2017/03/06

銀の匙Silver Spoon第2章(その7)

朝早く中標津のホテルを出たおかげで、飛行機まで少し時間があったので、女満別空港までの途中にある「博物館 網走監獄」を訪れることにしました。ここは明治の時代から網走と深い関わりを持っている網走刑務所の旧建造物を移築復元、あるいは再現建築し、保存公開している野外博物館です。ここには明治・大正期の歴史的建造物である旧網走刑務所の25の建物群があり、そのうち8棟が国の重要文化財、6棟が登録有形文化財に指定されています。

入り口です。この横のところに入館受付があり、そこで入場券を購入して中に入ります。

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正門です。網走監獄の正門は現在の網走刑務所と同じ形をしています。正門前に歩哨の刑務官が立っていますが、これはよくできた人形です。

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またその歩哨の反対側にはこの監視が厳重な網走刑務所を脱獄した“五寸釘寅吉”の人形も立っています。正門の内側には面会人の待合室があります。

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正門を入った正面に建っているのが国の重要文化財に指定されている旧網走監獄庁舎です。明治45年(1912年)から昭和62年(1987年)まで網走刑務所の管理部門の建物として使用されました。ブルーとグレイに彩色された外壁、屋根に設けられた飾り窓は、明治初期の官庁建築に多いスタイルなのだそうです。この網走監獄庁舎には、囚徒が切り開いた北海道開拓の歴史と博物館の見どころを紹介した展示コーナーがあります。こりゃあ見どころが多すぎて、限られた時間では見て回れないと判断し、主な施設だけを駆け足で(それも逆順路で)回ることにしました。

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独立型の独居房、というか“懲罰房”です。中を見ると窓がなく、光が入らない暗闇の空間で、規則違反をした囚人が入れられました。受刑者が最も恐れた場所でした。この煉瓦造り独居房は国の登録有形文化財に指定されています。

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次に向かったのは浴場。受刑者の唯一と言っていい癒しの場だったようですが、入浴時間は僅か15分。入り方にもいろいろとルールがあったようです。囚人達の癒しの場であると同時に、むさ苦しい男達が集団で生活するので伝染病を予防するため衛生面の管理は重要だったようです。中には入浴シーンが人形で再現されています。2人の看守の監視のもと裸の男達が湯船に浸かっているのですが、刑務所らしく背中一面に倶利伽羅紋紋の刺青をしている囚人が何人もいます。

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舎房です。5棟の建物が放射状に広がる独特の構造をした建物で、木造の行刑建築物としては世界最古で最大の規模を誇ります。国の重要文化財に指定されています。舎房の建物の横に見張りの看守がいる哨舎が建っています。この哨舎も国の登録有形文化財に指定されています。

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舎房の中に入ると中央見張所があります。放射状に広がる5棟の舎房の中央に、1ヶ所から全体を見渡せるように6角形をした中央見張所が設けられています。この舎房は、当時、ベルギーのルーヴァン監獄を模倣して造られました。

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舎房には雑居房と独居房合わせて226房があり、最大で700名を収容できました。この舎房は明治45年(1912年)から昭和59年(1984年)まで網走刑務所の獄舎として72年間にわたり使用されました。高い天窓からそそぐ光が印象的です。

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雑居房の並ぶ第一舎の内部です。この第一舎の廊下側の壁は暖房、換気、通気、監視を兼ねた独特の菱形斜め格子の構造となっていて、収容者同士は向かい合う部屋の内部を覗くことはできないが、廊下に立つ看守からは両方の部屋の監視ができるように工夫されています。

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雑居房のトイレです。丸見えですね。

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雑居房の内部の様子が人形で再現されています。昼間の作業を終えて、ちょっと楽しそうです。故郷の話でもしているのでしょうか。

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こちらは独居房が並ぶ第ニ舎です。ここも内部の様子が人形を使って再現されています。ちょっと反省している様子です。

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第四舎では当時の建物内の暖房の様子が再現されています。舎房の廊下の中央に配管が通り、その配管の中に両側から石炭ストーブで熱した暖気を送り込むセントラルヒーティング方式なのですが、氷点下30℃にもなる極寒の網走のことですから、こんな程度じゃあ暖まるはずがなく、過酷な獄中生活だったことが窺えます。網走刑務所に送られるような悪いことをやっちゃあ絶対にダメです!

