2015/07/17
ズレが産む価値
もう随分前から若者達の間で『KY』と言う言葉が流行っています。私が言うまでもなく「空気が読めない」の略ですが、その場の空気(雰囲気)を読むことは大切なことですが、それが拡大解釈されて異質なものを排除する時にもこの『KY』と言う言葉が使われているように感じられることに、オジサンとしては懸念を感じています。
学校の教育現場でもちょっと人と違うからという理由で虐めに遭うという話を聞きます。さらに言うと、会社組織を含め、日本の社会で変革や改革といったものがなかなか進まない理由も、実は根っこは上記の『KY』や学校の虐めと同じような気がします。
これまでは何でも“均質”であることが尊ばれ、少しでも人と違ったモノの見方をしたり、少し変わったことを唱えたりやったりすると“異端”のように捉えられる風土がありました。“均質”な雰囲気を壊す“棘”のような感覚で扱われて…。“均質”の中に身を置いていることのほうが圧倒的に楽ですしね。
しかしながら、これでは変革も改革もなかなか起こり得ません。現代はこれだけ変化が激しい時代です。なにが正解なのか、実は誰にも分かりません。昨日まで正解だったことも、日付が替われば正解ではなくなっているような時代です。日本ドメスティックな市場ばかりを相手にしているような会社でも、株式市場が海外に開いている関係で、日本版SOX法の導入など法制度の面で知らず知らずのうちにグローバル市場経済の荒波に曝されるようになってきています。こうなると、これまでの日本社会の常識が、常識ではなくなってきているんだと私は思います。
こういう中にあっても、アンテナ感度が高く、敏感に気が付く人はいて、そういう人はそうした世の中の変化の方向性について気が付いているんです。そういう人はなにも高名な学者先生やコンサルタントであるとは限りません。むしろ、お客様との接点で生の声を聞いている営業最前線の若い担当者だったりもします。そういう人の声や意見にもっと真剣に耳を傾けることが今の時代を生き抜く上において大切なのではないでしょうか。
学校教育も、これまでは“均質”なスキルを持った人材を多数社会に輩出することを求められてきた部分はあります。それも、文部科学省が指定する知識をより多く蓄えた人材を優秀とする評価尺度の上で。そのことがこれまでのこの国の経済的な発展を支えてきたことは事実で、これまではそれが間違いではありませんでした。あくまでも日本の国内だけの慣習や経験、価値観、社会観に従って、品質の高い仕事をすることが求められてきましたから。
しかしながら、これからの時代はそうではなくなってきているように感じています。前述のように、これからの時代は、これまで正解とされてきたことが、必ずしも正解とは限らなくなってきた時代です。品質の“質”の定義が変わってきたとも言えますが、均質であることがいいことであるとは、必ずしも言えなくなってきているのではないかと思います。
そういう時代においては、多様な考え方の中から、皆で議論し、より正解に近いと思われる道を探る努力が求められます。そういう時、均質ではないモノの見方や考え方、意見を持つ人材を尊重する風土が重要になると思われます。学校教育においても多様なモノの見方や考え方することをより尊重し、後押しするようなことをしないといけません。
会社組織でも同様です。多様さを積極的に推奨するような取り組みが行われないと、この先、時代の変化の荒波の中で生き残っていけない…ということを認識しないといけません。
ちなみに、そこで重要になってくるのが、なにが変わり、なにが変わらないのか、いや、なにを変えちゃいけないのかの見極めのように思います。実は、これが一番難しいことなのですが…。
学校の教育現場でもちょっと人と違うからという理由で虐めに遭うという話を聞きます。さらに言うと、会社組織を含め、日本の社会で変革や改革といったものがなかなか進まない理由も、実は根っこは上記の『KY』や学校の虐めと同じような気がします。
これまでは何でも“均質”であることが尊ばれ、少しでも人と違ったモノの見方をしたり、少し変わったことを唱えたりやったりすると“異端”のように捉えられる風土がありました。“均質”な雰囲気を壊す“棘”のような感覚で扱われて…。“均質”の中に身を置いていることのほうが圧倒的に楽ですしね。
しかしながら、これでは変革も改革もなかなか起こり得ません。現代はこれだけ変化が激しい時代です。なにが正解なのか、実は誰にも分かりません。昨日まで正解だったことも、日付が替われば正解ではなくなっているような時代です。日本ドメスティックな市場ばかりを相手にしているような会社でも、株式市場が海外に開いている関係で、日本版SOX法の導入など法制度の面で知らず知らずのうちにグローバル市場経済の荒波に曝されるようになってきています。こうなると、これまでの日本社会の常識が、常識ではなくなってきているんだと私は思います。
こういう中にあっても、アンテナ感度が高く、敏感に気が付く人はいて、そういう人はそうした世の中の変化の方向性について気が付いているんです。そういう人はなにも高名な学者先生やコンサルタントであるとは限りません。むしろ、お客様との接点で生の声を聞いている営業最前線の若い担当者だったりもします。そういう人の声や意見にもっと真剣に耳を傾けることが今の時代を生き抜く上において大切なのではないでしょうか。
学校教育も、これまでは“均質”なスキルを持った人材を多数社会に輩出することを求められてきた部分はあります。それも、文部科学省が指定する知識をより多く蓄えた人材を優秀とする評価尺度の上で。そのことがこれまでのこの国の経済的な発展を支えてきたことは事実で、これまではそれが間違いではありませんでした。あくまでも日本の国内だけの慣習や経験、価値観、社会観に従って、品質の高い仕事をすることが求められてきましたから。
しかしながら、これからの時代はそうではなくなってきているように感じています。前述のように、これからの時代は、これまで正解とされてきたことが、必ずしも正解とは限らなくなってきた時代です。品質の“質”の定義が変わってきたとも言えますが、均質であることがいいことであるとは、必ずしも言えなくなってきているのではないかと思います。
そういう時代においては、多様な考え方の中から、皆で議論し、より正解に近いと思われる道を探る努力が求められます。そういう時、均質ではないモノの見方や考え方、意見を持つ人材を尊重する風土が重要になると思われます。学校教育においても多様なモノの見方や考え方することをより尊重し、後押しするようなことをしないといけません。
会社組織でも同様です。多様さを積極的に推奨するような取り組みが行われないと、この先、時代の変化の荒波の中で生き残っていけない…ということを認識しないといけません。
ちなみに、そこで重要になってくるのが、なにが変わり、なにが変わらないのか、いや、なにを変えちゃいけないのかの見極めのように思います。実は、これが一番難しいことなのですが…。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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