2016/08/17
大人のお泊まり遠足2016 in 京都祇園祭 (その6)
納涼床での宴会を終え、気分もさらに盛り上がったところで、タクシーに分乗して宵山に繰り出しました。
(その1)で書いたことの繰り返しになりますが、豪壮かつ華麗なことで知られる祇園祭は京都市東山区にある八坂神社の祭礼で、大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、『日本三大祭』の一つに挙げられていて、その歴史の長いこと、またその豪華さ、祭事が1ヶ月にもわたる大規模なものであることで広く知られています。古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、今からおよそ1,150年前の清和天皇の貞観11年(西暦869年)に京の都をはじめ日本各地に疫病が大流行した時、平安京の広大な庭園であった神泉苑(現在は真言宗の寺院となっています)に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことが始まりと伝えられています。この「京都衹園祭の山鉾行事」は、昭和54年、文化財保護法により国の重要無形民俗文化財に指定されたほか、平成21年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されています。
祇園祭は前述の『日本三大祭』だけでなく、数々の三大祭の一つに挙げられています。『京都三大祭』(他は上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭)、『日本三大曳山祭』(他は岐阜県高山市の高山祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭)、『日本三大美祭』(他は前述の高山祭と秩父夜祭)のうちの一つであり、間違いなく日本を代表する祭りの一つです。
公益社団法人・京都市観光協会HP
祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、7月31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事が繰り広げられます。祭のハイライトは毎年7月17日と24日に行われる33基の山鉾巡行です。平成26年、7月17日の前祭(さきまつり)巡行(23基の山鉾)と24日の後祭(あとまつり)巡行(10基の山鉾)の2度に分けての巡行が49年ぶりに復興しました。
祭のハイライトは山鉾巡行(前祭:7月17日・後祭:7月24日)なのですが、その前夜祭にあたる「宵山(よいやま)」も巡行に負けないくらいの人気があり、多くの人で賑わいます。この「宵山」は宵山、宵々山、宵々々山と3日間に渡ります。7月17日に山鉾巡行が行われる前祭の場合は、7月16日が宵山、15日が宵々山、14日が宵々々山になります。この日(7月16日)は前祭の宵山でした。
この日の宵山も大変な人出です。毎年、山鉾巡行よりも宵山のほうが多くの人出を集めると言われているのに加えて、今年や宵山の16日が土曜日、山鉾巡行が行われる17日が日曜日、さらに7月の第3月曜日である18日は「海の日」で祝日。3連休にあたるので、例年以上の人出が予想されています。五条大橋のたもとにある『鶴清』から宵山が行われている市内中心部へは決して歩いていけない距離ではないのですが、少し酔っ払っているのと、大勢の人出で大混雑しているので、鴨川の東側を大きく迂回して市内中心部へ少しでも近づいておこうとタクシーに分乗して向かいました。京都在住のオネエがタクシーの運転手と相談して走行コースと降りる場所を決めます。こういうところ、地元をよく知る人がいてくれるのでホント助かります。
北側の御池通りに出て、地下鉄の烏丸御池駅付近でタクシーを降り、室町通りを南下して多くの「鉾」が並ぶ四条通りを目指します。御池通りには翌日に行われる山鉾巡行のための有料観覧席の準備ができています。仮設のトイレも幾つか用意されているのですが、この程度の仮設トイレの数で果たして大丈夫なのか‥‥と思えるほどの有料観覧席の数です。山鉾巡行は午前9時に四条烏丸をスタートするので、先頭の長刀鉾が御池通りに入ってくるのは午前10時半頃。終了は正午頃でしょうから、まぁ〜なんとかなるのでしょう。お天気が良ければいいのですが‥‥。今日は辛うじてお天気は雨が降らずに持ちましたが、以前として大気は不安定なままの状態が続いていて、明日は今日以上に雨が降りやすいと予想されますので、いくら“晴れ男”が京都に来ていると言っても、こればっかりはなぁ〜〜って感じです。
