2014/07/09
「七夕」はなぜ「たなばた」と読むのか?
7月7日は七夕(たなばた)でした。
この日の関東地方は朝から小雨で、こりゃあ織り姫(ベガ)と牽牛(アルタイル)の1年に一度の逢瀬も覗き見ることはできないな…と思ったのですが、夕方からこの小雨もあがり、私が会社からの帰りに見上げると、雲の間から幾つか星が見えました。もしかしたら、ベガとアルタイルも確認できたかもしれません。
この日が「七夕」だってことは、駅の七夕飾りを見て気付きました。子供達が小さかった頃は家にも笹に色とりどりの短冊をいっぱいぶら下げた七夕飾りが飾られて、「あぁ、今日は七夕かぁ~」…って思ったものですが、子供達が大きくなると自宅ではそういうことをやらなくなって、一気に季節感が希薄になってきているように思います。そのうち、今度は孫娘が付き合ってくれるようになる筈なので、そうした季節感は復活してくるとは思いますが…。
ところで、駅の七夕飾りの背後に取り付けられていた看板を見て不思議に思えたこと。
どうして「七つの夕方」と書いて「たなばた」って読むんでしょうね(^_^;)?
“七”が“たな”で、“夕”が“ばた”…????、まさか!? どうやってもそんな風には読めません。あり得ない読み方です。
このことに疑問を覚え、自宅に帰り着いてから、さっそく調べてみました。
「七夕」といえば、皆さんよくご存知の通り、織り姫と牽牛が一年に一度、天の川を渡って逢うことが許されるとされた日です。これは、今を遡ること1500年ほど前の6世紀、今の中国が南北朝時代と呼ばれた時代に、揚子江の南に存在した梁と呼ばれる王朝の作家、殷芸(いんうん)が書いた物語によるものとされ、その殷芸が書いた物語の概略は以下のようなものです。
******************************************************************
天の河の東に織女有り。天帝の子なり。
年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。
天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。
嫁してのち機織りを廃すれば、
天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、
一年一度会うことを許す。
******************************************************************
なぜこのような物語が生まれたかというと、旧暦の7月はじめ、今の暦でいったら8月半ばのお盆の頃にあたるのですが、この時期、琴座のベガ(織り姫星)と、鷲座のアルタイル(彦星・牽牛星)が、天の川を挟んでよく光ることから、このような物語になったとされています。
この物語が、奈良時代に日本に伝わり、実はここからがとても面白いのですが、これがいつの頃からはよく分かりませんが、日本の古くからある「棚機(たなばた)」と呼ばれる神事と重なることで、現在の「七夕(たなばた)」となったということが、その真相のようです。
「棚機(たなばた)」というのは、古代から伝わる日本独自の禊ぎ(みそぎ)のための神事のことです。
秋の収穫を前に、選ばれた乙女が「棚機女(たなばたつめ)」となって、禊ぎを行って穢れを祓ったあと、水辺に設置された機屋(はたや)に籠り、そこで機織り(はたおり)をします。
乙女が機屋の中に籠って糸(当時は麻の繊維が主体でした)を織って“布”をつくるわけですが、この時に使われた道具(機織り機)が「棚機(たなばた)」と呼ばれるものでした。そして、この「棚機(たなばた)」により出来上がった布(反物)や、その布を用いて縫われた着物を神様に奉納し、そこに神様をお迎えし、村のみんなで秋の豊作を祈ったわけです。
その日本に、織り姫と牽牛の故事が伝わったのは、6世紀の仏教伝来の頃であったとされています。一人の男と一人の女が一年に一度出会うという物語は、とてもロマンチックですし、牽牛は農業の神様でもあります。
日本に仏教を持ち込んできた人達は、おそらくそこに目をつけたのではないか…と思われます。当時、既に人々の間で広く定着していた棚機の行事を利用して、「お盆にご先祖様の御霊を迎える準備」を同時に行わせると都合がいいと考えたのかもしれません。殷芸が書いた物語を利用して、ご先祖様の御霊をお迎えする儀式を、この神事の「棚機」と同じ時に行うようにしていったのではないでしょうか。
