2017/11/20
中山道六十九次・街道歩き【第17回: 和田峠→岡谷】(その5)
浪人塚から今度は芙蓉パーライト株式会社の工場の正面を通り、下諏訪宿に向けてさらに下っていきます。
道の横をせせらぎが流れているのですが、山から湧き出る清水を集めた川のようで、流れている水が透き通っていて、綺麗です。
険しい山道でもなく、大型トラックが行き交う交通量の多い国道でもなく、ちょうど程よい道を進んでいきます。街道歩きはこういう道が一番です。砥川を樋橋で渡ります。
国道142号線と合流する手前に蠶玉(かいこたま)神社と山の神が祀られています。写真左側は蠶玉神社で、養蚕が盛んだった地域では盛んに信仰されたそうです。
砥川を大樋橋で渡ってきた国道142号線と再び合流しました。
その先は立場(宿と宿の間の休憩所)として賑わっていた「樋橋(とよはし)」という立場の跡に出ます。ここは立場の中でもかなり大きく、「間の宿」のような役割もしていたといわれています。
樋橋茶屋本陣跡です。この樋橋は立場で、10軒ばかりの集落がありました。茶屋本陣(小松家)に加え、数軒の茶屋があったそうです。降嫁中の皇女和宮もこの場所でしばしの休憩をとられたと伝えられています。かつて立場の中には延命地蔵堂があったのですが、これは茶屋本陣家(小松家)の若者が全国巡拝から戻り、祀ったものとされています。
国道142号線から右の側道に分かれ、ちょこっとだけ進むと、再び国道142号線に戻ります。側道の脇に小さく「中山道」の標識が立っているので、この側道が旧中山道であることを示しています。
国道142号線に合流した地点に「標高1,000メートル」の標識が立っています。和田峠の頂上は標高が1,600メートルだったので、あそこから一気に600メートルも下ってきたことになります。歩いてきた方向を振り返ってみると、空一面を覆っていた雲が切れて、澄んだ秋の青空が顔を覗かせています。ここまで掲載してきた写真をご覧いただくとお分かりいただけるように、この日は雨に遭うことはありませんでしたが、ずっと霧がかかった天気で、ところにより濃い霧に見舞われたあいにくの天気でした。この時間になってその霧も晴れ、青空が顔を覗かせるようになってきました。「晴れ男のレジェンド」はこの日もなんとか健在だったようです。道路の左側には稲刈りが終わった段々畑(棚田?)が広がっています。
再び旧中山道は国道142号線と分かれ、国道と並行して延びる側道を歩きます。
この側道部分にはウッドチップが敷かれ、時代劇のロケにも使えそうな風情たっぷりの街道が復元されています。とても歩きやすい道なのですが、この時期はススキが生い茂っていて、それを掻き分けながらの前進となります。このあたりは「深沢越え」と呼ばれています。
5分ほど風情のある道を歩いた後、坂を登り、国道142号線に戻ります。
進行方向前方に諏訪湖が小さく見えてきました。下諏訪宿はまもなくです。
国道142号線が緩く左にカーブするこの地点で、中山道は直進するのですが、残念ながらそこは産業廃棄物の処理工場の敷地(私有地)になっているので、勝手に歩くことはできません。仕方なく、その横を並行して通る国道142号線を進むことにします。
