2017/09/29
中山道六十九次・街道歩き【第15回: 塩名田→長久保】(その8)
茂田井(もたい)の“間の宿”に入ります。ここは望月宿と次の芦田宿との間に設けられた“間の宿(あいのしゅく)”です。この茂田井は望月宿と芦田宿で対応できない大通行の際に、両宿の加宿として使われたため、“間の宿”と呼ばれました。寛保2年(1742年) の旧暦7月から8月にかけて本州の中央部を襲った大水害「寛保の洪水・高潮」の際の大洪水「戌の満水」で望月宿が中山道ごと流されたりと大きな被害を受けたため、茂田井村を望月宿の加宿にしようと江戸幕府に願い出たことがあるそうなのですが、却下されたという経緯があるそうです。鎌倉・室町時代に勢力を奮った甕(もたい)氏の出身地で、茂田井(もたい)と名付けられました。
茂田井地域は良質の米の産地として名を馳せていて、小諸藩主やその家臣達は茂田井産の米のみをわざわざ毎年江戸まで輸送させたほどだったといわれています。そのような良質米の産地にふさわしく、造り酒屋が2軒あります。道の両側に用水が流れ、白壁の酒蔵が続く坂道を縫うように街道が延びる茂田井の“間の宿”は、昔の景観が色濃く残る素晴らしいところです。集落内の道や家並みは昔の風情を今に伝えています。
この美しい景観から、藤沢周平さんの短編小説を原作として、山田洋次監督、真田広之さん主演により平成14年(2002年)に公開された映画『たそがれ清兵衛』は、この茂田井の“間の宿”の近くにオープンセットが作られ、撮影されました。この映画『たそがれ清兵衛』はその年の第26回日本アカデミー賞で助演女優賞を除く全ての部門で最優秀賞を獲得したほか、翌年に開催された第76回アカデミー賞において外国語映画賞にノミネートされるなど、海外でも極めて高い評価を受けました。その高い評価の中には、この茂田井の美しい景観も含まれていたのだと思います。これぞ江戸時代末期の日本!、そのくらい素晴らしい風景です。もちろん、私は映画『たそがれ清兵衛』を公開後すぐに観に行きました。山田洋次監督が時代劇を制作するとこういう風になるんだろうな…と思わせてくれる、とてもいい映画でした。
茂田井には武重本家と大澤家の2つの蔵元(酒造屋)があります。こちらは茂田井の“間の宿”に入ってすぐのところにある「武重本家酒造(叶屋)」です。この武重本家酒造(叶屋)は江戸時代末期の慶応元年(1865年)に建てられた住宅と明治初期に建てられた酒造施設が歴史的景観を伝える貴重な建造物であるとして、国の登録有形文化財に指定されています。
その武重家の傍らに、若山牧水の歌碑が立っています。歌碑には、
「人の世に たのしみ多し 然(しか)れども 酒なしにして なにのたのしみ」
など3首が刻まれています。
明治、大正から昭和初期にかけて国民歌人として親しまれた若山牧水は、旅と自然とともに酒をこよなく愛した漂泊の歌人として知られています。その酒量たるや1日に1升以上を飲む大酒豪だったのだそうです。しかしながら、酒と歌で人生の悲哀を昇華しながらの生涯は、43歳で肝硬変により幕を下ろすことになりました。まぁ~それだけ飲めばねぇ~。ちなみに、若山牧水が生涯に残した約七千首に及ぶ和歌のうち、酒を詠ったものが二百首に及ぶと言われています。若山牧水は望月に歌友が多く、吟客としてこの茂田井の“間の宿”に長期間逗留したと言われています。
茂田井の間の宿にはもう1軒、造り酒屋があり、それがこの「大澤酒造(蔦屋)」です。造り酒屋らしく軒先には大きな杉の葉を毬状にした杉玉がぶら提げられています。この杉玉、正しくは「酒林(さかばやし)」と言うのだそうです。大澤酒造に立ち寄らせていただきました。大澤家は茂田井村の名主を代々務めた家柄で、「しなの山林美術館」と「民俗資料館」を併設しています。一部白壁が剥げ落ちていたりして、古い歴史を感じさせます。
「しなの山林美術館」の館内で、地元の観光ボランティアガイドさんから茂田井の“間の宿”に関する説明を、さらに大澤酒造の現在の当主(確か9代目)から大澤酒造の歴史と併設している美術館や民俗資料館の説明を受けました。
元禄2年(1689年)創業の長い歴史をもつ大澤酒造は、古い仕込み蔵等を美術館や民俗資料館に変え、芸術作品や歴史ある品々を展示しています。
この「しなの山林美術館」は、大澤酒造にゆかりの深い大澤邦雄画伯の喜寿記念として建設されました。大澤という苗字で想像できるように、大澤邦雄画伯は大澤酒造の先代の弟。現当主の叔父にあたります。大澤邦雄画伯の喜寿記念として元々は瓶詰め作業場だったところを改修して美術館にしたのですが、残念ながら大澤邦雄画伯はその完成を目にすることなくお亡くなりになったのだそうです。大澤邦雄画伯の遺作などを展示しているほか、大澤邦雄画伯が深く関わった日本山林美術協会の会員74人の作品が常設展示されています。