ちなみに昔は旧暦が使われていて、その旧暦の7月7日というのは、新暦に直すとだいたい8月15日の、ちょうどお盆の頃にあたります。それで7月7日の夕方に、ご先祖の御霊をお迎えするから、これを漢字で「七夕(しちせき)」と書きました。ところが、日本古来の神事では、この日は「棚機(たなばた)」の日に当たります。それでいつしか「七夕」が「たなばた(棚機)」と呼ばれるようになっていったということのようです。
つまり、「七夕」と書いて「たなばた」…と、ふつうに考えるとあり得ない読み方になってるのは、実は、もともと「棚機(たなばた)」という神事が古くから日本にあって、これが渡来仏教と入り交じったから、すなわち、日本にもとからあった行事に、後から別な漢字が無理矢理当て嵌められたからだ…というのが本当の理由のようです。
このように、まったく異なる文化からやってきたものでも、元々の日本古来の文化と渾然一体となって、最後には「楽しければいいじゃん!」ってな感じでみんなが楽しむ「(七夕)祭りのお祝い」に昇華してしまうというのは、実に日本的な話といえます。なぜならこうした展開は、こだわりが強くて排他的な一神教的文化、つまり、ひとつの価値観しか認めない文化のもとでは、絶対に否定され、起こりえない出来事ですから。こういうところが“八百万(やおよろず)の神々”のおわす国、緩やかな国、日本らしいところと言えますね(^^)d (クリスマスや最近のハロ ウィーンも同じようなものですね)
孫娘が物心つきそうになったら、この話を聞かせてやろうと思っています。日本の文化を正しく伝えるために…。その時、孫娘からは、お祖父ちゃんって物知りだね…って尊敬されるか、反対にうるさい!って嫌がられるか…、さあて、どちらになるでしょうか? きっと後者かな (^^;
【追記】
私がこのブログの原稿を書いている7月8日の夕方現在、大型で非常に強い台風8号が沖縄本島地方と宮古島地方、それに鹿児島県の奄美地方を暴風域に巻き込みながら北上し、この時間、沖縄本島地方に最も近づいているとみられています。
気象庁は、沖縄本島地方と宮古島地方に暴風と波浪、高潮の特別警報を、また、沖縄本島の南部と中部に大雨の特別警報を発表し、暴風や高波、高潮、それに大雨に最大級の警戒と安全の確保を呼びかけています。
添付の図は気象庁が8日午前9時に発表した実況天気図と気象衛星からの赤外撮影画像です。この時の台風8号の中心気圧は930ヘクトパスカルと推定されていて、このため天気図上で台風の中心付近は等圧線がほとんど隙間なく何重にも描かれて、ほとんど真っ黒になっているのがお分かりいただけると思います。
私は残念ながら気象予報士ではありませんが、門前の小僧なんとやら…で、『成介日記』を書かれている市澤先生のご指導もあり、おかげさまで、なんとか天気図からいろいろな情報が読み取れるようにはなりました。
仕事柄、極力毎日、天気図を見るようにしているのですが、誤解を招くのを恐れずに書かせていただくと、このような台風接近時の天気図を見ると、どうしても興奮しちゃいます。
中でも、この台風8号の中心付近の等圧線の密集具合(真っ黒さ加減)は半端ではなく、1年に一度、見るか見ないかのレベルの“大物台風”です。
この8号、弊社の気象予報士の解説によると、この先、徐々に勢力を弱めながら北上を続け、九州の西の海上に達したあたりで進路を東に変え、九州中部に上陸。その後、12日にかけて太平洋高気圧の勢力圏の淵を沿うように、四国、紀伊半島、東海、関東地方…と日本列島を西から東へと縦断する形で通り過ぎると思われます。
特に太平洋側では相当の大雨になると予想されていて、進路上に人口が集中しているところが多いことから、心配です。大きな被害が出ないことを、心の底から祈っています。
この日の関東地方は朝から小雨で、こりゃあ織り姫(ベガ)と牽牛(アルタイル)の1年に一度の逢瀬も覗き見ることはできないな…と思ったのですが、夕方からこの小雨もあがり、私が会社からの帰りに見上げると、雲の間から幾つか星が見えました。もしかしたら、ベガとアルタイルも確認できたかもしれません。
この日が「七夕」だってことは、駅の七夕飾りを見て気付きました。子供達が小さかった頃は家にも笹に色とりどりの短冊をいっぱいぶら下げた七夕飾りが飾られて、「あぁ、今日は七夕かぁ~」…って思ったものですが、子供達が大きくなると自宅ではそういうことをやらなくなって、一気に季節感が希薄になってきているように思います。そのうち、今度は孫娘が付き合ってくれるようになる筈なので、そうした季節感は復活してくるとは思いますが…。
ところで、駅の七夕飾りの背後に取り付けられていた看板を見て不思議に思えたこと。
どうして「七つの夕方」と書いて「たなばた」って読むんでしょうね(^_^;)?
