2014/08/22

空海はすごい!(越智の大胆仮説編:その2)

空海の生涯を振り返ってみて、私が疑問に思った重要なポイント(注目した謎)は次の2点です。


【謎その1】
空海はラッキーにも遣唐使船に乗って唐へ渡ることができました。31歳のことだそうです。しかし、私費留学生だったようで、渡航費用や唐での滞在期間の生活費・学習費用等はいったいどのように捻出したのでしょうか? 極めて有力なサポーターと言うかスポンサーでもいたのでしょうか?


【謎その2】
唐での滞在期間は僅か2年ほどに過ぎなかったにもかかわらず、その2年間で宗教的には悟りを開いて、「この世の一切を遍く照らす最上の者」(すなわち、大日如来)を意味する“遍照金剛”の洗礼名を得るほどになり、さらに土木技術や薬学をはじめとした多くの分野のことを学び、それを日本に持ち帰りました。さらには、実質的に日本で活躍したのは西暦811年から831年までの20年間なのですが、その20年間に残した業績の多さと規模、影響力と言えば、半端ではありません。ふつうに考えたら、これはあり得ないほどのスーパーマンです。なので、空海って何者?…って思えてきます。


その謎を考え始めた今年2月、私の本籍地である愛媛県今治市朝倉(旧越智郡朝倉村)の自動車専用道路の工事中に出た土から、国の基準値を大幅に上回る水銀、それも自然由来の水銀が検出されたと大騒ぎになっているというニュースを目にしました。

http://archive.today/r3Hx3 (NHKニュース)

http://www.skr.mlit.go.jp/matsuyam/pres/pres2013/pres/140221_zyuukinzoku.pdf
(国土交通省四国地方整備局)


このニュースを目にした時、【謎その1】を解くヒントが一気に得られた感じがしました。「アッ!そうか、水銀があった!」…って気付いちゃったのです。ちょこっと調べてみると、かつて四国は水銀の一大産出地だったようなのです。なので、弘法大師空海(その時はまだ佐伯真魚クン)は四国の山中で水銀の鉱脈を発見し、それを売って渡航費用を稼いだのではないか…っていう仮説を立ててみました。その仮説を立てて、空海の生涯を眺めてみると、空海という人物のこれまでの通説とは異なる別の側面ってものが見えてくる感じがしてきました。

水銀という特殊な金属の用途は多々ありますが、昔から一番重要な水銀の使われ方は金の採掘時における使用でした。その昔、砂金の採掘では金を含む砂に水銀を通し、砂中の金を溶け込ませた後に水銀を回収・蒸発させて金を回収するという手法がとられていました。

また、水銀と他の金属との合金のことをアマルガムと呼びますが、水銀と金との合金であるアマルガムは、上記の金の採掘ばかりでなく、精錬、金メッキに用いられることが多く、東大寺盧舎那仏像(いわゆる奈良の大仏)の金メッキは金アマルガムを大仏に塗った後、加熱して水銀を蒸発させることにより行われたと言われています。一説によると、この際起こった水銀汚染が平城京から長岡京への遷都の契機となったとも言われています。

金に関係してこのくらい重要な水銀ですが、“黄金の国ZIPANG”と呼ばれた日本には昔からこの水銀が豊富に採れたようなのです。(実はかつて日本は貴重な地下資源(レアメタル)の産出国だったんです。)

水銀は昔は「丹」と呼ばれていました。なので、その水銀が採れた場所の地名には、この「丹」という漢字が使われることが多いのだとか。「丹生」と書いて“ニフ”とか“ニホ”とか読むため、“ニフ”や“ニホ”が付く地名のところも昔は水銀が採れたとも言われています。

太古の昔からある水銀の鉱山としては三重県多気郡多気町にあったその名も「丹生(にう)鉱山」が知られていますが、実は地図を見ていただくとお分かりいただけるように、三重県多岐郡のある紀伊半島と鉱脈が繋がっている四国も水銀の一大産地だったんです。

徳島県阿南市水井町には若杉山遺跡という古墳時代の遺跡があり、同遺跡は古墳時代の水銀採取の遺跡として知られています。この付近には江戸時代末期に発見された水井鉱山(由岐水銀鉱山)があり、近隣の那賀郡那賀町仁宇(にう)には丹生神社があり、この付近一帯は「丹生谷(にうだに)」と呼ばれています。

愛媛県西条市には丹原という地名があり(旧周桑郡丹原町)、その丹原を流れる中山川が瀬戸内海に注ぐ河口あたりは壬生川(旧東予市、その前は周桑郡壬生川町。JR予讃線の駅があり、一部特急も停車します)です。この壬生川(にゅうがわ)も元は丹生川と呼ばれていたのではないかと推察されます。母の実家がこの丹原にあり、今も墓参りに訪れるのですが、このあたりの川の水の色は透き通った綺麗な緑色をしています(水銀の銀色ではありませんが…)。水質調査の結果などは知らないので、断定はできませんが、この緑色はなんらかの鉱物が微妙に溶けだした色なのではないか…と思われます。

おそらく空海、いや当時はまだ佐伯真魚クンは四国の山に籠って密教の修行中に、このあたりで水銀の鉱山(鉱脈)を掘り当てたのではないか…と推測しています。あるいは、山中で生活をしている特殊技術を持った人々と何等かの接触があったのかもしれません。当時、山岳地域には鉱脈を見つけ採掘し、精錬する一族がいたらしいですから。この技術ってのは総合科学ともいえる知識だろうし、技術が発展すれば効率よく金属が確保されるわけですから、そういう人達にとっては、空海(佐伯真魚クン)を唐に送って知識(新たな技術)を持ち帰って貰いたいと思いますものね。それで巨万の富を得たわけです。

