2017/06/07
中山道六十九次・街道歩き【第12回: 安中→松井田(五料)】(その7)
旧中山道は国道18号線松井田交差点を起点とする群馬県道33号渋川松井田線に入り、松井田宿内を進んできたのですが、松井田城址に近い西松井田駅前交差点から旧中山道は群馬県道217号松井田中宿線に変わり、松井田城址の先の国道18号線と合流するあたりの手前で左側の細い道に斜めに分岐し、そこから短い坂を下っていきます。
お馴染みの道祖神と庚申塔が並んでいます。遠くに見える青い案内標識は並行して伸びる国道18号線の案内標識です。立派な大きな屋根が見えます。歴史のある寺院でしょうか。旧街道沿いには歴史的に由緒のある神社仏閣がふつうに建っています。
ここに江戸日本橋から32里目の一里塚、新堀一里塚の跡があります。この奥の平柳家の庭に南側の塚のみが残っています。
県道からも外れたただの田舎道(生活道路)の筈なのですが、さすがに旧中山道です。実に味わい深い街並みが続きます。
新堀一里塚を過ぎるとすぐにJR信越本線の線路に突き当たります。この踏切で線路の向こう側に抜けるのかな…と思ったのですが、ここで右折し、JR信越本線の線路の北側を、線路に沿って進みます。と言うのも、旧中山道はこの先で消滅しているからです。下の写真で線路の向こう側に延びる細い道路(クルマが停車している道路)が見えると思いますが、この細い道が実は旧中山道で、停車しているクルマの先で、道路が崩落して消滅しているのだそうです。本来の旧中山道はここから丘陵を下り、碓氷川の河畔を西へ進んで、五料に入る手前で再び丘陵に上っていたようなのですが、度重なる碓氷川の氾濫でその道筋を失ってしまったとのことのようです。なので、ここはできるだけ本来に近いルートを迂回路として使います。
JR信越本線の線路脇の道路を300メートルほど進みます。目の前に浅間山の雄大な景色が見えます。高崎を過ぎてから浅間山を目指して進んできたようなところがあるのですが、徐々にその姿が大きくなってきました。山頂付近から噴煙(水蒸気)を噴出しているのがよく分かります。現在、JR信越本線は1997年の北陸新幹線の高崎駅~長野駅間先行開業に伴いこの先の横川駅が終点のローカル線になっていますが、かつては高崎駅から長野駅・直江津駅を経て新潟駅に至る国鉄の一大幹線路線でした。なので、線路は複線電化され、ローカル線と呼ぶには相応しくない立派なものになっています。かつてはここを華やかな特急電車が頻繁に走っていました。その愛称は「あさま」。浅間山をバックに緩やかに左側にカーブする線路を「あさま」のトレインマークを掲げた国鉄色をした181系特急電車が向かってくる…、信越本線全盛期には多くの鉄道マニア(撮り鉄)がここでカメラを構えていたのではないか…と思われます。私は“撮り鉄”ではないのですが、それくらい素晴らしい撮影ポイントだったのではないか…ということだけは分かります。逆光なのが残念です。
第十中仙道踏切でJR信越本線の線路を渡ります。
今度はJR信越本線の線路を右手に眺めながら、先へ進みます。
昔懐かしいホーロー看板です。ホーロー看板とは主に屋外用の表示として使用される看板の一種で、主として光沢のある塗装ないし印刷で仕上げられた金属製の看板を意味します。明治21年~22年頃に誕生したとされていて、明治・大正・昭和中期まで商品宣伝手法の主流として一時代を築きました。商品サイクルの加速化や住宅事情、新聞やテレビ等のメディアの発達に伴い、昭和50年頃より徐々にその姿を消していったのですが、私が高校を卒業した頃(昭和49年)あたりまでは、田舎だけでなく日本の町のあちこちで極々自然に目にしていた看板です。ここではまだまだ現役です。懐かしいですね。周囲の古い街並みともマッチし、昭和レトロを感じさせてくれます。
生き物ではないのでレッドデータアニマル(絶滅危惧種)にこそ指定されていないものの、あれから40年以上が経過し、最近ではすっかりその姿を見掛けなくなりました。そういうこともあって、このホーロー看板のマニアの方も世の中にはいて、今も田舎に残るこうした貴重なホーロー看板を探しては写真に撮っている方もいらっしゃるようです。
