2014/10/06
中央構造線(その1)
『中央構造線』って、御存知ですか?
『中央構造線』とは、日本列島を九州中央部から四国北部、紀伊半島…と東西に横切り、愛知県東部から北上して、諏訪湖付近でもう一つの巨大断層であるフォッサマグナに分断され、さらに関東地方へと続く、陸上部分だけでも全長約1,000kmにも及ぶ日本最古で最大、最長の巨大断層地帯のことです。日本列島はこの中央構造線を境として南北で異なる地層の岩盤が接していて、地球誕生以来の長い年月に及ぶ地殻変動により、南側の岩盤が北側の岩盤に乗り上げる形で隆起し、そこに断層が生じています。
この中央構造線の存在が誰の目にも一番ハッキリと分かるくらいに露出している場所が、私の故郷・四国です。九州の福岡空港や長崎空港、四国なら松山空港から羽田空港行きの飛行機に乗ってA席(進行方向左側の窓際の席)に座り(逆方向の便や、反対側の窓際の席だと見えません)、眼下の風景を眺めると、四国山地北縁であたかも羊羹を包丁でスパッ!と切ったかのように直線状に切り取られた山が幾つも並んでいるのが、よく分かります。これは“断層崖”と呼ばれるもので、ここで南北2つの地層で大規模な断層が起きていた跡だということなんです。これが日本列島の中央構造線です。この様子を上空から撮った空中写真が活断層の見本として各種の書籍に取り上げられているほどで、これほど大規模に中央構造線という巨大断層の姿がハッキリと分かるですところもありません。
近畿南部から四国にかけては、中央構造線に沿って約360kmにわたり長い断層崖が地上に露出しています。東から見てみると、紀伊半島中部を東西に横切る断層崖は、まず徳島市から吉野川北岸を走って三好市に達し、続いて愛媛県の四国中央市、さらには新居浜市、西条市のすぐ南側を通り、県都松山市のすぐ南の砥部町から瀬戸内海に面した伊予市双海町を通り、犬が走っているような形をした愛媛県の尻尾の位置にある佐田岬半島北側の沖合を通り豊予海峡に入り、九州方向に伸びています。
このように中央構造線はほぼ一直線上に伸びていて、これが屏風のような千数百メートル級の高く急峻な山々が連なる四国山地を形成しています。西日本最高峰である標高1,982メートルの石鎚山(愛媛県)をはじめ、標高1,954メートルの剣山(徳島県)、標高1,929メートルの二ノ森(愛媛県)、標高1,897メートルの瓶ヶ森(愛媛県)、標高1,894メートルの三嶺(徳島県)、標高1,859メートルの笹ヶ峰(愛媛県)…と続き、標高1,500メートル以上の山となると幾つあるかすぐには分からないくらいです。
四国と言うと、温暖な瀬戸内海や、広々とした太平洋、渦潮で有名な鳴門海峡や来島海峡といった“海”のイメージがあまりにも強いのですが、実は“山”の地方なんです。しかも、中央構造線は四国の中央部を通っているわけではなく、四国の中央部の少し北側、すなわち瀬戸内海側を通っていることに特徴があります。
四国以外の地方にお住まいの方、例えばだだっ広い平野が広がる関東地方にお住まいの方が飛行機で初めて松山空港に降り立つと、面喰らう印象を持つかもしれません。瀬戸内海(伊予灘)に突き出るような形で滑走路が延びている松山空港は北側には穏やかな瀬戸内海の景色が広がっているのですが、反対の南側にはすぐ目の前に千数百メートル級の高く急峻な四国山地の山々が屏風のように連なっていて、「ここは松山空港ではなくて、松本空港(長野県)か?」という印象を抱かれるかもしれません。そういう感想をお持ちになってもおかしくはないと思います、この風景は…。
このように、四国はこの屏風のように高い山々が立ち並ぶ四国山地により南北が分断されていて、気候だってこの四国山地を境として南北で大いに異なります。南部は高温多雨の太平洋側気候で、毎年梅雨や台風のシーズンになると大量の雨が降るため水害が多発します。いっぽう、北部は温暖少雨の瀬戸内型気候で、南部とは逆に毎年のように水不足に悩まされている地域が多いという特徴があり、まったく異なります。
四国山地(中央構造線)は四国の分水嶺でもあるのですが、前述のようにその分水嶺は四国の中央部を通っているわけではなく、四国の中央部の少し北側、すなわち瀬戸内海側を通っています。松山市から南の方角を見ると、すぐ目の前に見える屏風のような高い山々がその分水嶺です。
