2017/09/27
中山道六十九次・街道歩き【第15回: 塩名田→長久保】(その7)
翌17日(祝)、2日目は望月宿から芦田宿を通って長久保宿まで歩きます。昨夜はあまりに早く寝ちゃったので、夜中に雨が窓を叩く音で目が覚めました。カーテンを開けて外を見ると、本降りの雨のようです。気圧配置から考えて、夜に入って気温が下がったことにより、上空の湿った空気が凝固して雨となって降っているのだと類推しました。標高の高いところでは、夏場によく降るタイプの雨です。夜明けまでには多分あがるでしょう。
予想どおり雨は夜明け前にはあがり、外は明るくなっています。テレビのニュースを観ると、この雨の影響で、各地でとんでもない被害が出ているようです。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。自宅に連絡を入れたのですが、妻に聞いたところによると、さいたま市付近は短い時間ではあったそうですが、猛烈な暴風雨で周囲はとんでもない状況だったようです。ですが、幸い、自宅は平気だったようです。よかった。
旅行の楽しみである朝風呂で露天風呂に浸かり、空を見上げるとほぼ一面の雲がかかっているのですが、雲は層雲(そううん)です。層雲は高度の最も低い所に浮かび、灰色または白色で、層状あるいは霧状の雲のことです。 輪郭はぼやけていて、厚みや色は一様であることが多いのですが、ちぎれて独特の形になる場合もあります。 霧雲とも呼ばれ、霧をもたらす雲の代表格でもあります。ところどころちぎれていて、その間から青空が顔を覗かせているのですが、その青空の色が昨日より濃い感じです。うん、これなら大丈夫。この層雲は陽が高くなるにつれ徐々に消えていって、その後は真夏の日光が照りつける暑い一日になりそうです。熱中症にだけは注意しないといけないな…と思いました。
午前8時半にホテルを出発しました。
この日のスタート地点であった望月宿の佐久市立望月歴史民俗資料館の学芸員さんが尺八で地元の民謡「追分節」を演奏して送り出していただきました。演奏後、その学芸員さんから、追分節のルーツはモンゴルにあるという説があることを教えていただきました。
追分節は『中山道六十九次・街道歩き』の【第14回】で通った宿場・追分宿に由来する馬子唄です。追分宿は、軽井沢宿から2つ目の宿場、あの「右は越後へ行く北の道(北国街道)、左は木曽まで行く中仙道…」の追分の分去れがあったところです。その追分宿から5つ目の宿場・望月宿の周辺は御牧ヶ原台地と呼ばれ、緩やかな傾斜のある丘が続いているところです。何度も書いてきたように、このあたり一帯は古くから朝廷に馬を貢納していた牧場があったところで、望月はその中心地でした。ここで朝廷に献上される馬が育てられていました。牧場の管理者である「牧監」は、渡来系のおそらくモンゴルあたりからやって来た騎馬民族の末裔が担当したと思われます。
また、この御牧ヶ原台地一帯には牧場の管理者だけではなく、馬の飼育や馬具の生産等で大陸からの多くの渡来人が早くから住んでいたところであるともいわれています。大陸からの騎馬系集団がモンゴルの民謡を持ってきた可能性も否定できません。モンゴルへ行ったことはないものの、馬飼いの人にとって、先祖の故郷モンゴルを偲ばせる風景がこの御牧ヶ原台地一帯にはあったとも想像できます。実際、遠景に浅間山などの山々がなければ、モンゴル高原をこじんまりとさせた風景…とでも思いたくなる風景です。
「追分節」を尺八の生演奏で聴くと、景色が浮かんでは広がってゆく、なんともパノラマチックな旋律の唄であることに気づきます。モンゴルといえば馬頭琴が有名です。大草原にビューン、ビューンと響く独特の音色と旋律は、言われてみると、どこか追分節の音色と旋律にも通じるところがあるように思えます。なるほどぉ~。
やがて追分節は、中山道追分宿に泊まった人々によって全国各地に広まっていきました。そして各地でそこの風土に合った「◯◯追分」に変化していくわけです。たとえば北海道ではニシン漁とドッキングし「江差追分」として、海の唄に変化して今に残っていくわけです。どうして日本人にここまで追分節が受け入れられたのか…、それはもともと日本人も人種的にはモンゴルの人達と同じモンゴロイドで、心に共鳴する音色や旋律が似ているからかもしれません。
佐久市立望月歴史民俗資料館の向かいにある佐久市望月商工会です。その軒下にツバメ(燕)の巣があります。ヒナ(雛)達が親鳥から餌を貰いたくて、ピーピーピーピー鳴いています。元気に育っているようです。