私はそこまでのマニアではありませんが、この風景が日本の景色の中でなくなってしまうのはなんとも惜しいことだと思い、今住んでいる家に引っ越した時、妻に恐る恐る「この(外)壁のところにちょうどいい空間があるから、○○の家から醤油メーカーか学生服メーカーのホーロー看板を取っぱずして持ってきて付けたいんだけど、ダメかなぁ~」とマジで相談したことがあります。その時、妻にはすかさず「ダメっ!!( *`ω´)」…って凄い剣幕で一蹴されちゃいました。そりゃあそうですよね。ちなみに、この○○とは、鹿児島県の大隅半島の田舎にある妻の実家のことです。既に両親ともに亡くなって長く誰も住まなくなっているので、廃墟のような状態になってしまっているとは思いますが、せめて、玄関先にぶら下がっていた筈の「由美かおるさんのアース蚊取り線香」のホーロー看板が今も残っていたら、取り外して持って帰り、さいたま市の我が家の“家の中の”壁に飾りたい…と思っています。
妙義山がすぐ近くに眺められるようになりました。
第十中仙道踏切を過ぎて3百メートルほど進むと右手から国道18号線が近づいてくるのですが、それを避けるように道なりに左折します。するとすぐ先にT字路があって、左から道路がやってきます。この道路が旧中山道。先ほど信越本線の踏切の先で消滅した旧中山道にこのT字路で戻ります。
この先で旧中山道は消滅しているのですね。その消滅しているところを見てみたい気もしますが、団体行動なのでそれは許されません。
旧中山道に戻って先へ進みます。ちょうど食べ頃のフキノトウが群生しているところがありました。綺麗に並んでいるように見えるのは、栽培しているのでしょうか。フキノトウは雪解けを待たずに顔を出す春を告げる山菜の代表です。独特の香りとほろ苦さが春の息吹を感じさせてくれます。天麩羅にすると美味しいんですよね。
お地蔵さんがあります。旧中山道では庚申塔や道祖神、馬頭観音はよく見掛けるのですが、お地蔵さんって意外と少ない気がしています。私が気がついていないだけのことなのでしょうか。
旧中山道はここで国道18号線を斜めに横切るのですが、横断歩道がないので、いったん上信越自動車道の高架下の交差点のところまで国道18号線を進み、横断歩道を渡って国道18号線の反対側に出て、今度は国道18号線を戻るようにして旧中山道に戻ります。
旧中山道はここから左に向かいます。「旧中仙道」と書かれた道路標識が、旧中山道が国道18号線を斜めに横切って延びていることを示しています。
落ち着いた佇まいの五料の集落へと入っていきます。街道の右側には、デッカイ庚申塔と二十三夜塔が並んで祀られています。
「お西」と「お東」の二軒からなる「五料の茶屋本陣」の案内標識が建っています。その向かい側には高札場の案内標識も。この茶屋本陣は、松井田宿と碓氷関所のちょうど中間地点にあたり、旧中山道を往来する大名や公家達の休息所として使われたところなのだそうです。
今回の【第12回】で利用した観光バスは埼玉県春日部市に本社のある春日部観光バスさんのバスでした。春日部観光バスということで、車体には春日部市のイメージキャラクターである『クレヨンしんちゃん』が描かれています。その『クレヨンしんちゃん』が描かれた春日部観光バスのすぐ後ろには妙義山が荒々しい岩肌を見せて聳えています。この写真の構図はある意味、凄いなぁ~って思います。
実は『クレヨンしんちゃん』の作者である臼井儀人さんは、2009年9月11日、妙義山系の荒船山へ単身で日帰り登山に行き、荒船山の岩壁において高さ約120mの崖から転落してお亡くなりになりました。享年52歳でした。合掌…………。「オラ、臼井センセイに逢いに来たどぉ~」と『クレヨンしんちゃん』が言っているようにも思えます。
荒船山は群馬県甘楽郡下仁田町と長野県佐久市に跨る標高1,423mの山で、妙義荒船佐久高原国定公園に属しています。南北約2km、東西約400mの安山岩でできた台地で、平坦な頂上部と切り立った崖のある山容が、荒波を割って進む船を思わせることから、その名が付けられたといわれています。途中の上信越自動車道の車窓からは妙義山の奥に隠れるように、その荒船山の特徴ある山容が見えました。