よく四国の瀬戸内海側の香川県と愛媛県は雨が降らない…と言われますが、県全体が中央構造線(分水嶺)の北側に位置する香川県はともかく、愛媛県の場合は必ずしもこの言葉は当てはまりません。愛媛県内でも人が多く住んでいるのは瀬戸内海に面した地域なのですが、これは中央構造線(分水嶺)より北側の地域。四国の地図をご覧いただくとすぐにお分かりいただけると思いますが、中央構造線(分水嶺)は四国の真ん中よりも北側、瀬戸内海側に寄ったところを通っています。従って、愛媛県の中でも瀬戸内海側と呼ばれる地域のほうが面積的には遥かに狭いということがお分かりいただけると思います。中央構造線(分水嶺)より南側はほとんどが山の中ですが、面積的には広いのです。四国の大河と言えば徳島県を流れる“吉野川”。また、清流と言えば高知県の西部を流れる“四万十川”を思い浮かべられると思いますが、どちらの川も、実は源流は愛媛県にあります。
中央構造線(分水嶺)より北側の愛媛県や香川県には大きな河川はなく、毎年夏になると渇水で話題になるのですが、実は愛媛県の新居浜市や西条市等、特に高い山々を背にする都市では、その高さゆえに山々の保水力は意外なほど高く、また、地表面に姿を現す大きな河川はないものの、“伏流水”と呼ばれる地下水脈に恵まれていて、水は極めて豊富なところなんです(それもミネラルたっぷりの美味しい水が蛇口を捻ると出てきます。しかも、西条市などは水道代はタダだと聞いたことがあります)。
また、南国にありながら、四国山地の冬は関門海峡を抜けてきた寒気が、温暖な瀬戸内海から立ち昇る水蒸気を凍らせて四国山地にぶつかるために意外なほど雪が多く、スキー場も多くあります。山中あるいは山際の道路は凍結しやすく、自動車は度々チェーンの着用が必要となるくらいです。
このように気象・気候に大きな影響をもたらすだけでなく、中央構造線は日本の防災を考えるにあたっては極めて重要なキーワードだと思っています。
まずは地震。中央構造線は断層帯であるため、この巨大な断層が出来上がるまでには超巨大な地震が頻発したと容易に想像できます。ですが、それは何十万年、何百万年も前のずっと古代のことで、人類が日本列島に住みはじめて以降(有史以降)の活動歴は、その他の地震が活発な地域と比較すると、さほど多くはありません。一部に活断層は残ってはいますが、ほぼ安定しているといっていいような感じです。地震学者さんの説によると、中央構造線の断層活動の平均活動間隔は約1,000~2,900年と言われています。
歴史に残っている中央構造線自体の断層活動が要因と思われる巨大地震は、1596年9月1日に愛媛県内の中央構造線で発生した「慶長伊予地震(慶長伊予国地震)」。この時の地震の規模を示すマグニチュードは7.0と推定されています。記録によると、その3日後の9月4日には、豊予海峡を挟んで対岸の九州の大分で「慶長豊後地震(別府湾地震)」(マグニチュード7.0~7.8と推定)が発生しました。さらにその翌日の9月5日にも、これらの地震に誘発されたと考えられる「慶長伏見地震(慶長伏見大地震)」(マグニチュード7.0~7.1と推定)が京都で発生しました。これらは離れているように見えて、実は中央構造線でほぼ繋がっています。
この地震が中央構造線の断層活動が直接の要因となって大災害をもたらしたと歴史に残る巨大地震で、それ以外にも幾つか大きな地震が発生した形跡はあるものの、それらは太平洋プレートやユーラシアプレートといった大陸プレートの接合面で起こる海溝型の地震であったり、そのプレートの動きが原因とされる別の活断層を震源とする地震であったりで、中央構造線の断層活動が直接の要因となった大きな地震はなかったようです。
私が本籍地である愛媛県今治市にある菩提寺・無量寺で、その土地に残る自然災害の歴史を尋ねたところ、「7世紀の中頃に、村を壊滅させるほどの巨大な地震があって、集落は東のほうに移転した。病に効くと評判の温泉があったが、その地震で湯が止まってしまって、“湯の口”という地名だけが残っている」という話を聞かせてもらったのですが、「慶長伊予地震(慶長伊予国地震)」が発生したのが17世紀になろうかという1596年のことですから、7世紀の中頃というのは、中央構造線の断層活動の平均活動間隔が約1,000~2,900年というのにもほぼ符合します。
でもまぁ~、無量寺の若い住職との話は、途中からその地震の話から、かつて四国に朝廷が置かれていたかもしれない…というとんでもない『四国遷都説』のほうに話が発展していってしまうのですが…(^^;