佐久市望月商工会の裏手は小山になっていて、ここには中世、望月城と呼ばれる山城がありました。この小山の写真向かって左側には城光院(常高院)という寺院があり、望月城の城主・望月氏の宝篋印塔があるのだそうです。
旅籠の「山城屋」の跡です。現在は民家になっていますが、昔の屋号の看板が掲げられています。
脇本陣兼問屋を務めていた鷹野屋です。切妻造りですが、2階がせり出した出梁(だしばり)造りと呼ばれる建築様式が美しいですね。脇本陣の看板は、現在、歴史民俗資料館に展示されています。
旅籠「大和屋」です。ここは江戸時代中期の明和3年(1766年)に建てられた真山(さなやま)家の住宅で、望月宿で現存する最古の建物と言われています。旅籠屋と問屋を兼ねていました。当時の様子がほとんど残され、現在、国の重要文化財に指定されています。当時を偲ばせる「出桁造り」など、貫禄の建物です。また、くぐり戸の脇が板の間になっていて、問屋として荷が置かれた造りがよく分かります。
向かいの家には面白い“下駄の看板”がかかっていて、風情を醸し出しています。
宿場の外れにある「大伴神社」です。前述のように、奈良・平安の時代には朝廷に馬を差し出す勅旨牧は信濃国に32牧あり、その中でも望月周辺が最も多く献上していました。御牧ヶ原台地のことを御牧七郷とも言いますが、この御牧七郷には全部で16牧の牧場があり、その総社がここ大伴神社でした。社伝によると、鎮座したのは景行天皇40年。景行天皇と言うと、神武天皇から数えて第12代の天皇で、景行天皇40年というと、西暦110年に相当します。とても古い神社です。かつては式内社・大伴神社に比定されている古社で、大伴宮、樋口宮とも称されていました。もとは現在地の北数百メートルのところにある「椀ノ木」に鎮座していたといわれており、現在、元の神社があったあたりには「古宮」などの地名が残っているのだそうです。
祭神である天忍日命(あめのおしひのみこと)は望月氏の祖先にあたる大伴氏の祖神で、大伴武日命(おおともたけひのみこと)とも呼ばれています。祭神が馬に乗ってこの地へ来られ、鎮座したとされており、乗って来た馬を種馬として駒の改良繁殖をはかリ、この地は、多数の馬を産する地となって、信濃国最大の望月牧へと発展したといわれています。
たいして大きくはない神社ですが、当時のことが偲ばれる大変に趣きのある神社です。現在の本殿は延宝5年(1677年)に建てられたものですが、今は覆屋に収められて見ることができません。境内には江戸時代後期に作られた道祖神がたくさん集められています。
神社の前に「望月の宿」の碑が立っています。毎年8月15日に行われる地元のお祭り「榊祭り」はこの大伴神社により執り行われます。この「榊祭り」は奇祭として知られ、勇壮な暴れ神輿(みこし)と火祭りで有名なのだそうです。
望月宿はこのあたりまでだったようで、右側の坂を登っていきます。
坂を登りきったところに「望月宿のもち案内」が立っています。ふむふむ、なるほどぉ~。振り向くと、道の右側には青々とした田園風景が広がっています。これぞ日本の国と言う光景です。
望月宿を出ると、旧中山道は鹿曲川の河岸段丘の下位段丘から上位段丘に登る青木坂と呼ばれる登り坂になります。
道路の左下には青々とした田園風景が広がっています。青木坂が徐々に登っているのが分かります。
ここで、右の脇道のような細い道に入っていきます。「中山道→」の案内表示がないと、絶対に間違えそうです。
その青木坂の途中に寒念仏供養塔が立っています。この寒念仏供養塔は延享年間に建てられたものだそうです。
国道142号線の下を潜り、反対側に出ます。
国道142号線の下を潜ったところで右折して、しばらく国道142号線と並行して進みます。
長野県道148号牛鹿望月線と合流します。
すぐに道路右手に「御巡見道標」が立っています。江戸時代、江戸幕府が諸国の大名・旗本の監視と情勢調査のために派遣した上使のことを巡見使(じゅんけんし)と言います。巡見使は大きく分けると、公儀御料(天領)及び旗本の知行所を監察する御料巡見使と、諸藩の大名を監察する諸国巡見使がありました。ここに立っているのはそのうちの御料巡見使のための道標。御料巡見使はここから分かれて、上田・松代・長野方面の公儀御料(天領)や旗本の知行所を監察に向かいました。
長野県道148号牛鹿望月線をさらに進みます。
