2017/05/29
中山道六十九次・街道歩き【第12回: 安中→松井田(五料)】(その3)
昼食休憩後、また街道歩きを再開しました。今回は昼食後のここから先が長いのです。先を急ぎます。
杉並木が途切れると旧街道の雰囲気を醸し出している古民家などが目立ちだします。杉並木の入り口付近にある給水塔の壁面に刀を背負った侍達が走っている図が描かれています。
この安政遠足(とおあし)之図は、安政2年(1855年)、安中城主板倉勝明が藩士の鍛錬のために、藩士96人に安中城門から碓氷峠にある熊野権現神社までの約28kmの距離を走らせたのが始まりの『安中藩安政遠足』の様子を描いたものです。走破時間や着順は昭和50年(1955年)に碓氷峠の茶屋で偶然発見された『安中御城内御諸士御遠足着帳』に記されてはいるものの、この安政遠足は走者に意義を持たせることが目的で開催されたもので、順位やタイムは重要視されていませんでした。ゴールした者には餅などが振る舞われた…と記録に残っています。この安政遠足は、日本におけるマラソンの発祥といわれ、安中城址には『安中藩安政遠足の碑』と『日本マラソン発祥の地』の石碑が建てられています。
また、昭和50年からは「安政遠足 侍マラソン」が毎年5月第2日曜日に開催されています。ランナー達は侍など昔ながらの格好に扮装して走るのだそうです。最近は、侍などの昔ながらの格好ではなく、思い思いの仮装で走るランナーが多いのだとか…。この日のスタートポイントだった安中市商工会館の入り口に今年の「安政遠足 侍マラソン」のポスターが貼られていました。
それにしても約28kmの距離を走らせて、ゴールが碓氷峠にある熊野権現神社ですか…。碓氷峠の標高は約960メートル。安中市役所の標高は海抜180メートルほどなので、780メートルを一気に駆け上がるわけです。ちなみに箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)の5区山登りの区間で駆け上がる国道1号線の最高点である箱根峠の標高は874メートル。ほぼ同じくらいの距離と高さを駆け上がるわけです。箱根駅伝との違いは舗装されていないまったくの山道を駆け上がること。そう思うと、この安中藩安政遠足、箱根駅伝名物の山登りの5区以上に過酷な“遠足”です。ちなみに、小学校などで行われた「遠足(えんそく)」の語源も、この安中藩安政遠足なのだそうです。
原市の街並みを歩きます。歴史を感じさせる立派なお屋敷が幾つも並んでいます。
今は民家になっていますが、ここに原市村戸長役場跡という標識が建っています。戸長役場(こちょうやくば)とは、明治時代初期に戸長が戸籍事務などを行った役所のことで、現在の町村役場の前身にあたります。
明治政府は当初、一度は大区小区制を導入して旧来の郡・町村体制を廃止したものの、明治11年(1878年)の郡区町村編制法によって旧来の体制に戻した上で、従来は区に設置されていた戸長を町村に設置し、そこに事務を行う戸長役場を設けました。ただし、全ての町村に戸長・戸長役場が置かれた訳ではなく、小規模な町村の場合には複数の町村で1人の戸長、1ヶ所の戸長役場の例もあったようです。
戸長役場には知事(県令)によって任命される戸長と書記にあたる筆生、雑用係である小走がおり、戸長らの給与は県税で賄われました。戸長役場では戸籍事務のほか、中央政府および府県や郡の命令を住民に伝達し、その徹底に努めたり、さらには徴税・徴兵・教育・厚生などの業務を行いました。戸長は公選によって選ばれていましたが、旧来の名主・庄屋など町村の指導的な役割を務めた豪農が選ばれる傾向が強かったようです。また、新たに戸長役場を建築する財政的余裕のない町村も多く、戸長の私宅の一部を戸長役場に充てる場合も多かったようです。
ところが、旧来の名主・庄屋の系統を引く公選戸長は明治政府の組織の末端にありながら住民の代表として政府の政策に対峙する姿勢を見せ、自由民権運動に走るものもいました。このため、政府は6年後の明治17年(1884年)に制度の改革を行い、戸長を知事による官選に改め、平均5町村、500戸を目途として1人の戸長を置く連合戸長役場制度に切り替えました。また、戸長の私宅を戸長役場にすることは行政の私物化に通じるとして禁じられ、原則として役場は新築もしくは学校や寺院などの公共性の高い施設や第三者の私宅などを借り上げて役場とすることになりました。