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この舎房には正門の横に人形が立っていた明治の五寸釘寅吉こと西川寅吉と、昭和の白鳥由栄という日本の近代犯罪史上、群を抜く2人の脱獄の手口の紹介が展示されています。特に感心したのは白鳥由栄。なんと味噌汁の塩分で扉の蝶番の金属を腐食させて脱獄したのだそうです。執念と言うか、凄すぎます!

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監獄歴史館という建物があり、そこでは網走監獄の歴史や当時の囚徒の暮らしや作業を紹介しています。ここにこんな展示がありました。「日本一の収穫高を誇る網走刑務所」。網走刑務所は北海道における農作物供給基地としての役割を担うため、アメリカの近代的農法を積極的に導入して、寒冷地農業の先駆的役割も担っていたのですね。なるほどぉ〜。

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網走刑務所、そして網走の地名を一躍有名にしたのは、私も大好きだった俳優・高倉健さん主演の映画『網走番外地』シリーズ(石井輝男監督)ではないでしょうか。実は私もこの『網走番外地』で網走という町が北海道の極寒の北東部にあることを知りました。『網走番外地』は昭和40年(1965年)に製作された刑務所映画です。物語は高倉健さん演じる主人公で受刑者の橘真一が冬の網走駅で汽車から降ろされ、腰縄で他の囚人たちと繋がれてトラックに乗せられ、網走刑務所へ護送されるところから始まります。助演は保護司・妻木を演じた丹波哲郎さん。嵐寛寿郎さんが演じた“八人殺しの鬼寅”は日本の映画史に残る名キャラクターと言われています。大雪原の中の脱走、トロッコによる追跡劇、列車による手錠切断…、凄い映画でした。この映画で高倉健さんは一気にトップスターへと駆け上りました。私は後年、高倉健さんという俳優さんの魅力に惹かれ、ビデオテープを借りてきて観ました。

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この映画でメガホンをとった石井輝男監督は2005年にお亡くなりになったのですが、石井輝男監督の墓は生前の希望を尊重して網走市内の潮見墓園に建てられていて、遺骨もそこに納められているのだそうです。その墓碑には高倉健さんによって「安らかに 石井輝男」という碑文がしたためられているそうです。また、網走刑務所のことを全国に知らしめた石井輝男監督の功績を讃えて、博物館網走監獄の正門前には石碑が建てられています。石井輝男監督が所有していた映画『網走番外地』の台本等もこの博物館に寄贈されているのだそうです。

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職員官舎です。看守長屋と呼ばれ、1軒の広さは約9坪。看守とその家族も過酷な生活を強いられていたのですね。

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その職員官舎の前に斜里町のウトロで採取されたばかりの流氷が展示されていました。薄く緑色がかった氷です。(その6)のクリオネを説明したところで、流氷には植物プランクトンが付着している…ということを書かせていただきましたが、この淡い緑色の部分がその植物プランクトンなのかもしれません。なるほどぉ〜。

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その横には雪で造った懲罰房が…。よくできています。

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この他にも国の重要文化財に指定されている教誨堂や二見ヶ岡農場など見学したいところはいっぱいあるのですが、飛行機の時間が迫ってきたので、諦めて女満別空港に向かうことにしました。ちょうど正午を回ったところで、これから空港に行って昼食を摂れば、いい時間です。

女満別空港のレストランで昼食を摂りました。いただいたのはジンギスカン定食。北海道に来たら、ジンギスカンは鉄板です!

昼食を終え、ここまで案内していただいたオーレンス総合経営の社員さんに御礼を言って、搭乗口に向かいました。女満別空港のセキュリティゲートは1つしかなく、おまけに係員の手際が悪いのかゲート前には搭乗客の長蛇の列ができています。羽田空港からの到着便が15分到着遅れとなり、その影響で折り返しとなる出発が15分遅れとなったので、ギリギリ間に合いました。

ちなみに、この女満別空港は、冷害克服のためオホーツク海の流氷や気象観測を飛行機で行おうとしたことを目的に開港した空港です。空港周辺地域には知床国立公園、阿寒国立公園や網走国定公園などが存在し、特に世界遺産登録された知床半島への主要アクセス空港として利用客が年々増加しつつあります。中国や台湾、韓国からの国際チャーター便も飛来することから国際線にも対応できるターミナルになっているということですが、セキュリティゲートの長蛇の列だけはなんとかしてもらいたいものです。