当然のこととして、御池通りから南側の一帯は車両進入禁止になっているのですが、途中の通りはすべて歩行者も一方通行の規制がかかっていて、なかなか目的のところに向かって進めません。大変な人混みなのですが、ここはもうオネエ頼み。オネエにくっついていけばなんとかなるでしょう。
宵山、宵々山、宵々々山には山鉾の披露だけでなく旧家や老舗に伝来の屏風などの宝物の披露も行われるため、屏風祭の異名があります。写真は老舗の商家に飾られている巨大な西陣織の織物です。実に素晴らしいもので、もっとしっかり眺めていたかったのですが、大勢の人の流れに逆らってまで眺めることができず、ちょっと残念でした。
日本の祭礼において、花や人形などで豪華な装飾が施され、引いたり担いだりして町の中を練り歩く出し物のことを「山車(だし)」と言うのですが、その「山車」の中でも台の上に山の形の造り物をのせ、鉾や長刀などを立てたもののことを「山鉾」と言います。祇園祭の「山鉾」は、その形から「舁山(かきやま)」「鉾(ほこ)」「曳山(ひきやま)」「船鉾(ふねほこ)」「傘鉾(かさほこ)」の5つに分類されます。
「舁山(かきやま)」は御神体の人形を乗せ、それによって主として中国や日本の故事や謡曲などの一場面を見せる趣向を施し、基本的に人が舁いて(担いで)巡行する山車です。舁山の上には布で覆った籠を伏せて置き、これを「山」に見立て、そこから松(真松)を立てて疫神の依代としています。
「鉾(ほこ)」は真木(しんぎ)という中心の柱を疫神の依代とし(これ自体がいわゆる“鉾”)、それが大型化して乗り物となり、稚児や囃子方を乗せる形となったものです。真木の先端には「鉾頭」という鉾ごとに異なる形のシンボルが取り付けられています。その下方には「天王人形」という小さな御神体人形が取り付けられていて、さらにその下方には「しゃぐま」という縄で作った突起状のものが作られ、その数は鉾により異なります。大きな車輪を4つ持つかなり大型の山車で、大勢の人が綱を引いて動かします。祇園祭と言えば多くの人がこの「鉾」を思い浮かべられるのではないでしょうか。祇園祭の前祭では長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・月鉾・菊水鉾・放下鉾という6基の「鉾」が披露されます。搭乗部は詰め合うと50人ほどが乗り込め、ここに囃子方などが乗り込みます。最前部には長刀鉾のみ生稚児が、それ以外の鉾は稚児人形が乗ります。胴体は豪華絢爛な懸装品で飾られます。
「曳山(ひきやま)」は鉾同様に大きな4つの車輪が付いていて、大勢の人が綱で引いて動かす山車で、鉾のように囃子方も乗せています。鉾との最大の違いは屋根の上に舁山同様に真松を立てていることです。
「船鉾(ふねほこ)」は大きな4つの車輪を持つ鉾ではありますが、真木を立てないという点で他の鉾と一線を画し、また、形が船という独特の構造をしているという特徴を有する山車です。巡行中、鉾の上に御神体の人形を安置するところは鉾よりも曳山に近いのですが、真松を持たないので「山」ではなく「鉾」に分類されています。
「傘鉾(かさほこ)」は踊りの列や囃子方を有し、それらが大きな傘である鉾と一体で歩く行列のことです。鉾は小さな4つの車輪を持つ規模の小さなもので、鉾に乗ることはできません。鉾の元々の形態ではないかと言われています。
祇園祭の前祭では、
保昌山(ほうしょうやま)、孟宗山(もうそうやま)、占出山(うらでやま)、山伏山(やまぶしやま)、霰天神山(あられてんじんやま)、郭巨山(かっきょやま)、伯牙山(はくがやま)、芦刈山(あしかりやま)、油天神山(あぶらてんじんやま)、木賊山(とくさやま)、太子山(たいしやま)、白楽天山(はくらくてんやま)、蟷螂山(とうろうやま)という13基の舁山、