今日も歩数にして26,121歩、距離にして19.0km歩きました。バスでの移動の距離が長く、実際に歩く時間がこれまでよりも短かった割には、かなりの距離を歩いたように思います。ただ、“野尻”の地名の通り関東平野の一番奥まった端っこに入っていることもあり、コースは変化に富んでいて、また浅間山や妙義山系の山々の素晴らしい眺望も楽しめたので、さほど疲れを感じることもなく、気持ちよく歩くことができました。
さぁ~て、いよいよ次回【第13回】は、この五料から碓氷の関所、坂本宿を通り、中山道最大の難所の1つ碓氷峠を越えて軽井沢宿 に至ります。碓氷峠の麓にあることから「坂本」となった坂本宿は、上州路最後の宿場です。東に碓氷の関所、西に難所碓氷峠を控え、大いに賑わった宿場でした。次回はその碓氷峠を越えて軽井沢宿へと向かいます!
この中山道六十九次街道歩きでは武蔵国(武州:埼玉県)を抜けるのに随分と回数を要したのに、上州(群馬県)はあっという間に抜ける感じです。この間、冬季であったにもかかわらず、恐れていた上州名物の“からっ風”の洗礼を浴びることもなく、気持ちよく歩いてくることができました。次回【第13回】では、ついに信濃国(信州:長野県)に足を踏み入れることになります。
また、これまでは日帰りのツアーだったのですが、随分と遠くまでやって来たこともあり、次回【第13回】からは1泊2日のツアーになります。今回の【第12回】も出発地であるさいたま新都心駅から街道歩きのスタートポイントである安中宿まで、片道約3時間のバス移動でした。もうこれ以上は日帰りは困難です。1泊2日は賢明なコース設定だと思います。
次回【第13回】の1日目はこの“間の宿”五料から坂本宿まで約6.7kmを歩きます。この間の標高差は150メートルで、距離も短く、これまで同様ハイキング感覚で歩けると思いますが、問題は2日目の坂本宿~軽井沢宿。歩行距離は12kmとこれまでとほぼ変わらないのですが、問題は標高差。坂本宿と碓氷峠の標高差はなんとなんとの716メートル。その間、今の中山道(国道18号線)ではなく、江戸時代に使われた旧中山道を通っていくわけです。このルートは舗装されていない区間がほとんどで、途中に岩場や急坂、悪路などがあるトレッキングルートで、中山道最大の難所の1つ、中山道六十九次街道歩き前半のハイライトとも言える区間です。
帰りのバスの中ではウォーキングリーダーさんからトレッキングシューズの着用をはじめ、次回に向けての幾つかの注意事項の説明がありました。とは言え、山登りではなく街道歩き。トレッキングシューズのような装備のない江戸時代にも何万人、いや何十万人という旅人が通った道です。また、安中藩士は安中遠足において碓氷峠にある熊野権現神社まで腰に刀を差して草鞋を履いて駆け登ったルートです。ちゃんと準備さえしておけば大丈夫でしょう。唯一、お天気だけが気掛かりですが、ここは「晴れ男のレジェンド」に賭けるほかはありません。次回の碓氷峠越え、本当に楽しみです。次回【第13回】はGWなどが途中に入るので、少し間を開けて5月27日、28日の予定でいます。
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お馴染みの道祖神と庚申塔が並んでいます。遠くに見える青い案内標識は並行して伸びる国道18号線の案内標識です。立派な大きな屋根が見えます。歴史のある寺院でしょうか。旧街道沿いには歴史的に由緒のある神社仏閣がふつうに建っています。
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ここに江戸日本橋から32里目の一里塚、新堀一里塚の跡があります。この奥の平柳家の庭に南側の塚のみが残っています。
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県道からも外れたただの田舎道(生活道路)の筈なのですが、さすがに旧中山道です。実に味わい深い街並みが続きます。
