2014/09/19
理系の逆襲!(その2)
90分の講義を全15コマ、延べ22時間30分やって(仕事の関係で隔週にしていただいていて、講義がある時は2コマ連続で3時間の講義をやりました)、テストとレポート付きで2単位を出すというのは、正直、大仕事でした。埼玉大学も国立大学法人ですので、一応ちゃんと文部科学省認定の講義、講師でしたから。
プロの教員ではないので教え方はまったくの自己流ですし(まるで部下を育成指導する時のようなやり方です)、アカデミックな知識が豊富なわけではありません(大学院で学んだり、博士号を持っているわけではありませんから)。それで15コマ、全22時間30分の講義を行うのは、さすがにちとキツかったです。1年目はただただ手探りでやったって感じでした。その後工夫を重ね、3年目ぐらいからはコツを掴み始め、手抜き(力の抜き方)も覚えてきて、4年目以降は自分でもかなりいい講義が出来たのではないかと思っています。
時には隔週で2コマ連続の3時間授業と言う利点を活かして、5月のGW中の講義では、学生さん達に映画を観させて、感想文を書かせるという大胆な授業もやらせていただきました。(手抜きと言われるかもしれませんが…)
私が学生さん達にお見せした映画は次の2つのどちらかでした。
『長州ファイブ』
……幕末に長州藩から派遣されてイギリスに秘かに留学した、井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)の5人の長州藩士の渡航前後の様子を描いた映画です。明治政府の重鎮として、もっぱら政治畑を歩んだ伊藤博文(初代首相)と井上馨(初代外相)。最先端の工業技術を学んで日本に持ち帰った遠藤謹助、山尾庸三、井上勝。彼らの新しい知識や技術への強い学習欲、異文化を受け入れる柔軟な思考は近代国家建設のために役立ちました。
ちなみに、特に技術者となった3人。
遠藤謹助は造幣事業に一生を捧げ、「お雇い外国人」から独立し、日本人の手による貨幣造りに成功します(造幣局長)。
山尾庸三はグラスゴーで造船を学び、明治4年に工学寮(のちの東京大学工学部)を創立します。総合大学の中に工学部を設けるというのは、当時世界でも他に例を見ないことでした。また、日本の聾盲唖教育の父でもあります(工部卿)。
井上勝は新橋-横浜間に日本初の鉄道を敷き、以後、全国の鉄道敷設工事を指揮した鉄道の父(鉄道庁長官)。小岩井農場の創設者でもあります。
『October Sky(邦題:遠い空の向こうに)』
……1957年10月ソ連から打ち上げられた人類初の人工衛星を見たアメリカ合衆国、ウエストヴァージニア州の小さな炭坑の町の高校生4人が、ロケット作りに挑戦する。ロケット作りを通して、時にはぶつかり、また励まされながら成長していく過程を描いた映画です。主人公の1人である元NASA技術者のホーマー・H・ヒッカムJrの自伝小説「ロケットボーイズ」を原作としています。諦めないこと、夢を見ること…。今さらながらその大切さを思い出させてくれる作品です。
この2つの映画、『長州ファイブ』は文化庁映画芸術支援作品で、第40回ヒューストン国際映画祭のグランプリ受賞作品です。また、『October Sky(邦題:遠い空の向こうに)』の原作は、米国では中学校 の教科書にも載せられているほどの作品です。ご興味を持たれた方は、ぜひレンタルショップでDVDを借りてきて、鑑賞してみてください。なぜ私がこの映画を学生さん達に見せたか、お分かりいただけると思います。
そうそう、日本の伝統芸能である歌舞伎の世界に革命(イノベーション)を起こし、『スーパー歌舞伎』を打ち立てた三代目・市川猿之介さん(現・猿翁さん、俳優・香川照之さんの父)の名言に次のようなものがあります。
「政治・経済は人が作る 文化・芸能は人を作る」
