2017/05/15
中山道六十九次・街道歩き【第11回: 高崎→安中】(その4)
高崎と言えば“だるま”。高崎は全国の約8割を占める“縁起だるま”の生産地です。前述のようにこの旧中山道沿いの高崎市豊岡地域には高崎名物、“縁起だるま”の製造工場が幾つか並んでいるのですが、その中でも最大の規模を誇るお店が昼食のために駐車場をお借りした「だるまのふるさと大門屋」さんです。
だるまのふるさと大門屋HP
店内には大小様々な“縁起だるま”が陳列されています。
高崎が誇る伝統工芸品である赤い“縁起だるま”ですが、この高崎だるまの製造の始まりは、200年程前の寛政年間と言われています。この群馬県豊岡村在住の山縣朋五郎とその一家のみで製作していただるまは、長い間、「豊岡だるま」と呼ばれていました。約120年前から豊岡・八幡地域の養蚕農家で副業としてたくさん作られるようになり、正月祭りで近隣の寺社や少林山達磨寺で販売されるようになりました。
赤い法衣を頭から全身にまとい、どっしりと座した姿。目はグッと見開き、口はキリリと引き締めて、大きな眉は「鶴」を模し、両頬の髭は「亀」を模して描かれています。これは、二つの動物の「千年萬年の長生き」にあやかって取り入れた、高崎だるまの特徴です。突き出した顎からつながるふくよかなお腹には、金絵の具を使って福入の文字と法衣の皺。お顔の両脇には、求める人の願い事が書き込まれます。その表情からは、強さの中に秘められた徳と優しさを感じとれます。
200年の伝統に培われた技で丁寧に作り上げられる高崎だるま。高崎だるまは、「買った人が、その一年を何事もなく、健康で平和に暮らせるように」と願いを込めて作り続けられています。私も「家内安全」と書かれた高崎だるまをお土産に金絵の具で越智の“名前入り”で購入しました。
そうそう、高崎の“縁起だるま”と言えば、赤い法衣をまとっているのが定番ですが、最近は女性や若者客向けに黄色や青色、緑色といったカラフルな法衣をまとう“縁起だるま”も作られていて、中でも緑色の法衣をまとった“縁起だるま”が売れ筋なんだとか。これも小池百合子東京都知事の影響なのでしょうか…。
大門屋さんの目の前、国道18号線の向こう側を流れる碓井川の対岸に「高崎だるま」発祥の地となる少林山達磨寺があります。この先を左に曲がったところにある鼻高橋を渡った先に山門があり、山門から真っ直ぐの石段が延々と続いています。この達磨寺は延宝年間(1673年~1680年)に一了という旅人が近くを流れる碓氷川の氾濫で流れてきた大木で、達磨大師の像を彫り、御堂に安置したことがはじまりだと言われています。その後、元禄10年(1696年)、前橋城主であった酒井忠拳(ただたか)が水戸光圀の助力を得て、水戸光圀が尊敬していたと言われる中国からの渡来僧・心越禅師を迎え、禅の道場としてこの寺院を開山しました。200段余りの石段を上った奥に本殿があり、その左隣の小さな資料館には日本各地はもとより世界各国の達磨が奉納されているそうです。このあたりは中選挙区制の衆議院議員選挙で言えば群馬3区。高崎市、群馬郡、多野郡、北甘楽郡、碓氷郡、吾妻郡が選挙区域で定数は4。この選挙区は、近世、福田赳夫・福田康夫親子、小渕恵三、中曽根康弘という4人の総理大臣を輩出したところで有名なのですが、その4人の総理大臣が選挙で使った大達磨も奉納されているのだそうです。
今回のツアーは街道歩きが主体であり、また時間の関係で、今回は少林山達磨寺に立ち寄るのはパスでした。
ここから安中市に入ります。
国道18号線の右手奥に朱色の大鳥居が見えます。八幡宮の大鳥居で、本殿はここから600mほど先のJR信越本線の線路の向こう側にあるのだそうです。上野国一社で地元では「八幡(やわた)の八幡(はちまん)様」と呼ばれるこの神社の創建は古く、天徳元年(957年)に京都岩清水八幡宮を勧請したことに始まるとされています。永承6年(1051年)に起きた「前九年の役」の際には源頼義・義家父子がこの神社に立ち寄って戦勝祈願し、後に源頼朝をはじめ新田氏、足利氏、武田氏、豊臣氏からも深く崇敬され、徳川幕府も御朱印地100石を寄進したとされています。現在の社殿は宝暦7年(1757年)に造営されたものです。明治になってすっかり寂れ、昔の面影は失われてしまったそうです。また八幡宮大大御神楽は群馬県下でも有数の神楽で、高崎市の重要無形文化財に指定されているのだそうです。
板鼻東の信号の先に寒念仏(かねつ)橋という橋があり、脇に橋供養碑が立っています。「寒念仏(かねつ)橋の供養塔」とも呼ばれています。享保17年(1732年)に旅人のために、板鼻宿の皆さんが中山道を横切る小川に小さな石橋をかけました。享和2年(1802年)、板鼻宿の木嶋七郎佐衛門を中心とした板鼻宿の念仏講中の皆さんが、寒中に念仏を唱えて回る寒念仏で集めた浄財を元手にその石橋を改修したのですが、その際に旅の安全を祈って建てた供養塔がこの寒念仏橋供養塔です。