“七”が“たな”で、“夕”が“ばた”…????、まさか!? どうやってもそんな風には読めません。あり得ない読み方です。
このことに疑問を覚え、自宅に帰り着いてから、さっそく調べてみました。
「七夕」といえば、皆さんよくご存知の通り、織り姫と牽牛が一年に一度、天の川を渡って逢うことが許されるとされた日です。これは、今を遡ること1500年ほど前の6世紀、今の中国が南北朝時代と呼ばれた時代に、揚子江の南に存在した梁と呼ばれる王朝の作家、殷芸(いんうん)が書いた物語によるものとされ、その殷芸が書いた物語の概略は以下のようなものです。
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天の河の東に織女有り。天帝の子なり。
年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。
天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。
嫁してのち機織りを廃すれば、
天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、
一年一度会うことを許す。
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なぜこのような物語が生まれたかというと、旧暦の7月はじめ、今の暦でいったら8月半ばのお盆の頃にあたるのですが、この時期、琴座のベガ(織り姫星)と、鷲座のアルタイル(彦星・牽牛星)が、天の川を挟んでよく光ることから、このような物語になったとされています。
この物語が、奈良時代に日本に伝わり、実はここからがとても面白いのですが、これがいつの頃からはよく分かりませんが、日本の古くからある「棚機(たなばた)」と呼ばれる神事と重なることで、現在の「七夕(たなばた)」となったということが、その真相のようです。
「棚機(たなばた)」というのは、古代から伝わる日本独自の禊ぎ(みそぎ)のための神事のことです。
秋の収穫を前に、選ばれた乙女が「棚機女(たなばたつめ)」となって、禊ぎを行って穢れを祓ったあと、水辺に設置された機屋(はたや)に籠り、そこで機織り(はたおり)をします。
乙女が機屋の中に籠って糸(当時は麻の繊維が主体でした)を織って“布”をつくるわけですが、この時に使われた道具(機織り機)が「棚機(たなばた)」と呼ばれるものでした。そして、この「棚機(たなばた)」により出来上がった布(反物)や、その布を用いて縫われた着物を神様に奉納し、そこに神様をお迎えし、村のみんなで秋の豊作を祈ったわけです。
その日本に、織り姫と牽牛の故事が伝わったのは、6世紀の仏教伝来の頃であったとされています。一人の男と一人の女が一年に一度出会うという物語は、とてもロマンチックですし、牽牛は農業の神様でもあります。
日本に仏教を持ち込んできた人達は、おそらくそこに目をつけたのではないか…と思われます。当時、既に人々の間で広く定着していた棚機の行事を利用して、「お盆にご先祖様の御霊を迎える準備」を同時に行わせると都合がいいと考えたのかもしれません。殷芸が書いた物語を利用して、ご先祖様の御霊をお迎えする儀式を、この神事の「棚機」と同じ時に行うようにしていったのではないでしょうか。
ちなみに昔は旧暦が使われていて、その旧暦の7月7日というのは、新暦に直すとだいたい8月15日の、ちょうどお盆の頃にあたります。それで7月7日の夕方に、ご先祖の御霊をお迎えするから、これを漢字で「七夕(しちせき)」と書きました。ところが、日本古来の神事では、この日は「棚機(たなばた)」の日に当たります。それでいつしか「七夕」が「たなばた(棚機)」と呼ばれるようになっていったということのようです。
