2017/02/08

Act for 2050(その2)

新大阪駅を過ぎて山陽新幹線区間に入ってから通常より少し速度を上げたのか、福山駅には定刻から8分遅れの11時53分に到着しました。東京駅8時10分発ですから福山駅まで3時間40分ほどですか。近くなったものです。

福山駅に降り立つと、駅前には福山のシンボルである福山城が出迎えてくれます。福山城は備後国福山藩15万石の藩主の居城で、建造されたのは江戸時代に入ってからの元和8年(1622年)。慶長20年(1615年)に発布された一国一城令の後に建造された珍しい城で、大規模な新規築城による近世城郭としては日本の城の中では一番最後に作られた城、すなわち、最も新しい城ということになります。江戸時代に建造されたということは、戦闘のための城というよりも、地方行政のための城という側面が強い城です。言ってみれば「藩庁」ってことですね。とは言え、15万石規模の大名の居城としては立派すぎるくらいに立派な城で、その規模から想像するに、安芸国広島藩浅野氏や長州藩毛利氏、薩摩藩島津氏といった西日本の有力外様大名に対する抑えとして、西国街道と瀬戸内海の要衝を護る城として徳川幕府から戦略的に大いに期待されていたことがうかがえる城ではあります。

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城郭としての形式は輪郭式の平山城で、2重の堀や瀬戸内海へ抜ける運河を持ち五重の天守と7基の三重櫓を有する堂々たる大規模な城郭でした。天守閣を除く多くの建物は福山城の築城時に京都の伏見城から移築されたものだったそうなのですが、残念ながら、昭和20年(1945年)8月8日に行われた米軍による福山大空襲によって、伏見櫓、筋鉄御門を残してすべて焼失していまいました。現在、残された伏見櫓、筋鉄御門はともに国の重要文化財に指定されています。福山駅のホームから撮影した上の写真で左側に写っているのが伏見城から移築された国の重要文化財の伏見櫓です。天守閣は昭和20年の福山大空襲の際に焼失され、現在建っている天守閣(写真の右奥に写っている建物)は昭和41年(1966年)に福山市の市制50周年記念事業として再建されたものです。昭和20年8月8日と言えば、広島市に原爆が投下された日の2日後のことで、その翌日に長崎に2発目の原爆が投下され、1週間後の8月15日が終戦でした。

福山市は広島県の東端に位置する都市で、広島県東部の備後地方の中核都市です。人口は広島県内では広島市に次いで2番目となる約46万人。広島県内では2番目でも中国・四国地方(9県)では広島市・岡山市・松山市・倉敷市に次ぐ5番目の人口規模を誇っています。隣接している同じ広島県の尾道市や三原市、岡山県ではあるものの地理的にも歴史的にも関係の深い笠岡市や井原市を含めた備後(福山)都市圏全体だと、間違いなく広島市・岡山市に次ぐ3番目の人口規模を誇る堂々たる中核都市です。これほどの規模の都市であるにもかかわらず、たいへん申し訳ないことに全国的な知名度は今ひとつ浸透していない…というのが残念なところです。“福山”と聞くと、この広島県の福山市のことではなくて、シンガーソングライターで俳優の福山雅治さんのことを思い浮かべられる方がほとんどなのではないでしょうか。ちなみに福山雅治さんは長崎県のご出身です。

実は福山市は世界でも有数の生産量を誇る日本最大の製鉄の街なんですよね。福山市にあるJFEスチール株式会社の西日本製鉄所(旧・日本鋼管(NKK)福山製鉄所)は、東京ドーム約190個分という広大な敷地を持ち、年間約1,200万トンという粗鋼生産能力は国内最大規模です。また、稼働開始以来の粗鋼生産量の累計は既に4億トンを超えており、これは単一の事業所としては世界で初めてのことなのだそうです。まさに世界有数の製鉄所を擁する“鉄の街”なのですが、このことって全国的にはほとんど知られていないんですよね。

