2015/01/26
災害時における情報伝達手段の確保について(追記集・その3)
【追記9】
マレーシア出張の時、タクシー無線を使うというアイデアが閃いたのも、ほんの偶然でした。このマレーシア出張は私にとっての最初の海外出張だったのです。これもたまたま日本出張の折、阪急梅田駅のラガールビジョンを見たというマレーシアの空港公団の方が、新しく作る新国際空港(今のKLIAです)の旅客案内表示盤に使いたいと言うことで照会があり、その営業に出掛けたのです。その意味で、阪急電鉄のラガールビジョンは私にとって“原点”と言うべき貴重な仕事になりました。
で、そのマレーシア出張に行く際、持って行ったのは神戸の地図。機器等の準備は全て部下に任せておいて、私はどこかに籠もって現地での作業の手順を考えたり、その手配をしたりしたいと思っていましたので、マレーシア出張はちょうどいいと考えたわけです。(ちなみに上記のワゴン車や作業員の手配もマレーシアから国際電話でしちゃいました。)
当時、マレーシアでも阪神淡路大震災のニュースはテレビで大々的に報道されていました。私も夜中、マレーシアのヒルトンホテルの部屋でCNNの報道を何気なく見ていたのですが、その時に気づいたんです。「なんであの大混乱の神戸の市内にタクシーが走っているの?」ってね。それで、「これだっ!」と気がついたわけなんです。
で、すぐに国際電話を掛け、部下にこう命じたんです。「神戸で一番でっかいタクシー会社に連絡をつけ、そこで一番のベテラン運転手の車をチャーターしてくれ」ってね。あの時の私はホント冴え渡っていました。
ちなみにその時はマレーシアで2泊(帰りに機中泊1)したのですが、その間、ほとんど一睡もしていません。で、帰国した翌日、神戸へ向かうわけです。国内に残った部下達が当初の予想以上のハイペースで準備を整えてくれましたので、そういうことになっちゃいました。これには私も驚いちゃいました。
【追記10】
現場に行くメンバーの選出ですが、これはさすがに危険を伴うということで命じるというわけにはいかず、全員を前にして希望を採りました。子会社、ビジネスパートナー(BP)会社を問わず、当時の担当の全員に下を向いて目をつむってもらい、行きたいと思う人だけ手を挙げろと言ったわけです(子会社、BP会社とも連れて行ってくれと会社から依頼されましたからね)。嬉しいことに女子社員も含めて全員が手を挙げてくれました。その時、担当全体がある目的に向かって一つになった気がしましたね。涙が出そうになるくらい嬉しかったです。「これで、やれる!」と内心成功を予感したのもこの時でした。
実際は、事業部のほかの担当の神戸出身者などを優先し、アタック隊を3チーム作りました。実際は第一次のアタック隊で成功したので、当時の私の部下で実際に第一次アタック隊として設置工事に関われたのは、限られたごくごく少数。第二次アタック隊はチャリンコに乗ってのROM交換だけ。第三次アタック隊にいたっては、平穏を取り戻した神戸で撤去工事ということになっちゃいましたが、これで担当全員が一つになれたのは大きかったですね。
「俺達はやれる!」と思いましたし、実際、当時低迷していた私の担当は、その後ドンドン仕事量を増やし、その担当を核にして、数年後、統括部にまで昇格しました。
【追記11】
一度県庁の玄関に終結した5台の作業用のワゴン車が1台ずつ、ウインカーをカチカチと点滅させながらそれぞれの持ち場に出動していくのですが、それを見ていると、自然と頭からヘルメットをとって、そのヘルメットを手に、手を振っていましたね(「帽振れぇ~!」ってやつです)。まるで、太平洋戦争時、特攻隊の出撃を見送る前線基地の司令官みたいに……。特攻隊を見送る司令官の心境が少し分かったような気がしました。
【追記12】
私は残念ながら県庁の前線本部にずっと陣取っておりましたので、実際の現場を目にしておりませんが、機器の設置工事をやった現場でもいろいろなドラマがあったようです。ああいう大混乱の時ですから我々が設置工事に行くと言う連絡が避難所のほうに届いていなくて、現場の責任者である市の職員の方々から「そんな指示、聞いていない」というトラブルは随所で起き(あんな時でも県庁と市役所の組織の壁と言うものを実感しましたね)、せっかく現地にたどり着いても、そこから調整をやり直したり、場合によってはアンテナの設置を拒まれて、地元自治会とその交渉からやったり……いろいろあったようです。