つまり、「七夕」と書いて「たなばた」…と、ふつうに考えるとあり得ない読み方になってるのは、実は、もともと「棚機(たなばた)」という神事が古くから日本にあって、これが渡来仏教と入り交じったから、すなわち、日本にもとからあった行事に、後から別な漢字が無理矢理当て嵌められたからだ…というのが本当の理由のようです。
このように、まったく異なる文化からやってきたものでも、元々の日本古来の文化と渾然一体となって、最後には「楽しければいいじゃん!」ってな感じでみんなが楽しむ「(七夕)祭りのお祝い」に昇華してしまうというのは、実に日本的な話といえます。なぜならこうした展開は、こだわりが強くて排他的な一神教的文化、つまり、ひとつの価値観しか認めない文化のもとでは、絶対に否定され、起こりえない出来事ですから。こういうところが“八百万(やおよろず)の神々”のおわす国、緩やかな国、日本らしいところと言えますね(^^)d (クリスマスや最近のハロ ウィーンも同じようなものですね)
孫娘が物心つきそうになったら、この話を聞かせてやろうと思っています。日本の文化を正しく伝えるために…。その時、孫娘からは、お祖父ちゃんって物知りだね…って尊敬されるか、反対にうるさい!って嫌がられるか…、さあて、どちらになるでしょうか? きっと後者かな (^^;
【追記】
私がこのブログの原稿を書いている7月8日の夕方現在、大型で非常に強い台風8号が沖縄本島地方と宮古島地方、それに鹿児島県の奄美地方を暴風域に巻き込みながら北上し、この時間、沖縄本島地方に最も近づいているとみられています。
気象庁は、沖縄本島地方と宮古島地方に暴風と波浪、高潮の特別警報を、また、沖縄本島の南部と中部に大雨の特別警報を発表し、暴風や高波、高潮、それに大雨に最大級の警戒と安全の確保を呼びかけています。
添付の図は気象庁が8日午前9時に発表した実況天気図と気象衛星からの赤外撮影画像です。この時の台風8号の中心気圧は930ヘクトパスカルと推定されていて、このため天気図上で台風の中心付近は等圧線がほとんど隙間なく何重にも描かれて、ほとんど真っ黒になっているのがお分かりいただけると思います。
私は残念ながら気象予報士ではありませんが、門前の小僧なんとやら…で、『成介日記』を書かれている市澤先生のご指導もあり、おかげさまで、なんとか天気図からいろいろな情報が読み取れるようにはなりました。
仕事柄、極力毎日、天気図を見るようにしているのですが、誤解を招くのを恐れずに書かせていただくと、このような台風接近時の天気図を見ると、どうしても興奮しちゃいます。
中でも、この台風8号の中心付近の等圧線の密集具合(真っ黒さ加減)は半端ではなく、1年に一度、見るか見ないかのレベルの“大物台風”です。
この8号、弊社の気象予報士の解説によると、この先、徐々に勢力を弱めながら北上を続け、九州の西の海上に達したあたりで進路を東に変え、九州中部に上陸。その後、12日にかけて太平洋高気圧の勢力圏の淵を沿うように、四国、紀伊半島、東海、関東地方…と日本列島を西から東へと縦断する形で通り過ぎると思われます。
特に太平洋側では相当の大雨になると予想されていて、進路上に人口が集中しているところが多いことから、心配です。大きな被害が出ないことを、心の底から祈っています。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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