2016/10/21
中山道六十九次・街道歩き【第5回: 桶川→鴻巣】(その5)
鴻巣宿は中山道六十九次のうち、江戸日本橋から数えて7番目の宿場です。北本宿のところで述べたように、慶長7年(1602年)に中山道が整備されるまで鴻巣宿は現在の北本市に位置していたのですが、江戸幕府の宿駅整備に伴い、それまでの鴻巣宿より北に位置する市宿新田(いちじゅくしんでん:現在の鴻巣市)に移設されたものです。
鴻巣宿は、次の宿場の熊谷宿との中間地点に位置する“間の宿(あいのしゅく:休憩用の町場)”である吹上宿と、その手前の「箕田の追分」を追分として、北は忍藩の居城忍城(現埼玉県行田市)を経て日光東照宮へ至る忍道、また、南は松山(現埼玉県東松山市)に至る吉見道、さらには拝島宿(現東京都昭島市内)に至る千人同心街道と交差し、さらに私市(現埼玉県加須市)に向かう旧道との追分でもあったことから、それらの街道の間で宿継ぎが行われる場所として、中山道の宿場町の中では比較的大きな規模の宿場でした。天保14年(1843年)に行われた調べによると、町並みは17町(約1.9km)に及び、宿内家数は566軒。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠58軒があったと記録されていますが、前述のように、残念ながら、今は往時の面影はほとんど感じられません。
旧中山道の歩道の上に「鴻巣本陣跡碑」がポツンと立っています。本陣跡は残っていません。その手前を左に入ると仲町会館建設記念碑が建てられていますが、ここに鴻巣宿の番屋や本陣のことなどが記されており、僅かに当時を偲ぶことができます。進行方向右手に中村氏宅という昔の旅籠の雰囲気を残す旧家があります。左側には旧旅籠らしい家が何軒か残っています。JR鴻巣駅に向かう駅前通りとの交差点が脇本陣跡らしいのですが、現在は何も残っていません。JR鴻巣駅の駅前一帯は大規模開発をしてすっかり近代的な街並みに生まれ変わっていて、加えて、鴻巣市はどうも中山道に関心がないのか、宿場に関する説明の類はほとんどありません。
JR鴻巣駅入口を過ぎて少し行った左手に数軒の土蔵造りの商家の建物があります。この辺りは問屋場があったところのようです。
JR高崎線の鴻巣駅入口を過ぎて数分の右側に「鴻神社」という古い神社があります。この鴻神社、元々は雷電神社があった場所です。明治6年に氷川神社・熊野神社を合祀して鴻三社と呼ばれるようになり、さらに明治35年から40年にかけて、日枝神社、東照宮、八幡神社などを合祀して鴻神社と名称を改めたのだそうです。ですが、神社前にあるバス停の名称はいまだに「雷電神社前」です。
コウノトリの巣と書いて“鴻巣”。なんとも素敵な地名なのですが、この鴻巣の地名は古来からのもので、その由来は実は不明なのだそうです。幾つかの有力な仮説があります。まずは大宮台地上に位置する地形的な特徴から、高台の砂地を「コウ(高)のス(洲)」と言い換えて、その言葉が由来となったと言う説。さらには、日本書紀に出てくる武蔵国造の乱で鴻巣に隣接する笠原村(現鴻巣市)を拠点としたとされる笠原直使主(かさはらのあたいのおみ)が朝廷から武蔵国の国造(くにのみやつこ)に任命され、一時この地に武蔵の国の国府が置かれたことから「国府の州」が「こうのす」と転じ、後にこの鴻神社に伝わる「鴻(こうのとり)伝説」から「鴻巣」の字を当てるようになったとする伝承もあります。鴻神社に伝わる「コウノトリ伝説」については、下記をご覧ください。
鴻神社公式HP
ちなみに鴻巣の“鴻”とは、実はコウノトリのことではなく、カモ科の鳥で、ヒシクイのことを指します。このヒシクイ、全長が1メートル近くにもなる大型の鳥で、体は褐色、嘴(くちばし)は黒く先に黄色帯があるのが特徴です。夏季にユーラシア大陸北部で繁殖し、日本には冬鳥として飛来します。ヒシの実や草を好んで食べることからヒシクイと呼ばれています。開発による生息地やそれに伴う食物の減少、乱獲などにより生息数が減少している絶滅危惧種で、日本では国の天然記念物に指定されています。
この鴻神社の北側すぐにある東へ向かう埼玉県道32号鴻巣羽生線の道筋は「日光裏街道」と呼ばれる旧街道です。各地から日光東照宮へ通じる道は、日光街道、日光例幣使街道、壬生通り等、数多く存在します。このうち、群馬県館林市、桐生市、さらには赤城山の南麓を東進して渡良瀬渓谷沿いに上り、栃木県旧足尾町を経由して、最後に足尾の山を越えて、栃木県日光市の日光東照宮に至るルートの旧街道のことを日光裏街道と言います。現在の国道122号線とほぼ重なるルートです。鴻巣で中山道から分岐した道路は、埼玉県行田市を経て、埼玉県羽生市でこの日光裏街道に合流しました。なので、この道路も日光裏街道と呼ばれていました。
