2014/10/10
祝・ノーベル物理学賞 日本人3人受賞
「理学と工学の違い」などということに言及した以上、この話題に触れないわけにはいきません。また、ノーベル賞のパロディとも言われる「イグ・ノーベル賞」を毎年楽しみにしていることについて、このブログに書いてもいますしね。本家のノーベル賞についても書かないわけにはいきません(笑)
スウェーデンの王立科学アカデミーのノーベル賞選考委員会は7日、今年(2014年)のノーベル物理学賞を、省エネで長寿命の照明に使われる青色の発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇・名城大終身教授(85)、天野浩・名古屋大教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)の3人に授与すると発表しました。
これは『理系の逆襲!』を標榜する私にとっては、なににも増して(オリンピックで日本人選手が金メダルを獲る以上に、またサッカー日本代表チームがW杯で一次リーグを突破する以上に…喩えが変か・笑)嬉しかったですね。とにかく内容が素晴らしい!
受賞された3人の方々と、そのご家族、関係者の皆様に、心から「おめでとうございます」とお祝いの言葉を贈らせていただきたいと思います。
ノーベル賞、特にノーベル物理学賞は「基礎理論」の分野で受賞している人が大多数のイメージが強いのですが、今回の受賞はその基礎理論ではなく「実用化研究」の分野での受賞だというところに非常に大きな意味がある…と、私は思っています。
受賞された3名の方の学歴(出身大学と学部)を拝見すると、それがより顕著に分かります。赤崎勇教授が京都大学理学部化学科、天野浩教授が名古屋大学工学部電子工学科、中村修二教授が徳島大学工学部電子工学科と、3人中2人が工学部電子工学科の出身です。
京都大学理学部化学科出身の赤崎勇教授も略歴を拝見すると、大学卒業後、いったん民間企業の神戸工業(現富士通テン)に入社され、その後一時期名古屋大学の助手、講師、助教授に就任。その後、再び今度は松下電器産業に転じられて東京研究所基礎研究室長を長く務められました。その後名古屋大学工学部の教授になられ、その時の弟子が天野浩教授。なので、3人ともバリバリの“工学”の方です。そういうバリバリの“工学”の方々がノーベル物理学賞という世界最高の権威のある賞を受賞されたというのが非常に大きな意味があると私は捉えています。
また、3人の方とも現在は大学の教授をなさっておられますが、前述のように赤崎勇教授が民間企業勤務の経験をお持ちであるばかりでなく、皆さんよくご存知のように、中村修二教授は民間企業、それも誰でも名前を知っているような有名な大企業ではなくて、四国徳島の地元企業・日亜化学工業の元社員で、今回の受賞の対象となった研究もその日亜化学工業勤務時の業績によるものです。このことも非常に大きな意味を持つと私は捉えています。
工学部出身で民間企業勤務と言うと、2002年(平成14年)にノーベル化学賞を受賞して日本中をアッと驚かせた田中耕一さんも東北大学工学部電気工学科の卒業で、京都の島津製作所勤務でした(現在も島津製作所にシニアフェローとして勤務されています)。
ノーベル賞物理学賞や化学賞と言うと、どうしても大学の理学部の先生方が中心になって行う「基礎理論」の分野の研究成果を対象とした賞というイメージが強いのですが、必ずしもそうではなくて、日本では工学の範疇に分類される実用化の分野の研究の対しても贈られるということが分かったことが、工学部電子工学科出身でエンジニアあがりの私としてはメチャメチャ嬉しいところです。きっと、これから工学を志そうとする若い人の励みになることでしょう。この実用化の分野、日本は世界的に見ても非常に強い分野です。今回の3人の受賞でこの分野が元気になれば、今後、何人も後に続いてノーベル賞を受賞する人が出てくるのではないか…と期待しちゃいます。
ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に“人類のために最大たる貢献をした人々”に分配されるものとする」という遺言に従って1901年から始まった世界的な賞で、物理学、化学、医学生理学、文学、平和、経済学の6分野で、世界的に顕著な功績を残した人物に贈られることになっています。
“人類のために最大たる貢献をした人々”とは、“人類に最も幸福をもらたした人々”と読み替えることもできます。先のブログ「理学と工学の違い」において、私は「“理学”と“工学”の最大の違いは、学問として目指すところの究極の目標の違いにある。やや大袈裟な言い方になるかもしれないが、『理学の目標は真理の探求』、いっぽう、『工学の目標は人類の幸福』…と言う方もいる」ということを書かせていただきました。これからすると、実は工学のほうがノーベル賞には近いということもできようかと思います。
報道によると、ノーベル賞の選考委員会は今回の3人の受賞理由について、「3人の発明は革命的で、20世紀は白熱電球の時代だったが、21世紀はLEDによって照らされる時代になった。誰もが失敗してきたなか、3人は成功した。世界の消費電力のおよそ4分の1が照明に使われるなか、LEDは地球環境の保護にも貢献している。LEDは電力の供給を受けにくい環境にある世界の15億人の生活の質を高める大きな可能性を秘めている」とコメントしたとされています。
まさにエジソン以来の大発明だということで、少ない電力でも明るい照明に繋がり、私達の生活を一変させたことが高く評価されたということですね。“人類のために最大たる貢献をした人々”に相応しいと思います。加えて、その貢献が誰の目にも極めてわかりやすいですしね(^^)d これが工学の工学たるところです。素晴らしい!