産業廃棄物の処理工場の敷地から上がってきた道路が国道142号線と合流する地点に「一里塚碑」の案内看板が立っています。これはここから下った先に江戸の日本橋から数えて54里目の一里塚、「樋橋一里塚」の跡碑の存在を示すもので、残念ながら碑自体は工場の敷地内にあるので自由に見ることはできません。でもまぁ~、ここに「一里塚碑」の案内看板が立っているということは、この工場の中を中山道が通っていたことの証拠になりますね。
ちなみに、中山道はあともうしばらく国道142号線から一段下がった低地(私有地)を国道142号線と並行して進み、坂道で徐々に高度を上げていって、この先で国道142号線と合流するコースだったようです。
この日の街道歩きはこの「樋橋一里塚」の跡碑の存在を示す案内看板のすぐ先にあるドライブインの跡地にある駐車場まででした。観光バスが迎えに来てくれていて、そこから今夜の夕食会場、さらに宿泊ホテルまで連れて行ってくれました。
そのドライブインの前に国道142号線の案内表示機が立っていて、その表示によるとこの地点の標高は930メートル。標高1,600メートルの和田峠の頂上から一気に670メートルも下ってきました。やれやれです。
夕食は下諏訪宿にある「食祭館」で、地元の食材をふんだんに使ったお料理をいただきました。『中山道六十九次・街道歩き』の新宿池袋出発の皆さんとは既に顔馴染みになっているので話も盛り上がります。
私は前回の【第16回】長久保宿→和田峠を無念の不参加でしたので、そこに参加した皆さん方からいっぱい情報を仕入れました。江戸の日本橋を出発してからここまでずっと皆勤賞で参加してきたのが途切れたわけで、私の性格からするとなんとも気持ちが悪く、すぐにでもここを繋ぎたい気持ちでいっぱいなのですが、皆さんの話を聞きながら冷静に判断するにつれ、それがなかなか難しいことのように思えてきました。
【第16回】の長久保宿→和田宿→和田峠、今回【第17回】の和田峠→下諏訪宿という2回に渡る和田峠越えは「中山道最大の難所」とも言われたりしますが、中山道六十九次街道歩きをする現代人においても別の意味で最大の難所ということができる区間のようなのです。
まず第一にスタート地点まで行くための適当な交通手段(公共交通機関)がないのです。【第16回】のスタートポイントである長久保宿までは小諸駅からJRバス関東の路線バスがあるのですが、そこから先、和田宿方面がありません。JRバス関東が運行受託している長和町巡回バスはあるものの、本数が少なく、おまけに和田宿まで。その先の和田峠方向に行くための公共交通機関がありません。ならば、和田宿から下諏訪宿まで一気に踏破するか…ってことも考えられますが、江戸の日本橋から数えて28番目の宿場である和田宿と、次の29番目の宿場である下諏訪宿の間は5里18町(約22km)と中山道最大の長丁場で、しかも途中に五街道最高地点である難所の和田峠(標高1,600メートル)越えが控えています。昔の人はこの区間を一気に1日で歩いたわけですが、現代人の私、しかも運動不足気味の私はとてもこの区間を1日で歩き切る自信はありません。だいたい、今日、和田峠から下諏訪宿方向に下ってきたのですが、まだ下諏訪宿の手前までで、下諏訪宿そのものに到着はしていません。おまけに、今日は下りが主体だったのですが、これに長い登り坂が加わると思うと……。ムリムリ!
