉県にかけての関東南部一帯(現在、首都圏と呼ばれている一帯)が海になっています。その海は、現在の埼玉県、栃木県、千葉県の三県の境が接する埼玉県久喜市あたりまで北上しているように見えます。現在の霞ヶ浦と北浦は1つに合体して大きな湖になっていて、さらに海が内陸に入り込んでいることから、房総半島はほとんど“関東湾”に浮かぶ島のようにも見えます。約6000 年前の縄文時代の関東地方の地形はたぶんこんな感じだったんでしょう。
その後、地球は寒冷期に入り、海水面も徐々に低下していって、海岸線は沖のほうに後退していき、6000年という長い年数を経て、現在のような地形になったわけですが、このかつて海だった低地は極めて水捌けが悪く、排水ポンプなどない時代には、ひとたび雨が降れば、水は行き場を失い、あたり一面に溢れていたということは容易に想像できます。さらに、利根川、渡良瀬川、荒川が流れ込んでいたので、この一帯はほとんど一年中浸水したままの湿地帯であっただろうと想像できます。
なので関東南部を東西に歩いて横断することは不可能に近く、海がない(標高の高い)栃木県、埼玉県北部、群馬県といった北関東の東山道と呼ばれる大きく迂回するルートを陸路で行くか、南を海路で(船で)行くかの2つしか選択がなかったことがわかります。このことが、例えば伊豆半島に配流されていた源頼朝が東伊豆から三浦半島・房総半島と行き来していて、挙兵前から三浦氏や千葉氏などの豪族たちと交流があったという想像に発展するわけです。
関東地方が今のような地形になったのは、徳川家康が江戸の地に幕府を開き、利根川の流れを銚子に向かって流れるように付け替える工事をはじめ、たびたび氾濫を繰り返す暴れ川であった荒川に治水用の堤防の構築を行う等、様々な手を加えることによってからです。そしてそれは明治維新後も、そして今も続いています。なので、歴史を現在の地形で考察したのではダメで、あくまでも、その当時の地形に戻して考察する必要があるわけです。
特にこの本の前半、江戸の歴史を読み解く当たりは非常に面白いです。
関ヶ原の戦いが始まる10年前の1590年に徳川家康が豊臣秀吉に転封を命じられて江戸の地に入った時、徳川家康とその家臣一行が目にしたものは、何も育たない湿地帯が延々と続く荒涼とした風景だったのではないでしょうか。おそらく一行は、その劣悪な土地の風景に驚愕し、圧倒され、この地になんら未来の希望を見出だすことができなかったのではないか思われます。
そういう中で、一人、総大将の徳川家康だけが違っていたようです。史実でも家康は激昂する配下の武将達をなだめ、荒れ果てた江戸に入ったと伝えられています。家康はその荒れ果てた関東の湿地帯を見て、その下に秘かに眠る天下を確実にする「宝物」を一瞬にして見抜いたのはないだろうか…と竹村さんは推察しています。その宝物を手に入れたからこそ、江戸幕府は260年もの長きに渡り続き、そのあとも江戸の地は東京と名前こそ変えたが、400年以上も日本の首都でいられているわけです。
その意味で、徳川家康の真骨頂は、土木エンジニアだったのではないかと思われます。それも、メチャメチャ凄腕の土木エンジニアです。(実際、武将としての戦さは、さほど強くはありませんでしたしね)
豊臣秀吉は自身を脅かす勢力を持ち始めた徳川家康を、京都や大阪と言った当時日本の中心であった近畿地方から遠く離れたまだまだ未開の関東の地へ脅威となった徳川家康を封じ込めたつもりだったのでしょうが、それがその後の日本の歴史を大きく変えて、今のこの国の反映に繋がっているわけです。
徹底して僧侶たちを虐殺した織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ち。これは今もなお「なぜ信長は徹底して僧侶達を虐殺する必要があったのか?」という大きな疑問が残されたままになっています。人文社会の分野の研究者によると、その原因を信長の狂気のせいに押し付けているようなところがありますが、地形の観点から比叡山延暦寺の焼き討ちを眺めていくと、その疑問が一瞬にして解けていくのが不思議です。それも極めて合理的な腑に落ちる解釈で…。
そんなこんなで羽田~奄美大島の往復の機内で、サラサラッとこの『日本史の謎は「地形」で解ける』を読み終えました。帰り着いた羽田空港でまず向かった先は、出発前にこの本を購入したターミナルビル内の書店。その書店で続編にあたる『日本史の謎は「地形」で解ける ―文明・文化篇―』を購入し、羽田空港からさいたま市の自宅までの電車の車内で読み始め、週末にかけて読み終えました。
この『―文明・文化篇―』もメチャメチャ面白いです。幕末、圧倒的な武力を有する欧米列強によって、日本は植民地化される絶体絶命の危機にあったわけですが、なぜ、その日本は植民地化されることを免れたのか? の分析などは秀逸です。
この『日本史の謎は「地形」で解ける』と『日本史の謎は「地形」で解ける ―文明・文化篇―』、お薦めです!