私、これには激しく同意します。20歳を過ぎた大人の場合、いくらこちらから教えてもなかなかその人自身の考え方や価値観なんて変わるようなものではありません。人は涙を流すくらいの強い感動を覚えて、初めて考え方や価値観が変わるものだと私は思っています(それでもほんのちょっとですが…)。その涙を流すくらいの感動なんて、日常の生活の中ではなかなか得られるものではないので、それを補うのが小説であったり、映画であったり、芝居であったり、歌であったり、スポーツであったり…、すなわち文化・芸能だと私も思っています。
特に理系の人間にとっては読書と言えば専門書というように、どうしても自分の専門に偏り過ぎるところがあって、そうした文化・芸能からは遠いところにばかりにいきがちです。これでは世の中の見方も偏りがちで、いわゆる“柔軟な発想”なんてものはなかなか生まれてきません。人としての幅、思考の幅が狭くなってしまうからです。話題の幅も限られるので、人との付き合いの範囲も自分と同類の人だけに限られがちです。これではますます思考は狭まれてしまいます。これは過去の自分自身の反省も込めて、そう思っています。
ですから、私は『理系の逆襲!』というメッセージとともに、工学部の学生さん達に、優秀なエンジニアになりたいのであればもっと本を読め(それも専門外の)!…とか、映画や芝居をたくさん観ろ!…とかと教えていました。発想の幅、人としての幅を少しでも広げるために。人としての幅が広がれば、同じモノを見たとしても、他の人とは違った視点から見ることができるので、それまでとは違ったモノの見方も出来るようになる!…とね(^^)d
これは池上彰さんの『教養のススメ』の内容に大いに通じるところがあります。
現在、大学には授業の教え方、内容が適切かどうか等、学生に評価させる「講義評価」という制度があります。言ってみれば、「講師の通知表」、「満足度調査」みたいなものです。埼玉大学の場合は14項目の質問に1項目5点満点で点を付けるというものでした。上記のようなこれまでとはまったく異なる雰囲気の講義をやったので、その「講義評価」で私の講義を聴講してくれた学生さん達がいったいどのくらいの評価をしてくれるのか、最初はドキドキヒヤヒヤもんでした。だって、当初H教授が依頼してきた講義内容を全面的に拒否し、自分で新規に作り上げた講義です。
90分の講演なら当時でも何度か経験していましたので、90分の講義を1~数コマ程度ならなんとかやれるだろうという自信はありました。持ち時間一杯、ハイテンションでダァーッと突っ走ればいいわけですから。でも、これが15コマ延べ22時間30分の講義になるとそうは簡単にはいきません。短距離走とマラソンの違いとでも言うのでしょうか……、ハイテンションで突っ走ると、講義する側も、聴いている側も途中で疲れてしまいます。それも本来の仕事もあって、いささか疲れている中での講義です。
最初の年、その評価結果が郵送で送られてきた時は、郵便受けから取り出した途端にその場で中身を取り出したものです。その時に中に書かれていた総合評価の結果は「4.51」。ちなみに埼玉大学の講義全体の平均点は3.5前後で、4点を越える講義は年間に1つか2つしかないとお聞きしました。それがいきなり4.51ですから、メチャメチャ嬉しかったですね。
その後、年を追うごとに徐々に点が上昇していきました。聴いていただく学生さん達は毎年変わるわけで、そういう中で、毎年安定して講義の総合評価4.5以上を出すことができたってことは、間違いがなかったってことの証明だったように思えます。
自ら言うのもなんですが、圧巻は5年目。5点満点中「4.89」という驚異の総合満足度を叩き出しちゃいました。14項目あるほとんどの評価項目で満点の5をいただかないと、この総合評価点にはなりません。この4.89という驚異のハイスコアは、この先、誰にも破られることはないだろう…と埼玉大学の教務課さんからは言われちゃいました。その翌年も「4.88」で、この評価における埼玉大学の歴代ベスト1からベスト6までがすべて私です。(正直、かなり気分いいですが、これで本当にいいのか!?…って感じも正直しています。)
