2017/08/14
中山道六十九次・街道歩き【第14回: 軽井沢→塩名田】(その5)
追分宿の京方の出入り口、上木戸の跡です。かつてはここに枡形道があり、「枡形の茶屋」と呼ばれた茶屋が数軒あったのだそうです。
その数軒あった「枡形の茶屋」のうちの1軒、「つがるや」です。往時の面影が色濃く残っています。
その「つがるや」の前で旧中山道は国道18号線と一時合流します。国道18号線と合流したすぐ先に「分去れ(わかされ)」の碑が建っています。「分去れ」とは道路の分岐点、すなわち“追分”のことです。ここで京都・三条大橋へ向かう中山道と、善光寺を経て直江津で北陸道に合流する北国街道が分かれます。
現在は旧北国街道と旧中山道の間に、現在の北国街道である国道18号線が入り、3つの道路の分岐点となっています。旧中山道はこの追分のところから斜めに国道18号線を横切るように延びていたのですが、現在は国道18号線に遮られて直接は進むことが出来ません。国道18号線には「←旧中山道」という案内標識が出ているものの、旧中山道は進入口に柵が設けられて車両進入禁止になっていて、横断歩道も設けられていないので、この追分のところから旧中山道に行くには、国道18号線を少し先まで歩き、下の写真の右端に写っている青い道路標識のところにある横断歩道を向こう側の歩道に渡り、逆に「←旧中山道」の道路標識のところまで戻って来ないといけません。すなわち、この「追分の分去れ」も国道18号線の開通で、かなり“細く”なったってことのようです。
追分には高さ4メートルもある大きな常夜灯が立っています。この常夜灯は寛政元年(1789年)に建立されたもので、側面には、
「さらしなは右、みよしのは左にて、月と花とを追分の宿」
という歌が刻まれています。また、常夜灯の台座には「是より左伊勢」という文字が刻まれています。
常夜灯の傍らには森羅亭万象(平賀源内)の歌碑が建っています。
「世の中は ありのままにぞ 霰降る かしましとだに 心とめねば」
それにしても、「追分(おいわけ)宿の分去れ(わかされ)」ですか…。なんとも情緒のある響きです。
この“分去れ”を右に行くと北国街道、左に行くと中山道……、さて、このシチュエーション、どこかで聞いたことがあるような…と思っていたのですが、その答えがこの“分去れ”のすぐ後に訪れた「中山道69次資料館」にありました。
『コスモス街道』は、大ヒット曲「あずさ2号」で有名な兄弟デュオ“狩人”が、昭和52年(1977年)にその「あずさ2号」に次いで2枚目のシングル曲として発表した楽曲です。竜真知子さんの作詞で、作曲は都倉俊一さん。“狩人”のデビュー曲で最大のヒット・シングルとなった「あずさ2号」と同じ作詞作曲コンビということもあり、曲調も「あずさ2号」とよく似ています。悪い言い方をすると、大ヒットした名曲「あずさ2号」の二番煎じのような楽曲ではありましたが、『コスモス街道』のシングル売上は累計約60万枚。「あずさ2号」のシングル売上が累計約80万枚なので、「あずさ2号」にほぼ匹敵するほどのヒット曲となりました。
昭和52年(1977年)というと、私が大学4年生の時。当時はラジオやテレビから毎日のように“狩人”が歌う『コスモス街道』が流れていました。なので、サビの部分の歌詞はデュオで歌う力強いメロディーとともに今でも耳に残っています。あの楽曲のサビの部分はこの「追分宿の分去れ」のことを歌ったものだったのですね。確かにこの分去れのところから右へ行く道は北国街道(北の道)で、左へ行く道は中山道(中仙道)…、歌詞のとおりです。気になったので、すぐにYouTubeで『コスモス街道』を検索して聴いてみました。どうもこの楽曲は避暑地・軽井沢からこの「追分宿の分去れ」までの道を歌ったものだったのですね。軽井沢宿からこの「追分宿の分去れ」までといえば、この日の中山道街道歩きと同じです。確かにバスを降りればカラマツ林でした。歌とは季節が異なりますが(歌は秋)、この日はここまでまさにこの『コスモス街道』に歌われているようなところを歩いてきました。ただ、歌の中の女性は失恋の沈んだ気持ちの中でこの道を歩いてきたようなのですが、私達は気持ちよぉ~く楽しく歩いてきましたが…。