しばらく歩くと、長野県道148号牛鹿望月線は左にカーブし、そこから右へ下っていく細い道があります。これが旧中山道です。この坂道の入り口に「中山道茂田井入口」の説明版が掲げられています。ここから細い道を下っていくと、“間の宿”で栄えた茂田井の集落へ入っていきます。
茂田井の集落への道を下っていきます。前方に“間の宿”茂田井宿が見えてきました。昔の人も、同じような光景を目にしたのではないか…と思われます。
「神明社」です。この神社の御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)。地元の人達からは雨乞いの霊験として崇拝されました。この神殿と神楽殿は宝永6年(1709年)に茂田井村の初代名主である大澤茂右衛門が願主となり建立されました。本殿はこの地方では珍しい神明造りとなっているため、神明社と呼ばれています。
……(その8)に続きます。
予想どおり雨は夜明け前にはあがり、外は明るくなっています。テレビのニュースを観ると、この雨の影響で、各地でとんでもない被害が出ているようです。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。自宅に連絡を入れたのですが、妻に聞いたところによると、さいたま市付近は短い時間ではあったそうですが、猛烈な暴風雨で周囲はとんでもない状況だったようです。ですが、幸い、自宅は平気だったようです。よかった。
旅行の楽しみである朝風呂で露天風呂に浸かり、空を見上げるとほぼ一面の雲がかかっているのですが、雲は層雲(そううん)です。層雲は高度の最も低い所に浮かび、灰色または白色で、層状あるいは霧状の雲のことです。 輪郭はぼやけていて、厚みや色は一様であることが多いのですが、ちぎれて独特の形になる場合もあります。 霧雲とも呼ばれ、霧をもたらす雲の代表格でもあります。ところどころちぎれていて、その間から青空が顔を覗かせているのですが、その青空の色が昨日より濃い感じです。うん、これなら大丈夫。この層雲は陽が高くなるにつれ徐々に消えていって、その後は真夏の日光が照りつける暑い一日になりそうです。熱中症にだけは注意しないといけないな…と思いました。
午前8時半にホテルを出発しました。
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この日のスタート地点であった望月宿の佐久市立望月歴史民俗資料館の学芸員さんが尺八で地元の民謡「追分節」を演奏して送り出していただきました。演奏後、その学芸員さんから、追分節のルーツはモンゴルにあるという説があることを教えていただきました。
追分節は『中山道六十九次・街道歩き』の【第14回】で通った宿場・追分宿に由来する馬子唄です。追分宿は、軽井沢宿から2つ目の宿場、あの「右は越後へ行く北の道(北国街道)、左は木曽まで行く中仙道…」の追分の分去れがあったところです。その追分宿から5つ目の宿場・望月宿の周辺は御牧ヶ原台地と呼ばれ、緩やかな傾斜のある丘が続いているところです。何度も書いてきたように、このあたり一帯は古くから朝廷に馬を貢納していた牧場があったところで、望月はその中心地でした。ここで朝廷に献上される馬が育てられていました。牧場の管理者である「牧監」は、渡来系のおそらくモンゴルあたりからやって来た騎馬民族の末裔が担当したと思われます。
また、この御牧ヶ原台地一帯には牧場の管理者だけではなく、馬の飼育や馬具の生産等で大陸からの多くの渡来人が早くから住んでいたところであるともいわれています。大陸からの騎馬系集団がモンゴルの民謡を持ってきた可能性も否定できません。モンゴルへ行ったことはないものの、馬飼いの人にとって、先祖の故郷モンゴルを偲ばせる風景がこの御牧ヶ原台地一帯にはあったとも想像できます。実際、遠景に浅間山などの山々がなければ、モンゴル高原をこじんまりとさせた風景…とでも思いたくなる風景です。
「追分節」を尺八の生演奏で聴くと、景色が浮かんでは広がってゆく、なんともパノラマチックな旋律の唄であることに気づきます。モンゴルといえば馬頭琴が有名です。大草原にビューン、ビューンと響く独特の音色と旋律は、言われてみると、どこか追分節の音色と旋律にも通じるところがあるように思えます。なるほどぉ~。