(余談ですが、同じJFEスチール株式会社の西日本製鉄所は、この福山市とは別に岡山県の倉敷市にも製鉄所(旧・川崎製鉄水島製鉄所)を持っていて、こちらの粗鋼生産量も日本のトップクラス。実は瀬戸内海に面した中国地方のこのあたりは、日本最大級の製鉄所が立ち並ぶ“鉄の街”、そして日本の産業を支える瀬戸内工業地帯の中核地域なのです。)

また、2008年に公開された宮崎駿監督の長編アニメーション映画『崖の上のポニョ』(スタジオジブリ制作)の舞台となったのは福山市の鞆の浦(とものうら)。この鞆の浦は国指定の名勝で、日本で初めて国立公園として指定された瀬戸内海国立公園の中でも最初の指定地の一つなのです。7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された日本に現存する最古の和歌集である『万葉集』にも鞆の浦の風景を詠んだ歌が八首も残されているという古代から風光明媚なことで知られたところで、今は世界遺産の候補地にもなっているぐらいのところなのですが、これまた全国的にはほとんど知られていないんですよね。さてさて、どうしてなんでしょうね。きっと、広島市と岡山市というともに県名を冠した県庁所在都市で政令指定都市のちょうど真ん中あたりに位置しているので、その知名度の高い両市の陰にすっかり隠れてしまって、目立たないってことなのでしょうね。

“鉄ちゃん”の私は地方に出張に出掛けると、時間を見つけてはその地方を走る魅力的なローカル鉄道路線を訪ねるのを秘かな楽しみにしているのですが、この福山にも福山駅を起点にして同じ広島県の三次市にある塩町駅まで延びる魅力的なローカル鉄道路線があります。それがJR西日本の福塩線です。福塩線の路線距離は78.0km。全線単線のローカル線ですが、福山駅から途中の府中駅までの間の23.6kmは直流1500Vで電化され、電車で運行されています。

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私の学生時代(1974年〜1978年)には、昭和7年(1932年)から昭和18年(1943年)という戦前から戦中にかけて日本国有鉄道の前身である鉄道省が製造し、首都圏や京阪神圏での通勤輸送に活躍した、車体長20m級3扉ロングシートの41系や50系と呼ばれる旧形電車、さらには戦後間もない昭和26年(1951年)から昭和33年(1958年)にかけて製造され、横須賀線や中央東線、京阪神緩行線など通勤と中距離の輸送性格を併せ持った路線用に開発された車体長20m級3扉セミクロスシートの旧型電車である70系電車が広島地区に大量に流れてきて、この福塩線でも最後のお勤めを果たしていました。

現在はそのような旧型電車はすっかり姿を消し、地方電化ローカル線における旧型電車の置き換え用として日本国有鉄道(国鉄、現在のJR)が開発した105系と呼ばれる電車に置き換えられています。とは言え、この105系電車も製造されたのは昭和56年(1981年)。国鉄の分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)と西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継されたのですが、導入開始から36年が経過し、JR東日本のものは既に全廃されていて、残るのは福塩線や呉線、宇部線といったJR西日本の一部ローカル鉄道路線のみになっていて、絶滅危惧種のような電車になってしまっています。その絶滅危惧種の電車に一駅区間だけでも乗ってみたかったのですが、時間の関係でそれは諦め、ホームから眺めるだけにさせていただきました。それでも幾分かは“鉄分”の補給ができました。

福山駅の駅前バスターミナルからは、「しまなみ海道(西瀬戸自動車道)」を通って、瀬戸内海の対岸である愛媛県の今治市や松山市に向かう高速バスが出ています。「しまなみ海道(西瀬戸自動車道)」は、本州四国連絡道路の3ルートのうち、最も西に位置する尾道・今治ルートを形成する道路です。福山市に隣接する広島県尾道市の尾道福山自動車道・西瀬戸尾道ICを起点として、瀬戸内海に浮かぶ向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島などの島々を橋で渡って愛媛県今治市の今治ICに至る、総延長59.4 kmの高規格幹線道路です。四国愛媛県の今治市や松山市からは、「しまなみ海道」を渡って、山陽新幹線に乗るのに便利な福山駅との間に高速バスが運行されています。写真の一番左のバスには「福山↔︎今治」という行き先案内表示が掲げられています。このバスに乗ると、約1時間で私の本籍地である愛媛県今治市に到着することができます。バスで1時間というと、すぐそこです。

