2014/11/28
『ななしの気象隊』…気象予報士の劇団「お天気しるべ」公演
11月22日(土)、東京都江戸川区の小松川さくらホールで気象予報士のみで構成された演劇集団『お天気しるべ』の公演
『ななしの気象隊 ~特攻隊を支えた気象隊の物語~』
があり、私もご招待を受けたので観てきました。
この演劇集団『お天気しるべ』は前述のように気象予報士だけで構成された演劇集団です。2012年11月に中島俊夫さんを中心に結成されました。
気象予報士の劇団「お天気しるべ」のブログ
試験の合格率は5%程度という超難関の国家資格・気象予報士の資格を取得しても、気象情報会社に入らない限りその資格を活かして働くことが出来ないという現状に問題意識を持ち、「気象に関する正しい知識を広め、減災に繋げたい。また、予報士のことをもっと知ってもらい、活躍できる場を広げたい」…という切実な想いから、「お天気のことをもっと知るべぇ」という意味と、「お天気の新しい道標になろう」との意味を込めて『お天気しるべ(標)』という劇団名にしたのだそうです。
代表で座長を務める中島俊夫さんは、2002年に資格を取得。現在は某気象情報会社に契約社員としてお勤めですが、以前は気象予報士試験対策の家庭教師等もしておられた苦労人です。ストリートミュージシャンの経験もあり、2008年からは気象予報士らで結成した『晴家(はれるや)』のグループのリーダーとして、ギター片手に実験や歌を通して気象の面白さを伝える活動も展開されてきました。
「予報業務だけするのではなく、もっとエンターテインメントにも力を入れて、多くの人に気象の世界を身近に感じてもらうことが必要。ライブなら、人の心に直接伝わる…」とそれまで演劇の経験はいっさいなかったものの、「劇団なら多くの人が関わることができる」と考えて劇団の設立を決めたそうです。
現在、劇団員は約20人。全員が気象予報士で、クレーンの操縦士や電車の運転士、中学校教諭など気象予報士の資格に直接関係ない仕事の人がほとんど。もちろん演劇は初体験の人ばかり。中島さんの生徒だった舞台女優さんからアドバイスを受け、脚本や役者から小道具や大道具担当まで全員が気象予報士。チラシ作成なども全て手作り。週末にみんなで集まって稽古を繰り返し、昨年(2013年)の12月に初公演(第一回公演)に漕ぎ着けたのだそうです。
その第一回の公演の演目が『天からの手紙 ~雪の研究に一生を捧げた博士の物語~』。
気象予報士だけで作る演劇集団らしく、初公演の『天からの手紙』は、北海道帝国大学(現北海道大)で雪の研究に打ち込んだ実在の気象物理学者・中谷宇吉郎博士をモデルにした物語。題名の『天からの手紙』は「雪は天から送られた手紙である」…という気象業界の人なら誰でも知っている有名な中谷宇吉郎博士の言葉からとったものです。その中谷宇吉郎博士が1936年に世界初の人工雪づくりに成功するまでを取り上げたドラマでした(残念ながら私は観ておりませんが…)。
座長の中島俊夫さんが主人公の中谷宇吉郎役を演じたほか、原作・脚本も中島さん自らが執筆したのだそうです。
で、今回上演された『ななしの気象隊 ~特攻隊を支えた気象隊の物語~』が第二作です。題名をご覧になるとお分かりいただけると思いますが、これまた気象に関連したオリジナル劇です。
当日会場で配布された(団員の手作りという)パンフレットに書かれたこの劇の【あらすじ・時代背景】は……
太平洋戦争当時、航空作戦の成否に関わる気象情報は軍事機密とされ、真珠湾攻撃と同じ日の1941年(昭和16年)12月8日、天気予報は新聞やラジオから姿を消しました。
物量に勝る連合国軍に相次ぐ撤退を余儀なくされた当時の日本軍は、状況を打開しようと、爆弾を抱えて敵に突っ込む特攻作戦に踏み切ります。【回天】【桜花】【伏竜】【◯レ艇(四式肉薄攻撃艇)】…中でも特に有名なのは、戦闘機で敵艦に体当たりをする【神風特別攻撃隊】です。
これにより、多くの若者達が、文字通り命を懸けて戦いましたが、遂にアメリカ軍の沖縄進出を許してしまいます。
地図にも載っていない南の孤島で、特攻隊のために空を観測し続ける気象隊があったら?というのが今回のお話です。
本土から集められた隊員達は、過酷な状況の中、昼夜を問わず観測・通報する毎日。片道の燃料しか積んでいない特攻機は、敵を見失えばそれで終わり…。無事に敵艦に到達させるためにも「観測を絶やしてはならない!」が隊員達の合言葉でした。
そんな中、自ら望んでわざわざこんな島にまでやってきた鮎川と名乗る隊員が…。やがて、島に敵が攻めてくるとの情報が入り、平和だった島の生活も、次第にキナ臭くなっていきます。
彼等の運命は? そして鮎川の目的とは?