板鼻下町の交差点で旧中山道(群馬県道26号高崎安中渋川線)は国道18号線と分かれ、いったん右折した後、すぐに群馬県道137号箕郷板鼻線と分岐します。旧中山道はここで群馬県道137号箕郷板鼻線に変わります。
碓氷川越しに妙義連峰の山々がくっきりと見えます。碓氷川という名称が、この先越えることになる碓氷峠の急勾配を思い起こさせます。進行方向左前方に妙義山系の特徴ある山並みが見えてきました。
進行方向右前方には小さく噴煙を上げる浅間山の姿も見えます。これからはしばらくこの妙義山系と浅間山の景色を前方に眺めながら歩いていきます。
群馬県道137号箕郷板鼻線が群馬県道26号高崎安中渋川線から分かれてすぐの地点に顕彰碑が建っています。ウォーキングリーダーさんの説明によると、板鼻宿で牛宿を営んでいた方が、いろいろと当時の様子を記録として書き残していて、その功績を讃えて建てられた顕彰碑なのだそうです。
このあたりが板鼻宿の入り口です。群馬県道137号箕郷板鼻線は並行する国道18号線と比べると走行するクルマの量が圧倒的に少ないので、旧中山道らしい味わい深い道並みが再び戻ってきました。
群馬県道137号箕郷板鼻線が群馬県道26号高崎安中渋川線から分かれてすぐの地点に、短い板鼻川橋があり、その橋のたもとの右手に双体道祖神があります。これは信州に多く見られる形の道祖神なのだそうで、女神が瓢、男神が盃を持ち仲睦まじく肩を寄せ合っています。 台座に街道の路程表が書かれているというのですが摩滅していて文字はいっさい確認できません。道祖神だけでなく、庚申塔や地蔵は相変わらずあちこちで見掛けます。
JR信越本線の線路を踏切で渡り、板鼻宿に入ります。
板鼻宿は交通量の多い国道18号線から離れているためか、旅篭など当時を偲ぶ多くの建造物が幾つも残っています。また街のあちこちに庚申塔や馬頭観音、石碑が建っていて、ここが旧中山道の宿場であったことを実感します。
板鼻宿には案内板があまり整備されていないので、どこからが宿場なのかがよく分かりません。この標識の建っているあたりに江戸方の木戸があったと思われます。すなわち、ここから先が板鼻宿のようです。
……(その5)に続きます。
だるまのふるさと大門屋HP
店内には大小様々な“縁起だるま”が陳列されています。
高崎が誇る伝統工芸品である赤い“縁起だるま”ですが、この高崎だるまの製造の始まりは、200年程前の寛政年間と言われています。この群馬県豊岡村在住の山縣朋五郎とその一家のみで製作していただるまは、長い間、「豊岡だるま」と呼ばれていました。約120年前から豊岡・八幡地域の養蚕農家で副業としてたくさん作られるようになり、正月祭りで近隣の寺社や少林山達磨寺で販売されるようになりました。
赤い法衣を頭から全身にまとい、どっしりと座した姿。目はグッと見開き、口はキリリと引き締めて、大きな眉は「鶴」を模し、両頬の髭は「亀」を模して描かれています。これは、二つの動物の「千年萬年の長生き」にあやかって取り入れた、高崎だるまの特徴です。突き出した顎からつながるふくよかなお腹には、金絵の具を使って福入の文字と法衣の皺。お顔の両脇には、求める人の願い事が書き込まれます。その表情からは、強さの中に秘められた徳と優しさを感じとれます。
200年の伝統に培われた技で丁寧に作り上げられる高崎だるま。高崎だるまは、「買った人が、その一年を何事もなく、健康で平和に暮らせるように」と願いを込めて作り続けられています。私も「家内安全」と書かれた高崎だるまをお土産に金絵の具で越智の“名前入り”で購入しました。
そうそう、高崎の“縁起だるま”と言えば、赤い法衣をまとっているのが定番ですが、最近は女性や若者客向けに黄色や青色、緑色といったカラフルな法衣をまとう“縁起だるま”も作られていて、中でも緑色の法衣をまとった“縁起だるま”が売れ筋なんだとか。これも小池百合子東京都知事の影響なのでしょうか…。