民俗資料館は元々は酒母室で、昭和56年(1981年)に開設されました。開設されたきっかけは、最古の日本酒が発見されたことだそうです。ある時、漆で封をされた古伊万里の壺に入った、創業元年に醸造されたと思われるお酒が蔵内で見つかりました。この壺が、昭和44年(1969年)に放送されたNHKの番組で、醸造生物学の博士である坂口謹一郎氏の立会いで開栓され、現存する最古の日本酒と認定されたのです。そこで、この壺をお披露目するとともに、大澤酒造に眠っていた数々の貴重な資料が展示されるようになりました。
また、大澤酒造には、民俗資料館や美術館のほかに、精米工場を改装した書道館もあります。大澤酒造の代表的銘柄である「明鏡止水」のラベルを手がけた書道家・吉野大巨氏の作品が常設展示されています。大澤酒造の民族資料館や美術館、書道館は無料で開放されているのだそうです。
これが元禄2年(1689年)に大澤酒造が創業された時に作られたとされる現存する最古の日本酒が入っていた古伊万里の壺です。ふむふむ、なるほどぉ~。
大澤酒造の民俗資料館に展示されている品々は、全て大澤酒造の蔵の中に眠っていたものだそうです。代々伝わっている鎧兜などもあり、凄いお宝の数々です。
近隣で出土した縄文時代の石器や土器の類いもたくさん展示されています。これは凄いです。
高札や昔の版画も壁一面に展示してあります。全て観ようとすると、時間が幾らあっても足りない感じです。
造り酒屋なので、お酒の試飲ができます。私は日本酒をあまり嗜まないのですが、辛口の飲みやすいお酒です。調子に乗って、並べられているすべての銘柄のお酒を試飲してしまいました。この後の街道歩きに影響が出ないか心配になります。もちろん、試飲だけでなく、このうちの1本をお土産に購入しました。
「大澤酒造(蔦屋)」を後にして、緩い坂道を少し登っていきます。大澤酒造の横の古壁に高札場跡の案内板が立っています。茂田井村は下組と上組の2つの集落に分かれるのですが、この高札場は下組の高札場でした、この下組の高札場のあったあたりが茂田井村の中心部で、一番の賑わいを見せていたと言われています。
土塀の古い民家があります。その先には、木造としては珍しい3階建ての大きな家も見られます。
「茂田井間の宿」の案内表示板が立っています。
宿内の道路の横には用水路が流れているのですが、流れている水が澄みきっていて、とても綺麗です。こりゃあ美味しい日本酒ができるわけです。
左手に大きな馬頭観音の石碑があります。この馬頭観音は高さが2メートル以上もある大きなもので、この大きさの馬頭観音はほかではあまり例を見ません。
今も大きな門構えの屋敷や土蔵造りの町並みが現存し、タイムスリップしたかのような昔の雰囲気を感じながら歩いていきます。
ちょっと急な坂道を登っていきます。坂道ではありますが、まだまだ茂田井の間の宿の宿内で、古い民家が立ち並んでいます。
坂の途中に茂田井村・上組の高札場跡があります。
茂田井の間の宿近辺の中山道は坂道が多く、アップダウンが続きます。ここは「石割坂(いしわちざか)」と呼ばれている急坂です。勾配がきつく途中に大きな石があって通行に不便だったため、石を割り中山道を開通させたので「石割坂」と呼ばれているのだそうです。坂を登り切ったあたりで振り返ると、屋根瓦が続く茂田井の間の宿の美しい景色が見渡せます。
ここに積み上げられた薪(たきぎ)は何のためのものなんでしょうね。気になります。
坂の多い茂田井の西の端に江戸の日本橋を出て46番目の「茂田井一里塚」がありました。現在は南塚跡が公園になり、小さな祠が建っています。
夏を感じさせる濃いオレンジ色をした花がいっぱい咲いています。
ちょっと高いところに庚申塔が立っています。ふつう庚申塔や道祖神、馬頭観音といった石像・石仏は街道脇に立てられているもので、それがあの高さにあるということは、昔の中山道はあの高さのところを通っていたと推測されます。おそらくあの高さまで坂道を登り、そこから下っていたと思われます。近代になって、その坂を切り崩し、勾配の少ない今の道に改修したのだと思われます。
「中山道茂田井間の宿入口」の標識と案内表示板が立っています。ここが茂田井間の宿の京方の入り口だったのでしょう。
茂田井間の宿を出ると登り坂を登っていきます。1日目もそうでしたが、この【第15回】はやたらとアップダウンの激しい道を歩きます。距離は短いものの、なかなか疲れるコースです。
坂道を登って高度が高くなってきたので、見晴らしが良くなってきました。北の方角を眺めると、浅間山が見えます。残念ながら頂上付近は雲に隠れていますが、麓はクッキリと見えます。ちょうど写真の中央の遠く浅間山の山裾とぶつかるあたりが上田市。戦国時代末期、真田昌幸が築城した上田城のあるところです。なるほど、ここは真田氏の支配地域だったのですね。
ここから坂を下り、しばらく歩くと芦田川が流れていて、その芦田川を橋で渡ると長野県道40号諏訪白樺湖小諸線に出るのですが、その交差点を渡ったあたりが芦田宿の入り口になります。宿の入り口には「中山道芦田宿」と書かれた案内標識と、常夜灯が立っています。
