2016/08/31
中山道六十九次・街道歩き【第4回: 大宮→桶川】(その2)
高崎線のJR宮原駅入口を過ぎると、バス停の足元に「天神橋」と刻まれた欄干が横たわっています。かつて、ここには小川が流れており、昭和初期まで橋が架かっていた場所ではあるのですが、今はその小川もなく、なんでわざわざこの欄干だけが残っているのか謎です。
天神橋の少し先の右側に「賀茂神社」があります。この賀茂神社の木陰でひと休みです。この「賀茂神社」の境内には「鴨大明神」と刻まれた手水鉢があります。その手水鉢には享保7年の文字が刻まれています。境内の案内板に書かれたご由緒によると、この賀茂神社は、その名から連想されるように、山城国(京都府)一宮の賀茂別雷(かもわけいかずち)神社を勧請したものとされています。
ちなみに、歌川(安藤)広重が描いた有名な『東海道五十三次』に対抗して(?)渓斎英泉(けいさい えいせん)が描いた浮世絵に「木曽街道六十九次」があります。題名は“木曽街道”になっていますが、“六十九次”から分かるように、これは「中山道六十九次」の宿場を描いたものです。その渓斎英泉の「木曽街道六十九次」に上尾宿として描かれている神社は、何故かこの賀茂神社で、その絵の中で上尾宿は遠景としても描かれておりません。
賀茂神社の先で、先ほど述べた新大宮バイパスの高架の下を通り過ぎます。新大宮バイパスのこのあたりは、国道16号線との共用区間です。国道16号線は、神奈川県横浜市西区を起・終点とし、神奈川県横浜市、相模原市、東京都八王子市、埼玉県川越市、さいたま市、千葉県柏市、千葉市といった都市を結ぶ道路なのですが、東京近郊を環状に結ぶ数少ない道路のため非常に交通量の多い幹線道路です。
埼玉県内の主要道路や鉄道といった交通網は、首都東京(江戸)から放射状に整備されたという歴史を持ち、基本的に南北に縦断するものが多く、東西に横断するものは少ないという特徴を持ちます。道路でいうと、国道4号線(奥州街道・日光街道)・17号線(中山道)・254号線(川越街道・児玉街道)や常磐自動車道・東北自動車道・関越自動車道が東京方面から埼玉県内を南北方向に縦断していますが、横断している道路は国道16号線・125号線(茨城県稲敷市〜埼玉県熊谷市間)・140号線(埼玉県熊谷市〜山梨県南巨摩郡富士川町間)・468号首都圏中央連絡自動車道(通称:圏央道)ぐらいのものです。鉄道も同様で、JR東北本線・高崎線・埼京線・八高線や東武伊勢崎・日光線、東武東上線が埼玉県内を縦断していますが、埼玉県内を横断しているのはJR武蔵野線と秩父鉄道くらいのものです。河川も埼玉県内を基本南北方向に縦断する河川は江戸川や荒川がありますが、埼玉県内を東西方向に横断する河川はありません。なので、この国道16号線はいつも非常に混雑しています。
旧中山道(県道164号線)に話を戻します。初めて歩いた県道164号鴻巣桶川さいたま線ですが、中山道というかつての大幹線道路らしく、沿道にはところどころにビックリするくらい大きな(敷地の広い)民家があったりします。きっと、かつてこのあたりの“名主”と呼ばれた家でしょう。古い民家も多く、すぐ東側を並行して伸びる現在の中山道、国道17号線沿線と比較すると、明らかに落ち着いた雰囲気が感じられます。下の写真のお屋敷のような立派な建物は、なんと内科医院です。
また、歩いているとオレンジ色の車体の東武バスの路線バスと頻繁に出くわします。大宮駅東口と上尾駅東口を結ぶ路線で、バス停の時刻表を見ると、この休日の昼間帯でも10分間隔の高頻度で運行されているようです。しかも、やって来るバスにはどれもそれなりに多くの乗客が乗っています。また、ほとんどのバス停で次のバスがやって来るのを待っている乗客の姿があります。これだけ路線バスの利用客が多いということは、とりもなおさず、そこに住む住民の数が多いということです。このことからも大宮と上尾の間は、この旧中山道、現在の県道164号線沿いを中心に発展していったということが分かります。なるほどぉ〜。ちなみに、私には県道164号線のすぐ東側を並行して伸びる現在の中山道、国道17号線で路線バスの姿を見た記憶がありません。旧街道を探る上で、路線バスの経路が実は重要な判断材料になりそうです。
JAさいたまの敷地内にある宮原村の道路元標です。このあたりが宮原村(現在のさいたま市北区宮原町)の起点です。
宮原小学校の敷地内にある栴檀(センダン)の大木です。このセンダンの木は、宮原小学校(旧加茂学校)の開校当時、先生の一人が郷里の高知県から苗木を持ち帰り、移植したものだといわれ、樹高は15メートルほどあります。樹齢は約130年で、小学校とともに歴史を刻んできました。センダンは暖地性の落葉高木で、我が国では、本州でも伊豆半島以西から四国、九州、沖縄県に分布しており、この辺りでは珍しい樹木です。初夏には淡紫色の小花をつけ、木陰からのぞく樹幹はまことに見事です。ちなみに、センダンは「栴檀は双葉より芳し」の諺でよく知られていますが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)のことを指すのだそうです。
まもなく右手に南方神社があります。境内に書かれている由緒によると、この南方神社は信濃国一宮である諏訪大社の大神をこの近隣の吉野原の村人達が村の鎮守として勧請したもので、社名の「南方」は主祭神である建御名方(たてみなかた)に因むものであるとともに、諏訪湖を表す「水潟」にも所縁があるのだそうです。