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新堀一里塚を過ぎるとすぐにJR信越本線の線路に突き当たります。この踏切で線路の向こう側に抜けるのかな…と思ったのですが、ここで右折し、JR信越本線の線路の北側を、線路に沿って進みます。と言うのも、旧中山道はこの先で消滅しているからです。下の写真で線路の向こう側に延びる細い道路(クルマが停車している道路)が見えると思いますが、この細い道が実は旧中山道で、停車しているクルマの先で、道路が崩落して消滅しているのだそうです。本来の旧中山道はここから丘陵を下り、碓氷川の河畔を西へ進んで、五料に入る手前で再び丘陵に上っていたようなのですが、度重なる碓氷川の氾濫でその道筋を失ってしまったとのことのようです。なので、ここはできるだけ本来に近いルートを迂回路として使います。
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JR信越本線の線路脇の道路を300メートルほど進みます。目の前に浅間山の雄大な景色が見えます。高崎を過ぎてから浅間山を目指して進んできたようなところがあるのですが、徐々にその姿が大きくなってきました。山頂付近から噴煙(水蒸気)を噴出しているのがよく分かります。現在、JR信越本線は1997年の北陸新幹線の高崎駅~長野駅間先行開業に伴いこの先の横川駅が終点のローカル線になっていますが、かつては高崎駅から長野駅・直江津駅を経て新潟駅に至る国鉄の一大幹線路線でした。なので、線路は複線電化され、ローカル線と呼ぶには相応しくない立派なものになっています。かつてはここを華やかな特急電車が頻繁に走っていました。その愛称は「あさま」。浅間山をバックに緩やかに左側にカーブする線路を「あさま」のトレインマークを掲げた国鉄色をした181系特急電車が向かってくる…、信越本線全盛期には多くの鉄道マニア(撮り鉄)がここでカメラを構えていたのではないか…と思われます。私は“撮り鉄”ではないのですが、それくらい素晴らしい撮影ポイントだったのではないか…ということだけは分かります。逆光なのが残念です。
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第十中仙道踏切でJR信越本線の線路を渡ります。
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今度はJR信越本線の線路を右手に眺めながら、先へ進みます。
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昔懐かしいホーロー看板です。ホーロー看板とは主に屋外用の表示として使用される看板の一種で、主として光沢のある塗装ないし印刷で仕上げられた金属製の看板を意味します。明治21年~22年頃に誕生したとされていて、明治・大正・昭和中期まで商品宣伝手法の主流として一時代を築きました。商品サイクルの加速化や住宅事情、新聞やテレビ等のメディアの発達に伴い、昭和50年頃より徐々にその姿を消していったのですが、私が高校を卒業した頃(昭和49年)あたりまでは、田舎だけでなく日本の町のあちこちで極々自然に目にしていた看板です。ここではまだまだ現役です。懐かしいですね。周囲の古い街並みともマッチし、昭和レトロを感じさせてくれます。
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生き物ではないのでレッドデータアニマル(絶滅危惧種)にこそ指定されていないものの、あれから40年以上が経過し、最近ではすっかりその姿を見掛けなくなりました。そういうこともあって、このホーロー看板のマニアの方も世の中にはいて、今も田舎に残るこうした貴重なホーロー看板を探しては写真に撮っている方もいらっしゃるようです。
私はそこまでのマニアではありませんが、この風景が日本の景色の中でなくなってしまうのはなんとも惜しいことだと思い、今住んでいる家に引っ越した時、妻に恐る恐る「この(外)壁のところにちょうどいい空間があるから、○○の家から醤油メーカーか学生服メーカーのホーロー看板を取っぱずして持ってきて付けたいんだけど、ダメかなぁ~」とマジで相談したことがあります。その時、妻にはすかさず「ダメっ!!( *`ω´)」…って凄い剣幕で一蹴されちゃいました。そりゃあそうですよね。ちなみに、この○○とは、鹿児島県の大隅半島の田舎にある妻の実家のことです。既に両親ともに亡くなって長く誰も住まなくなっているので、廃墟のような状態になってしまっているとは思いますが、せめて、玄関先にぶら下がっていた筈の「由美かおるさんのアース蚊取り線香」のホーロー看板が今も残っていたら、取り外して持って帰り、さいたま市の我が家の“家の中の”壁に飾りたい…と思っています。