その本が竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫)
田家康さんの『気候で読み解く日本の歴史』を読んで感動して以来、歴史の新しい読み方を知った私にとって、好奇心を大いにくすぐってくれる題名です。
気象情報会社の経営に関わるようになって11年。工学部電子工学科出身のシステムエンジニアあがりの私も、“自然”ということに人一倍興味を持つようになってきました。
私が言うまでもないことですが、私達が住む日本列島は世界中見回して見ても極めて特殊なところであると言うことができます。
まず、特徴的なのが“地形”。日本列島は北緯25度から45度の温帯に位置して、周囲を海に囲まれた南北に細長い列島です。列島の7割は山岳地帯で、平野の面積は僅か1割に過ぎません。その平野はいずれも沖積平野で、水捌けが悪く、雨が少しでも降れば水浸しになるような土地ばかりです。7割は山岳地帯ということで河川の勾配は急で、山に降った雨は一気に洪水となって海に流れ去り、日照りが少しでも続けば今度は水不足に悩まされます。
この列島の気候も特徴的です。モンスーン帯の北限に位置するこの列島は、大陸のシベリア高気圧と太平洋高気圧の影響で、北からの寒気と南からの暖気が列島付近の上空でぶつかりあうことから、日本列島の気温、降雨は激しく変化をし続けています。まさに、日本の気候(気象)は休むことなく一年中変化し続けていると言えます。この変化し続ける厳しい気象環境の中で我々日本人は有史以来、生きてきたわけです。国土の7割が山岳地帯で、平野の面積は僅か1割に過ぎなく、周囲を海に囲まれた南北に細長い(逃げ場のない)列島というこれまた厳しい地理的環境の中で…。
しかも、日本列島付近では地球の表面を覆う大きな大陸プレートが幾つも境界面を接しています。このため世界で発生する大地震の約20%はこの日本列島付近で発生し、活火山の10%が日本列島とその周辺に位置しています。歴史を振り返ってみると、日本はほぼ1世紀の間に5回~10回は1,000人以上の死者を出す大規模な地震に襲われています。すなわち、10~20年おきに、日本列島のどこかで、多数の日本人が地震活動による突然の死に見舞われている計算になります。
自然が持つこの理不尽な破壊力はあまりにも強大で、人間の力を遥かに超えています。圧倒的な破壊力を持つ自然の脅威の来襲を前にすると、人間の力なんてあまりにも無力です。日本列島に住む我々日本人はこの激変する気象と、突然襲ってくる理不尽な地震という自然環境を受け入れざるを得なかったわけです。あくまでも、主役は自然であり、人はその自然に歩調を合わせるしかなかったということです。
この本の著者・竹村公太郎さんは歴史学者などではなく、工学部土木工学科出身で建設省にいたという土木エンジニアさん。国土交通省での最終役職は、なんと河川局長です。この本はそういう経歴の方が土木工学の見地から日本の歴史を読み解いたというとてもユニークな視点の本です。これは気象・気候の観点から日本の歴史を読み解いた農林中央金庫の田家康さんの『気候で読み解く日本の歴史』に通じるものがあります。
『気候で読み解く日本の歴史』の紹介記事でも書きましたが、この本の読後の感想も、一言で言うと、目からウロコの連続でした。しかも、合理的に解説されているので、いっけん突拍子もないことのように述べられている仮説も腑に落ちるんです。
これまで歴史は、主として文系の人文社会分野の専門家や歴史学者の方々が、思想、哲学、宗教、文学、社会、経済…等、人の営みのほうにばかり着目して分析してきたようなところがあります。そして歴史は常に英雄達を中心に語られてきたようなところもあります。なので、歴史は戦いの勝者によって、勝者に都合のいいように書き換えられてきたというようなところも実際ありました。歴史は英語で『history』といいますが、この“history”は“his story”の略だという語源の説もあるくらいです。私はそれらを否定するつ もりはありませんが、いまいち腑に落ちることが少なく、「物語としては面白いんだけど、それって本当のことなのかなぁ~?」…って思うことがこれまで多々ありました。私は中学校・高校時代、社会科、特に歴史が大の苦手の科目だったのですが、この「それって本当のことなのかぁ~?」という疑問が原因だったようなところも正直ありました。まぁ~言い訳に過ぎませんが…(^^;
しかしながら、地形と気象は動かしようのない事実であり、その動かしようのない事実である地形と気象を解釈の根拠として、歴史を読み解こうという竹村公太郎さんの独自の視点に基づく説は理系特有の合理的な納得感があり、これまでの定説が根底からひっくり返る知的興奮と、ミステリー小説の謎解きのような快感を味わうことができます。
