2018/01/12
中山道六十九次・街道歩き【第18回: 岡谷→贄川宿】(その11)
しばらく進むと「日出塩」の集落に入って行きます。
集落入口の左手に江戸の日本橋から数えて61番目の「日出塩一里塚」の標識が立っています。塚は残っておらず柱だけが立つだけです。日出塩は立場(休憩所)で、熊の皮や熊の胆が多く売られていたそうです。このあたりはクマ(熊)がいっぱい獲れたのでしょうか。と言うことは、いっぱい出没したってことですよね。この日出塩一里塚は「六十一一里塚」とも呼ばれました。
日出塩は本山宿と次の贄川宿の間の「立て場」でした。現在はJR中央本線(西線)の日出塩駅(無人駅)があるものの、寂しい集落になっています。
曹洞宗長泉院という立派な寺院があります。いくつかの庚申塔に、真新しいものですが、六地蔵らしきものも並んで立っています。
長泉院の前に小さな庚申塔が立っています。
JR中央本線(西線)の日出塩駅です。この日出塩駅も無人駅です。いつかこのJR中央本線(西線)を各駅停車で旅してみたいな…、うん、それをいつかやってみよう!……そぉ~んなことを考えながら歩いていました。
旅といえば究極の“のんびり旅”とも言うべき「街道歩き」なんぞばかりをこのところずっとやっていると、自分の中での旅のリズムが次第に街道歩きのペースに合ってくるので、大好きな列車旅も「ローカル線の各駅停車」の旅が今は私に一番あっているのかもしれません。無性に「ローカル線の各駅停車」に乗りたくなってきています。
日出塩駅の先に道祖神や庚申塔などの石塔・石仏を集めて祀っているところがあります。かなり立派な石塔・石仏群です。
人家がなくなり、国道19号線の高架が見えてきます。「この先危険 通行禁止」の表示があり、右方向の矢印「←」が出ています。国道19号線が頭上に迫ってくる手前で、緩やかに左にカーブする舗装された道路から分岐して真っ直ぐに延びる草道があります。実はこの草道が旧中山道なのですが、国道19号線の工事によりこの先で消滅してしまっているので通行することができません。これまでの経験から明らかにこの草道のほうが旧中山道だと分かるので、多くの人が足を踏み入れてしまうのでしょう。で、この表示が出ているのだと思われます。
その先で草道の方向を覗き込んでみると、その先も草がボウボウに茂った中に道らしきものがあるように思えるのですが、途中で草の中に消えてしまっています。その先には深い谷があるようで、よく様子が分かりません。これは確かに危険です。それでこれまで来た道をそのまま歩いて、国道19号線の下を潜り、国道19号線の左側をしばらく進みます。
深く入り込んできた谷を回り込むように進み、谷の反対側に出たところで今度は右側に逸れて国道19号線の下を潜る道路が現れるので、そちらを歩きます。なるほど、この道って“遠巻き道”になっているのですね。谷が深く入り込んできているので、先ほどの「この先危険 通行禁止」の表示が出ていたあたりからその深い谷を巻くように山の中腹を道が通っていたのでしょう。国道19号線はその谷を橋梁で一気に渡ってしまうので、この区間は高架になっているのですね。これはここを実際に歩いてみないと絶対に分かりません。
3分ほど歩くと国道19号線に合流します。そこに中山道の標識が立っています。ここから有名な「是より南 木曽路」の碑まで1.1km、今日のゴールであるJR贄川駅まで4.6kmですか。頑張ろう!