その甲斐あって、非常勤講師を務めさせていただいた最終年の2010年には埼玉大学ベストレクチャー賞(最優秀講義賞)まで頂戴しちゃいました。大変な名誉なことです。私の講義内容は間違ってなかったんだって思っちゃいました。
その表彰式で、「高い評価を受けるコツ」について正規の先生方(教授や准教授、助教)の前で講演をしてほしいと学長から依頼されたのですが、「単なる講義テクニックだけでこんなハイスコアが出せるわけがない。こういう講義を今の学生さん達が求めていただけのことですよ」というようなことを、そこでは申し上げ、第1回目の講義の触り(サワリ)の部分をやらせていただきました。
6年間も非常勤講師を務めさせていただきましたし、最優秀講義賞まで頂戴しましたので、社業に専念するため、その年を最後に非常勤講師を辞めさせていただきました。翌年の3月11日に東日本大震災が発生しましたので、そのまま続けていたら相当ご迷惑をお掛けしたと思われますので、あの年で辞めさせていただいたのは、本当によかったと思っています。2011年は、否が応でも社業に専念せねばいけない年になっちゃいましたから。なので、いい判断でした。
『池上彰の教養のススメ』を書かれた池上彰さんは、現在、東京工業大学と言うバリバリ理系の大学でリベラルアーツ(教養)を教えておられます。私が埼玉大学工学部で教えた『社会システム創生学』も、まさにその“リベラルアーツ(教養)”に近いものだったように思えます。(私は当時は「実践的経営工学」だと称していましたが…)
なので、池上彰さんが著書『池上彰の教養のススメ』で書かれていらっしゃること、私にはよく分かります。うんうん、その通りだ!と肯くこと多々ありました。
なので、この国の『理系の逆襲!』のカギは“教養”にあり!…って私も思います。
【追記1】
私の講義は工学部が対象なのでムクツケキ野郎ども(男子学生)ばかりが聴講したのですが、2コマ連続3時間ぶっ通しの講義終了後は楽しい楽しいパラダイス(学食)での昼食が待っていました。
埼玉大学は教育学部や教養学部も有する総合大学なので、キャンパスには若い女子大生が溢れています。入学したての新1年生なんかウイウイしくていけません。つい最近まで高校の制服に身を包んでいたと思われる新1年生など、まだまだ私服の着こなしやお化粧に慣れていないみたいで、見ればすぐに判ります。(^-^)v
教育学部横にある学食などそんな女子大生の溜まり場のようになっていて、ピチピチで賑やか、そして華やかです。その中にしばしいるだけで、ランチとともに若いエネルギーも美味しくいただける感じがしちゃいます。決してスケベなオヤジになっているわけではありませんので、くれぐれも誤解のないように(^-^;
また、特に4月など、大学のキャンパスは各クラブや同好会の新入部員勧誘の真っ盛り。昔と変わらない懐かしい光景が、キャンパス内の欅並木の若葉の下で繰り広げられていました(^-^)v
【追記2】
私も固有名詞の後ろの役職名がいろいろ代わって呼ばれてきました。「課長」、「部長」、「統括部長」、「ビジネスユニット長」、「室長」、「営業企画部長」、そして今の「社長」…。また、個人的には「パパ」、「お父さん」、「オヤジ」、最近では「ジイジ」(笑)
でも、大学では「先生」と呼ばれていました。学生さん達からはもちろんのこと、他の教授の皆さんからも職員の皆さんからも一様に「おちせんせい」と呼ばれていました。
これまでいろいろな呼称で呼ばれてきましたが、私としては「先生!」と呼ばれるのが、実は内心一番嬉しかったですね。最初は「越智先生!」と呼ばれるのが新鮮で、戸惑いとともにこそばゆい感じもしていたのですが、それも6年もやらせていただくと徐々に慣れてきて、そう呼ばれることが心地好くて、「もっと呼んで! もっと呼んで!」って正直叫びたい衝動に駆 られることもありました(笑)。もしかすると、自分の天職は本当は教職だったのかもしれないな…と思ったりもしました。