前述のように「追分の分去れ」よりちょっと迂回して国道18号線を渡り、国道18号線の反対側の歩道を「追分の分去れ」の向かいのところまで戻って、旧中山道に入ります。旧中山道の主要部分は三間(約5.4メートル)の道路幅があったと言われています。三間(約5.4メートル)もあれば、参勤交代の大名行列や馬に牽引された荷車でも離合できますからね。ちょうどこの部分の道路の幅がその三間(約5.4メートル)で、旧中山道の主要部分の基本的な道幅だったようです。
「追分の分去れ」から旧中山道に入ってすぐのところに「中山道69次資料館」という民間施設があります。次にそこを訪れました。
この「中山道69次資料館」は、元々は高校の社会科教諭(地歴)をなさっていた館長の岸本豊さんが、中山道に魅せられて、ドンドンと中山道の調査に没頭。とうとうこの地に移り住まわれ、それまで趣味で蒐集された中山道に関係するいろいろなものを提示するために開いた民間の資料館です。
岸本豊館長自らいろいろと説明をしていただけるのですが、さすがに元高校の社会科(地歴)教諭。なにより説明が分かりやすい。おまけに話が面白く、聴いている者の好奇心を大いにくすぐってくれます。
入口の看板に「東京から京都まで全行程の昔と今」と書かれているように、「中山道69次資料館」では、中山道の浮世絵や古写真と、現在の同一場所を同一アングルで撮影した写真とを比較することで、タイムスリップを楽しむことができます。これはなかなか面白い企画です。
「中山道69次資料館」では中山道の69の宿場にすべて平等なスペースを設け、そこを順に巡ることで中山道の旅を疑似的に楽しめる工夫が施されています。
また、館長の岸本豊さんが蒐集した中山道に関わる品々(本物)を手で触れ、動かし、写真に撮るなど、五感で接することが出来るように展示されています。これは“石神”の本物です。石を神として崇拝する石神信仰に関しては【第11回:高崎→安中】の(その2)でも書かせていただきましたが、これがその石神で、とある神社に祀られていた石神の本物なのだそうです。畏れ多くも、石神様をこの手に持たせていただきました。
【第11回:高崎→安中】(その2)
石神の本物だ…という気持ちの部分もあるのでしょうが、見た目よりもかなり重い石です。
この「中山道69次資料館」の面白いところはミニ日本橋から始まって、ミニミニ中山道の69の宿場を通ってミニ三条大橋まで行けるところです。建物の外には中山道のミニチュア版が作られていて、各宿場や宿場間の特徴がミニチュアで再現されています。鉄道模型のジオラマのようなものですね。一見子供だましのようですが、これは今後の中山道六十九次街道歩きをイメージする上で大いに参考になりました。ここから先の行程に期待が高まります。
館長の岸本豊さんは徳島県小松島市の出身で、広島大学教育学部、さらには鳴門教育大学教職大学院をご卒業され、地元の徳島県で高校の教諭(地理)をなさっておられた…ということを、私は来館の記念に岸本豊さんの著書『中山道69次を歩く』(信濃毎日新聞社)を購入して、その本の末尾に紹介されていた著者・岸本豊さんのご経歴を見て初めて知りました。徳島県と愛媛県の違いはあれど私と同じ四国のご出身で、さらに学部は違えど私と同じ広島大学のご卒業。年齢も私とさほど変わらないとお見受けしたので、学部は違うものの、もしかしたら広島大学の本部キャンパス(千田キャンパス)で同じ時を過ごしたことがあるかもしれません。しかも中山道に魅せられているのもこのところの私と同じ。大変にエネルギッシュな方で、一気に親近感が湧いてきました。もう一度訪ねて、さらに詳しくお話を聴いてみたいと思っています。ちなみに、「中山道69次資料館」の入場料には「2回目は無料 この券をお持ちください」の文字が書かれています。良心的過ぎるくらいに良心的…、というか、館長の岸本豊さんはお客様に何度も来館して貰いたいんでしょうね。自分が魅せられた中山道の魅力を多くの人に知ってもらいたいために。もちろん、私は再度訪れるつもりです。