やがて追分節は、中山道追分宿に泊まった人々によって全国各地に広まっていきました。そして各地でそこの風土に合った「◯◯追分」に変化していくわけです。たとえば北海道ではニシン漁とドッキングし「江差追分」として、海の唄に変化して今に残っていくわけです。どうして日本人にここまで追分節が受け入れられたのか…、それはもともと日本人も人種的にはモンゴルの人達と同じモンゴロイドで、心に共鳴する音色や旋律が似ているからかもしれません。
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佐久市立望月歴史民俗資料館の向かいにある佐久市望月商工会です。その軒下にツバメ(燕)の巣があります。ヒナ(雛)達が親鳥から餌を貰いたくて、ピーピーピーピー鳴いています。元気に育っているようです。
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佐久市望月商工会の裏手は小山になっていて、ここには中世、望月城と呼ばれる山城がありました。この小山の写真向かって左側には城光院(常高院)という寺院があり、望月城の城主・望月氏の宝篋印塔があるのだそうです。
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旅籠の「山城屋」の跡です。現在は民家になっていますが、昔の屋号の看板が掲げられています。
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脇本陣兼問屋を務めていた鷹野屋です。切妻造りですが、2階がせり出した出梁(だしばり)造りと呼ばれる建築様式が美しいですね。脇本陣の看板は、現在、歴史民俗資料館に展示されています。
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旅籠「大和屋」です。ここは江戸時代中期の明和3年(1766年)に建てられた真山(さなやま)家の住宅で、望月宿で現存する最古の建物と言われています。旅籠屋と問屋を兼ねていました。当時の様子がほとんど残され、現在、国の重要文化財に指定されています。当時を偲ばせる「出桁造り」など、貫禄の建物です。また、くぐり戸の脇が板の間になっていて、問屋として荷が置かれた造りがよく分かります。
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向かいの家には面白い“下駄の看板”がかかっていて、風情を醸し出しています。
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宿場の外れにある「大伴神社」です。前述のように、奈良・平安の時代には朝廷に馬を差し出す勅旨牧は信濃国に32牧あり、その中でも望月周辺が最も多く献上していました。御牧ヶ原台地のことを御牧七郷とも言いますが、この御牧七郷には全部で16牧の牧場があり、その総社がここ大伴神社でした。社伝によると、鎮座したのは景行天皇40年。景行天皇と言うと、神武天皇から数えて第12代の天皇で、景行天皇40年というと、西暦110年に相当します。とても古い神社です。かつては式内社・大伴神社に比定されている古社で、大伴宮、樋口宮とも称されていました。もとは現在地の北数百メートルのところにある「椀ノ木」に鎮座していたといわれており、現在、元の神社があったあたりには「古宮」などの地名が残っているのだそうです。
祭神である天忍日命(あめのおしひのみこと)は望月氏の祖先にあたる大伴氏の祖神で、大伴武日命(おおともたけひのみこと)とも呼ばれています。祭神が馬に乗ってこの地へ来られ、鎮座したとされており、乗って来た馬を種馬として駒の改良繁殖をはかリ、この地は、多数の馬を産する地となって、信濃国最大の望月牧へと発展したといわれています。
たいして大きくはない神社ですが、当時のことが偲ばれる大変に趣きのある神社です。現在の本殿は延宝5年(1677年)に建てられたものですが、今は覆屋に収められて見ることができません。境内には江戸時代後期に作られた道祖神がたくさん集められています。
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神社の前に「望月の宿」の碑が立っています。毎年8月15日に行われる地元のお祭り「榊祭り」はこの大伴神社により執り行われます。この「榊祭り」は奇祭として知られ、勇壮な暴れ神輿(みこし)と火祭りで有名なのだそうです。
望月宿はこのあたりまでだったようで、右側の坂を登っていきます。