さっきまで茂田井の“間の宿”だったのですが、すぐに芦田宿に入ります。この短い距離にも関わらず“間の宿”が設けられたということは、この区間の道がアップダウンが激しく、途中で休憩するところが必要とされたということでしょう。
おや? 「中山道股旅休憩所」なるところがあります。最近は中山道を歩いて旅する人が増えてきたので、そういう方向けに設けられた無料の休憩所のようです。最近、中山道を歩いて旅する人が増えてきているということは途中で出逢う地元の方々の様子でも気がつきます。気軽に「今日はどこから来たの?」とか「今日はどこまで行くの?」と声をかけられますから。そういう会話も楽しいものです。その「中山道股旅休憩所」の隣には格子の入った古い旅籠のような建物が建っています。
「中山道股旅休憩所」の軒先にもツバメの巣があります。ここのヒナ(雛)はかなり大きく育っていて、巣からはみ出しそうです。
……(その9)に続きます。
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茂田井地域は良質の米の産地として名を馳せていて、小諸藩主やその家臣達は茂田井産の米のみをわざわざ毎年江戸まで輸送させたほどだったといわれています。そのような良質米の産地にふさわしく、造り酒屋が2軒あります。道の両側に用水が流れ、白壁の酒蔵が続く坂道を縫うように街道が延びる茂田井の“間の宿”は、昔の景観が色濃く残る素晴らしいところです。集落内の道や家並みは昔の風情を今に伝えています。
この美しい景観から、藤沢周平さんの短編小説を原作として、山田洋次監督、真田広之さん主演により平成14年(2002年)に公開された映画『たそがれ清兵衛』は、この茂田井の“間の宿”の近くにオープンセットが作られ、撮影されました。この映画『たそがれ清兵衛』はその年の第26回日本アカデミー賞で助演女優賞を除く全ての部門で最優秀賞を獲得したほか、翌年に開催された第76回アカデミー賞において外国語映画賞にノミネートされるなど、海外でも極めて高い評価を受けました。その高い評価の中には、この茂田井の美しい景観も含まれていたのだと思います。これぞ江戸時代末期の日本!、そのくらい素晴らしい風景です。もちろん、私は映画『たそがれ清兵衛』を公開後すぐに観に行きました。山田洋次監督が時代劇を制作するとこういう風になるんだろうな…と思わせてくれる、とてもいい映画でした。
茂田井には武重本家と大澤家の2つの蔵元(酒造屋)があります。こちらは茂田井の“間の宿”に入ってすぐのところにある「武重本家酒造(叶屋)」です。この武重本家酒造(叶屋)は江戸時代末期の慶応元年(1865年)に建てられた住宅と明治初期に建てられた酒造施設が歴史的景観を伝える貴重な建造物であるとして、国の登録有形文化財に指定されています。
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その武重家の傍らに、若山牧水の歌碑が立っています。歌碑には、
など3首が刻まれています。
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明治、大正から昭和初期にかけて国民歌人として親しまれた若山牧水は、旅と自然とともに酒をこよなく愛した漂泊の歌人として知られています。その酒量たるや1日に1升以上を飲む大酒豪だったのだそうです。しかしながら、酒と歌で人生の悲哀を昇華しながらの生涯は、43歳で肝硬変により幕を下ろすことになりました。まぁ~それだけ飲めばねぇ~。ちなみに、若山牧水が生涯に残した約七千首に及ぶ和歌のうち、酒を詠ったものが二百首に及ぶと言われています。若山牧水は望月に歌友が多く、吟客としてこの茂田井の“間の宿”に長期間逗留したと言われています。
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茂田井の間の宿にはもう1軒、造り酒屋があり、それがこの「大澤酒造(蔦屋)」です。造り酒屋らしく軒先には大きな杉の葉を毬状にした杉玉がぶら提げられています。この杉玉、正しくは「酒林(さかばやし)」と言うのだそうです。大澤酒造に立ち寄らせていただきました。大澤家は茂田井村の名主を代々務めた家柄で、「しなの山林美術館」と「民俗資料館」を併設しています。一部白壁が剥げ落ちていたりして、古い歴史を感じさせます。
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「しなの山林美術館」の館内で、地元の観光ボランティアガイドさんから茂田井の“間の宿”に関する説明を、さらに大澤酒造の現在の当主(確か9代目)から大澤酒造の歴史と併設している美術館や民俗資料館の説明を受けました。
元禄2年(1689年)創業の長い歴史をもつ大澤酒造は、古い仕込み蔵等を美術館や民俗資料館に変え、芸術作品や歴史ある品々を展示しています。