というものでした。パンフレットに書かれた座長の中島俊夫さんの挨拶によると、この「ななしの気象隊」は架空の物語ですが、事実をもとにした話だそうです。つまり、戦時中、熾烈なアメリカ軍による爆撃の中で、特攻隊の飛行機が飛び立てるかどうかを命懸けで観測し続け、気象の面から支えた“気象隊”が実際にいたのです。
この『ななしの気象隊 ~特攻隊を支えた気象隊の物語~』も第1作と同様、原作と脚本、総監督が座長である中島俊夫さんですが、演出は団員一同とパンフレットには書かれています。団員の皆さんがお互いああでもないこうでもない…と議論しながら作り上げた手作りの芝居って感じがこのパンフレットからも読み取れますね。いい感じです。
で、この芝居の主役である気象隊員・沖田次郎を演じたのが、弊社社員の気象予報士・藤野勝成クン。
その藤野クンから演劇集団『お天気しるべ』のことと、11月22日に小松川さくらホールで第2回公演『ななしの気象隊 ~特攻隊を支えた気象隊の物語~』を上映するという話を聞き、招待を受けたので観に行ったわけです。それが2日前のことで、もっと早く聞いていたらこの『おちゃめ日記』やハレックス社HPで告知し、広く宣伝したのですが、今回は知ったのが直前だったので事後報告になっちゃいました。
芝居はとても素人集団の演劇とは思えないなかなかのものでした。さすがに演じている劇団員全員が気象予報士ということで、その“思い”がこもった素晴らしい演技でした。50歳を過ぎて以降涙腺の締まりがやたら弛くなってしまっているので、観ていて涙が出てくるほどでした。そのくらい感動した素晴らしい芝居でした。弊社社員の藤野クンの演技も「やるじゃん!」って感じでとってもよかったです。
芝居の最後の挨拶で、座長の中島俊夫さんが、「この『ななしの気象隊』のテーマは“未来”。過去の記録は現在に残り、そして未来へと繋がるもの。私は当時の観測結果が示された天気図を見るたび、命懸けで観測をし続けた気象の大先輩の志を痛いほど感じます。そしてその志を未来へと繋ぎ、気象の後輩達に伝えていこうと思います。」と述べられました。私もまったく同じ思いでいるので、強く共感を覚えました。
私はこういうの大好きで、頑張っている若い人達をできる範囲で応援をしたくなっちゃうんですよね。ましてや劇団員が全員気象予報士。その気象予報士達が「気象予報士のことをもっと知ってもらい、活躍できる場を広げたい」という思いで活動している劇団とならば、なおのことです。
おっしゃるように現在、合格率5%程度という超難関の国家資格・気象予報士の資格を持つ人は日本全国に約9,000人もいらっしゃるのですが、その資格を活かして気象に関わる仕事に従事している人となると、その9,000人の中のほんの5%ほど(500人前後)しかいらっしゃいません。それも弊社ハレックスのような民間気象情報会社に所属している人がほとんどです。
一般の方の目線からすると、気象予報士=テレビやラジオ等に出演しているお天気キャスター…ってイメージをお持ちかと思いますが、そうしたテレビやラジオ等に出演して活躍できている気象予報士となると、500人のさらに10%の50人前後と言ったところではないでしょうか。いっけん華やかそうな印象を持たれるのではないか…と思いますが、現実はそれほどまでに活躍の場が限られているということです。
私もこのことを大いに問題視していて、社長在任中の目標(公約と言ったほうが正しいかも)として、「気象予報士の活躍の場を広げる!」を一番に掲げているほどです。なんと言っても弊社ハレックスは気象予報士試験向けの通信講座の“老舗”のような会社で、日本全国の約9,000人の気象予報士のうち実に4人に1人は弊社ハレックスの通信講座の受講生でしたから。ほとんどの皆さんが自己投資して、何度も挑戦して、やっとのことで超難関の国家試験に合格した方々です。そうした方々が活躍できる場が限られているというのは大問題だ…という認識でいます。