この日の街道歩きはここまで。この日は22,010歩、距離にして16.1km歩きました。歩いた時間としては4時間もなかったと思いますが、距離としては意外と歩きました。明日はこの中山道69次資料館をスタートして、千曲川の手前の塩名田宿まで歩きます。
駐車場で整理体操を行なった後、中山道69次資料館を後にして、観光バスで夕食会場に向かいました。この日の夕食会場はこの先の(2日目に歩く)岩村田宿にある佐久ホテルさんでした。
佐久ホテルの創業は正長元年(1428年)。なんとなんとの600年前です。現在は19代目なのだそうです。当時は「佐久ホテル」などという名称ではなくて「太米楼」という名称の割本邸だったそうです。中山道に面した大きな屋敷だったので、本陣や脇本陣が置かれていなかった岩村田宿では諸国大名や高僧、奉行をはじめ、近代では御皇室関係者や首相、大臣などの方々も宿泊に利用されたそうで、明治18年に建築され昭和60年に解体された旧館には、なんとなんと明治天皇の専用室もあったのだそうです。そういう由緒ある“旅籠”での夕食です。(割本(割元)に関しては2日目に岩村田宿を訪れた際、再び佐久ホテルに立ち寄りますので、改めてそこで記述します。)
佐久ホテルHP
なんと言っても、佐久と言えば「鯉」。全国ブランドとして名高い「佐久鯉」は、発祥から220余年の歴史を持ちます。佐久の風土と千曲川の清冽な水が全国に誇る身の締まった鯉を育て上げてきました。昭和の初期には全国一の生産量を誇り、鯉の博覧会や品評会でも、優れた品質で日本一の称号を何度も取得しました。観賞用の鯉だけではありません。佐久市内には“鯉こく”、“鯉のあらい(刺身)”、“鯉のうま煮”などの鯉料理をお手軽な値段で味わえるお店がいくつかあります。佐久ホテルでいただいた夕食でも、“鯉のあらい(刺身)”と“鯉のうま煮”が出されました。丸々と太った鯉を使った“うま煮”と“あらい”、なかなか美味しかったです。鯉は淡水魚で泥臭いイメージが強いのですが、食する前に千曲川の清冽な水の中を3~5日ほど泳がせて、浸透圧の差により体内から泥を抜いているのでしょう、いただいた“鯉のあらい(刺身)”も“鯉のうま煮”も「これが本当に淡水魚の鯉なのか?!」と思えるほどでした。
実は妻の実家は鹿児島県の大隅半島でウナギと鯉の養殖をやっていました。なので、妻と結婚した当初、鹿児島に帰省した折には、ウナギと鯉をたらふくいただいたので、鯉は食べる前に(出荷する前に)清冽な水の中を数日間泳がせて、浸透圧の差により鯉の体内から泥を十分に抜く必要がある…ってことは知っていました。鹿児島の妻の実家でも養殖のための大きな池とは別に、山から清冽な水を取り込む人工の細い川と、出荷前の鯉を数日間泳がせておくためのコンクリート製の小さな池が幾つもありました。食用の鯉はこのように清冽な水が豊富にないとダメなんです。この佐久では清冽な水が豊富に供給できる千曲川があるから、鯉なのでしょうね。私達夫婦が結婚して数年後に義父母が相次いで亡くなり、ウナギや鯉の養殖もやめちゃったので、鯉はその時以来で、およそ25年ぶりくらいで食したのですが、久々に美味しい鯉をいただいた…って感じです。
佐久ホテルの入口を入ったところには「佐久鯉発祥之宿 鯉料理宮中献上」の看板が誇らしげに立て掛けられています。本来泥臭い鯉を美味しく料理し、天皇陛下にまで召しあがっていただくには上記のように相当の手間ひまがかかり、デッカク骨の多い魚なので、調理の腕前もそれなりに必要となります。言ってみれば、これは品質保証、信頼性の証しのような看板ですね。
江戸時代を代表する有名な浮世絵師・葛飾北斎の「向島花見之図」です。横に掲げられた説明書きによると、この作品は天保13年に葛飾北斎が親交のあった江戸城医師の林周庵の長女「きく」の初節句に際して贈ったものなのだそうです。その「きく」はやがて「佐久ホテル」(当時は「太米楼」)へ嫁ぎ、15代目女将として生涯を送ったそうで、この作品も「きく」とともに佐久の地にやって来て、百数十年間に渡り、お客様をお迎えした…と説明書きに書かれています。さすがに創業600年近い老舗の旅籠です。館内のいたるところに古い歴史を感じます。素晴らしい!!