この「しなの山林美術館」は、大澤酒造にゆかりの深い大澤邦雄画伯の喜寿記念として建設されました。大澤という苗字で想像できるように、大澤邦雄画伯は大澤酒造の先代の弟。現当主の叔父にあたります。大澤邦雄画伯の喜寿記念として元々は瓶詰め作業場だったところを改修して美術館にしたのですが、残念ながら大澤邦雄画伯はその完成を目にすることなくお亡くなりになったのだそうです。大澤邦雄画伯の遺作などを展示しているほか、大澤邦雄画伯が深く関わった日本山林美術協会の会員74人の作品が常設展示されています。
民俗資料館は元々は酒母室で、昭和56年(1981年)に開設されました。開設されたきっかけは、最古の日本酒が発見されたことだそうです。ある時、漆で封をされた古伊万里の壺に入った、創業元年に醸造されたと思われるお酒が蔵内で見つかりました。この壺が、昭和44年(1969年)に放送されたNHKの番組で、醸造生物学の博士である坂口謹一郎氏の立会いで開栓され、現存する最古の日本酒と認定されたのです。そこで、この壺をお披露目するとともに、大澤酒造に眠っていた数々の貴重な資料が展示されるようになりました。
また、大澤酒造には、民俗資料館や美術館のほかに、精米工場を改装した書道館もあります。大澤酒造の代表的銘柄である「明鏡止水」のラベルを手がけた書道家・吉野大巨氏の作品が常設展示されています。大澤酒造の民族資料館や美術館、書道館は無料で開放されているのだそうです。
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これが元禄2年(1689年)に大澤酒造が創業された時に作られたとされる現存する最古の日本酒が入っていた古伊万里の壺です。ふむふむ、なるほどぉ~。
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大澤酒造の民俗資料館に展示されている品々は、全て大澤酒造の蔵の中に眠っていたものだそうです。代々伝わっている鎧兜などもあり、凄いお宝の数々です。
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近隣で出土した縄文時代の石器や土器の類いもたくさん展示されています。これは凄いです。
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高札や昔の版画も壁一面に展示してあります。全て観ようとすると、時間が幾らあっても足りない感じです。
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造り酒屋なので、お酒の試飲ができます。私は日本酒をあまり嗜まないのですが、辛口の飲みやすいお酒です。調子に乗って、並べられているすべての銘柄のお酒を試飲してしまいました。この後の街道歩きに影響が出ないか心配になります。もちろん、試飲だけでなく、このうちの1本をお土産に購入しました。
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「大澤酒造(蔦屋)」を後にして、緩い坂道を少し登っていきます。大澤酒造の横の古壁に高札場跡の案内板が立っています。茂田井村は下組と上組の2つの集落に分かれるのですが、この高札場は下組の高札場でした、この下組の高札場のあったあたりが茂田井村の中心部で、一番の賑わいを見せていたと言われています。
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土塀の古い民家があります。その先には、木造としては珍しい3階建ての大きな家も見られます。
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「茂田井間の宿」の案内表示板が立っています。
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宿内の道路の横には用水路が流れているのですが、流れている水が澄みきっていて、とても綺麗です。こりゃあ美味しい日本酒ができるわけです。
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今も大きな門構えの屋敷や土蔵造りの町並みが現存し、タイムスリップしたかのような昔の雰囲気を感じながら歩いていきます。
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ちょっと急な坂道を登っていきます。坂道ではありますが、まだまだ茂田井の間の宿の宿内で、古い民家が立ち並んでいます。
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坂の途中に茂田井村・上組の高札場跡があります。