原市茶屋本陣跡と高札場跡です。原市村は安中と松井田間の途中にある“間の宿(あいのしゅく)”でした。間の宿(あいのしゅく)とは、江戸時代の主要街道上で、宿場と宿場の間に主として旅人達からの要望(ニーズ)に応える形で自然発生的に興り発展した休憩用の施設のことです。宿場間の距離が長いことや、途中に峠越え等の難路であること等、旅人に多大な負担を強いる地勢のところに設けられたのが一般的です。ただし、宿場としては非公認でしたので旅人の宿泊は原則的には禁じられていました。それ故に間の宿には名目上は旅籠(はたご)は存在しません。
ここには五十貝(いそがい)家の茶屋本陣がありました。明治11年(1878年)の明治天皇の北陸東海巡幸の際に休憩所となり、「明治天皇原市御小休所」の碑が建っています。今は建物はなく空き地になっていて、文部科学省の管理地になっているようです。また、ここはこのあたりの高札場でもありました。
振り返ると、旧街道らしい落ち着いた雰囲気の原市の街並みが続いています。
原市茶屋本陣跡からすぐのところにある真光寺の鐘です。これは「時の鐘」で、原市の仁井与惣衛門が真光寺に寄附した梵鐘を、安中藩主板倉勝暁から「時の鐘」として打ち鳴らす許可がおりた機会に鋳直し、天明元年(1781年)に撞き始めを行いました。
時の鐘の近くにある薬局です。入口にはけたたましいばかりにカラフルな広告宣伝がいくつも張り付けられていました。古い建物と相まって、昭和レトロな感じを受けます。実は、こういうの、私、大好きなんです。
真光寺の時の鐘を過ぎると原市集落の中心部に入っていきます。歴史を感じさせる漆喰造りの古い建物が幾つも建ち並んでいます。
天保5年(1835年)創業の老舗和菓子屋・小野屋さんです。家族へのお土産に銘菓「遠足(とうあし)最中」を買い求めました。今回のお土産購入ポイントはここだけ。私だけでなく参加したほとんどの皆さんがここでお土産に「遠足最中」を購入したので、長い行列ができてしまいました。お店のほうでもご主人夫婦にご主人のお母さん、さらには2人の娘さんまで駆り出されて、思いがけない大量のお客さんを捌くのに、大わらわのご様子でした。頑張れ!
旧家の前に「八本木の旧立場茶屋」の木札が立っています。ここは八本木立場茶屋の山田家の跡で、「山田卯兵衛立場茶屋」として昔から有名な茶屋として知られていたそうです。赤いトタン屋根のような造作は、この地域ではよく見掛けます。一般的だったのでしょうか。
八本木立場茶屋跡の向かい側に地蔵菩薩像が納められた地蔵堂があります。ここに祀られている地蔵菩薩像は木造寄木造りで、岩座の上に趺座し、右手に錫杖を持ち、左手は膝上で手のひらに宝珠を持つ延命地蔵菩薩通形と呼ばれる形をしています。この地蔵菩薩は大永5年(1525年)に松井田小屋城主であった安中忠清がこの原市に榎下城を築き、その際に越後国新発田より城の守護仏として勧請したと伝えられています。知らなかったのですが、この八本木の地蔵菩薩、霊験あらたかな秘仏として、百年に一度ご開帳され、日本三地蔵(新発田、八本木、壬生)の1つとして当時の人々の崇敬を集めたのだそうです。なので、参勤交代でここを通行した大名は、加賀100万石の藩主・前田家の殿様であろうと、その仏罰を怖れて、地蔵堂の前では下乗下馬して通行したといわれています。
この八本木の地蔵堂の敷地内には「庚申石祠」と「聖徳太子像」が建っています。この庚申石祠は、安中地域最古の庚申塔のようで、寛永2年(1625年)に作られたもののようです。聖徳太子像のほうもかなりの年代物で由緒正しいもののようですが、説明文を読む時間がなくて、どういう謂れのものかはよく分かりませんでした。
……(その4)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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