一人参加の方がほとんどのわりには夕食の場では会話の環が広がります。1泊2日の回は2回目で、前回【第13回】でもご一緒した方が大部分なので、気心が知れてきたのでしょう。なにより碓氷峠を一緒に越えたお仲間ですので、一種の連帯感のようなものも生まれてきているように感じます。ついついアルコールも進みます。それにしても私よりも年長の方がほとんどなのに、皆さん、元気です。
夕食の後は、フロントのところにある休憩コーナーでお茶。佐久ホテルの名物は天茶(あまちゃ)。アジサイ科の落葉低木ガクアジサイの変種であるアマチャの若い葉を蒸してじっくり発酵させたうえで揉み、乾燥させたものが甘茶(あまちゃ)です。それを煎じて飲みます。甘茶の茶葉に「御法楽」という御祈祷を神社で行った茶葉のみ「天茶」の称号が許されるのだそうです。天茶は黄褐色で甘みがあり、灌仏会(花祭り)の際に仏像に注ぎかけるものとして古くから用いられてきました。これは、釈迦の生誕時に八大竜王がこれを祝って産湯に甘露を注いだという故事によるものです。この佐久地方では「天茶くばり」というお正月の伝統行事があるようで、昔から仏事、神事などの儀式や甘味料として極々一般的に使われているようです。アマチャには強い抗酸化作用があり、また成分がアレルギー性のくしゃみ、鼻水、咳、かゆみ、発疹等の緩和に役立つ等、様々な薬効成分が含まれているようです。私も一杯いただいて飲んでみましたが、「甘さは砂糖の400倍。カロリーはゼロ」の看板に偽りはなく、相当に甘いお茶です。でも、いいかも。
明るくて元気な若女将(将来の第20代女将)に見送られ、佐久ホテルを後にして、観光バスでこの日の宿泊場所である北軽井沢(正しくは群馬県吾妻郡嬬恋村)にある紀州鉄道軽井沢ホテルに向かいました。デッカク「感謝」の文字が書かれた幟がいいですねぇ~。
皆さん調子に乗ってちょこっと飲み過ぎたのか、はたまた街道歩きで疲れちゃったのか、バスの車内は珍しく静かです。私もいつの間にやらウトウトと寝てしまって、隣に座った方に「ホテルに着きましたよ」と声を掛けられて、やっと目覚める始末でした。2日目も楽しみです。ただ、ちょっとお天気が気掛かりです。ホテルに着いた時、外は細かい霧雨が舞い始めていました。
……(その6)に続きます。
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その数軒あった「枡形の茶屋」のうちの1軒、「つがるや」です。往時の面影が色濃く残っています。
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その「つがるや」の前で旧中山道は国道18号線と一時合流します。国道18号線と合流したすぐ先に「分去れ(わかされ)」の碑が建っています。「分去れ」とは道路の分岐点、すなわち“追分”のことです。ここで京都・三条大橋へ向かう中山道と、善光寺を経て直江津で北陸道に合流する北国街道が分かれます。
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現在は旧北国街道と旧中山道の間に、現在の北国街道である国道18号線が入り、3つの道路の分岐点となっています。旧中山道はこの追分のところから斜めに国道18号線を横切るように延びていたのですが、現在は国道18号線に遮られて直接は進むことが出来ません。国道18号線には「←旧中山道」という案内標識が出ているものの、旧中山道は進入口に柵が設けられて車両進入禁止になっていて、横断歩道も設けられていないので、この追分のところから旧中山道に行くには、国道18号線を少し先まで歩き、下の写真の右端に写っている青い道路標識のところにある横断歩道を向こう側の歩道に渡り、逆に「←旧中山道」の道路標識のところまで戻って来ないといけません。すなわち、この「追分の分去れ」も国道18号線の開通で、かなり“細く”なったってことのようです。
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追分には高さ4メートルもある大きな常夜灯が立っています。この常夜灯は寛政元年(1789年)に建立されたもので、側面には、
という歌が刻まれています。また、常夜灯の台座には「是より左伊勢」という文字が刻まれています。
常夜灯の傍らには森羅亭万象(平賀源内)の歌碑が建っています。
それにしても、「追分(おいわけ)宿の分去れ(わかされ)」ですか…。なんとも情緒のある響きです。
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この“分去れ”を右に行くと北国街道、左に行くと中山道……、さて、このシチュエーション、どこかで聞いたことがあるような…と思っていたのですが、その答えがこの“分去れ”のすぐ後に訪れた「中山道69次資料館」にありました。