さらに、昔は疲れたり、怪我したり…と、なにか急なことがあった時などには休憩できる立場や茶屋といった施設がこの区間のところどころにあったのですが、既に東餅屋や西餅屋といった立場は廃墟と化していて、休めるところは道中のどこにもありません。もちろん、途中にコンビニもありません。昔は幹線の街道ということでこの区間も歩いて往来する人々も多かったと思われますが、今は歩く人の姿などほとんど皆無。今日も山中では私達以外誰一人とも出逢うことがありませんでした。おまけにクマの出没が目撃された…という注意喚起の立て看板があったりして…。なので、身の安全を考えると、この区間を一人で一気に歩いて踏破するのは無理というわけです。
なので、旅行会社も和田峠の九合目とも言える東餅屋に着目して、そこを【第16回】のゴール、【第17回】のスタートポイントにして区間を2分割するという妙手を出してきたのでしょう。東餅屋のすぐ近くには国道142号線の旧道が走っていて、大型観光バスで乗り付けますし、数年前までドライブインとして営業していただけに、駐車場も整備されていますから。これしか方法はありません。
トドメは【第16回】と【第17回】だけこの旅行会社の『中山道六十九次・街道歩き』のツアーに参加したという女性2人組のこのお言葉。「私達、個人的に2人だけで中山道を歩いているんですけど、どうしても和田宿から下諏訪宿のこの区間を攻略する方法が見つけられなくて、仕方なくこのツアーに参加しました」 おいおいおい…。どうも私は中山道で最も難易度の高い区間を未踏破区間として残してしまったようです。標高1,600メートルの和田峠は11月に入ると雪が積もって歩くのが困難になるので、攻略するとしたら早くとも来年の5月以降。まぁ~焦らずに、旅行会社が開催するであろう来年以降のツアーにこの区間だけ参加するしか方法はなさそうです。
宿泊は上諏訪温泉にある上諏訪ステーションホテル。露天風呂もあり街道歩きで疲れた身体を癒すには最適です。ステーションホテルということで、ホテルの部屋の窓からは眼下にJR上諏訪駅のプラットホームが見えます。入線してきた電車はJR東日本のE351系「スーパーあずさ」。「スーパーあずさ」は、主にJR新宿駅~JR松本駅間を中央本線・篠ノ井線経由で運行する特急列車です。と言うことは、ここを走っている線路はJR中央本線。これまで中山道はJR高崎線、信越本線(しなの鉄道線)に沿って歩いてきた印象が強いだけに、中央本線というのはちょっと意外な感じがして、新鮮に感じます。諏訪ということで頭では十分に理解できているのですが、感覚的には違和感が残りまくっています。
この日は16,092歩、距離にして10.8km歩きました。距離としては街道歩きとしてたいしたことはないのですが、久しぶりに中山道を歩いたことに加え、標高1,600メートルの和田峠から標高約900メートルの下諏訪宿まで一気に急勾配を下ってきたこともあって、両脚の筋肉が痙攣を起こしそうになっています。特に両膝がガクガク。ふだんあまり使わない筋肉を酷使しちゃったようです。日頃、運動不足だってことですね。なんとかせねば…。
……(その6)に続きます。
道の横をせせらぎが流れているのですが、山から湧き出る清水を集めた川のようで、流れている水が透き通っていて、綺麗です。
険しい山道でもなく、大型トラックが行き交う交通量の多い国道でもなく、ちょうど程よい道を進んでいきます。街道歩きはこういう道が一番です。砥川を樋橋で渡ります。
国道142号線と合流する手前に蠶玉(かいこたま)神社と山の神が祀られています。写真左側は蠶玉神社で、養蚕が盛んだった地域では盛んに信仰されたそうです。
砥川を大樋橋で渡ってきた国道142号線と再び合流しました。
その先は立場(宿と宿の間の休憩所)として賑わっていた「樋橋(とよはし)」という立場の跡に出ます。ここは立場の中でもかなり大きく、「間の宿」のような役割もしていたといわれています。
樋橋茶屋本陣跡です。この樋橋は立場で、10軒ばかりの集落がありました。茶屋本陣(小松家)に加え、数軒の茶屋があったそうです。降嫁中の皇女和宮もこの場所でしばしの休憩をとられたと伝えられています。かつて立場の中には延命地蔵堂があったのですが、これは茶屋本陣家(小松家)の若者が全国巡拝から戻り、祀ったものとされています。
国道142号線から右の側道に分かれ、ちょこっとだけ進むと、再び国道142号線に戻ります。側道の脇に小さく「中山道」の標識が立っているので、この側道が旧中山道であることを示しています。
