2018/01/30

邪馬台国は四国にあった…が確信に!(その3)

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昼食の後で向かったのは徳島市のシンボル的存在とも言える眉山です。眉山はどの方向から眺めても眉の姿に見えることからその名がついたといわれます。最高地点は山の中央部にある標高290メートルの峰ですが、徳島市中心街に近い東部にある標高277メートルの峰のほうが広く山頂と呼ばれていて、展望台が設けられています。

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眉山は数々のベストセラーを出している歌手のさだまさしさんが書いた小説『眉山』の舞台としても知られています。そのさだまさしさんの書いた小説『眉山』は2007年に松嶋菜々子さん主演で映画化されました。この展望台は松嶋菜々子さん演じる主人公が大沢たかおさん演じる若い医師に重大なことを告げるシーンで使われました。

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眉山の展望台からは徳島市内をほぼ一望でき、天気の良い日なら遠く淡路島や和歌山県の紀伊山地も望む事ができます。眉山の北側を四国随一の河川・吉野川が流れています。

吉野川(よしのがわ)は、一級水系である吉野川水系の本流です。四国山地に降った大量の雨が愛媛県西条市と高知県吾川郡本川村(現いの町)に頂を有する瓶ヶ森(標高1,896メートル)の麓にある白猪谷(高知県いの町)から湧き出す清水を最源流とし、四国山地の南側を東流。その後、高知県長岡郡大豊町で向きを北に変え、四国山地を横断。徳島県三好市山城町で愛媛県新居浜市の冠山を源流とする最長の支流、銅山川が合流し、三好市池田町の池田ダムで香川用水により香川県に分流。三好市池田町で再び東に流れを変え、この徳島市で紀伊水道に注いでいます。讃岐山脈と四国山地に挟まれた下流域では徳島平野を形成しています。この吉野川の川筋は九州から関東へ、西南日本を縦断する形で延びる日本最大級の断層系である「中央構造線」とほぼ一致します。幹川流路延長は194 km。流域面積は3,750 km2。これは四国の総面積の約2割にあたり、唯一水流が四国4県に及ぶ水系となっています。また、最長川幅は荒川の2,537メートルに次いで広く、2,380メートルもあります。日本三大暴れ川の1つとして数えられ、利根川(坂東太郎)・筑後川(筑紫次郎)と並び四国三郎(しこくさぶろう)の異名を持っています。

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この中央構造線に沿って延びる日本三大暴れ川の1つである吉野川がこの徳島の地を流れていることが、徳島の古代史の謎に大きく影響しているように思えます。

眉山の展望台を後にして向かった先は同じく眉山の中腹にある忌部神社です。

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「忌部(いんべ)」は『古事記』や『日本書記』に記された天岩戸神話にも登場する天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖とする古代氏族の名称で、「忌部」または「斎部(いんべ)」を氏族の名称としています。姓(かばね)は主に「首(おびと)」あるいは「連(むらじ)」、「宿禰(すくね)」で、氏族名に付けられた「忌(いむ)」という字が「ケガレを忌む」すなわち「斎戒」を意味するように、古代朝廷の祭祀を始めとして祭具作製・宮殿造営を担った氏族とされています。

忌部氏には、朝廷に直接属する品部(ともべ = 職業集団)と忌部氏の曲部(かきべ = 私有民)の2種類が存在したとされていて、朝廷の品部としての忌部氏は、各地に分散して配置されていたようで、地域ごとに異なる物資を徴収したほか、祭具の作製や神殿・宮殿造営に携わったとされています。そうした各地に分散して配置された忌部氏としては出雲・紀伊・阿波・讃岐が代表的なものとして明らかとなっています。この出雲・紀伊・阿波・讃岐の忌部氏は前述のように徴収する物資が異なっていたようで、出雲は玉を、紀伊は木を、阿波は木綿(ゆう:これも一般的な木綿のことではなく、麻の一種のことではないかと言われています)や麻を、そして讃岐は盾を朝廷に納めていたようです。なかでも、この徳島を本拠とした「阿波忌部」は衣服だけでなく朝廷の祭祀に重要な役割を果たす“麻”を扱い、その祭祀力と航海力・技術力をもって大和朝廷成立の立役者となり、さらに日本各地に進出し、衣食住に関係する様々な文化を伝播した産業技術集団だったと考えられています。

ちなみに、『魏志倭人伝』には、邪馬台国では稲や苧麻を植え、桑で蚕を飼い、紡いで細い麻糸、綿、絹織物を作っている…という記述があります。ここでも“麻”という重要なキーワードが登場してきます。

エッ!邪馬台国は四国にあった?(その6)