私がここで改めて説明するまでもないことですが、発光ダイオード(LED)は1960年代に赤色や緑色のものが開発されたのですが、光の三原色のうちの残りの1つ青は素材の結晶作りが難航し「20世紀中の実用化は無理」と言われてきました。ノーベル賞の選考委員会によると、名古屋大学の教授だった赤崎氏は、天野氏とともに世界中の研究者が手を引いた窒化ガリウムの結晶化に挑戦。実験を繰り返して1986年に結晶を作り、その後、世界で初めて青色発光ダイオード(LED)を実現しました。当時、日亜化学工業の技術者だった中村教授は窒化ガリウム結晶の大量生産技術を独力で開発し、1990年代に明るい高輝度青色発光ダイオード(LED)の実用化に成功しました。中村氏はその後、青色半導体レーザーも開発し、それぞれ世界で初めて製品化されました。
光の三原色が揃ったことで、LEDで様々な色を表現する道が開け、屋外の大型ディスプレーや信号機が実用化されました。レーザーは、DVDより大容量のブルーレイディスクを可能にしました。さらに黄色の蛍光体と組み合わせた白色LEDは、白熱電球や蛍光灯に替わり急速に普及しており、高い節電効果を挙げています。
日本人のノーベル賞受賞は、2012年の医学生理学賞の山中伸弥京都大教授から2年ぶりの快挙で、これまで計22人、物理学賞は計10人となります。物理学賞の3人を日本人が独占したのは2008年以来2回目で、物理学をはじめとした日本の科学の実力を世界中に示したことになります。
何度も繰り返しになりますが、素晴らしい!!
【追記1】
今回の受賞者のお1人、米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授は愛媛県西宇和郡瀬戸町(現在の伊方町)のご出身。小学校時代に愛媛県大洲市に転居され、地元の大洲高校から徳島大学工学部に進まれました。同大学大学院工学研究科修士課程修了後、家族の養育の関係から、同じく地元徳島の日亜化学工業に就職され、商品開発に携わられました。このように私と同じくバリバリの“四国人”ということで、その意味でも私にとって嬉しいですね。中村教授は故郷・愛媛への強い思いもお持ちのようで、米カリフォルニア大サンタバーバラ校のほかに、現在、地元愛媛大学工学部の客員教授も務めていらっしゃいます。
また、お生まれが1954年(昭和29年)5月22日ということですので、私より学年的には1学年上ってことです。まぁ、同世代ということですので、これも嬉しいところです。
さらにさらに出身大学が東京大学や京都大学、名古屋大学といった旧帝国大学ではなくて、徳島大学という四国の地方大学。私も広島大学という地方大学の出身ですので、これも嬉しいところです。工学の場合、理論・理屈ではなくて実績や成果が全て…という実力社会のようなところがありますので、必ずしも入学試験時の偏差値が高い大学を出ているから優れているとは言い難いところもあります。まぁ~、一種、腕一本の“職人”のようなところもありますからね。発想力や創造力は学校でのお勉強だけでは鍛えられないところがありますから。このことを証明していただけたようなところがあるのも嬉しい。地方大学の星ですね。
私も徳島大学工学部電子工学科は大学受験時の志望校の選択肢の1つに加えていましたので、もしかしたら中村修二教授の1年後輩になっていたかもしれません。
【追記2】
中村修二教授が愛媛県西宇和郡瀬戸町のご出身ということなのですが、愛媛県出身と言うと、1994年にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんも愛媛県喜多郡内子町のご出身です。さらに1987年にノーベル医学生理学賞を受賞した利根川進さんもお父様の仕事の関係で中学時代、愛媛県西宇和郡三瓶町(現在の西予市)にある三瓶中学で学ばれたことがあるので、愛媛県関係者と言えます。
先ほど、これで日本人のノーベル賞受賞者は22人と書きましたが、そのうちの3人が愛媛県出身者あるいは愛媛県関係者ということですので、愛媛県人としてこれほど誇らしいことはありません。
(と言っても、私は極最近、自分が愛媛県人であることを自覚した遅れてきた“覚醒愛媛県人”ではありますが…)
【追記3】