ある避難所では自治会にアンテナの設置を拒まれているという連絡が入り、現場指揮官の私は「工事断念。次へ回れ!」と電話で指示を出した後、現場に行っている当社のチームリーダーからはしばらく音沙汰なし。何やっているのかと気を揉んでいると、しばらくして「○○避難所、工事完了。次の予定地、△△へ向かいます」という連絡が入ったりしました。どうも避難所に避難している聾唖の方々は我々の到着を今か今かと待っていてくれたようで、工事断念で撤収しようとした当社のチームに泣いて「なんとかしてくれ」と訴えたそうなんです。そこで、自治会に再度交渉に行き、なんとか工事を続行したとのことなんです。それだけ、避難所に避難している被災者の皆さんは情報を欲しがっているということのようでした。
また、別の避難所では、おそらく肉親(ご主人?)を亡くされたんでしょう。ただ呆然と座り込んでいる母親の傍らで赤ん坊が泣き叫んでいるのですが、その母親はなすすべなく座り込んでいるだけ。そこで、その避難所を担当した当社のチームのチームリーダーはその若い母親に声をかけ、慰めと、この子供のため、しっかり生きろ!と励ましてきたりもしたようです。
いろいろなドラマを見たと避難所へ行ったメンバーは、その後申しておりました。
【追記13】
現在では、台風が来襲してきたり、大きな自然災害があった時、通常番組が終わった後の深夜のテレビ放送でも関連情報をビデオ画像と一緒に文字情報の横スクロールで流すことが一般的に行われておりますが、それって、上記の毎日放送がこの時やったのが初めてのことだったんです。それで、近畿テレコム大賞(関西民放連)・特別表彰を受賞したわけなんです。従って、受賞者は「毎日放送ほか被災情報システム関係者一同」になっています。悔しいけれど……。
で、毎日放送はその時のことを漫画にして広報に使ったのですが、その漫画、残念ながら紛失してしまいました。毎日放送の立場で社内の様子を中心に描かれていました。NTTデータのことは、架空の情報サービス会社の名称でほんの一部分だけで取り上げられていました。
マレーシア出張の時、タクシー無線を使うというアイデアが閃いたのも、ほんの偶然でした。このマレーシア出張は私にとっての最初の海外出張だったのです。これもたまたま日本出張の折、阪急梅田駅のラガールビジョンを見たというマレーシアの空港公団の方が、新しく作る新国際空港(今のKLIAです)の旅客案内表示盤に使いたいと言うことで照会があり、その営業に出掛けたのです。その意味で、阪急電鉄のラガールビジョンは私にとって“原点”と言うべき貴重な仕事になりました。
で、そのマレーシア出張に行く際、持って行ったのは神戸の地図。機器等の準備は全て部下に任せておいて、私はどこかに籠もって現地での作業の手順を考えたり、その手配をしたりしたいと思っていましたので、マレーシア出張はちょうどいいと考えたわけです。(ちなみに上記のワゴン車や作業員の手配もマレーシアから国際電話でしちゃいました。)
当時、マレーシアでも阪神淡路大震災のニュースはテレビで大々的に報道されていました。私も夜中、マレーシアのヒルトンホテルの部屋でCNNの報道を何気なく見ていたのですが、その時に気づいたんです。「なんであの大混乱の神戸の市内にタクシーが走っているの?」ってね。それで、「これだっ!」と気がついたわけなんです。
で、すぐに国際電話を掛け、部下にこう命じたんです。「神戸で一番でっかいタクシー会社に連絡をつけ、そこで一番のベテラン運転手の車をチャーターしてくれ」ってね。あの時の私はホント冴え渡っていました。
ちなみにその時はマレーシアで2泊(帰りに機中泊1)したのですが、その間、ほとんど一睡もしていません。で、帰国した翌日、神戸へ向かうわけです。国内に残った部下達が当初の予想以上のハイペースで準備を整えてくれましたので、そういうことになっちゃいました。これには私も驚いちゃいました。
【追記10】
現場に行くメンバーの選出ですが、これはさすがに危険を伴うということで命じるというわけにはいかず、全員を前にして希望を採りました。子会社、ビジネスパートナー(BP)会社を問わず、当時の担当の全員に下を向いて目をつむってもらい、行きたいと思う人だけ手を挙げろと言ったわけです(子会社、BP会社とも連れて行ってくれと会社から依頼されましたからね)。嬉しいことに女子社員も含めて全員が手を挙げてくれました。その時、担当全体がある目的に向かって一つになった気がしましたね。涙が出そうになるくらい嬉しかったです。「これで、やれる!」と内心成功を予感したのもこの時でした。