朝廷の祭祀を司っていた氏族は忌部氏のほかにも中臣(なかとみ)氏がいました。次第に中臣氏の勢力に押され、忌部氏は歴史の表舞台から姿を消し、延暦22年(803年)には「斎部(いんべ)」と氏族名を改めたとされています。ちなみに中臣氏も後に藤原氏に氏族名を改めるのですが、同じく朝廷の祭祀を司っていた氏族同士だけに婚姻などの関係や交流が盛んだったようで、両氏族の名称からとった「斎藤」は現代に残る忌部氏の代表的な苗字とされています。ちなみに、歴史上有名な人物としては織田信長。織田信長を出した織田氏も一族の発祥の地は越前国織田庄(現福井県丹生郡越前町)にある劒神社で、本姓(氏)は藤原。実際は忌部氏の流れを汲む一族とする説もあるようです。

古代氏族と言えば私の「越智」も古代氏族の1つとされていますが、越智氏族は『古事記』や『日本書紀』に登場する饒速日命(にぎはやひのみこと)から数えて10代目にあたる乎致命(おちのみこと)を祖とする氏族です。その乎致命は応神天皇(在位:西暦270年~310年)の代に伊予国 小市国(おちのくに)の国造(くにのみやつこ)に任命され、現在の愛媛県今治市に館を構えたことで、その今治市周辺に土着していったわけです。

全国の越智さん大集合!(その1)

かたや忌部氏は『古事記』や『日本書記』に記された天岩戸神話にも登場する天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖とする古代氏族。越智氏族の一員としては悔しいことではありますが、同じ古代氏族と言っても歴史の長さがあまりにも違います。

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「忌部神社」は、延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』にも「阿波国麻殖郡 忌部神社」として登場する古い歴史を持つ神社で、かつては名神大社(みょうじんたいしゃ)にも列するほどの堂々たる社格の神社だったのですが、中世以降、兵火などにより所在が不明となりました。近世以降、複数の神社が式内忌部神社を主張して長く大論争が繰り広げられたのですが、明治18年(1885年)に太政官による妥協策としてこの眉山中腹の現在地を選定。そこに鎮座する郷社金刀比羅神社に仮遷座して、五所神社を境外摂社とし、社殿竣工により明治25年(1892年)に現在地に遷座したものです。その明治25年(1892年)に創建された社殿は昭和20年(1945年)、戦災により主要建物をほとんど焼失してしまい、現在の本殿は昭和28年(1953年)に再建されたものです。

祀られている主祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)。この神様は阿波忌部氏の祖神で、『古語拾遺』によれば天照大神の岩戸隠れの際に天太玉命に率いられて、榖(かじ)の木を植え、白和幣(しらにきて:楮の繊維を織ったもの。木綿(ゆう)ともいう)を作った神とされています。

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この忌部神社を氏神とする阿波忌部氏は天皇家と深い繋がりを持つ氏族のようで、忌部神社のいたるところに日本国の天皇家及び皇室を表す紋章である『十六八重表菊』、俗に「菊の御紋」と呼ばれる八重菊を図案化した菊紋が掲げられています。ちなみに、「菊の御紋」は天皇家及び皇室ゆかりの神社仏閣でしか使用することを許されておりません。

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こちらは元々この地にあった郷社の金刀比羅神社です。

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忌部神社の境内には大王松(だいおうまつ)が植えられています。この大王松は樹高30~35メートル、時に50メートル近くに達することもある大型の松で、主としてアメリカ合衆国東南部に分布する松です。大王松の名前の通り樹高だけでなく、葉も長く、葉は長さ40cm以上にもなることがあるそうです。この忌部神社の境内の大王松の葉も30cmはゆうにあり、さらに松ぼっくりも、とにかくジャンボです。一般的な松ぼっくりは、アカマツが3~4cm、クロマツが6~8cmくらいのものなのですが、それに対して大王松の松ぼっくりの大きさは、約15cm、大きいものでは17cmくらいにもなるそうです。これは持って帰って家族、特に孫達に見せてやりたいと思い、落ちているものをお土産に持って帰ってきました。測ってみると13cm弱もあります。ちなみに、隣に置いてあるミカンはLサイズのものです。

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紅葉(モミジ)が綺麗に色づいています。

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ドリンクの自販機に東京などでは見かけないブランドの缶コーヒーが並んでいます。その名も「徳島珈琲」。地元徳島市川内町に本社がある株式会社サンマックが徳島限定で販売している缶コーヒーです。地酒や地ビールというのは全国各地でいっぱいありますが、地缶コーヒーというのは初めて見ました。「徳島おどりブレンド」という商品もあります。さらに、株式会社サンマックでは「阿波踊り専用エナジードリンク アワライズ」という商品も出しているようです。そりゃあ阿波踊りを踊り続ければ疲れますわな(笑)

徳島珈琲オフィシャルサイト

徳島の勢いというものを感じさせてくれる商品です。私はブランド名に踊らされて、「徳島おどりブレンド」の缶コーヒーを飲んでみました。決して踊り出すほどではありませんでしたが、それなりに美味しかったです。

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……(その4)に続きます。