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その愛媛県今治市を本拠地としてJリーグ昇格を目指しているサッカーチームFC今治の岡田武史オーナーにお聞きしたことがあります。

私「日本代表監督を務められたこともある岡田武史さんが日本中に数あるサッカーチームの中で、私の本籍地である今治のチームを選ばれてオーナーになっていただけたことは大変に光栄でありがたく思っているのですが、なにゆえ今治を選ばれたのですか?」
すると、岡田武史オーナーからは、すぐに
「その一つに交通の便がいいことが挙げられます」
という意外な返事が返ってきました。私がキョトンとしていると、
「今治から“しまなみ海道”に乗るとすぐに本州に渡ることができ、そのまま山陽道や中国自動車道という高速道路に繋がっているので、関西方面や九州方面に短時間で行くことができます。東京までならクルマでの移動はちょっとキツいですが、福山駅から新幹線だって使えますし、空路も松山空港だけでなく、広島空港も使えますから」
この話をお聞きした時、なるほどぉ〜…って正直思いました。

よくよく考えてみると、四国内も高速道路網が整備されたことで、松山市だけでなく、高松市や徳島市、高知市といった他県の県庁所在都市へ行くのにも約2時間と、たいして時間がかからなくなりましたし、“しまなみ海道”ができたおかげで本州にも1時間で渡れるようになりました。“しまなみ海道”はそのまま「中国やまなみ街道(中国横断自動車道 尾道松江線)」に繋がっていますので、山陰地方の島根県に行くのだってさほどの時間はかかりません。選手の移動もそうですが、ファンの方々もそうした道路を使って、今治まで試合の応援に駆け付けることも容易になっています。

そうなると今治市をはじめとした愛媛県東部地域(東予)だけでなく、福山市を中心とした備後地域(福山都市圏)もフランチャイズに組み込むことだって可能です。広島県には広島市を本拠地とするJ1リーグの強豪サンフレッチェ広島がありますが、所詮は安芸国のチーム。同じ広島県と言っても福山市周辺は旧国名で言うと備後国なので、安芸国と備後国とで文化的に微妙な違いがあるのは正直なところです。福山市が備後国なら備前国の中心地であった岡山県岡山市にもJ2リーグにファジアーノ岡山というチームがあるのですが、やっぱり備前国と備後国の微妙な文化的な違いから、そちらの方にもなびきにくい風土があります。言ってみれば、この福山都市圏はJリーグチーム空白地帯と言えます。

今治市の総人口は16万人弱、東予地域全体でも人口が50万人にも満たないのでJリーグに昇格したとしても集客力(市場)の基礎(潜在的)ポテンシャルに問題があるように思いましたが、この備後地方、福山都市圏の人口は少なく見積もっても60〜70万人はありますから、東予地域と合わせるとゆうに100万人を超えます。福山市からだと広島市や岡山市に行くよりも今治市に行くほうが時間距離的にはむしろ近いかもしれません。そしてこの両エリアは瀬戸内海を挟んで、瀬戸内工業地帯の中心地。鉄鋼や造船、繊維、製紙等の製造業の企業が数多く立地する場所なので、スポンサーとなっていただける企業も数多いというマーケット上の利点もあります。

さらに、このエリアに加えて、Jリーグチーム空白県である島根県や高知県からもファンを集客することだって可能ですので、それらを合わせると集客力の基礎ポテンシャルは150万人を遥かに超えます。岡田武史オーナーの存在を考えると、集客力の基礎ポテンシャルとしては十分で、現在J2リーグに所属する愛媛FC、カマタマーレ讃岐、徳島ヴォルティスという四国の既存3チームよりも集客力の基礎ポテンシャルは上と考えてもいいかと思われます。さすがは岡ちゃん、岡田武史さんです。目の付け所が鋭い! とにかく、あとは1年でも早くJリーグ(まずはJ3)に昇格するだけですね。


……(その3)に続きます。