『コスモス街道』は、大ヒット曲「あずさ2号」で有名な兄弟デュオ“狩人”が、昭和52年(1977年)にその「あずさ2号」に次いで2枚目のシングル曲として発表した楽曲です。竜真知子さんの作詞で、作曲は都倉俊一さん。“狩人”のデビュー曲で最大のヒット・シングルとなった「あずさ2号」と同じ作詞作曲コンビということもあり、曲調も「あずさ2号」とよく似ています。悪い言い方をすると、大ヒットした名曲「あずさ2号」の二番煎じのような楽曲ではありましたが、『コスモス街道』のシングル売上は累計約60万枚。「あずさ2号」のシングル売上が累計約80万枚なので、「あずさ2号」にほぼ匹敵するほどのヒット曲となりました。
昭和52年(1977年)というと、私が大学4年生の時。当時はラジオやテレビから毎日のように“狩人”が歌う『コスモス街道』が流れていました。なので、サビの部分の歌詞はデュオで歌う力強いメロディーとともに今でも耳に残っています。あの楽曲のサビの部分はこの「追分宿の分去れ」のことを歌ったものだったのですね。確かにこの分去れのところから右へ行く道は北国街道(北の道)で、左へ行く道は中山道(中仙道)…、歌詞のとおりです。気になったので、すぐにYouTubeで『コスモス街道』を検索して聴いてみました。どうもこの楽曲は避暑地・軽井沢からこの「追分宿の分去れ」までの道を歌ったものだったのですね。軽井沢宿からこの「追分宿の分去れ」までといえば、この日の中山道街道歩きと同じです。確かにバスを降りればカラマツ林でした。歌とは季節が異なりますが(歌は秋)、この日はここまでまさにこの『コスモス街道』に歌われているようなところを歩いてきました。ただ、歌の中の女性は失恋の沈んだ気持ちの中でこの道を歩いてきたようなのですが、私達は気持ちよぉ~く楽しく歩いてきましたが…。
前述のように「追分の分去れ」よりちょっと迂回して国道18号線を渡り、国道18号線の反対側の歩道を「追分の分去れ」の向かいのところまで戻って、旧中山道に入ります。旧中山道の主要部分は三間(約5.4メートル)の道路幅があったと言われています。三間(約5.4メートル)もあれば、参勤交代の大名行列や馬に牽引された荷車でも離合できますからね。ちょうどこの部分の道路の幅がその三間(約5.4メートル)で、旧中山道の主要部分の基本的な道幅だったようです。
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「追分の分去れ」から旧中山道に入ってすぐのところに「中山道69次資料館」という民間施設があります。次にそこを訪れました。
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この「中山道69次資料館」は、元々は高校の社会科教諭(地歴)をなさっていた館長の岸本豊さんが、中山道に魅せられて、ドンドンと中山道の調査に没頭。とうとうこの地に移り住まわれ、それまで趣味で蒐集された中山道に関係するいろいろなものを提示するために開いた民間の資料館です。
岸本豊館長自らいろいろと説明をしていただけるのですが、さすがに元高校の社会科(地歴)教諭。なにより説明が分かりやすい。おまけに話が面白く、聴いている者の好奇心を大いにくすぐってくれます。
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入口の看板に「東京から京都まで全行程の昔と今」と書かれているように、「中山道69次資料館」では、中山道の浮世絵や古写真と、現在の同一場所を同一アングルで撮影した写真とを比較することで、タイムスリップを楽しむことができます。これはなかなか面白い企画です。
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「中山道69次資料館」では中山道の69の宿場にすべて平等なスペースを設け、そこを順に巡ることで中山道の旅を疑似的に楽しめる工夫が施されています。
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また、館長の岸本豊さんが蒐集した中山道に関わる品々(本物)を手で触れ、動かし、写真に撮るなど、五感で接することが出来るように展示されています。これは“石神”の本物です。石を神として崇拝する石神信仰に関しては【第11回:高崎→安中】の(その2)でも書かせていただきましたが、これがその石神で、とある神社に祀られていた石神の本物なのだそうです。畏れ多くも、石神様をこの手に持たせていただきました。
【第11回:高崎→安中】(その2)
石神の本物だ…という気持ちの部分もあるのでしょうが、見た目よりもかなり重い石です。