長刀鉾(なぎなたほこ)、函谷鉾(かんこほこ)、鶏鉾(にわとりほこ)、菊水鉾(きくすいほこ)、月鉾(つきほこ)、放下鉾(ほうかほこ)という6基の鉾、
岩戸山(いわとやま)という1基の曳山、
綾傘鉾(あやがさほこ)、四条傘鉾(しじょうかさほこ)という2基の傘鉾、
それと1基の船鉾(ふねほこ)の計23基の山鉾が披露されます。
後祭では、
橋弁慶山(はしべんけいやま)、鯉山(こいやま)、浄妙山(じょうみょうやま)、黒主山(くろぬしやま)、役行者山(えんのぎょうじゃやま)、鈴鹿山(すずかやま)、八幡山(はちまんやま)という7基の舁山、
北観音山(きたかんのんやま)、南観音山(みなみかんのんやま)という2基の曳山、
それと平成24年(2012年)に復活した大船鉾(おおふねほこ)の計10基の山鉾が披露されます。
山鉾からは祇園囃子のコンチキチンという独特の節回しの楽曲が聞かれます。現在のような囃子ができたのは、実は江戸時代からなのだそうです。また、ゴブラン織をはじめとする豪奢な山鉾の飾りも見どころの一つになっています。
山鉾の飾り付けは巡行の3日前から始まり、この日を宵々々山と言います。2日前が宵々山といい、前日だけが本来の宵山です。この3日間、山鉾は各山鉾町の町会所の前の通りに展示されます。その際、山鉾の前後には駒形提灯という提灯群が取り付けられ、夜に提灯に明かりが灯る様子は、巡行と並ぶ祇園祭の象徴的な光景となっています。
山や鉾はそれぞれの町の町衆の手によって基本は守りつつも様々な創意工夫が凝らされ、外観や装飾ともに豪華絢爛なものとなっています。山や鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、桃山時代から江戸時代にかけて貿易が興り、町衆階級が勃興して舶来のゴブラン織や西陣織などが競って用いられるようになってからのことだと言われています。
山伏山、占出山、霰天神山と舁山を見て、錦小路通りから新町通りに入ったところで目に入ってきたのが放下鉾。祇園祭の主役とも言える6基の大型の鉾の1つです。さすがに大きいです。高さもあるので、カメラに収まりきれません。内部構造も見せてくれているのですが、大勢の人出なので立ち止まってじっくり見られないのが残念です。ちなみに、稚児や囃子方はここから乗り組むのですね。なるほどぉ〜。大型の鉾の重量は約10~15トン、地上から屋根までの高さは約8メートル、地上から鉾頭までの高さは約25メートル、車輪の直径は約2メートルにもなるのだそうです。傍で見上げると、その大きさにただただ圧倒されます。稚児や囃子方が乗る部分に特別に乗せてくれるサービスもやっているようだったのですが、こちらも大勢の行列ができていたので断念。まぁ〜、こんなに近くで見られただけで大満足です。
四条通りに出て、河原町方向に歩きます。四条通りには月鉾、函谷鉾、長刀鉾という3基の大型の鉾が並んでいて、壮観です。
長刀鉾と月鉾です。真木(鉾)の先端に取り付けられている鉾頭が長刀なので「長刀鉾」。山鉾の中で唯一生稚児が乗り、巡行は常に先頭を行くことになっているので、有名な鉾です。「月鉾」は真木(鉾)の先端に取り付けられている鉾頭が三日月なので「月鉾」です。
なんとか阪急河原町駅のある四条河原町に到達しました。途中で案の定、ヨシキとバンタローとユウテンの3名が逸れてしまったのですが、今は携帯電話があるから便利です。「10時までに『鶴清』に自力で戻ってくるように!」‥‥オネエにピシャリと言われておしまいです(笑) 私は女性陣4人をエスコートするようにして歩いていたので逸れずに済みましたが、あまりに大勢の人出なので、その人出に酔ってしまって、怯みそうになる◯◯さん(どなたかは伏せます)をずっと励ましながらの歩きでした。
京都新聞社さんのサイトに今年の「宵山」の様子が動画で掲載されています。是非、そちらのほうで祇園祭の「宵山」の雰囲気をお楽しみ下さい。
【宵山】
『鶴清』に戻り、部屋ではなく、宴会場で二次会。このあたり、『鶴清』さんのお気遣いが嬉しいです。喉も渇いたので、ビールが美味い! 例によって『大人の修学旅行』恒例の馬鹿話で盛り上がり、午後10時半頃から始めたこともありますが、気がつけば日付が変わり、午前1時も過ぎていました。こりゃあいかん!‥‥ということで、この日はお開き。
……(その7)に続きます。