竹村さんも著書の中で取り上げられていますが、ニクソン大統領時代のアメリカ合衆国国務長官だったキッシンジャー氏の言葉に「その国を知りたければ、その国の気象と地理を学ばなければならない」という言葉があります。これはけだし名言で、気象と地理への理解こそ、文明を、そして歴史を解き明かす重要な鍵となると思います。
私がこの気象情報会社の社長に就かせていただいて11年という長い時間が経過しました。その11年間で朧気ながら掴んだことは、気象と地理の情報は、人々の日々の生活にとって自分が思っている以上に重要な“絶対インフラ”とも言えるような最下層に位置する情報(すなわち、最低辺で社会全体を支える情報)で、今、私は図らずもそういう重要な情報を扱う会社の経営を任せていただいているんだ…ということです。田家康さんの『気候で読み解く日本の歴史』、そして竹村公太郎さんの『日本史の謎は「地形」で解ける』を読んで、その思いを一層強くしました。
参考までに、本書の目次を以下に示します。
─────────────── 目 次 ────────────────
第1章 関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか
(巨大な敵とのもう1つの戦い)
第2章 なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか
(地形が示すその本当の理由)
第3章 なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか
(日本史上最も狭く小さな首都)
第4章 元寇が失敗に終わった本当の理由とは
(日本の危機を救った「泥」の土地)
第5章 半蔵門は本当に裏門だったのか
(徳川幕府百年の復讐①)
第6章 赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したのか
(徳川幕府百年の復讐②)
第7章 なぜ徳川幕府は吉良家を抹殺したか
(徳川幕府百年の復讐③)
第8章 四十七士はなぜ泉岳寺に埋葬されたか
(徳川幕府百年の復讐④)
第9章 なぜ家康は江戸入り直後に小名木川を造ったか
(関東制圧作戦とアウトバーン)
第10章 江戸100万人の飲み水をなぜ確保できたか
(忘れられたダム「溜池」)
第11章 なぜ吉原遊郭は移転したのか
(ある江戸治水物語)
第12章 実質的な最後の「征夷大将軍」は誰か
(最後の“狩猟する人々”)
第13章 なぜ江戸無血開城が実現したか
(船が形成した日本人の一体感)
第14章 なぜ京都が都になったか
(都市繁栄の絶対条件)
第15章 日本文明を生んだ奈良は、なぜ衰退したか
(交流軸と都市の盛衰)
第16章 なぜ大阪には緑の空間が少ないか
(権力者の町と庶民の町)
第17章 脆弱な土地・福岡はなぜ巨大都市となったか
(漂流する人々の終の棲家)
第18章 「二つの遷都」はなぜ行われたか
(首都移転が避けられない時)
─────────────────────────────────────────────
いかがですか? なかなか魅力的な章だてが並んでいると思いませんか。私はこの目次に惹かれて、迷わずこの本を購入しちゃいました。
ちなみに本の帯には、『養老孟司氏、推薦! 荒俣宏氏、絶賛!』 の文字が踊っています(^^)d
竹村公太郎さんが歴史の謎の解明に使われるのが地図を用いたコンピュータの地図情報システム(GIS)を用いたシミュレーション。歴史を解明するには、21世紀の現在の地理をいくら眺めて、そして現在の気象条件の上でいくら考えてみたのでもダメで、あくまでもその当時の地理や気象条件の上で推察してみないといけません。
約6000年前の縄文時代、大気の温度は現在より5℃近く高く、海面は現在より5メートル近く上昇していたと言われています。竹村さんは現在の日本列島の地図と、コンピュータのGISソフトを使って海水面を5メートル上昇させた時のシミュレーション地図を横に並べて、その対比で考察するという手法をとっています。海水面を5メートル上昇させた時の日本列島の海岸線はかなりショッキングな図になっています。特に劇的なのは関東平野。海は関東平野の奥深くまで侵入していて、横浜市や川崎市、千葉県の海岸部はもちろん、東京都の東半分から埼玉県にかけての関東南部一帯(現在、首都圏と呼ばれている一帯)が海になっています。その海は、現在の埼玉県、栃木県、千葉県の三県の境が接する埼玉県久喜市あたりまで北上しているように見えます。現在の霞ヶ浦と北浦は1つに合体して大きな湖になっていて、さらに海が内陸に入り込んでいることから、房総半島はほとんど“関東湾”に浮かぶ島のようにも見えます。約6000 年前の縄文時代の関東地方の地形はたぶんこんな感じだったんでしょう。