『中央構造線』とは、日本列島を九州中央部から四国北部、紀伊半島…と東西に横切り、愛知県東部から北上して、諏訪湖付近でもう一つの巨大断層であるフォッサマグナに分断され、さらに関東地方へと続く、陸上部分だけでも全長約1,000kmにも及ぶ日本最古で最大、最長の巨大断層地帯のことです。日本列島はこの中央構造線を境として南北で異なる地層の岩盤が接していて、地球誕生以来の長い年月に及ぶ地殻変動により、南側の岩盤が北側の岩盤に乗り上げる形で隆起し、そこに断層が生じています。
この中央構造線の存在が誰の目にも一番ハッキリと分かるくらいに露出している場所が、私の故郷・四国です。九州の福岡空港や長崎空港、四国なら松山空港から羽田空港行きの飛行機に乗ってA席(進行方向左側の窓際の席)に座り(逆方向の便や、反対側の窓際の席だと見えません)、眼下の風景を眺めると、四国山地北縁であたかも羊羹を包丁でスパッ!と切ったかのように直線状に切り取られた山が幾つも並んでいるのが、よく分かります。これは“断層崖”と呼ばれるもので、ここで南北2つの地層で大規模な断層が起きていた跡だということなんです。これが日本列島の中央構造線です。この様子を上空から撮った空中写真が活断層の見本として各種の書籍に取り上げられているほどで、これほど大規模に中央構造線という巨大断層の姿がハッキリと分かるですところもありません。
近畿南部から四国にかけては、中央構造線に沿って約360kmにわたり長い断層崖が地上に露出しています。東から見てみると、紀伊半島中部を東西に横切る断層崖は、まず徳島市から吉野川北岸を走って三好市に達し、続いて愛媛県の四国中央市、さらには新居浜市、西条市のすぐ南側を通り、県都松山市のすぐ南の砥部町から瀬戸内海に面した伊予市双海町を通り、犬が走っているような形をした愛媛県の尻尾の位置にある佐田岬半島北側の沖合を通り豊予海峡に入り、九州方向に伸びています。
このように中央構造線はほぼ一直線上に伸びていて、これが屏風のような千数百メートル級の高く急峻な山々が連なる四国山地を形成しています。西日本最高峰である標高1,982メートルの石鎚山(愛媛県)をはじめ、標高1,954メートルの剣山(徳島県)、標高1,929メートルの二ノ森(愛媛県)、標高1,897メートルの瓶ヶ森(愛媛県)、標高1,894メートルの三嶺(徳島県)、標高1,859メートルの笹ヶ峰(愛媛県)…と続き、標高1,500メートル以上の山となると幾つあるかすぐには分からないくらいです。
四国と言うと、温暖な瀬戸内海や、広々とした太平洋、渦潮で有名な鳴門海峡や来島海峡といった“海”のイメージがあまりにも強いのですが、実は“山”の地方なんです。しかも、中央構造線は四国の中央部を通っているわけではなく、四国の中央部の少し北側、すなわち瀬戸内海側を通っていることに特徴があります。
四国以外の地方にお住まいの方、例えばだだっ広い平野が広がる関東地方にお住まいの方が飛行機で初めて松山空港に降り立つと、面喰らう印象を持つかもしれません。瀬戸内海(伊予灘)に突き出るような形で滑走路が延びている松山空港は北側には穏やかな瀬戸内海の景色が広がっているのですが、反対の南側にはすぐ目の前に千数百メートル級の高く急峻な四国山地の山々が屏風のように連なっていて、「ここは松山空港ではなくて、松本空港(長野県)か?」という印象を抱かれるかもしれません。そういう感想をお持ちになってもおかしくはないと思います、この風景は…。
このように、四国はこの屏風のように高い山々が立ち並ぶ四国山地により南北が分断されていて、気候だってこの四国山地を境として南北で大いに異なります。南部は高温多雨の太平洋側気候で、毎年梅雨や台風のシーズンになると大量の雨が降るため水害が多発します。いっぽう、北部は温暖少雨の瀬戸内型気候で、南部とは逆に毎年のように水不足に悩まされている地域が多いという特徴があり、まったく異なります。
四国山地(中央構造線)は四国の分水嶺でもあるのですが、前述のようにその分水嶺は四国の中央部を通っているわけではなく、四国の中央部の少し北側、すなわち瀬戸内海側を通っています。松山市から南の方角を見ると、すぐ目の前に見える屏風のような高い山々がその分水嶺です。