「先生」と呼ばれることは、実は魔物のようなものかもしれません(笑)。
プロの教員ではないので教え方はまったくの自己流ですし(まるで部下を育成指導する時のようなやり方です)、アカデミックな知識が豊富なわけではありません(大学院で学んだり、博士号を持っているわけではありませんから)。それで15コマ、全22時間30分の講義を行うのは、さすがにちとキツかったです。1年目はただただ手探りでやったって感じでした。その後工夫を重ね、3年目ぐらいからはコツを掴み始め、手抜き(力の抜き方)も覚えてきて、4年目以降は自分でもかなりいい講義が出来たのではないかと思っています。
時には隔週で2コマ連続の3時間授業と言う利点を活かして、5月のGW中の講義では、学生さん達に映画を観させて、感想文を書かせるという大胆な授業もやらせていただきました。(手抜きと言われるかもしれませんが…)
私が学生さん達にお見せした映画は次の2つのどちらかでした。
『長州ファイブ』
……幕末に長州藩から派遣されてイギリスに秘かに留学した、井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)の5人の長州藩士の渡航前後の様子を描いた映画です。明治政府の重鎮として、もっぱら政治畑を歩んだ伊藤博文(初代首相)と井上馨(初代外相)。最先端の工業技術を学んで日本に持ち帰った遠藤謹助、山尾庸三、井上勝。彼らの新しい知識や技術への強い学習欲、異文化を受け入れる柔軟な思考は近代国家建設のために役立ちました。
ちなみに、特に技術者となった3人。
遠藤謹助は造幣事業に一生を捧げ、「お雇い外国人」から独立し、日本人の手による貨幣造りに成功します(造幣局長)。
山尾庸三はグラスゴーで造船を学び、明治4年に工学寮(のちの東京大学工学部)を創立します。総合大学の中に工学部を設けるというのは、当時世界でも他に例を見ないことでした。また、日本の聾盲唖教育の父でもあります(工部卿)。
井上勝は新橋-横浜間に日本初の鉄道を敷き、以後、全国の鉄道敷設工事を指揮した鉄道の父(鉄道庁長官)。小岩井農場の創設者でもあります。
『October Sky(邦題:遠い空の向こうに)』
……1957年10月ソ連から打ち上げられた人類初の人工衛星を見たアメリカ合衆国、ウエストヴァージニア州の小さな炭坑の町の高校生4人が、ロケット作りに挑戦する。ロケット作りを通して、時にはぶつかり、また励まされながら成長していく過程を描いた映画です。主人公の1人である元NASA技術者のホーマー・H・ヒッカムJrの自伝小説「ロケットボーイズ」を原作としています。諦めないこと、夢を見ること…。今さらながらその大切さを思い出させてくれる作品です。
この2つの映画、『長州ファイブ』は文化庁映画芸術支援作品で、第40回ヒューストン国際映画祭のグランプリ受賞作品です。また、『October Sky(邦題:遠い空の向こうに)』の原作は、米国では中学校 の教科書にも載せられているほどの作品です。ご興味を持たれた方は、ぜひレンタルショップでDVDを借りてきて、鑑賞してみてください。なぜ私がこの映画を学生さん達に見せたか、お分かりいただけると思います。
そうそう、日本の伝統芸能である歌舞伎の世界に革命(イノベーション)を起こし、『スーパー歌舞伎』を打ち立てた三代目・市川猿之介さん(現・猿翁さん、俳優・香川照之さんの父)の名言に次のようなものがあります。
「政治・経済は人が作る 文化・芸能は人を作る」
私、これには激しく同意します。20歳を過ぎた大人の場合、いくらこちらから教えてもなかなかその人自身の考え方や価値観なんて変わるようなものではありません。人は涙を流すくらいの強い感動を覚えて、初めて考え方や価値観が変わるものだと私は思っています(それでもほんのちょっとですが…)。その涙を流すくらいの感動なんて、日常の生活の中ではなかなか得られるものではないので、それを補うのが小説であったり、映画であったり、芝居であったり、歌であったり、スポーツであったり…、すなわち文化・芸能だと私も思っています。