ちなみに、「網走」という地名はアイヌ語の「ア・パ・シリ」(我らが見つけた土地)、または「アパ・シリ」(入り口の地)、「女満別」は「メマンペッ」(泉池がある川)に由来するものだそうです。

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女満別空港13時40分発のANA4778便(ADO078便)はAir DOとの共同運航便で、Air DOの機材(B767-300型機)で運航されます。この日は到着便の遅れで15分、さらにはバードストライクに見舞われて、機体と滑走路の点検を行ったため、さらに出発が遅れ、女満別空港を離陸したのは定刻を1時間ほど過ぎた14時40分過ぎでした。バードストライク(飛行機に鳥が衝突すること)という事故があることは以前から知っていましたが、実際に自分が乗った機材がバードストライクに遭う経験は初めてでした。エンジンに吸い込まれたら大変だという話を聞いたことがありますが、機体の点検だけで済んだということは機首あたりにぶつかったのでしょうか。また、ぶつかったのはオオハクチョウでしょうか。そう言えば、中標津から網走に向かう途中のクルマの中から、群れをなして飛ぶオオハクチョウの姿が見えました。

女満別空港を約1時間遅れで離陸したANA4778便(ADO078便)は徐々に高度を上げていきます。眼下には斜里平野(網走平野)が見えます。同じく今の時期は一面雪に覆われていますが、中標津周辺の根釧台地とは少し異なる風景です。この斜里平野(網走平野)付近の気候の特色は、日本で最も少ない年間降水量(800〜900ミリ)です。しかし、太平洋岸の根釧地方のように農耕期に濃霧に覆われることがなく晴天の日が多いため、農耕に適し多彩な作物が栽培されている日本最北の畑作地帯です。オホーツク海に面するこの地域は斜網地域と呼ばれ、専業農家を中心にテンサイ、バレイショ、コムギ類を中心に機械化された生産性の高い農業が展開されていて、栽培面積・収穫量ともに北海道全道の25~40%を占めています。このように北海道ではそれぞれの地域の地形や気候に合わせて、様々なタイプの農業が行われています。まさに「世の中の最底辺のインフラは“地形”と“気象”」。農業の場合は「適地適作」ってことですね。北海道の農業を決して“十把一絡げ”で論じてはいけないってことです。

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この日は雲が垂れ込めてきているので、高度を上げた飛行機はすぐに雲の上に出て、眼下は一面真っ白な雲に変わりました。

この3日間は2箇所のTMRセンターと実際の酪農家の現場視察、根釧農業試験場の訪問、講演とその後の地元酪農関係者との懇親会(意見交換会)と盛りだくさんのスケジュールでしたので、さすがにちょっと疲れました。しかもいっぱい刺激を受けて(勉強もできて)、お腹がいっぱいって感じです。こんな実りの多い出張も久し振りって感じです。帰りの飛行機の機内では、熱いコーヒーを飲みながらこの3日間で得られた様々な情報を整理していました。地平線まで続くような見渡す限りの牧草地帯、風景を印象付ける大掛かりな防風林、流氷がやってくるオホーツク海がそばにある厳寒の気候、そこで営まれている機械化が進んだ大規模な酪農……、弊社の提供する気象情報をどう皆様のお役に立てるか……、考えただけでワクワクしてきます。

そうした考えを巡らしているうちに東京羽田空港に着陸しました。この日の東京地方は気温が20℃まで上がり、春一番も吹きました。私が羽田空港に降り立ったのは、定刻から1時間ちょっと遅れたので夕方にかかっていましたが、それでも着陸して誘導路をボーディングブリッジに向けて進んでいる時に流れたキャビンアテンダントの機内放送によると「到着地羽田空港の気温は18℃」ということでした。女満別空港が氷点下2℃ほどだったので、その気温差は20℃。ガンガンにヒートテックの下着等を着込み、ダウンのライナーを取り付けたコートを羽織るという厳寒地仕様の格好のままでは汗が吹き出てきました。ふぅ〜〜〜。

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上述のように、今回の中標津出張は大変に実りの多い出張でした。中標津にはこの先何度も足を運ぶことになりそうな予感さえしています。次回は牧草の収穫時期にあたる6月から7月に是非中標津を訪問したいと思っています。酪農における気象情報活用の重要性を最も実感できる時期ですし、なんと言っても、道東の夏は日本離れしたヨーロッパの夏をイメージできますからね。


――――――――〔完結〕――――――――