高輝度青色発光ダイオード、日亜化学工業、中村修二さんと言うと、実は私、かつて仕事で関係してました。と言ってもご一緒に仕事をしたことがあるというわけではなくて、言ってみればライバルのようなものでした。
今から20年ほど前のことですから1990年代前半の頃、私はNTTデータというシステム開発会社でありながら、『光ファイバースクリーン』というフルカラー大型平面ディスブレイの開発を行っていました。これは、液晶プロジェクターに使用する透過型のフルカラー小型液晶パネルとプラスチック光ファイバーケーブルを組み合わせ、光ファイバーケーブルの配列を拡大することで大画面の平面ディスブレイを実現しようというものでした。当時、システム監視盤や各種表示盤用としてフルカラーの大型ディスブレイのニーズは高く、東レさん(プラスチック光ファイバーケーブル)やシャープさん(液晶パネル)と一緒に開発を行っていました。
発表当初の市場のインパクトはそれなりに大きく、阪急電鉄様の梅田駅3階メインコンコースに設置された大画面行き先案内表示ディスブレイをはじめ、京急電鉄様の上大岡駅の行き先案内表示ディスブレイや成田国際空港第二ターミナルビル到着階の大型ディスブレイなど順調に導入実績を伸ばしていっていたのですが、ある報道記事を見て、もうそれ以上の開発を止めて、市場からの撤退を決めました。それが「日亜化学工業による高輝度青色発光ダイオード実用化」という報道記事でした。
私もすぐに実物を見に行ったのですが、あまりに衝撃的で、こりゃあこれからはLEDディスブレイの時代になるな…と直感しました。今回の青色発光ダイオードの実用化によるノーベル物理学賞の受賞で、その時の私の直感が正しかったことが証明されました。それも嬉しいことの一つですね(^-^)
スウェーデンの王立科学アカデミーのノーベル賞選考委員会は7日、今年(2014年)のノーベル物理学賞を、省エネで長寿命の照明に使われる青色の発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇・名城大終身教授(85)、天野浩・名古屋大教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)の3人に授与すると発表しました。
これは『理系の逆襲!』を標榜する私にとっては、なににも増して(オリンピックで日本人選手が金メダルを獲る以上に、またサッカー日本代表チームがW杯で一次リーグを突破する以上に…喩えが変か・笑)嬉しかったですね。とにかく内容が素晴らしい!
受賞された3人の方々と、そのご家族、関係者の皆様に、心から「おめでとうございます」とお祝いの言葉を贈らせていただきたいと思います。
ノーベル賞、特にノーベル物理学賞は「基礎理論」の分野で受賞している人が大多数のイメージが強いのですが、今回の受賞はその基礎理論ではなく「実用化研究」の分野での受賞だというところに非常に大きな意味がある…と、私は思っています。
受賞された3名の方の学歴(出身大学と学部)を拝見すると、それがより顕著に分かります。赤崎勇教授が京都大学理学部化学科、天野浩教授が名古屋大学工学部電子工学科、中村修二教授が徳島大学工学部電子工学科と、3人中2人が工学部電子工学科の出身です。
京都大学理学部化学科出身の赤崎勇教授も略歴を拝見すると、大学卒業後、いったん民間企業の神戸工業(現富士通テン)に入社され、その後一時期名古屋大学の助手、講師、助教授に就任。その後、再び今度は松下電器産業に転じられて東京研究所基礎研究室長を長く務められました。その後名古屋大学工学部の教授になられ、その時の弟子が天野浩教授。なので、3人ともバリバリの“工学”の方です。そういうバリバリの“工学”の方々がノーベル物理学賞という世界最高の権威のある賞を受賞されたというのが非常に大きな意味があると私は捉えています。
また、3人の方とも現在は大学の教授をなさっておられますが、前述のように赤崎勇教授が民間企業勤務の経験をお持ちであるばかりでなく、皆さんよくご存知のように、中村修二教授は民間企業、それも誰でも名前を知っているような有名な大企業ではなくて、四国徳島の地元企業・日亜化学工業の元社員で、今回の受賞の対象となった研究もその日亜化学工業勤務時の業績によるものです。このことも非常に大きな意味を持つと私は捉えています。