特に理系の人間にとっては読書と言えば専門書というように、どうしても自分の専門に偏り過ぎるところがあって、そうした文化・芸能からは遠いところにばかりにいきがちです。これでは世の中の見方も偏りがちで、いわゆる“柔軟な発想”なんてものはなかなか生まれてきません。人としての幅、思考の幅が狭くなってしまうからです。話題の幅も限られるので、人との付き合いの範囲も自分と同類の人だけに限られがちです。これではますます思考は狭まれてしまいます。これは過去の自分自身の反省も込めて、そう思っています。
ですから、私は『理系の逆襲!』というメッセージとともに、工学部の学生さん達に、優秀なエンジニアになりたいのであればもっと本を読め(それも専門外の)!…とか、映画や芝居をたくさん観ろ!…とかと教えていました。発想の幅、人としての幅を少しでも広げるために。人としての幅が広がれば、同じモノを見たとしても、他の人とは違った視点から見ることができるので、それまでとは違ったモノの見方も出来るようになる!…とね(^^)d
これは池上彰さんの『教養のススメ』の内容に大いに通じるところがあります。
現在、大学には授業の教え方、内容が適切かどうか等、学生に評価させる「講義評価」という制度があります。言ってみれば、「講師の通知表」、「満足度調査」みたいなものです。埼玉大学の場合は14項目の質問に1項目5点満点で点を付けるというものでした。上記のようなこれまでとはまったく異なる雰囲気の講義をやったので、その「講義評価」で私の講義を聴講してくれた学生さん達がいったいどのくらいの評価をしてくれるのか、最初はドキドキヒヤヒヤもんでした。だって、当初H教授が依頼してきた講義内容を全面的に拒否し、自分で新規に作り上げた講義です。
90分の講演なら当時でも何度か経験していましたので、90分の講義を1~数コマ程度ならなんとかやれるだろうという自信はありました。持ち時間一杯、ハイテンションでダァーッと突っ走ればいいわけですから。でも、これが15コマ延べ22時間30分の講義になるとそうは簡単にはいきません。短距離走とマラソンの違いとでも言うのでしょうか……、ハイテンションで突っ走ると、講義する側も、聴いている側も途中で疲れてしまいます。それも本来の仕事もあって、いささか疲れている中での講義です。
最初の年、その評価結果が郵送で送られてきた時は、郵便受けから取り出した途端にその場で中身を取り出したものです。その時に中に書かれていた総合評価の結果は「4.51」。ちなみに埼玉大学の講義全体の平均点は3.5前後で、4点を越える講義は年間に1つか2つしかないとお聞きしました。それがいきなり4.51ですから、メチャメチャ嬉しかったですね。
その後、年を追うごとに徐々に点が上昇していきました。聴いていただく学生さん達は毎年変わるわけで、そういう中で、毎年安定して講義の総合評価4.5以上を出すことができたってことは、間違いがなかったってことの証明だったように思えます。
自ら言うのもなんですが、圧巻は5年目。5点満点中「4.89」という驚異の総合満足度を叩き出しちゃいました。14項目あるほとんどの評価項目で満点の5をいただかないと、この総合評価点にはなりません。この4.89という驚異のハイスコアは、この先、誰にも破られることはないだろう…と埼玉大学の教務課さんからは言われちゃいました。その翌年も「4.88」で、この評価における埼玉大学の歴代ベスト1からベスト6までがすべて私です。(正直、かなり気分いいですが、これで本当にいいのか!?…って感じも正直しています。)
その甲斐あって、非常勤講師を務めさせていただいた最終年の2010年には埼玉大学ベストレクチャー賞(最優秀講義賞)まで頂戴しちゃいました。大変な名誉なことです。私の講義内容は間違ってなかったんだって思っちゃいました。