実際は、事業部のほかの担当の神戸出身者などを優先し、アタック隊を3チーム作りました。実際は第一次のアタック隊で成功したので、当時の私の部下で実際に第一次アタック隊として設置工事に関われたのは、限られたごくごく少数。第二次アタック隊はチャリンコに乗ってのROM交換だけ。第三次アタック隊にいたっては、平穏を取り戻した神戸で撤去工事ということになっちゃいましたが、これで担当全員が一つになれたのは大きかったですね。
「俺達はやれる!」と思いましたし、実際、当時低迷していた私の担当は、その後ドンドン仕事量を増やし、その担当を核にして、数年後、統括部にまで昇格しました。
【追記11】
一度県庁の玄関に終結した5台の作業用のワゴン車が1台ずつ、ウインカーをカチカチと点滅させながらそれぞれの持ち場に出動していくのですが、それを見ていると、自然と頭からヘルメットをとって、そのヘルメットを手に、手を振っていましたね(「帽振れぇ~!」ってやつです)。まるで、太平洋戦争時、特攻隊の出撃を見送る前線基地の司令官みたいに……。特攻隊を見送る司令官の心境が少し分かったような気がしました。
【追記12】
私は残念ながら県庁の前線本部にずっと陣取っておりましたので、実際の現場を目にしておりませんが、機器の設置工事をやった現場でもいろいろなドラマがあったようです。ああいう大混乱の時ですから我々が設置工事に行くと言う連絡が避難所のほうに届いていなくて、現場の責任者である市の職員の方々から「そんな指示、聞いていない」というトラブルは随所で起き(あんな時でも県庁と市役所の組織の壁と言うものを実感しましたね)、せっかく現地にたどり着いても、そこから調整をやり直したり、場合によってはアンテナの設置を拒まれて、地元自治会とその交渉からやったり……いろいろあったようです。
ある避難所では自治会にアンテナの設置を拒まれているという連絡が入り、現場指揮官の私は「工事断念。次へ回れ!」と電話で指示を出した後、現場に行っている当社のチームリーダーからはしばらく音沙汰なし。何やっているのかと気を揉んでいると、しばらくして「○○避難所、工事完了。次の予定地、△△へ向かいます」という連絡が入ったりしました。どうも避難所に避難している聾唖の方々は我々の到着を今か今かと待っていてくれたようで、工事断念で撤収しようとした当社のチームに泣いて「なんとかしてくれ」と訴えたそうなんです。そこで、自治会に再度交渉に行き、なんとか工事を続行したとのことなんです。それだけ、避難所に避難している被災者の皆さんは情報を欲しがっているということのようでした。
また、別の避難所では、おそらく肉親(ご主人?)を亡くされたんでしょう。ただ呆然と座り込んでいる母親の傍らで赤ん坊が泣き叫んでいるのですが、その母親はなすすべなく座り込んでいるだけ。そこで、その避難所を担当した当社のチームのチームリーダーはその若い母親に声をかけ、慰めと、この子供のため、しっかり生きろ!と励ましてきたりもしたようです。
いろいろなドラマを見たと避難所へ行ったメンバーは、その後申しておりました。
【追記13】
現在では、台風が来襲してきたり、大きな自然災害があった時、通常番組が終わった後の深夜のテレビ放送でも関連情報をビデオ画像と一緒に文字情報の横スクロールで流すことが一般的に行われておりますが、それって、上記の毎日放送がこの時やったのが初めてのことだったんです。それで、近畿テレコム大賞(関西民放連)・特別表彰を受賞したわけなんです。従って、受賞者は「毎日放送ほか被災情報システム関係者一同」になっています。悔しいけれど……。
で、毎日放送はその時のことを漫画にして広報に使ったのですが、その漫画、残念ながら紛失してしまいました。毎日放送の立場で社内の様子を中心に描かれていました。NTTデータのことは、架空の情報サービス会社の名称でほんの一部分だけで取り上げられていました。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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