(その1)で書いたことの繰り返しになりますが、豪壮かつ華麗なことで知られる祇園祭は京都市東山区にある八坂神社の祭礼で、大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、『日本三大祭』の一つに挙げられていて、その歴史の長いこと、またその豪華さ、祭事が1ヶ月にもわたる大規模なものであることで広く知られています。古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、今からおよそ1,150年前の清和天皇の貞観11年(西暦869年)に京の都をはじめ日本各地に疫病が大流行した時、平安京の広大な庭園であった神泉苑(現在は真言宗の寺院となっています)に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことが始まりと伝えられています。この「京都衹園祭の山鉾行事」は、昭和54年、文化財保護法により国の重要無形民俗文化財に指定されたほか、平成21年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されています。
祇園祭は前述の『日本三大祭』だけでなく、数々の三大祭の一つに挙げられています。『京都三大祭』(他は上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭)、『日本三大曳山祭』(他は岐阜県高山市の高山祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭)、『日本三大美祭』(他は前述の高山祭と秩父夜祭)のうちの一つであり、間違いなく日本を代表する祭りの一つです。
公益社団法人・京都市観光協会HP
祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、7月31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事が繰り広げられます。祭のハイライトは毎年7月17日と24日に行われる33基の山鉾巡行です。平成26年、7月17日の前祭(さきまつり)巡行(23基の山鉾)と24日の後祭(あとまつり)巡行(10基の山鉾)の2度に分けての巡行が49年ぶりに復興しました。
祭のハイライトは山鉾巡行(前祭:7月17日・後祭:7月24日)なのですが、その前夜祭にあたる「宵山(よいやま)」も巡行に負けないくらいの人気があり、多くの人で賑わいます。この「宵山」は宵山、宵々山、宵々々山と3日間に渡ります。7月17日に山鉾巡行が行われる前祭の場合は、7月16日が宵山、15日が宵々山、14日が宵々々山になります。この日(7月16日)は前祭の宵山でした。
この日の宵山も大変な人出です。毎年、山鉾巡行よりも宵山のほうが多くの人出を集めると言われているのに加えて、今年や宵山の16日が土曜日、山鉾巡行が行われる17日が日曜日、さらに7月の第3月曜日である18日は「海の日」で祝日。3連休にあたるので、例年以上の人出が予想されています。五条大橋のたもとにある『鶴清』から宵山が行われている市内中心部へは決して歩いていけない距離ではないのですが、少し酔っ払っているのと、大勢の人出で大混雑しているので、鴨川の東側を大きく迂回して市内中心部へ少しでも近づいておこうとタクシーに分乗して向かいました。京都在住のオネエがタクシーの運転手と相談して走行コースと降りる場所を決めます。こういうところ、地元をよく知る人がいてくれるのでホント助かります。
北側の御池通りに出て、地下鉄の烏丸御池駅付近でタクシーを降り、室町通りを南下して多くの「鉾」が並ぶ四条通りを目指します。御池通りには翌日に行われる山鉾巡行のための有料観覧席の準備ができています。仮設のトイレも幾つか用意されているのですが、この程度の仮設トイレの数で果たして大丈夫なのか‥‥と思えるほどの有料観覧席の数です。山鉾巡行は午前9時に四条烏丸をスタートするので、先頭の長刀鉾が御池通りに入ってくるのは午前10時半頃。終了は正午頃でしょうから、まぁ〜なんとかなるのでしょう。お天気が良ければいいのですが‥‥。今日は辛うじてお天気は雨が降らずに持ちましたが、以前として大気は不安定なままの状態が続いていて、明日は今日以上に雨が降りやすいと予想されますので、いくら“晴れ男”が京都に来ていると言っても、こればっかりはなぁ〜〜って感じです。