その後、地球は寒冷期に入り、海水面も徐々に低下していって、海岸線は沖のほうに後退していき、6000年という長い年数を経て、現在のような地形になったわけですが、このかつて海だった低地は極めて水捌けが悪く、排水ポンプなどない時代には、ひとたび雨が降れば、水は行き場を失い、あたり一面に溢れていたということは容易に想像できます。さらに、利根川、渡良瀬川、荒川が流れ込んでいたので、この一帯はほとんど一年中浸水したままの湿地帯であっただろうと想像できます。
なので関東南部を東西に歩いて横断することは不可能に近く、海がない(標高の高い)栃木県、埼玉県北部、群馬県といった北関東の東山道と呼ばれる大きく迂回するルートを陸路で行くか、南を海路で(船で)行くかの2つしか選択がなかったことがわかります。このことが、例えば伊豆半島に配流されていた源頼朝が東伊豆から三浦半島・房総半島と行き来していて、挙兵前から三浦氏や千葉氏などの豪族たちと交流があったという想像に発展するわけです。
関東地方が今のような地形になったのは、徳川家康が江戸の地に幕府を開き、利根川の流れを銚子に向かって流れるように付け替える工事をはじめ、たびたび氾濫を繰り返す暴れ川であった荒川に治水用の堤防の構築を行う等、様々な手を加えることによってからです。そしてそれは明治維新後も、そして今も続いています。なので、歴史を現在の地形で考察したのではダメで、あくまでも、その当時の地形に戻して考察する必要があるわけです。
特にこの本の前半、江戸の歴史を読み解く当たりは非常に面白いです。
関ヶ原の戦いが始まる10年前の1590年に徳川家康が豊臣秀吉に転封を命じられて江戸の地に入った時、徳川家康とその家臣一行が目にしたものは、何も育たない湿地帯が延々と続く荒涼とした風景だったのではないでしょうか。おそらく一行は、その劣悪な土地の風景に驚愕し、圧倒され、この地になんら未来の希望を見出だすことができなかったのではないか思われます。
そういう中で、一人、総大将の徳川家康だけが違っていたようです。史実でも家康は激昂する配下の武将達をなだめ、荒れ果てた江戸に入ったと伝えられています。家康はその荒れ果てた関東の湿地帯を見て、その下に秘かに眠る天下を確実にする「宝物」を一瞬にして見抜いたのはないだろうか…と竹村さんは推察しています。その宝物を手に入れたからこそ、江戸幕府は260年もの長きに渡り続き、そのあとも江戸の地は東京と名前こそ変えたが、400年以上も日本の首都でいられているわけです。
その意味で、徳川家康の真骨頂は、土木エンジニアだったのではないかと思われます。それも、メチャメチャ凄腕の土木エンジニアです。(実際、武将としての戦さは、さほど強くはありませんでしたしね)
豊臣秀吉は自身を脅かす勢力を持ち始めた徳川家康を、京都や大阪と言った当時日本の中心であった近畿地方から遠く離れたまだまだ未開の関東の地へ脅威となった徳川家康を封じ込めたつもりだったのでしょうが、それがその後の日本の歴史を大きく変えて、今のこの国の反映に繋がっているわけです。
徹底して僧侶たちを虐殺した織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ち。これは今もなお「なぜ信長は徹底して僧侶達を虐殺する必要があったのか?」という大きな疑問が残されたままになっています。人文社会の分野の研究者によると、その原因を信長の狂気のせいに押し付けているようなところがありますが、地形の観点から比叡山延暦寺の焼き討ちを眺めていくと、その疑問が一瞬にして解けていくのが不思議です。それも極めて合理的な腑に落ちる解釈で…。
そんなこんなで羽田~奄美大島の往復の機内で、サラサラッとこの『日本史の謎は「地形」で解ける』を読み終えました。帰り着いた羽田空港でまず向かった先は、出発前にこの本を購入したターミナルビル内の書店。その書店で続編にあたる『日本史の謎は「地形」で解ける ―文明・文化篇―』を購入し、羽田空港からさいたま市の自宅までの電車の車内で読み始め、週末にかけて読み終えました。
この『―文明・文化篇―』もメチャメチャ面白いです。幕末、圧倒的な武力を有する欧米列強によって、日本は植民地化される絶体絶命の危機にあったわけですが、なぜ、その日本は植民地化されることを免れたのか? の分析などは秀逸です。
この『日本史の謎は「地形」で解ける』と『日本史の謎は「地形」で解ける ―文明・文化篇―』、お薦めです!
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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