妙義山がすぐ近くに眺められるようになりました。
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第十中仙道踏切を過ぎて3百メートルほど進むと右手から国道18号線が近づいてくるのですが、それを避けるように道なりに左折します。するとすぐ先にT字路があって、左から道路がやってきます。この道路が旧中山道。先ほど信越本線の踏切の先で消滅した旧中山道にこのT字路で戻ります。
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この先で旧中山道は消滅しているのですね。その消滅しているところを見てみたい気もしますが、団体行動なのでそれは許されません。
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旧中山道に戻って先へ進みます。ちょうど食べ頃のフキノトウが群生しているところがありました。綺麗に並んでいるように見えるのは、栽培しているのでしょうか。フキノトウは雪解けを待たずに顔を出す春を告げる山菜の代表です。独特の香りとほろ苦さが春の息吹を感じさせてくれます。天麩羅にすると美味しいんですよね。
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お地蔵さんがあります。旧中山道では庚申塔や道祖神、馬頭観音はよく見掛けるのですが、お地蔵さんって意外と少ない気がしています。私が気がついていないだけのことなのでしょうか。
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旧中山道はここで国道18号線を斜めに横切るのですが、横断歩道がないので、いったん上信越自動車道の高架下の交差点のところまで国道18号線を進み、横断歩道を渡って国道18号線の反対側に出て、今度は国道18号線を戻るようにして旧中山道に戻ります。
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旧中山道はここから左に向かいます。「旧中仙道」と書かれた道路標識が、旧中山道が国道18号線を斜めに横切って延びていることを示しています。
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落ち着いた佇まいの五料の集落へと入っていきます。街道の右側には、デッカイ庚申塔と二十三夜塔が並んで祀られています。
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「お西」と「お東」の二軒からなる「五料の茶屋本陣」の案内標識が建っています。その向かい側には高札場の案内標識も。この茶屋本陣は、松井田宿と碓氷関所のちょうど中間地点にあたり、旧中山道を往来する大名や公家達の休息所として使われたところなのだそうです。
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今回の【第12回】で利用した観光バスは埼玉県春日部市に本社のある春日部観光バスさんのバスでした。春日部観光バスということで、車体には春日部市のイメージキャラクターである『クレヨンしんちゃん』が描かれています。その『クレヨンしんちゃん』が描かれた春日部観光バスのすぐ後ろには妙義山が荒々しい岩肌を見せて聳えています。この写真の構図はある意味、凄いなぁ~って思います。
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実は『クレヨンしんちゃん』の作者である臼井儀人さんは、2009年9月11日、妙義山系の荒船山へ単身で日帰り登山に行き、荒船山の岩壁において高さ約120mの崖から転落してお亡くなりになりました。享年52歳でした。合掌…………。「オラ、臼井センセイに逢いに来たどぉ~」と『クレヨンしんちゃん』が言っているようにも思えます。