当然のこととして、御池通りから南側の一帯は車両進入禁止になっているのですが、途中の通りはすべて歩行者も一方通行の規制がかかっていて、なかなか目的のところに向かって進めません。大変な人混みなのですが、ここはもうオネエ頼み。オネエにくっついていけばなんとかなるでしょう。
宵山、宵々山、宵々々山には山鉾の披露だけでなく旧家や老舗に伝来の屏風などの宝物の披露も行われるため、屏風祭の異名があります。写真は老舗の商家に飾られている巨大な西陣織の織物です。実に素晴らしいもので、もっとしっかり眺めていたかったのですが、大勢の人の流れに逆らってまで眺めることができず、ちょっと残念でした。
日本の祭礼において、花や人形などで豪華な装飾が施され、引いたり担いだりして町の中を練り歩く出し物のことを「山車(だし)」と言うのですが、その「山車」の中でも台の上に山の形の造り物をのせ、鉾や長刀などを立てたもののことを「山鉾」と言います。祇園祭の「山鉾」は、その形から「舁山(かきやま)」「鉾(ほこ)」「曳山(ひきやま)」「船鉾(ふねほこ)」「傘鉾(かさほこ)」の5つに分類されます。
「舁山(かきやま)」は御神体の人形を乗せ、それによって主として中国や日本の故事や謡曲などの一場面を見せる趣向を施し、基本的に人が舁いて(担いで)巡行する山車です。舁山の上には布で覆った籠を伏せて置き、これを「山」に見立て、そこから松(真松)を立てて疫神の依代としています。
「鉾(ほこ)」は真木(しんぎ)という中心の柱を疫神の依代とし(これ自体がいわゆる“鉾”)、それが大型化して乗り物となり、稚児や囃子方を乗せる形となったものです。真木の先端には「鉾頭」という鉾ごとに異なる形のシンボルが取り付けられています。その下方には「天王人形」という小さな御神体人形が取り付けられていて、さらにその下方には「しゃぐま」という縄で作った突起状のものが作られ、その数は鉾により異なります。大きな車輪を4つ持つかなり大型の山車で、大勢の人が綱を引いて動かします。祇園祭と言えば多くの人がこの「鉾」を思い浮かべられるのではないでしょうか。祇園祭の前祭では長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・月鉾・菊水鉾・放下鉾という6基の「鉾」が披露されます。搭乗部は詰め合うと50人ほどが乗り込め、ここに囃子方などが乗り込みます。最前部には長刀鉾のみ生稚児が、それ以外の鉾は稚児人形が乗ります。胴体は豪華絢爛な懸装品で飾られます。
「曳山(ひきやま)」は鉾同様に大きな4つの車輪が付いていて、大勢の人が綱で引いて動かす山車で、鉾のように囃子方も乗せています。鉾との最大の違いは屋根の上に舁山同様に真松を立てていることです。
「船鉾(ふねほこ)」は大きな4つの車輪を持つ鉾ではありますが、真木を立てないという点で他の鉾と一線を画し、また、形が船という独特の構造をしているという特徴を有する山車です。巡行中、鉾の上に御神体の人形を安置するところは鉾よりも曳山に近いのですが、真松を持たないので「山」ではなく「鉾」に分類されています。
「傘鉾(かさほこ)」は踊りの列や囃子方を有し、それらが大きな傘である鉾と一体で歩く行列のことです。鉾は小さな4つの車輪を持つ規模の小さなもので、鉾に乗ることはできません。鉾の元々の形態ではないかと言われています。
祇園祭の前祭では、
保昌山(ほうしょうやま)、孟宗山(もうそうやま)、占出山(うらでやま)、山伏山(やまぶしやま)、霰天神山(あられてんじんやま)、郭巨山(かっきょやま)、伯牙山(はくがやま)、芦刈山(あしかりやま)、油天神山(あぶらてんじんやま)、木賊山(とくさやま)、太子山(たいしやま)、白楽天山(はくらくてんやま)、蟷螂山(とうろうやま)という13基の舁山、
長刀鉾(なぎなたほこ)、函谷鉾(かんこほこ)、鶏鉾(にわとりほこ)、菊水鉾(きくすいほこ)、月鉾(つきほこ)、放下鉾(ほうかほこ)という6基の鉾、
岩戸山(いわとやま)という1基の曳山、
綾傘鉾(あやがさほこ)、四条傘鉾(しじょうかさほこ)という2基の傘鉾、