その責任の多くは、弊社を含め民間気象情報会社にあると私は思っています。気象情報の市場規模は今から21年前の1993年(平成5年)4月1日に気象予報が民間に開放された以降、ずっと300億円前後で推移しています。これは開放された時点での市場規模のまま21年間変わっていないということを意味しています。いや、この間の物価上昇分や賃金上昇分を差し引くと、むしろ既存の市場の中だけの激しい価格競争の結果、実質的には市場は縮小しているとも言えます。これは業界全体で市場の拡大努力を怠った結果であるとも言えます。このことで、気象予報士の活躍の場は拡大するどころか、年々縮小しつつある傾向にあるというわけです。
違う業界(IT業界)から気象の業界に身を投じた私のクチから言わせていただくと、気象の業界しか知らない人には大変に申し訳ことではありますが、気象の業界ってまったくもって不健全な業界であるように感じます。業界全体で市場を拡大していこうという具体的な努力をまったくもってやってこずに、最初に与えられた狭い業界の中だけで小さなパイを奪い合うような競争を繰り返してきただけの業界と言うわけですから。
地球規模で気候変動が問題視されている中、市場規模が僅か300億円で変わらないことのほうが異常で、ちゃんとした拡げる努力をしさえすれば、市場規模は(気象予報士の活躍の場は)もっともっと拡がる筈だと私は考えています。
その不健全性に気付いたことから、弊社は(特に私は)5年前に「気象予報士の活躍の場を広げる!」ということを公約に掲げ、まずは自社の事業の定義を書き換える(気象情報提供会社⇒気象情報を活用したソリューション提供会社)ことに着手したわけです。
あれから5年。長くなるのでこの場では詳しい話は割愛しますが、やっとその具体的な方向性が見つかり、その実現に向けての検討体制も整いかけてきたことから、先日行われた日本災害情報学会をはじめ、依頼を受けた講演の場などでその方向性について世の中の人への問い掛けを開始しました。聴いていただいた方々からの反応も上々で、賛同していただける方々も徐々に増えてきました。
「気象予報士の活躍の場を広げたい」という思いで活動をなさっている演劇集団『お天気しるべ』の皆さんの思いを1日も早く実現してあげたい…、東大島からの帰りの電車の中では、そんなことを思っていました。頑張ろう!o(^o^)o
【演劇集団『お天気しるべ』次回公演のお知らせ】
気象予報士だけで構成された演劇集団『お天気しるべ』、次回の公演は来年春に行われます。
2011年3月11日に発生した東日本大震災で人々の心が沈みかけていた時、桜は何事もなかったかのように咲き誇りました。この時、その美しさにどれだけの人達が救われたことでしょう。
まさに桜は日本の心です。
次回作はその「桜」に命を懸けた人達の、桜の木の周りで繰り広げられる嘘のような本当のお話を劇にするそうです。
日時: 2015年4月19日(日)14:00開演予定
会場: 小松川さくらホール(東京都江戸川区 都営地下鉄新宿線東大島下車)
ご興味を持たれた方は、是非、観に行ってあげてください。お薦めです!(^^)d
『ななしの気象隊 ~特攻隊を支えた気象隊の物語~』
があり、私もご招待を受けたので観てきました。
この演劇集団『お天気しるべ』は前述のように気象予報士だけで構成された演劇集団です。2012年11月に中島俊夫さんを中心に結成されました。
気象予報士の劇団「お天気しるべ」のブログ
試験の合格率は5%程度という超難関の国家資格・気象予報士の資格を取得しても、気象情報会社に入らない限りその資格を活かして働くことが出来ないという現状に問題意識を持ち、「気象に関する正しい知識を広め、減災に繋げたい。また、予報士のことをもっと知ってもらい、活躍できる場を広げたい」…という切実な想いから、「お天気のことをもっと知るべぇ」という意味と、「お天気の新しい道標になろう」との意味を込めて『お天気しるべ(標)』という劇団名にしたのだそうです。