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茂田井の間の宿近辺の中山道は坂道が多く、アップダウンが続きます。ここは「石割坂(いしわちざか)」と呼ばれている急坂です。勾配がきつく途中に大きな石があって通行に不便だったため、石を割り中山道を開通させたので「石割坂」と呼ばれているのだそうです。坂を登り切ったあたりで振り返ると、屋根瓦が続く茂田井の間の宿の美しい景色が見渡せます。
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ここに積み上げられた薪(たきぎ)は何のためのものなんでしょうね。気になります。
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坂の多い茂田井の西の端に江戸の日本橋を出て46番目の「茂田井一里塚」がありました。現在は南塚跡が公園になり、小さな祠が建っています。
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夏を感じさせる濃いオレンジ色をした花がいっぱい咲いています。
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ちょっと高いところに庚申塔が立っています。ふつう庚申塔や道祖神、馬頭観音といった石像・石仏は街道脇に立てられているもので、それがあの高さにあるということは、昔の中山道はあの高さのところを通っていたと推測されます。おそらくあの高さまで坂道を登り、そこから下っていたと思われます。近代になって、その坂を切り崩し、勾配の少ない今の道に改修したのだと思われます。
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「中山道茂田井間の宿入口」の標識と案内表示板が立っています。ここが茂田井間の宿の京方の入り口だったのでしょう。
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茂田井間の宿を出ると登り坂を登っていきます。1日目もそうでしたが、この【第15回】はやたらとアップダウンの激しい道を歩きます。距離は短いものの、なかなか疲れるコースです。
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坂道を登って高度が高くなってきたので、見晴らしが良くなってきました。北の方角を眺めると、浅間山が見えます。残念ながら頂上付近は雲に隠れていますが、麓はクッキリと見えます。ちょうど写真の中央の遠く浅間山の山裾とぶつかるあたりが上田市。戦国時代末期、真田昌幸が築城した上田城のあるところです。なるほど、ここは真田氏の支配地域だったのですね。
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ここから坂を下り、しばらく歩くと芦田川が流れていて、その芦田川を橋で渡ると長野県道40号諏訪白樺湖小諸線に出るのですが、その交差点を渡ったあたりが芦田宿の入り口になります。宿の入り口には「中山道芦田宿」と書かれた案内標識と、常夜灯が立っています。
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さっきまで茂田井の“間の宿”だったのですが、すぐに芦田宿に入ります。この短い距離にも関わらず“間の宿”が設けられたということは、この区間の道がアップダウンが激しく、途中で休憩するところが必要とされたということでしょう。
おや? 「中山道股旅休憩所」なるところがあります。最近は中山道を歩いて旅する人が増えてきたので、そういう方向けに設けられた無料の休憩所のようです。最近、中山道を歩いて旅する人が増えてきているということは途中で出逢う地元の方々の様子でも気がつきます。気軽に「今日はどこから来たの?」とか「今日はどこまで行くの?」と声をかけられますから。そういう会話も楽しいものです。その「中山道股旅休憩所」の隣には格子の入った古い旅籠のような建物が建っています。
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「中山道股旅休憩所」の軒先にもツバメの巣があります。ここのヒナ(雛)はかなり大きく育っていて、巣からはみ出しそうです。
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……(その9)に続きます。
執筆者
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株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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