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この「中山道69次資料館」の面白いところはミニ日本橋から始まって、ミニミニ中山道の69の宿場を通ってミニ三条大橋まで行けるところです。建物の外には中山道のミニチュア版が作られていて、各宿場や宿場間の特徴がミニチュアで再現されています。鉄道模型のジオラマのようなものですね。一見子供だましのようですが、これは今後の中山道六十九次街道歩きをイメージする上で大いに参考になりました。ここから先の行程に期待が高まります。
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館長の岸本豊さんは徳島県小松島市の出身で、広島大学教育学部、さらには鳴門教育大学教職大学院をご卒業され、地元の徳島県で高校の教諭(地理)をなさっておられた…ということを、私は来館の記念に岸本豊さんの著書『中山道69次を歩く』(信濃毎日新聞社)を購入して、その本の末尾に紹介されていた著者・岸本豊さんのご経歴を見て初めて知りました。徳島県と愛媛県の違いはあれど私と同じ四国のご出身で、さらに学部は違えど私と同じ広島大学のご卒業。年齢も私とさほど変わらないとお見受けしたので、学部は違うものの、もしかしたら広島大学の本部キャンパス(千田キャンパス)で同じ時を過ごしたことがあるかもしれません。しかも中山道に魅せられているのもこのところの私と同じ。大変にエネルギッシュな方で、一気に親近感が湧いてきました。もう一度訪ねて、さらに詳しくお話を聴いてみたいと思っています。ちなみに、「中山道69次資料館」の入場料には「2回目は無料 この券をお持ちください」の文字が書かれています。良心的過ぎるくらいに良心的…、というか、館長の岸本豊さんはお客様に何度も来館して貰いたいんでしょうね。自分が魅せられた中山道の魅力を多くの人に知ってもらいたいために。もちろん、私は再度訪れるつもりです。
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この日の街道歩きはここまで。この日は22,010歩、距離にして16.1km歩きました。歩いた時間としては4時間もなかったと思いますが、距離としては意外と歩きました。明日はこの中山道69次資料館をスタートして、千曲川の手前の塩名田宿まで歩きます。
駐車場で整理体操を行なった後、中山道69次資料館を後にして、観光バスで夕食会場に向かいました。この日の夕食会場はこの先の(2日目に歩く)岩村田宿にある佐久ホテルさんでした。
佐久ホテルの創業は正長元年(1428年)。なんとなんとの600年前です。現在は19代目なのだそうです。当時は「佐久ホテル」などという名称ではなくて「太米楼」という名称の割本邸だったそうです。中山道に面した大きな屋敷だったので、本陣や脇本陣が置かれていなかった岩村田宿では諸国大名や高僧、奉行をはじめ、近代では御皇室関係者や首相、大臣などの方々も宿泊に利用されたそうで、明治18年に建築され昭和60年に解体された旧館には、なんとなんと明治天皇の専用室もあったのだそうです。そういう由緒ある“旅籠”での夕食です。(割本(割元)に関しては2日目に岩村田宿を訪れた際、再び佐久ホテルに立ち寄りますので、改めてそこで記述します。)
佐久ホテルHP
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なんと言っても、佐久と言えば「鯉」。全国ブランドとして名高い「佐久鯉」は、発祥から220余年の歴史を持ちます。佐久の風土と千曲川の清冽な水が全国に誇る身の締まった鯉を育て上げてきました。昭和の初期には全国一の生産量を誇り、鯉の博覧会や品評会でも、優れた品質で日本一の称号を何度も取得しました。観賞用の鯉だけではありません。佐久市内には“鯉こく”、“鯉のあらい(刺身)”、“鯉のうま煮”などの鯉料理をお手軽な値段で味わえるお店がいくつかあります。佐久ホテルでいただいた夕食でも、“鯉のあらい(刺身)”と“鯉のうま煮”が出されました。丸々と太った鯉を使った“うま煮”と“あらい”、なかなか美味しかったです。鯉は淡水魚で泥臭いイメージが強いのですが、食する前に千曲川の清冽な水の中を3~5日ほど泳がせて、浸透圧の差により体内から泥を抜いているのでしょう、いただいた“鯉のあらい(刺身)”も“鯉のうま煮”も「これが本当に淡水魚の鯉なのか?!」と思えるほどでした。