ここからはしばらく国道19号線を歩きます。進行方向右手は深い谷になっていて、はるか下に見えるその谷の底を奈良井川の清流が流れています。
遠巻き道の途中から「古中山道」が分岐していました。この道が「古中山道」です。慶長19年(1614年)、中山道が塩尻峠越えにルート変更になるまでは、この桜沢から牛首峠を越えて小野宿へ抜け、小野峠から下諏訪宿に至るルートを通っていました。このルートは霧訪山-奈良井断層帯の断層鞍部上の峠を通るルートで、地盤が不安定で崩落を繰り返したことから、ルートの変更が行われました。車両1台分の道幅しか確保されていない細い道ですが、今は長野県道254号楢川岡谷線となっています。この長野県道254号楢川岡谷線ですが、岡谷市街地では街路として整備されている一方で、牛首峠からこの国道19号と合流する区間に関しては最近まで未舗装のままだったそうです。現在は舗装済みとなっていますが、途中に人家が全くないため、その区間は冬期に閉鎖となるのだそうです。
午前中の街道歩きはここまでです。初期中山道の案内板の先にあるトンネル工事用の駐車場(?)に観光バスが迎えにきてくれていて、そのバスで昼食会場に向かいました。
今日のゴールであるJR贄川駅の前を通り過ぎ、漆器で有名な街・平沢にある「道の駅・木曽ならかわ」で昼食を摂りました。
……(その12)に続きます。
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集落入口の左手に江戸の日本橋から数えて61番目の「日出塩一里塚」の標識が立っています。塚は残っておらず柱だけが立つだけです。日出塩は立場(休憩所)で、熊の皮や熊の胆が多く売られていたそうです。このあたりはクマ(熊)がいっぱい獲れたのでしょうか。と言うことは、いっぱい出没したってことですよね。この日出塩一里塚は「六十一一里塚」とも呼ばれました。
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日出塩は本山宿と次の贄川宿の間の「立て場」でした。現在はJR中央本線(西線)の日出塩駅(無人駅)があるものの、寂しい集落になっています。
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曹洞宗長泉院という立派な寺院があります。いくつかの庚申塔に、真新しいものですが、六地蔵らしきものも並んで立っています。
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長泉院の前に小さな庚申塔が立っています。
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JR中央本線(西線)の日出塩駅です。この日出塩駅も無人駅です。いつかこのJR中央本線(西線)を各駅停車で旅してみたいな…、うん、それをいつかやってみよう!……そぉ~んなことを考えながら歩いていました。
旅といえば究極の“のんびり旅”とも言うべき「街道歩き」なんぞばかりをこのところずっとやっていると、自分の中での旅のリズムが次第に街道歩きのペースに合ってくるので、大好きな列車旅も「ローカル線の各駅停車」の旅が今は私に一番あっているのかもしれません。無性に「ローカル線の各駅停車」に乗りたくなってきています。
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日出塩駅の先に道祖神や庚申塔などの石塔・石仏を集めて祀っているところがあります。かなり立派な石塔・石仏群です。
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人家がなくなり、国道19号線の高架が見えてきます。「この先危険 通行禁止」の表示があり、右方向の矢印「←」が出ています。国道19号線が頭上に迫ってくる手前で、緩やかに左にカーブする舗装された道路から分岐して真っ直ぐに延びる草道があります。実はこの草道が旧中山道なのですが、国道19号線の工事によりこの先で消滅してしまっているので通行することができません。これまでの経験から明らかにこの草道のほうが旧中山道だと分かるので、多くの人が足を踏み入れてしまうのでしょう。で、この表示が出ているのだと思われます。
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その先で草道の方向を覗き込んでみると、その先も草がボウボウに茂った中に道らしきものがあるように思えるのですが、途中で草の中に消えてしまっています。その先には深い谷があるようで、よく様子が分かりません。これは確かに危険です。それでこれまで来た道をそのまま歩いて、国道19号線の下を潜り、国道19号線の左側をしばらく進みます。
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深く入り込んできた谷を回り込むように進み、谷の反対側に出たところで今度は右側に逸れて国道19号線の下を潜る道路が現れるので、そちらを歩きます。なるほど、この道って“遠巻き道”になっているのですね。谷が深く入り込んできているので、先ほどの「この先危険 通行禁止」の表示が出ていたあたりからその深い谷を巻くように山の中腹を道が通っていたのでしょう。国道19号線はその谷を橋梁で一気に渡ってしまうので、この区間は高架になっているのですね。これはここを実際に歩いてみないと絶対に分かりません。
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3分ほど歩くと国道19号線に合流します。そこに中山道の標識が立っています。ここから有名な「是より南 木曽路」の碑まで1.1km、今日のゴールであるJR贄川駅まで4.6kmですか。頑張ろう!
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ここからはしばらく国道19号線を歩きます。進行方向右手は深い谷になっていて、はるか下に見えるその谷の底を奈良井川の清流が流れています。
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遠巻き道の途中から「古中山道」が分岐していました。この道が「古中山道」です。慶長19年(1614年)、中山道が塩尻峠越えにルート変更になるまでは、この桜沢から牛首峠を越えて小野宿へ抜け、小野峠から下諏訪宿に至るルートを通っていました。このルートは霧訪山-奈良井断層帯の断層鞍部上の峠を通るルートで、地盤が不安定で崩落を繰り返したことから、ルートの変更が行われました。車両1台分の道幅しか確保されていない細い道ですが、今は長野県道254号楢川岡谷線となっています。この長野県道254号楢川岡谷線ですが、岡谷市街地では街路として整備されている一方で、牛首峠からこの国道19号と合流する区間に関しては最近まで未舗装のままだったそうです。現在は舗装済みとなっていますが、途中に人家が全くないため、その区間は冬期に閉鎖となるのだそうです。
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午前中の街道歩きはここまでです。初期中山道の案内板の先にあるトンネル工事用の駐車場(?)に観光バスが迎えにきてくれていて、そのバスで昼食会場に向かいました。
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今日のゴールであるJR贄川駅の前を通り過ぎ、漆器で有名な街・平沢にある「道の駅・木曽ならかわ」で昼食を摂りました。
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……(その12)に続きます。
執筆者
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株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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