代表で座長を務める中島俊夫さんは、2002年に資格を取得。現在は某気象情報会社に契約社員としてお勤めですが、以前は気象予報士試験対策の家庭教師等もしておられた苦労人です。ストリートミュージシャンの経験もあり、2008年からは気象予報士らで結成した『晴家(はれるや)』のグループのリーダーとして、ギター片手に実験や歌を通して気象の面白さを伝える活動も展開されてきました。
「予報業務だけするのではなく、もっとエンターテインメントにも力を入れて、多くの人に気象の世界を身近に感じてもらうことが必要。ライブなら、人の心に直接伝わる…」とそれまで演劇の経験はいっさいなかったものの、「劇団なら多くの人が関わることができる」と考えて劇団の設立を決めたそうです。
現在、劇団員は約20人。全員が気象予報士で、クレーンの操縦士や電車の運転士、中学校教諭など気象予報士の資格に直接関係ない仕事の人がほとんど。もちろん演劇は初体験の人ばかり。中島さんの生徒だった舞台女優さんからアドバイスを受け、脚本や役者から小道具や大道具担当まで全員が気象予報士。チラシ作成なども全て手作り。週末にみんなで集まって稽古を繰り返し、昨年(2013年)の12月に初公演(第一回公演)に漕ぎ着けたのだそうです。
その第一回の公演の演目が『天からの手紙 ~雪の研究に一生を捧げた博士の物語~』。
気象予報士だけで作る演劇集団らしく、初公演の『天からの手紙』は、北海道帝国大学(現北海道大)で雪の研究に打ち込んだ実在の気象物理学者・中谷宇吉郎博士をモデルにした物語。題名の『天からの手紙』は「雪は天から送られた手紙である」…という気象業界の人なら誰でも知っている有名な中谷宇吉郎博士の言葉からとったものです。その中谷宇吉郎博士が1936年に世界初の人工雪づくりに成功するまでを取り上げたドラマでした(残念ながら私は観ておりませんが…)。
座長の中島俊夫さんが主人公の中谷宇吉郎役を演じたほか、原作・脚本も中島さん自らが執筆したのだそうです。
で、今回上演された『ななしの気象隊 ~特攻隊を支えた気象隊の物語~』が第二作です。題名をご覧になるとお分かりいただけると思いますが、これまた気象に関連したオリジナル劇です。
当日会場で配布された(団員の手作りという)パンフレットに書かれたこの劇の【あらすじ・時代背景】は……
太平洋戦争当時、航空作戦の成否に関わる気象情報は軍事機密とされ、真珠湾攻撃と同じ日の1941年(昭和16年)12月8日、天気予報は新聞やラジオから姿を消しました。
物量に勝る連合国軍に相次ぐ撤退を余儀なくされた当時の日本軍は、状況を打開しようと、爆弾を抱えて敵に突っ込む特攻作戦に踏み切ります。【回天】【桜花】【伏竜】【◯レ艇(四式肉薄攻撃艇)】…中でも特に有名なのは、戦闘機で敵艦に体当たりをする【神風特別攻撃隊】です。
これにより、多くの若者達が、文字通り命を懸けて戦いましたが、遂にアメリカ軍の沖縄進出を許してしまいます。
地図にも載っていない南の孤島で、特攻隊のために空を観測し続ける気象隊があったら?というのが今回のお話です。
本土から集められた隊員達は、過酷な状況の中、昼夜を問わず観測・通報する毎日。片道の燃料しか積んでいない特攻機は、敵を見失えばそれで終わり…。無事に敵艦に到達させるためにも「観測を絶やしてはならない!」が隊員達の合言葉でした。
そんな中、自ら望んでわざわざこんな島にまでやってきた鮎川と名乗る隊員が…。やがて、島に敵が攻めてくるとの情報が入り、平和だった島の生活も、次第にキナ臭くなっていきます。
彼等の運命は? そして鮎川の目的とは?