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坂を登りきったところに「望月宿のもち案内」が立っています。ふむふむ、なるほどぉ~。振り向くと、道の右側には青々とした田園風景が広がっています。これぞ日本の国と言う光景です。
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望月宿を出ると、旧中山道は鹿曲川の河岸段丘の下位段丘から上位段丘に登る青木坂と呼ばれる登り坂になります。
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道路の左下には青々とした田園風景が広がっています。青木坂が徐々に登っているのが分かります。
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ここで、右の脇道のような細い道に入っていきます。「中山道→」の案内表示がないと、絶対に間違えそうです。
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その青木坂の途中に寒念仏供養塔が立っています。この寒念仏供養塔は延享年間に建てられたものだそうです。
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国道142号線の下を潜り、反対側に出ます。
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国道142号線の下を潜ったところで右折して、しばらく国道142号線と並行して進みます。
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長野県道148号牛鹿望月線と合流します。
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すぐに道路右手に「御巡見道標」が立っています。江戸時代、江戸幕府が諸国の大名・旗本の監視と情勢調査のために派遣した上使のことを巡見使(じゅんけんし)と言います。巡見使は大きく分けると、公儀御料(天領)及び旗本の知行所を監察する御料巡見使と、諸藩の大名を監察する諸国巡見使がありました。ここに立っているのはそのうちの御料巡見使のための道標。御料巡見使はここから分かれて、上田・松代・長野方面の公儀御料(天領)や旗本の知行所を監察に向かいました。
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長野県道148号牛鹿望月線をさらに進みます。
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しばらく歩くと、長野県道148号牛鹿望月線は左にカーブし、そこから右へ下っていく細い道があります。これが旧中山道です。この坂道の入り口に「中山道茂田井入口」の説明版が掲げられています。ここから細い道を下っていくと、“間の宿”で栄えた茂田井の集落へ入っていきます。
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茂田井の集落への道を下っていきます。前方に“間の宿”茂田井宿が見えてきました。昔の人も、同じような光景を目にしたのではないか…と思われます。
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「神明社」です。この神社の御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)。地元の人達からは雨乞いの霊験として崇拝されました。この神殿と神楽殿は宝永6年(1709年)に茂田井村の初代名主である大澤茂右衛門が願主となり建立されました。本殿はこの地方では珍しい神明造りとなっているため、神明社と呼ばれています。
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……(その8)に続きます。
執筆者
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株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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