……(その6)に続きます。
鴻巣宿は、次の宿場の熊谷宿との中間地点に位置する“間の宿(あいのしゅく:休憩用の町場)”である吹上宿と、その手前の「箕田の追分」を追分として、北は忍藩の居城忍城(現埼玉県行田市)を経て日光東照宮へ至る忍道、また、南は松山(現埼玉県東松山市)に至る吉見道、さらには拝島宿(現東京都昭島市内)に至る千人同心街道と交差し、さらに私市(現埼玉県加須市)に向かう旧道との追分でもあったことから、それらの街道の間で宿継ぎが行われる場所として、中山道の宿場町の中では比較的大きな規模の宿場でした。天保14年(1843年)に行われた調べによると、町並みは17町(約1.9km)に及び、宿内家数は566軒。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠58軒があったと記録されていますが、前述のように、残念ながら、今は往時の面影はほとんど感じられません。
旧中山道の歩道の上に「鴻巣本陣跡碑」がポツンと立っています。本陣跡は残っていません。その手前を左に入ると仲町会館建設記念碑が建てられていますが、ここに鴻巣宿の番屋や本陣のことなどが記されており、僅かに当時を偲ぶことができます。進行方向右手に中村氏宅という昔の旅籠の雰囲気を残す旧家があります。左側には旧旅籠らしい家が何軒か残っています。JR鴻巣駅に向かう駅前通りとの交差点が脇本陣跡らしいのですが、現在は何も残っていません。JR鴻巣駅の駅前一帯は大規模開発をしてすっかり近代的な街並みに生まれ変わっていて、加えて、鴻巣市はどうも中山道に関心がないのか、宿場に関する説明の類はほとんどありません。
JR鴻巣駅入口を過ぎて少し行った左手に数軒の土蔵造りの商家の建物があります。この辺りは問屋場があったところのようです。
JR高崎線の鴻巣駅入口を過ぎて数分の右側に「鴻神社」という古い神社があります。この鴻神社、元々は雷電神社があった場所です。明治6年に氷川神社・熊野神社を合祀して鴻三社と呼ばれるようになり、さらに明治35年から40年にかけて、日枝神社、東照宮、八幡神社などを合祀して鴻神社と名称を改めたのだそうです。ですが、神社前にあるバス停の名称はいまだに「雷電神社前」です。
コウノトリの巣と書いて“鴻巣”。なんとも素敵な地名なのですが、この鴻巣の地名は古来からのもので、その由来は実は不明なのだそうです。幾つかの有力な仮説があります。まずは大宮台地上に位置する地形的な特徴から、高台の砂地を「コウ(高)のス(洲)」と言い換えて、その言葉が由来となったと言う説。さらには、日本書紀に出てくる武蔵国造の乱で鴻巣に隣接する笠原村(現鴻巣市)を拠点としたとされる笠原直使主(かさはらのあたいのおみ)が朝廷から武蔵国の国造(くにのみやつこ)に任命され、一時この地に武蔵の国の国府が置かれたことから「国府の州」が「こうのす」と転じ、後にこの鴻神社に伝わる「鴻(こうのとり)伝説」から「鴻巣」の字を当てるようになったとする伝承もあります。鴻神社に伝わる「コウノトリ伝説」については、下記をご覧ください。
鴻神社公式HP
ちなみに鴻巣の“鴻”とは、実はコウノトリのことではなく、カモ科の鳥で、ヒシクイのことを指します。このヒシクイ、全長が1メートル近くにもなる大型の鳥で、体は褐色、嘴(くちばし)は黒く先に黄色帯があるのが特徴です。夏季にユーラシア大陸北部で繁殖し、日本には冬鳥として飛来します。ヒシの実や草を好んで食べることからヒシクイと呼ばれています。開発による生息地やそれに伴う食物の減少、乱獲などにより生息数が減少している絶滅危惧種で、日本では国の天然記念物に指定されています。
この鴻神社の北側すぐにある東へ向かう埼玉県道32号鴻巣羽生線の道筋は「日光裏街道」と呼ばれる旧街道です。各地から日光東照宮へ通じる道は、日光街道、日光例幣使街道、壬生通り等、数多く存在します。このうち、群馬県館林市、桐生市、さらには赤城山の南麓を東進して渡良瀬渓谷沿いに上り、栃木県旧足尾町を経由して、最後に足尾の山を越えて、栃木県日光市の日光東照宮に至るルートの旧街道のことを日光裏街道と言います。現在の国道122号線とほぼ重なるルートです。鴻巣で中山道から分岐した道路は、埼玉県行田市を経て、埼玉県羽生市でこの日光裏街道に合流しました。なので、この道路も日光裏街道と呼ばれていました。
……(その6)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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