2017/07/19

中山道六十九次・街道歩き【第13回: 松井田(五料)→軽井沢】(その7)

坂本宿からやって来る国道18号線が右に大きくカーブする坂本浄水場の巨大な貯水タンクの脇にある細い道に入ります。この細い道が旧中山道で、ここからが中山道街道歩きの再開、そしてここが碓氷峠への登山口です。

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この道に入ってすぐに「安政遠足峠コース」の案内標識が立っていて、峠まではこの「安政遠足」の標識に従えばよいようです。今年(2017年)の第43回安政遠足侍マラソンは2週間前の5月14日(日)に開催されたばかりで、その安政遠足侍マラソンに合わせて山道もある程度整備されているそうなので、タイミング的にはバッチリです(^-^)

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巨大な給水塔の脇の蓋が置かれた排水路の道を進み、突き当たりを左に曲がり崖下を数10メートル歩きます。そのまま真っ直ぐ行くと薮の中に入ってしまうので、「中山道」の表示がある所で右側の階段を“よじ登り”ます。これが江戸時代の幹線道路なのか?!…と思ってしまうのですが、ここが碓氷峠の中山道口で、いよいよ中山道の難所『碓氷峠越え』のはじまりです。

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階段を上ると、さきほど分かれた国道18号線と交差します。そこに小さな小屋が建っていて、かつてはここが碓氷峠への出発点とされた「中山道口バス停留所」でした。東屋風のなかなかのバス停留所になっているのですが、バス停留所と言っても、現在、このバス停に停まるバスの運行は廃止されていて1本もないので、JR横川駅からは、タクシーを利用するか歩くのみになります(中山道街道歩きも徐々に不便なところになっていくので、こうした旅行会社が企画したツアーに参加するのが一番です)。碓氷峠への道順の案内看板が建っています。

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実はこの「中山道口バス停留所」の手前に煉瓦造りの低い塀があり、その煉瓦塀の脇の階段を下りると、そこには先ほどちょこっと触れた旧信越本線の碓氷第一隧道(トンネル)の出口があります。今は「遊歩道アプトの道」としてハイキングコースとなっていますが、ここは明治26年、アプト式線路により碓氷線という鉄道路線が敷かれ、昭和38年まで使われていた線路の跡です。レンガ造りの道床になっていて、貴重な歴史遺産です。鉄道マニアとしては見てみたい衝動に駆られますが、ここは団体行動。我慢我慢です。

ここが碓氷峠の登山口です。ここからいよいよ中山道最大の難所である碓氷峠へ向かって、山道をただひたすら登っていくことになります。

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登り始めるといきなり階段が現れます。すぐに「松の木坂」と呼ばれるジグザグ道の薄暗い急傾斜の道で、そこをググゥ~ッと登っていきます。 20170719011 20170719012

登り始めて4~5分、隘路となっているこの場所が「堂峰番所跡」で、最初の説明板があります。堂峰番所は横川にある碓氷関所の出先機関で、裏番所とも呼ばれ、碓氷関所を通らずに山中を抜ける、すなわち関所破りをする旅人を取り締まるために設けられました。元和2年(1616年)に開設され、明治2年(1869年)まで使用されました。堂峰の見晴らしのよい場所の石垣の上に番所を構え、中山道を挟んで西側に定附同心の住宅が2軒置かれていました。門の土台石が今も残されています。これはガイドさんの説明がないと分かりませんよね。

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また急な坂が続き、落石や瓦礫がゴロゴロしている悪路をただひたすら登っていきます。信じがたいことですが、これが旧中山道です。眼下に小さくゴルフ場が見えます。こういう景色を見ると、かなり標高の高い所にいることを実感します。

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落石と転落に注意をしながら道を登って行きます。これは街道歩きというよりも登山ですね。時折、キィーン!という短く乾いた音が聞こえてきます。ドライバーでティーショットを打った時の音ですね。この下にゴルフ場があるようです。

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黙々と30分ほど登ると「柱状節理」の説明板が立つ絶壁に着きます。柱状節理とは火成岩(溶岩)が冷却・固結する時に収縮して四角または六角の規則的な柱状に割れた岩盤のことで、それがこの絶壁に露出しています。珍しい光景で、ふだんなら理系の心を一気に鷲掴みにされちゃうところなのですが、さすがに気持ちに余裕がなくなってきていて、それどころではありません。実は柱状節理は昨年の3月に『大人の修学旅行2016』で訪れた城崎温泉近くの景勝地『玄武洞公園』でもっと大規模なものを見ました。

大人の修学旅行2016 in城崎温泉(その13)

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ここが「壁曲」といい、中山道はここをほぼ直角に左へ曲がります。柱状節理のすぐ先に馬頭観音や大日尊、南無阿弥陀仏碑などの石塔が並んでいます。この重い石塔を下の坂本宿から持ち上げて来たのでしょうか? 反対に、坂本宿の上木戸にあった「芭蕉句碑」はかつてはこの場所にあったものなのだそうです。

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この辺りの坂は「刎石(はねいし)坂」と呼ばれ、坂本宿から見えた刎石山の頂上に向かう坂です。この「刎石坂」はつづら折れの急坂のうえに落石も多く、路面には柱状節理の岩が崩れた角ばった石がゴロゴロしている荒れた急坂なので、中山道最大の難所と言われる碓氷峠の中でも、最大の難所とされているところです。危険な個所には転落防止用にロープが張られています。ここを昔の人は草鞋履きで登ったわけです。私達現代人は靴底の硬いトレッキングシューズという便利な靴を履いているのでなんとかなりますが、底の柔らかい草鞋履きでここを歩くのは、さぞ大変なことだったろうなぁ~…と思います。また、この道を荷を積んだ馬も通ったわけで、歩いた馬は可哀そうだろうなぁ~…などと余計な心配をしてしまいます。

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その先左手に「上り地蔵 下り地蔵」の案内板が建っています。平らな石に線刻の地蔵像が刻まれたもので、1体が上り方向を向いていて、もう1体が下り方向を向いているので「上り地蔵 下り地蔵」と呼ばれているのだそうですが、案内板だけが立っていて、肝心の地蔵は確認できませんでした。

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刎石坂を登りきって右へ曲がると、「覗き」と呼ばれる展望台のような場所に出ます。ここは碓氷峠を歩いた皆さんが、必ず話題にする景勝地で、坂本宿がよく見える場所として有名なところです。坂本宿の街並みが一直線に整然と並んでいるのがよく分かります。この景色は江戸時代も同じだったようで、小林一茶もこの絶景を見て次のような一句をしたためています。

「坂本や 袂の下の 夕ひばり」 小林一茶


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ほぼ一直線に坂本宿の中を進んできた中山道が刎石山の麓(写真で言うと手前)でUの字を描くように大きく右に曲がっているのが分かります。その曲がった左手に丸い建造物が見えます。これが登りはじめるところにあった坂本浄水場の巨大な貯水タンクです。従って、中山道はこの大きなU字カーブの一番底にあたる部分あたりから、こちら(刎石山)へ向かって手前方向に延びていたということです。

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坂本宿の標高は約450メートル。刎石山の山頂の標高が810メートル。この「覗き」は刎石山の山頂のすぐ近くですので、ここまで約350メートルの標高差を30分ほどで一気に登ってきたわけです。



……(その8)に続きます。