よく四国の瀬戸内海側の香川県と愛媛県は雨が降らない…と言われますが、県全体が中央構造線(分水嶺)の北側に位置する香川県はともかく、愛媛県の場合は必ずしもこの言葉は当てはまりません。愛媛県内でも人が多く住んでいるのは瀬戸内海に面した地域なのですが、これは中央構造線(分水嶺)より北側の地域。四国の地図をご覧いただくとすぐにお分かりいただけると思いますが、中央構造線(分水嶺)は四国の真ん中よりも北側、瀬戸内海側に寄ったところを通っています。従って、愛媛県の中でも瀬戸内海側と呼ばれる地域のほうが面積的には遥かに狭いということがお分かりいただけると思います。中央構造線(分水嶺)より南側はほとんどが山の中ですが、面積的には広いのです。四国の大河と言えば徳島県を流れる“吉野川”。また、清流と言えば高知県の西部を流れる“四万十川”を思い浮かべられると思いますが、どちらの川も、実は源流は愛媛県にあります。
中央構造線(分水嶺)より北側の愛媛県や香川県には大きな河川はなく、毎年夏になると渇水で話題になるのですが、実は愛媛県の新居浜市や西条市等、特に高い山々を背にする都市では、その高さゆえに山々の保水力は意外なほど高く、また、地表面に姿を現す大きな河川はないものの、“伏流水”と呼ばれる地下水脈に恵まれていて、水は極めて豊富なところなんです(それもミネラルたっぷりの美味しい水が蛇口を捻ると出てきます。しかも、西条市などは水道代はタダだと聞いたことがあります)。
また、南国にありながら、四国山地の冬は関門海峡を抜けてきた寒気が、温暖な瀬戸内海から立ち昇る水蒸気を凍らせて四国山地にぶつかるために意外なほど雪が多く、スキー場も多くあります。山中あるいは山際の道路は凍結しやすく、自動車は度々チェーンの着用が必要となるくらいです。
このように気象・気候に大きな影響をもたらすだけでなく、中央構造線は日本の防災を考えるにあたっては極めて重要なキーワードだと思っています。
まずは地震。中央構造線は断層帯であるため、この巨大な断層が出来上がるまでには超巨大な地震が頻発したと容易に想像できます。ですが、それは何十万年、何百万年も前のずっと古代のことで、人類が日本列島に住みはじめて以降(有史以降)の活動歴は、その他の地震が活発な地域と比較すると、さほど多くはありません。一部に活断層は残ってはいますが、ほぼ安定しているといっていいような感じです。地震学者さんの説によると、中央構造線の断層活動の平均活動間隔は約1,000~2,900年と言われています。
歴史に残っている中央構造線自体の断層活動が要因と思われる巨大地震は、1596年9月1日に愛媛県内の中央構造線で発生した「慶長伊予地震(慶長伊予国地震)」。この時の地震の規模を示すマグニチュードは7.0と推定されています。記録によると、その3日後の9月4日には、豊予海峡を挟んで対岸の九州の大分で「慶長豊後地震(別府湾地震)」(マグニチュード7.0~7.8と推定)が発生しました。さらにその翌日の9月5日にも、これらの地震に誘発されたと考えられる「慶長伏見地震(慶長伏見大地震)」(マグニチュード7.0~7.1と推定)が京都で発生しました。これらは離れているように見えて、実は中央構造線でほぼ繋がっています。
この地震が中央構造線の断層活動が直接の要因となって大災害をもたらしたと歴史に残る巨大地震で、それ以外にも幾つか大きな地震が発生した形跡はあるものの、それらは太平洋プレートやユーラシアプレートといった大陸プレートの接合面で起こる海溝型の地震であったり、そのプレートの動きが原因とされる別の活断層を震源とする地震であったりで、中央構造線の断層活動が直接の要因となった大きな地震はなかったようです。
私が本籍地である愛媛県今治市にある菩提寺・無量寺で、その土地に残る自然災害の歴史を尋ねたところ、「7世紀の中頃に、村を壊滅させるほどの巨大な地震があって、集落は東のほうに移転した。病に効くと評判の温泉があったが、その地震で湯が止まってしまって、“湯の口”という地名だけが残っている」という話を聞かせてもらったのですが、「慶長伊予地震(慶長伊予国地震)」が発生したのが17世紀になろうかという1596年のことですから、7世紀の中頃というのは、中央構造線の断層活動の平均活動間隔が約1,000~2,900年というのにもほぼ符合します。
でもまぁ~、無量寺の若い住職との話は、途中からその地震の話から、かつて四国に朝廷が置かれていたかもしれない…というとんでもない『四国遷都説』のほうに話が発展していってしまうのですが…(^^;
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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