荒船山は群馬県甘楽郡下仁田町と長野県佐久市に跨る標高1,423mの山で、妙義荒船佐久高原国定公園に属しています。南北約2km、東西約400mの安山岩でできた台地で、平坦な頂上部と切り立った崖のある山容が、荒波を割って進む船を思わせることから、その名が付けられたといわれています。途中の上信越自動車道の車窓からは妙義山の奥に隠れるように、その荒船山の特徴ある山容が見えました。
今日も歩数にして26,121歩、距離にして19.0km歩きました。バスでの移動の距離が長く、実際に歩く時間がこれまでよりも短かった割には、かなりの距離を歩いたように思います。ただ、“野尻”の地名の通り関東平野の一番奥まった端っこに入っていることもあり、コースは変化に富んでいて、また浅間山や妙義山系の山々の素晴らしい眺望も楽しめたので、さほど疲れを感じることもなく、気持ちよく歩くことができました。
さぁ~て、いよいよ次回【第13回】は、この五料から碓氷の関所、坂本宿を通り、中山道最大の難所の1つ碓氷峠を越えて軽井沢宿 に至ります。碓氷峠の麓にあることから「坂本」となった坂本宿は、上州路最後の宿場です。東に碓氷の関所、西に難所碓氷峠を控え、大いに賑わった宿場でした。次回はその碓氷峠を越えて軽井沢宿へと向かいます!
この中山道六十九次街道歩きでは武蔵国(武州:埼玉県)を抜けるのに随分と回数を要したのに、上州(群馬県)はあっという間に抜ける感じです。この間、冬季であったにもかかわらず、恐れていた上州名物の“からっ風”の洗礼を浴びることもなく、気持ちよく歩いてくることができました。次回【第13回】では、ついに信濃国(信州:長野県)に足を踏み入れることになります。
また、これまでは日帰りのツアーだったのですが、随分と遠くまでやって来たこともあり、次回【第13回】からは1泊2日のツアーになります。今回の【第12回】も出発地であるさいたま新都心駅から街道歩きのスタートポイントである安中宿まで、片道約3時間のバス移動でした。もうこれ以上は日帰りは困難です。1泊2日は賢明なコース設定だと思います。
次回【第13回】の1日目はこの“間の宿”五料から坂本宿まで約6.7kmを歩きます。この間の標高差は150メートルで、距離も短く、これまで同様ハイキング感覚で歩けると思いますが、問題は2日目の坂本宿~軽井沢宿。歩行距離は12kmとこれまでとほぼ変わらないのですが、問題は標高差。坂本宿と碓氷峠の標高差はなんとなんとの716メートル。その間、今の中山道(国道18号線)ではなく、江戸時代に使われた旧中山道を通っていくわけです。このルートは舗装されていない区間がほとんどで、途中に岩場や急坂、悪路などがあるトレッキングルートで、中山道最大の難所の1つ、中山道六十九次街道歩き前半のハイライトとも言える区間です。
帰りのバスの中ではウォーキングリーダーさんからトレッキングシューズの着用をはじめ、次回に向けての幾つかの注意事項の説明がありました。とは言え、山登りではなく街道歩き。トレッキングシューズのような装備のない江戸時代にも何万人、いや何十万人という旅人が通った道です。また、安中藩士は安中遠足において碓氷峠にある熊野権現神社まで腰に刀を差して草鞋を履いて駆け登ったルートです。ちゃんと準備さえしておけば大丈夫でしょう。唯一、お天気だけが気掛かりですが、ここは「晴れ男のレジェンド」に賭けるほかはありません。次回の碓氷峠越え、本当に楽しみです。次回【第13回】はGWなどが途中に入るので、少し間を開けて5月27日、28日の予定でいます。
――――――――〔完結〕――――――――
執筆者
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株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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