……(その3)に続きます。
天神橋の少し先の右側に「賀茂神社」があります。この賀茂神社の木陰でひと休みです。この「賀茂神社」の境内には「鴨大明神」と刻まれた手水鉢があります。その手水鉢には享保7年の文字が刻まれています。境内の案内板に書かれたご由緒によると、この賀茂神社は、その名から連想されるように、山城国(京都府)一宮の賀茂別雷(かもわけいかずち)神社を勧請したものとされています。
ちなみに、歌川(安藤)広重が描いた有名な『東海道五十三次』に対抗して(?)渓斎英泉(けいさい えいせん)が描いた浮世絵に「木曽街道六十九次」があります。題名は“木曽街道”になっていますが、“六十九次”から分かるように、これは「中山道六十九次」の宿場を描いたものです。その渓斎英泉の「木曽街道六十九次」に上尾宿として描かれている神社は、何故かこの賀茂神社で、その絵の中で上尾宿は遠景としても描かれておりません。
賀茂神社の先で、先ほど述べた新大宮バイパスの高架の下を通り過ぎます。新大宮バイパスのこのあたりは、国道16号線との共用区間です。国道16号線は、神奈川県横浜市西区を起・終点とし、神奈川県横浜市、相模原市、東京都八王子市、埼玉県川越市、さいたま市、千葉県柏市、千葉市といった都市を結ぶ道路なのですが、東京近郊を環状に結ぶ数少ない道路のため非常に交通量の多い幹線道路です。
埼玉県内の主要道路や鉄道といった交通網は、首都東京(江戸)から放射状に整備されたという歴史を持ち、基本的に南北に縦断するものが多く、東西に横断するものは少ないという特徴を持ちます。道路でいうと、国道4号線(奥州街道・日光街道)・17号線(中山道)・254号線(川越街道・児玉街道)や常磐自動車道・東北自動車道・関越自動車道が東京方面から埼玉県内を南北方向に縦断していますが、横断している道路は国道16号線・125号線(茨城県稲敷市〜埼玉県熊谷市間)・140号線(埼玉県熊谷市〜山梨県南巨摩郡富士川町間)・468号首都圏中央連絡自動車道(通称:圏央道)ぐらいのものです。鉄道も同様で、JR東北本線・高崎線・埼京線・八高線や東武伊勢崎・日光線、東武東上線が埼玉県内を縦断していますが、埼玉県内を横断しているのはJR武蔵野線と秩父鉄道くらいのものです。河川も埼玉県内を基本南北方向に縦断する河川は江戸川や荒川がありますが、埼玉県内を東西方向に横断する河川はありません。なので、この国道16号線はいつも非常に混雑しています。
旧中山道(県道164号線)に話を戻します。初めて歩いた県道164号鴻巣桶川さいたま線ですが、中山道というかつての大幹線道路らしく、沿道にはところどころにビックリするくらい大きな(敷地の広い)民家があったりします。きっと、かつてこのあたりの“名主”と呼ばれた家でしょう。古い民家も多く、すぐ東側を並行して伸びる現在の中山道、国道17号線沿線と比較すると、明らかに落ち着いた雰囲気が感じられます。下の写真のお屋敷のような立派な建物は、なんと内科医院です。
また、歩いているとオレンジ色の車体の東武バスの路線バスと頻繁に出くわします。大宮駅東口と上尾駅東口を結ぶ路線で、バス停の時刻表を見ると、この休日の昼間帯でも10分間隔の高頻度で運行されているようです。しかも、やって来るバスにはどれもそれなりに多くの乗客が乗っています。また、ほとんどのバス停で次のバスがやって来るのを待っている乗客の姿があります。これだけ路線バスの利用客が多いということは、とりもなおさず、そこに住む住民の数が多いということです。このことからも大宮と上尾の間は、この旧中山道、現在の県道164号線沿いを中心に発展していったということが分かります。なるほどぉ〜。ちなみに、私には県道164号線のすぐ東側を並行して伸びる現在の中山道、国道17号線で路線バスの姿を見た記憶がありません。旧街道を探る上で、路線バスの経路が実は重要な判断材料になりそうです。
JAさいたまの敷地内にある宮原村の道路元標です。このあたりが宮原村(現在のさいたま市北区宮原町)の起点です。
宮原小学校の敷地内にある栴檀(センダン)の大木です。このセンダンの木は、宮原小学校(旧加茂学校)の開校当時、先生の一人が郷里の高知県から苗木を持ち帰り、移植したものだといわれ、樹高は15メートルほどあります。樹齢は約130年で、小学校とともに歴史を刻んできました。センダンは暖地性の落葉高木で、我が国では、本州でも伊豆半島以西から四国、九州、沖縄県に分布しており、この辺りでは珍しい樹木です。初夏には淡紫色の小花をつけ、木陰からのぞく樹幹はまことに見事です。ちなみに、センダンは「栴檀は双葉より芳し」の諺でよく知られていますが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)のことを指すのだそうです。
まもなく右手に南方神社があります。境内に書かれている由緒によると、この南方神社は信濃国一宮である諏訪大社の大神をこの近隣の吉野原の村人達が村の鎮守として勧請したもので、社名の「南方」は主祭神である建御名方(たてみなかた)に因むものであるとともに、諏訪湖を表す「水潟」にも所縁があるのだそうです。
……(その3)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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