大門屋さんの目の前、国道18号線の向こう側を流れる碓井川の対岸に「高崎だるま」発祥の地となる少林山達磨寺があります。この先を左に曲がったところにある鼻高橋を渡った先に山門があり、山門から真っ直ぐの石段が延々と続いています。この達磨寺は延宝年間(1673年~1680年)に一了という旅人が近くを流れる碓氷川の氾濫で流れてきた大木で、達磨大師の像を彫り、御堂に安置したことがはじまりだと言われています。その後、元禄10年(1696年)、前橋城主であった酒井忠拳(ただたか)が水戸光圀の助力を得て、水戸光圀が尊敬していたと言われる中国からの渡来僧・心越禅師を迎え、禅の道場としてこの寺院を開山しました。200段余りの石段を上った奥に本殿があり、その左隣の小さな資料館には日本各地はもとより世界各国の達磨が奉納されているそうです。このあたりは中選挙区制の衆議院議員選挙で言えば群馬3区。高崎市、群馬郡、多野郡、北甘楽郡、碓氷郡、吾妻郡が選挙区域で定数は4。この選挙区は、近世、福田赳夫・福田康夫親子、小渕恵三、中曽根康弘という4人の総理大臣を輩出したところで有名なのですが、その4人の総理大臣が選挙で使った大達磨も奉納されているのだそうです。
今回のツアーは街道歩きが主体であり、また時間の関係で、今回は少林山達磨寺に立ち寄るのはパスでした。
ここから安中市に入ります。
国道18号線の右手奥に朱色の大鳥居が見えます。八幡宮の大鳥居で、本殿はここから600mほど先のJR信越本線の線路の向こう側にあるのだそうです。上野国一社で地元では「八幡(やわた)の八幡(はちまん)様」と呼ばれるこの神社の創建は古く、天徳元年(957年)に京都岩清水八幡宮を勧請したことに始まるとされています。永承6年(1051年)に起きた「前九年の役」の際には源頼義・義家父子がこの神社に立ち寄って戦勝祈願し、後に源頼朝をはじめ新田氏、足利氏、武田氏、豊臣氏からも深く崇敬され、徳川幕府も御朱印地100石を寄進したとされています。現在の社殿は宝暦7年(1757年)に造営されたものです。明治になってすっかり寂れ、昔の面影は失われてしまったそうです。また八幡宮大大御神楽は群馬県下でも有数の神楽で、高崎市の重要無形文化財に指定されているのだそうです。
板鼻東の信号の先に寒念仏(かねつ)橋という橋があり、脇に橋供養碑が立っています。「寒念仏(かねつ)橋の供養塔」とも呼ばれています。享保17年(1732年)に旅人のために、板鼻宿の皆さんが中山道を横切る小川に小さな石橋をかけました。享和2年(1802年)、板鼻宿の木嶋七郎佐衛門を中心とした板鼻宿の念仏講中の皆さんが、寒中に念仏を唱えて回る寒念仏で集めた浄財を元手にその石橋を改修したのですが、その際に旅の安全を祈って建てた供養塔がこの寒念仏橋供養塔です。
板鼻下町の交差点で旧中山道(群馬県道26号高崎安中渋川線)は国道18号線と分かれ、いったん右折した後、すぐに群馬県道137号箕郷板鼻線と分岐します。旧中山道はここで群馬県道137号箕郷板鼻線に変わります。
碓氷川越しに妙義連峰の山々がくっきりと見えます。碓氷川という名称が、この先越えることになる碓氷峠の急勾配を思い起こさせます。進行方向左前方に妙義山系の特徴ある山並みが見えてきました。
進行方向右前方には小さく噴煙を上げる浅間山の姿も見えます。これからはしばらくこの妙義山系と浅間山の景色を前方に眺めながら歩いていきます。
群馬県道137号箕郷板鼻線が群馬県道26号高崎安中渋川線から分かれてすぐの地点に顕彰碑が建っています。ウォーキングリーダーさんの説明によると、板鼻宿で牛宿を営んでいた方が、いろいろと当時の様子を記録として書き残していて、その功績を讃えて建てられた顕彰碑なのだそうです。
このあたりが板鼻宿の入り口です。群馬県道137号箕郷板鼻線は並行する国道18号線と比べると走行するクルマの量が圧倒的に少ないので、旧中山道らしい味わい深い道並みが再び戻ってきました。
群馬県道137号箕郷板鼻線が群馬県道26号高崎安中渋川線から分かれてすぐの地点に、短い板鼻川橋があり、その橋のたもとの右手に双体道祖神があります。これは信州に多く見られる形の道祖神なのだそうで、女神が瓢、男神が盃を持ち仲睦まじく肩を寄せ合っています。 台座に街道の路程表が書かれているというのですが摩滅していて文字はいっさい確認できません。道祖神だけでなく、庚申塔や地蔵は相変わらずあちこちで見掛けます。
JR信越本線の線路を踏切で渡り、板鼻宿に入ります。
板鼻宿は交通量の多い国道18号線から離れているためか、旅篭など当時を偲ぶ多くの建造物が幾つも残っています。また街のあちこちに庚申塔や馬頭観音、石碑が建っていて、ここが旧中山道の宿場であったことを実感します。
板鼻宿には案内板があまり整備されていないので、どこからが宿場なのかがよく分かりません。この標識の建っているあたりに江戸方の木戸があったと思われます。すなわち、ここから先が板鼻宿のようです。
……(その5)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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