それと1基の船鉾(ふねほこ)の計23基の山鉾が披露されます。
後祭では、
橋弁慶山(はしべんけいやま)、鯉山(こいやま)、浄妙山(じょうみょうやま)、黒主山(くろぬしやま)、役行者山(えんのぎょうじゃやま)、鈴鹿山(すずかやま)、八幡山(はちまんやま)という7基の舁山、
北観音山(きたかんのんやま)、南観音山(みなみかんのんやま)という2基の曳山、
それと平成24年(2012年)に復活した大船鉾(おおふねほこ)の計10基の山鉾が披露されます。
山鉾からは祇園囃子のコンチキチンという独特の節回しの楽曲が聞かれます。現在のような囃子ができたのは、実は江戸時代からなのだそうです。また、ゴブラン織をはじめとする豪奢な山鉾の飾りも見どころの一つになっています。
山鉾の飾り付けは巡行の3日前から始まり、この日を宵々々山と言います。2日前が宵々山といい、前日だけが本来の宵山です。この3日間、山鉾は各山鉾町の町会所の前の通りに展示されます。その際、山鉾の前後には駒形提灯という提灯群が取り付けられ、夜に提灯に明かりが灯る様子は、巡行と並ぶ祇園祭の象徴的な光景となっています。
山や鉾はそれぞれの町の町衆の手によって基本は守りつつも様々な創意工夫が凝らされ、外観や装飾ともに豪華絢爛なものとなっています。山や鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、桃山時代から江戸時代にかけて貿易が興り、町衆階級が勃興して舶来のゴブラン織や西陣織などが競って用いられるようになってからのことだと言われています。
山伏山、占出山、霰天神山と舁山を見て、錦小路通りから新町通りに入ったところで目に入ってきたのが放下鉾。祇園祭の主役とも言える6基の大型の鉾の1つです。さすがに大きいです。高さもあるので、カメラに収まりきれません。内部構造も見せてくれているのですが、大勢の人出なので立ち止まってじっくり見られないのが残念です。ちなみに、稚児や囃子方はここから乗り組むのですね。なるほどぉ〜。大型の鉾の重量は約10~15トン、地上から屋根までの高さは約8メートル、地上から鉾頭までの高さは約25メートル、車輪の直径は約2メートルにもなるのだそうです。傍で見上げると、その大きさにただただ圧倒されます。稚児や囃子方が乗る部分に特別に乗せてくれるサービスもやっているようだったのですが、こちらも大勢の行列ができていたので断念。まぁ〜、こんなに近くで見られただけで大満足です。
四条通りに出て、河原町方向に歩きます。四条通りには月鉾、函谷鉾、長刀鉾という3基の大型の鉾が並んでいて、壮観です。
長刀鉾と月鉾です。真木(鉾)の先端に取り付けられている鉾頭が長刀なので「長刀鉾」。山鉾の中で唯一生稚児が乗り、巡行は常に先頭を行くことになっているので、有名な鉾です。「月鉾」は真木(鉾)の先端に取り付けられている鉾頭が三日月なので「月鉾」です。
なんとか阪急河原町駅のある四条河原町に到達しました。途中で案の定、ヨシキとバンタローとユウテンの3名が逸れてしまったのですが、今は携帯電話があるから便利です。「10時までに『鶴清』に自力で戻ってくるように!」‥‥オネエにピシャリと言われておしまいです(笑) 私は女性陣4人をエスコートするようにして歩いていたので逸れずに済みましたが、あまりに大勢の人出なので、その人出に酔ってしまって、怯みそうになる◯◯さん(どなたかは伏せます)をずっと励ましながらの歩きでした。
京都新聞社さんのサイトに今年の「宵山」の様子が動画で掲載されています。是非、そちらのほうで祇園祭の「宵山」の雰囲気をお楽しみ下さい。
【宵山】
『鶴清』に戻り、部屋ではなく、宴会場で二次会。このあたり、『鶴清』さんのお気遣いが嬉しいです。喉も渇いたので、ビールが美味い! 例によって『大人の修学旅行』恒例の馬鹿話で盛り上がり、午後10時半頃から始めたこともありますが、気がつけば日付が変わり、午前1時も過ぎていました。こりゃあいかん!‥‥ということで、この日はお開き。
……(その7)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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