というものでした。パンフレットに書かれた座長の中島俊夫さんの挨拶によると、この「ななしの気象隊」は架空の物語ですが、事実をもとにした話だそうです。つまり、戦時中、熾烈なアメリカ軍による爆撃の中で、特攻隊の飛行機が飛び立てるかどうかを命懸けで観測し続け、気象の面から支えた“気象隊”が実際にいたのです。
この『ななしの気象隊 ~特攻隊を支えた気象隊の物語~』も第1作と同様、原作と脚本、総監督が座長である中島俊夫さんですが、演出は団員一同とパンフレットには書かれています。団員の皆さんがお互いああでもないこうでもない…と議論しながら作り上げた手作りの芝居って感じがこのパンフレットからも読み取れますね。いい感じです。
で、この芝居の主役である気象隊員・沖田次郎を演じたのが、弊社社員の気象予報士・藤野勝成クン。
その藤野クンから演劇集団『お天気しるべ』のことと、11月22日に小松川さくらホールで第2回公演『ななしの気象隊 ~特攻隊を支えた気象隊の物語~』を上映するという話を聞き、招待を受けたので観に行ったわけです。それが2日前のことで、もっと早く聞いていたらこの『おちゃめ日記』やハレックス社HPで告知し、広く宣伝したのですが、今回は知ったのが直前だったので事後報告になっちゃいました。
芝居はとても素人集団の演劇とは思えないなかなかのものでした。さすがに演じている劇団員全員が気象予報士ということで、その“思い”がこもった素晴らしい演技でした。50歳を過ぎて以降涙腺の締まりがやたら弛くなってしまっているので、観ていて涙が出てくるほどでした。そのくらい感動した素晴らしい芝居でした。弊社社員の藤野クンの演技も「やるじゃん!」って感じでとってもよかったです。
芝居の最後の挨拶で、座長の中島俊夫さんが、「この『ななしの気象隊』のテーマは“未来”。過去の記録は現在に残り、そして未来へと繋がるもの。私は当時の観測結果が示された天気図を見るたび、命懸けで観測をし続けた気象の大先輩の志を痛いほど感じます。そしてその志を未来へと繋ぎ、気象の後輩達に伝えていこうと思います。」と述べられました。私もまったく同じ思いでいるので、強く共感を覚えました。
私はこういうの大好きで、頑張っている若い人達をできる範囲で応援をしたくなっちゃうんですよね。ましてや劇団員が全員気象予報士。その気象予報士達が「気象予報士のことをもっと知ってもらい、活躍できる場を広げたい」という思いで活動している劇団とならば、なおのことです。
おっしゃるように現在、合格率5%程度という超難関の国家資格・気象予報士の資格を持つ人は日本全国に約9,000人もいらっしゃるのですが、その資格を活かして気象に関わる仕事に従事している人となると、その9,000人の中のほんの5%ほど(500人前後)しかいらっしゃいません。それも弊社ハレックスのような民間気象情報会社に所属している人がほとんどです。
一般の方の目線からすると、気象予報士=テレビやラジオ等に出演しているお天気キャスター…ってイメージをお持ちかと思いますが、そうしたテレビやラジオ等に出演して活躍できている気象予報士となると、500人のさらに10%の50人前後と言ったところではないでしょうか。いっけん華やかそうな印象を持たれるのではないか…と思いますが、現実はそれほどまでに活躍の場が限られているということです。
私もこのことを大いに問題視していて、社長在任中の目標(公約と言ったほうが正しいかも)として、「気象予報士の活躍の場を広げる!」を一番に掲げているほどです。なんと言っても弊社ハレックスは気象予報士試験向けの通信講座の“老舗”のような会社で、日本全国の約9,000人の気象予報士のうち実に4人に1人は弊社ハレックスの通信講座の受講生でしたから。ほとんどの皆さんが自己投資して、何度も挑戦して、やっとのことで超難関の国家試験に合格した方々です。そうした方々が活躍できる場が限られているというのは大問題だ…という認識でいます。