実は妻の実家は鹿児島県の大隅半島でウナギと鯉の養殖をやっていました。なので、妻と結婚した当初、鹿児島に帰省した折には、ウナギと鯉をたらふくいただいたので、鯉は食べる前に(出荷する前に)清冽な水の中を数日間泳がせて、浸透圧の差により鯉の体内から泥を十分に抜く必要がある…ってことは知っていました。鹿児島の妻の実家でも養殖のための大きな池とは別に、山から清冽な水を取り込む人工の細い川と、出荷前の鯉を数日間泳がせておくためのコンクリート製の小さな池が幾つもありました。食用の鯉はこのように清冽な水が豊富にないとダメなんです。この佐久では清冽な水が豊富に供給できる千曲川があるから、鯉なのでしょうね。私達夫婦が結婚して数年後に義父母が相次いで亡くなり、ウナギや鯉の養殖もやめちゃったので、鯉はその時以来で、およそ25年ぶりくらいで食したのですが、久々に美味しい鯉をいただいた…って感じです。
佐久ホテルの入口を入ったところには「佐久鯉発祥之宿 鯉料理宮中献上」の看板が誇らしげに立て掛けられています。本来泥臭い鯉を美味しく料理し、天皇陛下にまで召しあがっていただくには上記のように相当の手間ひまがかかり、デッカク骨の多い魚なので、調理の腕前もそれなりに必要となります。言ってみれば、これは品質保証、信頼性の証しのような看板ですね。
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江戸時代を代表する有名な浮世絵師・葛飾北斎の「向島花見之図」です。横に掲げられた説明書きによると、この作品は天保13年に葛飾北斎が親交のあった江戸城医師の林周庵の長女「きく」の初節句に際して贈ったものなのだそうです。その「きく」はやがて「佐久ホテル」(当時は「太米楼」)へ嫁ぎ、15代目女将として生涯を送ったそうで、この作品も「きく」とともに佐久の地にやって来て、百数十年間に渡り、お客様をお迎えした…と説明書きに書かれています。さすがに創業600年近い老舗の旅籠です。館内のいたるところに古い歴史を感じます。素晴らしい!!
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一人参加の方がほとんどのわりには夕食の場では会話の環が広がります。1泊2日の回は2回目で、前回【第13回】でもご一緒した方が大部分なので、気心が知れてきたのでしょう。なにより碓氷峠を一緒に越えたお仲間ですので、一種の連帯感のようなものも生まれてきているように感じます。ついついアルコールも進みます。それにしても私よりも年長の方がほとんどなのに、皆さん、元気です。
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夕食の後は、フロントのところにある休憩コーナーでお茶。佐久ホテルの名物は天茶(あまちゃ)。アジサイ科の落葉低木ガクアジサイの変種であるアマチャの若い葉を蒸してじっくり発酵させたうえで揉み、乾燥させたものが甘茶(あまちゃ)です。それを煎じて飲みます。甘茶の茶葉に「御法楽」という御祈祷を神社で行った茶葉のみ「天茶」の称号が許されるのだそうです。天茶は黄褐色で甘みがあり、灌仏会(花祭り)の際に仏像に注ぎかけるものとして古くから用いられてきました。これは、釈迦の生誕時に八大竜王がこれを祝って産湯に甘露を注いだという故事によるものです。この佐久地方では「天茶くばり」というお正月の伝統行事があるようで、昔から仏事、神事などの儀式や甘味料として極々一般的に使われているようです。アマチャには強い抗酸化作用があり、また成分がアレルギー性のくしゃみ、鼻水、咳、かゆみ、発疹等の緩和に役立つ等、様々な薬効成分が含まれているようです。私も一杯いただいて飲んでみましたが、「甘さは砂糖の400倍。カロリーはゼロ」の看板に偽りはなく、相当に甘いお茶です。でも、いいかも。
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明るくて元気な若女将(将来の第20代女将)に見送られ、佐久ホテルを後にして、観光バスでこの日の宿泊場所である北軽井沢(正しくは群馬県吾妻郡嬬恋村)にある紀州鉄道軽井沢ホテルに向かいました。デッカク「感謝」の文字が書かれた幟がいいですねぇ~。
皆さん調子に乗ってちょこっと飲み過ぎたのか、はたまた街道歩きで疲れちゃったのか、バスの車内は珍しく静かです。私もいつの間にやらウトウトと寝てしまって、隣に座った方に「ホテルに着きましたよ」と声を掛けられて、やっと目覚める始末でした。2日目も楽しみです。ただ、ちょっとお天気が気掛かりです。ホテルに着いた時、外は細かい霧雨が舞い始めていました。
……(その6)に続きます。
執筆者
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株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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