国道142号線に合流した地点に「標高1,000メートル」の標識が立っています。和田峠の頂上は標高が1,600メートルだったので、あそこから一気に600メートルも下ってきたことになります。歩いてきた方向を振り返ってみると、空一面を覆っていた雲が切れて、澄んだ秋の青空が顔を覗かせています。ここまで掲載してきた写真をご覧いただくとお分かりいただけるように、この日は雨に遭うことはありませんでしたが、ずっと霧がかかった天気で、ところにより濃い霧に見舞われたあいにくの天気でした。この時間になってその霧も晴れ、青空が顔を覗かせるようになってきました。「晴れ男のレジェンド」はこの日もなんとか健在だったようです。道路の左側には稲刈りが終わった段々畑(棚田?)が広がっています。
再び旧中山道は国道142号線と分かれ、国道と並行して延びる側道を歩きます。
この側道部分にはウッドチップが敷かれ、時代劇のロケにも使えそうな風情たっぷりの街道が復元されています。とても歩きやすい道なのですが、この時期はススキが生い茂っていて、それを掻き分けながらの前進となります。このあたりは「深沢越え」と呼ばれています。
5分ほど風情のある道を歩いた後、坂を登り、国道142号線に戻ります。
進行方向前方に諏訪湖が小さく見えてきました。下諏訪宿はまもなくです。
国道142号線が緩く左にカーブするこの地点で、中山道は直進するのですが、残念ながらそこは産業廃棄物の処理工場の敷地(私有地)になっているので、勝手に歩くことはできません。仕方なく、その横を並行して通る国道142号線を進むことにします。
産業廃棄物の処理工場の敷地から上がってきた道路が国道142号線と合流する地点に「一里塚碑」の案内看板が立っています。これはここから下った先に江戸の日本橋から数えて54里目の一里塚、「樋橋一里塚」の跡碑の存在を示すもので、残念ながら碑自体は工場の敷地内にあるので自由に見ることはできません。でもまぁ~、ここに「一里塚碑」の案内看板が立っているということは、この工場の中を中山道が通っていたことの証拠になりますね。
ちなみに、中山道はあともうしばらく国道142号線から一段下がった低地(私有地)を国道142号線と並行して進み、坂道で徐々に高度を上げていって、この先で国道142号線と合流するコースだったようです。
この日の街道歩きはこの「樋橋一里塚」の跡碑の存在を示す案内看板のすぐ先にあるドライブインの跡地にある駐車場まででした。観光バスが迎えに来てくれていて、そこから今夜の夕食会場、さらに宿泊ホテルまで連れて行ってくれました。
そのドライブインの前に国道142号線の案内表示機が立っていて、その表示によるとこの地点の標高は930メートル。標高1,600メートルの和田峠の頂上から一気に670メートルも下ってきました。やれやれです。
夕食は下諏訪宿にある「食祭館」で、地元の食材をふんだんに使ったお料理をいただきました。『中山道六十九次・街道歩き』の新宿池袋出発の皆さんとは既に顔馴染みになっているので話も盛り上がります。
私は前回の【第16回】長久保宿→和田峠を無念の不参加でしたので、そこに参加した皆さん方からいっぱい情報を仕入れました。江戸の日本橋を出発してからここまでずっと皆勤賞で参加してきたのが途切れたわけで、私の性格からするとなんとも気持ちが悪く、すぐにでもここを繋ぎたい気持ちでいっぱいなのですが、皆さんの話を聞きながら冷静に判断するにつれ、それがなかなか難しいことのように思えてきました。
【第16回】の長久保宿→和田宿→和田峠、今回【第17回】の和田峠→下諏訪宿という2回に渡る和田峠越えは「中山道最大の難所」とも言われたりしますが、中山道六十九次街道歩きをする現代人においても別の意味で最大の難所ということができる区間のようなのです。
まず第一にスタート地点まで行くための適当な交通手段(公共交通機関)がないのです。【第16回】のスタートポイントである長久保宿までは小諸駅からJRバス関東の路線バスがあるのですが、そこから先、和田宿方面がありません。JRバス関東が運行受託している長和町巡回バスはあるものの、本数が少なく、おまけに和田宿まで。その先の和田峠方向に行くための公共交通機関がありません。ならば、和田宿から下諏訪宿まで一気に踏破するか…ってことも考えられますが、江戸の日本橋から数えて28番目の宿場である和田宿と、次の29番目の宿場である下諏訪宿の間は5里18町(約22km)と中山道最大の長丁場で、しかも途中に五街道最高地点である難所の和田峠(標高1,600メートル)越えが控えています。昔の人はこの区間を一気に1日で歩いたわけですが、現代人の私、しかも運動不足気味の私はとてもこの区間を1日で歩き切る自信はありません。だいたい、今日、和田峠から下諏訪宿方向に下ってきたのですが、まだ下諏訪宿の手前までで、下諏訪宿そのものに到着はしていません。おまけに、今日は下りが主体だったのですが、これに長い登り坂が加わると思うと……。ムリムリ!