その責任の多くは、弊社を含め民間気象情報会社にあると私は思っています。気象情報の市場規模は今から21年前の1993年(平成5年)4月1日に気象予報が民間に開放された以降、ずっと300億円前後で推移しています。これは開放された時点での市場規模のまま21年間変わっていないということを意味しています。いや、この間の物価上昇分や賃金上昇分を差し引くと、むしろ既存の市場の中だけの激しい価格競争の結果、実質的には市場は縮小しているとも言えます。これは業界全体で市場の拡大努力を怠った結果であるとも言えます。このことで、気象予報士の活躍の場は拡大するどころか、年々縮小しつつある傾向にあるというわけです。
違う業界(IT業界)から気象の業界に身を投じた私のクチから言わせていただくと、気象の業界しか知らない人には大変に申し訳ことではありますが、気象の業界ってまったくもって不健全な業界であるように感じます。業界全体で市場を拡大していこうという具体的な努力をまったくもってやってこずに、最初に与えられた狭い業界の中だけで小さなパイを奪い合うような競争を繰り返してきただけの業界と言うわけですから。
地球規模で気候変動が問題視されている中、市場規模が僅か300億円で変わらないことのほうが異常で、ちゃんとした拡げる努力をしさえすれば、市場規模は(気象予報士の活躍の場は)もっともっと拡がる筈だと私は考えています。
その不健全性に気付いたことから、弊社は(特に私は)5年前に「気象予報士の活躍の場を広げる!」ということを公約に掲げ、まずは自社の事業の定義を書き換える(気象情報提供会社⇒気象情報を活用したソリューション提供会社)ことに着手したわけです。
あれから5年。長くなるのでこの場では詳しい話は割愛しますが、やっとその具体的な方向性が見つかり、その実現に向けての検討体制も整いかけてきたことから、先日行われた日本災害情報学会をはじめ、依頼を受けた講演の場などでその方向性について世の中の人への問い掛けを開始しました。聴いていただいた方々からの反応も上々で、賛同していただける方々も徐々に増えてきました。
「気象予報士の活躍の場を広げたい」という思いで活動をなさっている演劇集団『お天気しるべ』の皆さんの思いを1日も早く実現してあげたい…、東大島からの帰りの電車の中では、そんなことを思っていました。頑張ろう!o(^o^)o
【演劇集団『お天気しるべ』次回公演のお知らせ】
気象予報士だけで構成された演劇集団『お天気しるべ』、次回の公演は来年春に行われます。
2011年3月11日に発生した東日本大震災で人々の心が沈みかけていた時、桜は何事もなかったかのように咲き誇りました。この時、その美しさにどれだけの人達が救われたことでしょう。
まさに桜は日本の心です。
次回作はその「桜」に命を懸けた人達の、桜の木の周りで繰り広げられる嘘のような本当のお話を劇にするそうです。
日時: 2015年4月19日(日)14:00開演予定
会場: 小松川さくらホール(東京都江戸川区 都営地下鉄新宿線東大島下車)
ご興味を持たれた方は、是非、観に行ってあげてください。お薦めです!(^^)d
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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