工学部出身で民間企業勤務と言うと、2002年(平成14年)にノーベル化学賞を受賞して日本中をアッと驚かせた田中耕一さんも東北大学工学部電気工学科の卒業で、京都の島津製作所勤務でした(現在も島津製作所にシニアフェローとして勤務されています)。
ノーベル賞物理学賞や化学賞と言うと、どうしても大学の理学部の先生方が中心になって行う「基礎理論」の分野の研究成果を対象とした賞というイメージが強いのですが、必ずしもそうではなくて、日本では工学の範疇に分類される実用化の分野の研究の対しても贈られるということが分かったことが、工学部電子工学科出身でエンジニアあがりの私としてはメチャメチャ嬉しいところです。きっと、これから工学を志そうとする若い人の励みになることでしょう。この実用化の分野、日本は世界的に見ても非常に強い分野です。今回の3人の受賞でこの分野が元気になれば、今後、何人も後に続いてノーベル賞を受賞する人が出てくるのではないか…と期待しちゃいます。
ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に“人類のために最大たる貢献をした人々”に分配されるものとする」という遺言に従って1901年から始まった世界的な賞で、物理学、化学、医学生理学、文学、平和、経済学の6分野で、世界的に顕著な功績を残した人物に贈られることになっています。
“人類のために最大たる貢献をした人々”とは、“人類に最も幸福をもらたした人々”と読み替えることもできます。先のブログ「理学と工学の違い」において、私は「“理学”と“工学”の最大の違いは、学問として目指すところの究極の目標の違いにある。やや大袈裟な言い方になるかもしれないが、『理学の目標は真理の探求』、いっぽう、『工学の目標は人類の幸福』…と言う方もいる」ということを書かせていただきました。これからすると、実は工学のほうがノーベル賞には近いということもできようかと思います。
報道によると、ノーベル賞の選考委員会は今回の3人の受賞理由について、「3人の発明は革命的で、20世紀は白熱電球の時代だったが、21世紀はLEDによって照らされる時代になった。誰もが失敗してきたなか、3人は成功した。世界の消費電力のおよそ4分の1が照明に使われるなか、LEDは地球環境の保護にも貢献している。LEDは電力の供給を受けにくい環境にある世界の15億人の生活の質を高める大きな可能性を秘めている」とコメントしたとされています。
まさにエジソン以来の大発明だということで、少ない電力でも明るい照明に繋がり、私達の生活を一変させたことが高く評価されたということですね。“人類のために最大たる貢献をした人々”に相応しいと思います。加えて、その貢献が誰の目にも極めてわかりやすいですしね(^^)d これが工学の工学たるところです。素晴らしい!
私がここで改めて説明するまでもないことですが、発光ダイオード(LED)は1960年代に赤色や緑色のものが開発されたのですが、光の三原色のうちの残りの1つ青は素材の結晶作りが難航し「20世紀中の実用化は無理」と言われてきました。ノーベル賞の選考委員会によると、名古屋大学の教授だった赤崎氏は、天野氏とともに世界中の研究者が手を引いた窒化ガリウムの結晶化に挑戦。実験を繰り返して1986年に結晶を作り、その後、世界で初めて青色発光ダイオード(LED)を実現しました。当時、日亜化学工業の技術者だった中村教授は窒化ガリウム結晶の大量生産技術を独力で開発し、1990年代に明るい高輝度青色発光ダイオード(LED)の実用化に成功しました。中村氏はその後、青色半導体レーザーも開発し、それぞれ世界で初めて製品化されました。
光の三原色が揃ったことで、LEDで様々な色を表現する道が開け、屋外の大型ディスプレーや信号機が実用化されました。レーザーは、DVDより大容量のブルーレイディスクを可能にしました。さらに黄色の蛍光体と組み合わせた白色LEDは、白熱電球や蛍光灯に替わり急速に普及しており、高い節電効果を挙げています。
日本人のノーベル賞受賞は、2012年の医学生理学賞の山中伸弥京都大教授から2年ぶりの快挙で、これまで計22人、物理学賞は計10人となります。物理学賞の3人を日本人が独占したのは2008年以来2回目で、物理学をはじめとした日本の科学の実力を世界中に示したことになります。
何度も繰り返しになりますが、素晴らしい!!