その表彰式で、「高い評価を受けるコツ」について正規の先生方(教授や准教授、助教)の前で講演をしてほしいと学長から依頼されたのですが、「単なる講義テクニックだけでこんなハイスコアが出せるわけがない。こういう講義を今の学生さん達が求めていただけのことですよ」というようなことを、そこでは申し上げ、第1回目の講義の触り(サワリ)の部分をやらせていただきました。
6年間も非常勤講師を務めさせていただきましたし、最優秀講義賞まで頂戴しましたので、社業に専念するため、その年を最後に非常勤講師を辞めさせていただきました。翌年の3月11日に東日本大震災が発生しましたので、そのまま続けていたら相当ご迷惑をお掛けしたと思われますので、あの年で辞めさせていただいたのは、本当によかったと思っています。2011年は、否が応でも社業に専念せねばいけない年になっちゃいましたから。なので、いい判断でした。
『池上彰の教養のススメ』を書かれた池上彰さんは、現在、東京工業大学と言うバリバリ理系の大学でリベラルアーツ(教養)を教えておられます。私が埼玉大学工学部で教えた『社会システム創生学』も、まさにその“リベラルアーツ(教養)”に近いものだったように思えます。(私は当時は「実践的経営工学」だと称していましたが…)
なので、池上彰さんが著書『池上彰の教養のススメ』で書かれていらっしゃること、私にはよく分かります。うんうん、その通りだ!と肯くこと多々ありました。
なので、この国の『理系の逆襲!』のカギは“教養”にあり!…って私も思います。
【追記1】
私の講義は工学部が対象なのでムクツケキ野郎ども(男子学生)ばかりが聴講したのですが、2コマ連続3時間ぶっ通しの講義終了後は楽しい楽しいパラダイス(学食)での昼食が待っていました。
埼玉大学は教育学部や教養学部も有する総合大学なので、キャンパスには若い女子大生が溢れています。入学したての新1年生なんかウイウイしくていけません。つい最近まで高校の制服に身を包んでいたと思われる新1年生など、まだまだ私服の着こなしやお化粧に慣れていないみたいで、見ればすぐに判ります。(^-^)v
教育学部横にある学食などそんな女子大生の溜まり場のようになっていて、ピチピチで賑やか、そして華やかです。その中にしばしいるだけで、ランチとともに若いエネルギーも美味しくいただける感じがしちゃいます。決してスケベなオヤジになっているわけではありませんので、くれぐれも誤解のないように(^-^;
また、特に4月など、大学のキャンパスは各クラブや同好会の新入部員勧誘の真っ盛り。昔と変わらない懐かしい光景が、キャンパス内の欅並木の若葉の下で繰り広げられていました(^-^)v
【追記2】
私も固有名詞の後ろの役職名がいろいろ代わって呼ばれてきました。「課長」、「部長」、「統括部長」、「ビジネスユニット長」、「室長」、「営業企画部長」、そして今の「社長」…。また、個人的には「パパ」、「お父さん」、「オヤジ」、最近では「ジイジ」(笑)
でも、大学では「先生」と呼ばれていました。学生さん達からはもちろんのこと、他の教授の皆さんからも職員の皆さんからも一様に「おちせんせい」と呼ばれていました。
これまでいろいろな呼称で呼ばれてきましたが、私としては「先生!」と呼ばれるのが、実は内心一番嬉しかったですね。最初は「越智先生!」と呼ばれるのが新鮮で、戸惑いとともにこそばゆい感じもしていたのですが、それも6年もやらせていただくと徐々に慣れてきて、そう呼ばれることが心地好くて、「もっと呼んで! もっと呼んで!」って正直叫びたい衝動に駆 られることもありました(笑)。もしかすると、自分の天職は本当は教職だったのかもしれないな…と思ったりもしました。
「先生」と呼ばれることは、実は魔物のようなものかもしれません(笑)。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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