当時は奈良の大仏が完成した直後で、世の中は大仏や寺院の一大建造ブームだったと想像でき、金メッキを施すため水銀の需要は相当にあったと思われますから、ひとたび水銀の鉱山(鉱脈)でも掘り当てれば、それだけで巨万の富を得ることは容易でしたでしょうから。

でないと、一介の修験僧に過ぎなかった空海(佐伯真魚クン)が、突然、国の威信を賭けたくらいの一大国家事業である遣唐使に選ばれたりする筈がありません(それも国費ではなく、自費で留学したわけですから)。

また、空海の遣唐使選出の陰には桓武天皇の第三皇子である伊予親王の働き掛けがあったと言われることもあります。伊予親王はその名のとおり、伊予の国造(くにのみやつこ)。その伊予の国府は壬生川の隣町の今治市桜井(旧越智郡桜井町)にあったのではないかと言われています。未だ遺跡は見つかっていませんが、今治市桜井にある59番札所は金光山「国分寺」ですので、狭い今治平野のどこかに伊予の国の国府が置かれていたことは間違いありません。

と言うことは、丹原、壬生川あたりの高縄半島の山中で水銀の鉱山を掘りあてた空海(佐伯真魚)が、一番近くにいるメチャメチャ位の偉い人(桓武天皇の第三皇子である)伊予親王を買収して取り入った(?)ってことも十分に考えられます。

となると、空海のイメージはガラッと変わって、バリバリやり手の若手ベンチャー起業家のようなものではなかったのか?…ってさえも思えてきます。そして、遣唐使として唐へ渡った真の目的は『ヘッドハンティング(?)』。あんな短期間で土木技術や薬学など広い範囲の技術を学び、その技術を個人の知恵として日本に持ち帰ったというのは正確ではなく、正しくはそうした技術者を金にあかせて大量にヘッドハンティングして、日本に連れて帰ってきたのではないか…ということになります。このほうがとっても考えやすくなります。これが【謎その2】に関して、私なりに到達した答えです。

一般的に言われている「空海」の名の由来は、 “室戸市にある四国有数のパワースポット『みくろ洞』。 この洞窟で若き日の弘法大師・空海は修業し、 そこから見える空と海と の果てしなき美しい青さに魅了され、 自らの名を『空海』と名乗ったとされるのが定説ですが、そうなると、これにも疑問符が付きます。私の勝手な推測ですが、おそらく『空海』とは、弘法大師が中国からヘッドハンティングして連れて帰ってきた技術者集団の集団名(企業名?)ってことだったのではないでしょうか。

だとしたら、弘法大師ってナニ? そして、真言宗ってナニ?…ってことになります。謎がさらに深まります。


【追記1】
「水銀」というテーマでネットで検索してみると、「不老不死の薬」という単語がよく出てきます。有名なところで言えば、秦の始皇帝が長寿の薬として服用していたのは鉛や水銀だったと言われているそうです。また、馬王堆漢墓から出土した『五十二薬方』には皮膚病の薬として水銀の記載があるそうで、おそらく戦国時代には外用薬としても使われていたようです。キラキラと輝き水のように流れる液体に、昔の人は魔力のようなものを感じていたのかもしれません。

また、水銀には腐敗を抑制する効果があります。ミイラなどを作るときに水銀を使用していたようです。これで肉体が永遠のものになると考えて飲んでいたと言われています。(その1)に書いたように、空海の最期は入定した(即身仏となった)とする文献も現れているようです。すなわち、最期は生きながら即身仏というミイラになろうとしていたようで、おそらくそこでも水銀を服用したのではないかと思われます。もちろん水銀は猛毒です。こんなものを飲んだら不老不死どころか、あっという間に寿命を縮めてしまいます。

また、昔は水銀(塩化水銀)を用いた白色顔料(いわゆる白粉(おしろい)です)も化粧品として広く使われていました。三重県多気郡多気町にあった丹生鉱山で採れた水銀(伊勢水銀)を原料とする伊勢白粉は公家御用達となり、和の化粧の基本アイテムとして大いに栄えたそうなんです。この塩化水銀ももちろん有毒です。空海は晩年、タチの悪い皮膚の疾患を発症したということを、これも(その1)で書きました。もしかしたら、これも水銀と何らかの関係があるのかもしれません。

とにかく、弘法大師空海と水銀、大いに関係がありそうです。


【追記2】
真言宗の総本山・金剛峰寺のある高野山麓には丹生都比売神社という神社が存在します。ここにも“丹生”という“水銀の産出地を示す地名”があります。このあたりからも弘法大師空海と水銀との密接な関係が推測されるのですが…。(この高野山も紀伊半島にあり、三重県多気郡や四国と鉱脈が繋がっている感じです。)

そう言えば、四国には“丹さん”という、まさに“水銀”そのものが苗字の方が大勢いらっしゃいます。私の友人にも何人かいます。おそらく、その昔、水銀採取を生業としていた一族の方々の苗字なのではないか…と推測しています。

ん!? だとすると、四国八十八箇所の霊場にある寺って、もしかしたら水銀が採れる鉱山の入口に作ったものかもしれない…って仮説(推測)も芽生えてきます。『空海』会社の現地事業所ってやつです。これも調べてみたいと思っています。真言宗の総本山・金剛峰寺のある高野山麓に丹生都比売神社という神社があるように、四国八十八箇所の寺の傍に“丹”の字が付く神社や地名があれば、まずそれで間違いはなさそうです。