【追記1】
今回の受賞者のお1人、米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授は愛媛県西宇和郡瀬戸町(現在の伊方町)のご出身。小学校時代に愛媛県大洲市に転居され、地元の大洲高校から徳島大学工学部に進まれました。同大学大学院工学研究科修士課程修了後、家族の養育の関係から、同じく地元徳島の日亜化学工業に就職され、商品開発に携わられました。このように私と同じくバリバリの“四国人”ということで、その意味でも私にとって嬉しいですね。中村教授は故郷・愛媛への強い思いもお持ちのようで、米カリフォルニア大サンタバーバラ校のほかに、現在、地元愛媛大学工学部の客員教授も務めていらっしゃいます。
また、お生まれが1954年(昭和29年)5月22日ということですので、私より学年的には1学年上ってことです。まぁ、同世代ということですので、これも嬉しいところです。
さらにさらに出身大学が東京大学や京都大学、名古屋大学といった旧帝国大学ではなくて、徳島大学という四国の地方大学。私も広島大学という地方大学の出身ですので、これも嬉しいところです。工学の場合、理論・理屈ではなくて実績や成果が全て…という実力社会のようなところがありますので、必ずしも入学試験時の偏差値が高い大学を出ているから優れているとは言い難いところもあります。まぁ~、一種、腕一本の“職人”のようなところもありますからね。発想力や創造力は学校でのお勉強だけでは鍛えられないところがありますから。このことを証明していただけたようなところがあるのも嬉しい。地方大学の星ですね。
私も徳島大学工学部電子工学科は大学受験時の志望校の選択肢の1つに加えていましたので、もしかしたら中村修二教授の1年後輩になっていたかもしれません。
【追記2】
中村修二教授が愛媛県西宇和郡瀬戸町のご出身ということなのですが、愛媛県出身と言うと、1994年にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんも愛媛県喜多郡内子町のご出身です。さらに1987年にノーベル医学生理学賞を受賞した利根川進さんもお父様の仕事の関係で中学時代、愛媛県西宇和郡三瓶町(現在の西予市)にある三瓶中学で学ばれたことがあるので、愛媛県関係者と言えます。
先ほど、これで日本人のノーベル賞受賞者は22人と書きましたが、そのうちの3人が愛媛県出身者あるいは愛媛県関係者ということですので、愛媛県人としてこれほど誇らしいことはありません。
(と言っても、私は極最近、自分が愛媛県人であることを自覚した遅れてきた“覚醒愛媛県人”ではありますが…)
【追記3】
高輝度青色発光ダイオード、日亜化学工業、中村修二さんと言うと、実は私、かつて仕事で関係してました。と言ってもご一緒に仕事をしたことがあるというわけではなくて、言ってみればライバルのようなものでした。
今から20年ほど前のことですから1990年代前半の頃、私はNTTデータというシステム開発会社でありながら、『光ファイバースクリーン』というフルカラー大型平面ディスブレイの開発を行っていました。これは、液晶プロジェクターに使用する透過型のフルカラー小型液晶パネルとプラスチック光ファイバーケーブルを組み合わせ、光ファイバーケーブルの配列を拡大することで大画面の平面ディスブレイを実現しようというものでした。当時、システム監視盤や各種表示盤用としてフルカラーの大型ディスブレイのニーズは高く、東レさん(プラスチック光ファイバーケーブル)やシャープさん(液晶パネル)と一緒に開発を行っていました。
発表当初の市場のインパクトはそれなりに大きく、阪急電鉄様の梅田駅3階メインコンコースに設置された大画面行き先案内表示ディスブレイをはじめ、京急電鉄様の上大岡駅の行き先案内表示ディスブレイや成田国際空港第二ターミナルビル到着階の大型ディスブレイなど順調に導入実績を伸ばしていっていたのですが、ある報道記事を見て、もうそれ以上の開発を止めて、市場からの撤退を決めました。それが「日亜化学工業による高輝度青色発光ダイオード実用化」という報道記事でした。
私もすぐに実物を見に行ったのですが、あまりに衝撃的で、こりゃあこれからはLEDディスブレイの時代になるな…と直感しました。今回の青色発光ダイオードの実用化によるノーベル物理学賞の受賞で、その時の私の直感が正しかったことが証明されました。それも嬉しいことの一つですね(^-^)
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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