さらに、昔は疲れたり、怪我したり…と、なにか急なことがあった時などには休憩できる立場や茶屋といった施設がこの区間のところどころにあったのですが、既に東餅屋や西餅屋といった立場は廃墟と化していて、休めるところは道中のどこにもありません。もちろん、途中にコンビニもありません。昔は幹線の街道ということでこの区間も歩いて往来する人々も多かったと思われますが、今は歩く人の姿などほとんど皆無。今日も山中では私達以外誰一人とも出逢うことがありませんでした。おまけにクマの出没が目撃された…という注意喚起の立て看板があったりして…。なので、身の安全を考えると、この区間を一人で一気に歩いて踏破するのは無理というわけです。
なので、旅行会社も和田峠の九合目とも言える東餅屋に着目して、そこを【第16回】のゴール、【第17回】のスタートポイントにして区間を2分割するという妙手を出してきたのでしょう。東餅屋のすぐ近くには国道142号線の旧道が走っていて、大型観光バスで乗り付けますし、数年前までドライブインとして営業していただけに、駐車場も整備されていますから。これしか方法はありません。
トドメは【第16回】と【第17回】だけこの旅行会社の『中山道六十九次・街道歩き』のツアーに参加したという女性2人組のこのお言葉。「私達、個人的に2人だけで中山道を歩いているんですけど、どうしても和田宿から下諏訪宿のこの区間を攻略する方法が見つけられなくて、仕方なくこのツアーに参加しました」 おいおいおい…。どうも私は中山道で最も難易度の高い区間を未踏破区間として残してしまったようです。標高1,600メートルの和田峠は11月に入ると雪が積もって歩くのが困難になるので、攻略するとしたら早くとも来年の5月以降。まぁ~焦らずに、旅行会社が開催するであろう来年以降のツアーにこの区間だけ参加するしか方法はなさそうです。
宿泊は上諏訪温泉にある上諏訪ステーションホテル。露天風呂もあり街道歩きで疲れた身体を癒すには最適です。ステーションホテルということで、ホテルの部屋の窓からは眼下にJR上諏訪駅のプラットホームが見えます。入線してきた電車はJR東日本のE351系「スーパーあずさ」。「スーパーあずさ」は、主にJR新宿駅~JR松本駅間を中央本線・篠ノ井線経由で運行する特急列車です。と言うことは、ここを走っている線路はJR中央本線。これまで中山道はJR高崎線、信越本線(しなの鉄道線)に沿って歩いてきた印象が強いだけに、中央本線というのはちょっと意外な感じがして、新鮮に感じます。諏訪ということで頭では十分に理解できているのですが、感覚的には違和感が残りまくっています。
この日は16,092歩、距離にして10.8km歩きました。距離としては街道歩きとしてたいしたことはないのですが、久しぶりに中山道を歩いたことに加え、標高1,600メートルの和田峠から標高約900メートルの下諏訪宿まで一気に急勾配を下ってきたこともあって、両脚の筋肉が痙攣を起こしそうになっています。特に両膝がガクガク。ふだんあまり使わない筋肉を酷使しちゃったようです。日頃、運動不足だってことですね。なんとかせねば…。
……(その6)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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